公爵令嬢の辿る道

ヤマナ

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いつか見た夢の世界で

因果応報

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ここ数日のサリーへの貴族教育は、専ら人気の少ない裏庭でひっそりと行なっている。 と言うのも、いつも使っていたホールが短期の点検期間に入り、多くの業者が出入りしているために使用する事が出来ないからである。
最近ではダンスの途中に転んだりする事も減ってきたサリーだけれど、それでもまだ貴族令嬢として最低限のラインを抑えた程度の実力しか備えられていないのは目に見えて明らかで、だからこそ教育の手を緩めるわけにはいかず、裏庭の芝生の上だろうと舗装されたタイル張りの道の上だろうと、人気の無い場所ならば構わずにレッスンを重ねている。

「ステップを焦らないで。 リズムの感覚を体で覚えれば、自然と動くものよ」

少し早足になりつつあったサリーの動きに、そう注意をすれば彼女はすぐにパタパタと忙しなかった足の動きを少し落ち着かせて、先に比べて少しだけ優雅になった調子でステップを踏んでいく。

「お姉様。 サリーはいつになったらリズム感を覚えられますか?」

「貴女次第よ。 感覚を掴んで覚えるまで、何度でもレッスンを続ける事ね。 さあ、足を止めないで」

私がサリーに課しているのは厳しめのレッスンで、だからこそあまり甘やかすような事は言わないように気を付けていた。
サリーはいずれ、王太子妃としてジークのパートナーとなるのだから、その時になって恥をかく事の無いようにしっかりと指導しなければならないのだ。 
正直、今のままのペースでは王太子妃として求められるレベルはおろか、通常の令嬢としての平均値さえも満たせるか怪しいため、どうしても厳しいレッスンになるのは致し方無い事なのだ。 
厳しめの言葉遣いもその一環であるため、断じて、いびったりしている訳では無い。
この裏庭は人の通りも少なく、そして校舎と校舎の間にある比較的小さな庭で日当たりも悪いため、その存在は学園生内でもあまり知られていない穴場だったりする。 だからこそ、サリーの教育にはもってこいであると思ってこの場所を選んだ。 
さすがに、衆目のある場所で貴族の令嬢同士が手を取って踊ったり、踊っている最中に転けたりなんて醜態を晒させるわけにはいかないからだ。
貴族の世界は、そうした小さな綻びだって拾い上げて、相手を貶めようとする者達の巣窟だ。 小さな弱みの一つですらも、どんな微小な傷でさえも見られてはならない。
だからこそ、サリーの今後に影が射すような要素の一つでさえも見られるわけにはいかないのだ。
……もっとも他の令嬢達は、最近になって学園内で流れている『噂』の方に意識が行っているだろうからあまり警戒しすぎる事もないのだろうけれど。 まあ、念には念をという事で。

「今日はここまでにしましょう。 また明日は別のレッスンを行うけれど、今日は帰ったら今やったステップの復習をしておくように」

「はいっ、お姉様! 明日もよろしくお願いします!」

溌剌と返事をするサリーに、貴族社会の昏い一面を警戒していた私は少し毒気が抜けたような気分になってしまった。
サリーは本当に元気で、明るくて、真面目な良い子だ。 
その歩みは遅く、まだまだ至らない所だらけだけれど、努力だけは怠らないその姿勢も含めて、やはりサリーこそがジークの運命の相手として相応しいのだろう。

「ええ、それではまたね」

だからこそ、そんなサリーを私が守らなくてはならない。
サリーがジークと結ばれる事は絶対的な運命で、それは私の過去が証明している。 
今は接点の薄い2人でも、きっといつかは互いに惹かれ合い、結ばれるのだろう。
そして、私はその手助けをする。
それで2人が結ばれてやっと、私は罪を贖えるのだと信じている。 
昼休憩終了の予鈴が鳴る中を自らのクラスに向かって歩く途中、階段の踊り場でさっきまでレッスンを行っていた裏庭が見えた。
明日はどんなレッスンをしようか。 それともマナーの勉強か、歩き方か……。
一瞬だけ見えた裏庭に気を引かれて、階段を一段一段登りながら、明日の事を思案する。
一重にレッスンといえども、貴族令嬢として修めるべき要素は多岐に渡る。 
そのどれも、貴族令嬢として未熟なサリーには、満遍なく教えて身に付けさせなければならない。 
いずれは王太子妃、そしてジークが王位を継承すれば王妃となる。 ならば相応の教養は必須であり、妃教育という形で求められるレベルまでサリーが至れるのだろうか。
……もしかして、妃教育を見据えた貴族教育を施すべき………?
そう考え至って、では今日は帰る前に図書館へ寄ってより高度な内容の教本を借りてみようかしら、と思考を結ぶ。
幸いにして、今日の生徒会活動は無く、店に顔を出しに行く予定も無い。 ならば、決まりである。
そうして思案事を決として、授業に遅れないようにと思案中も無意識に動かしていた足で階段を一つ登る ーーーそして、なぜか私の体は自由を失って、落ちていった。

「………えっ?」

状況をまるで呑み込めない思考は、ただ目の前の光景のみを映し出す。
我が校の女生徒用の制服を着た長い金髪の誰かが走り去って行く光景がそこにはあって、次にはそれが天井に変わり、それからは視界に映るもの全てが目まぐるしく流れていく。
そこでようやく思考が戻り、何が起きたのかと記憶を振り返れば、思案中に何か肩の辺りを強く押された感覚はあった。 
つまり、階段を登っている最中に誰かに突き飛ばされたのだと、そう理解した。
きつく目を瞑り、次いで痛みを堪えるために歯をくいしばる。
2メートルはある高さから、背中から階段の上に落ちて、そのまま転がり落ちていく。 何度も何度も全身が打ち付けられて、その度に短く呻いた。
やがて階下、階段の踊り場まで転がり落ち、私はその場でうつ伏せのまま動けなくなってしまった。
全身が打ち付けられて、酷い痛みで、少し頭も打ったせいか意識も混濁としている。

「……は、はは……はははは」

思考は霞んで、意識も朦朧としてきた。
そんな薄れ行く意識の中で、込み上げてくる感情に嗤いが止まらない。
それは本当に愚かな事実に思い至ったから起きた嗤い。 
この事態は、因果応報であると気付いたからだった。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


気付くと、真っ白な景色が視界いっぱいに広がっていた。

「目が覚めたか!」

傍から聞こえてくる声に、真っ白な景色から声の発生源へと視界が引かれる。
そこに居たのは、なぜか普段よりもより不機嫌そうで眉間に皺まで寄せている、実に紳士とは言い難い顔をしたマルコだった。

「……貴方。 そんな苛立ったような顔をしないの。 貴方はユースクリフ家の」

「そんな説教、今はどうだっていいでしょう姉上! それより、いったい何があったんですか! こんな、ボロボロに……ッ!」

「マルコ……?」

普段から感情的で、いつもイライラしている印象の強いマルコだけれど、今日は少し毛色が違うもののように感じた。
普段から私に敵意を向けている彼が、どうしてか私の心配をしているような………いえ、きっと気のせいなのでしょう。
それから私は、興奮してまともに会話できないマルコの代わりに今いる部屋、救護室の主である先生から、私が階段の踊り場で倒れているところを偶然通り掛かったマルコが運んで来たのだと説明を受け、そして既に用意されていた我が家の馬車までマルコに横抱きにされて運ばれて、屋敷に帰る事になった。
それからは、帰るなり、私の有り様を見たアリーが青褪めた顔でオロオロとしながらも、他の侍女達と共に、階段から落ちてボロボロになった制服から寝間着に着替えさせてくれて、瞬く間にベッドへ寝かされて、そして常駐しているユースクリフ家お抱えの医者に診てもらい、体中を打ち付けた事で痣ができているが骨折などの大怪我はしていないと結果を受けて安心したところで、とても強烈な眠気に襲われた。

「……少し、眠るわ。 おやすみなさい」

そう言って、アリーもマルコも医者も部屋から退出させて、ようやく1人になったところで安堵の溜息を吐いた。
………私を突き飛ばした、あの金髪の後ろ姿に心当たりは無い。
けれど、状況だけならば思い当たるものがあった。
1度目の世界で、私が断罪されるきっかけとなった事件。 
サリーを階段から突き飛ばし、ジークや他の男性達から糾弾された、私の背負うこの業が始まったあの時。
小さな虐めを何度も繰り返し、それでも心折れないサリーをより追い詰めて、そして痛めつけるための悪辣な行い。 それをサリーにしたのは、嫉妬に狂った私自身だった。
だからこそ、この事件の意味をすぐに理解できたのだ。
学園内に蔓延る、令嬢達の中で最近のトレンドになっている『噂』 ーーー剣術大会でジークから勝利を捧げられた令嬢であるユースクリフ公爵令嬢こそが、彼に選ばれた婚約者の最有力候補である、という話。
そんな有り得ない、有り得てはいけない世迷言が、学園の中には流れている。
けれど、噂の真実がどうあれど、受け取る側はその事実を好きに解釈して吞み込む。 
そして、そんな噂に反発する者だって1人や2人はいるだろう。 
そんな妬心に駆られた誰かが、衝動的な行動に手を染めてもおかしい事ではない。 
現に、嫉妬に狂った私自身がそんな愚かな真似をした事があるのだから、間違いないだろう。
そんな愚かな感情から来る悪意を、かつて自らがしたようにしてこの身に受ける事になるなど、何とも間抜けな話だろう。
因果応報と、これ程までに言葉通りの事象もそうはあるまい。
けれど、きっとこれで良いのだ。
誰かの、暴走している狂った妬心を私が受ける事で、サリーを悪意から守る事ができるのだから。
私の使命はサリーを守り、サリーを立派な貴族令嬢となれるように導いて、運命の2人を結ぶ事。
ならば、この身に降りかかるこの程度の悪意など、堪えて然るべきだろう。 だって、これは贖罪の一環なのだから。
だから、これで良い。

これで良い………けど、やっぱり少しだけ怖いものね。

さっきからずっと、はたはたと目から雫が溢れている。
体を傷めてしまったけれど、だからといって今はジークもいないのだから副会長としてまた生徒会業務に従事しなくてはならないし、サリーへの教育だってまだまだ手掛けなくてはならない事が山のように残っている。
なのに、学園に行く事がとても怖いのだ。
今日初めて直接的な危害を加えられて怖かった。  あの剣術大会以降、小さな嫌がらせをされて少しずつ心が摩耗していた。
こんな、稚拙で愚かで馬鹿馬鹿しい事の一つ一つが、そこに込められた悪意が、とても恐ろしいのだ。
そして、そんな悪意を過去の私は、今私が受けているよりもずっと多く、長く、サリーにぶつけてきた。 きっと、サリーは今の私よりもずっとずっと苦しんでいた事だろう。
そんな悪意を振り撒いていたから、その行いが私に帰ってきたのだ。 この苦しみさえも、因果応報なのだ。
自業自得のこの苦しみは、決して逃げていいものではない。 だって、サリーを守るために負わなければならないものなのだから。
……けれど、けれども。
逃げてしまいたい。 悪意からも、この運命からも、自らの罪からも。
そう願ってしまった私は、きっと心が疲れ切っているのだろう。
そのせいか、私の意識は知らぬ間に夢の中へと埋没していた。 ふわふわと、何所かを漂っている夢だった。
そして眼が覚めると、体が熱くて怠かった。
意識もはっきりとしていなくて、上体を起こしたままで、ぼーっと壁を眺めているしかできないほどに頭が働かない。
暫くして現れたアリーが私のおでこに手を当てて、ひんやり冷たいその手を堪能していると、また寝かされた。 アリーは、すごく大騒ぎしていた。
やがてアリーに連れられて現れた昨日の医者に「昨日の怪我と、溜まりに溜まった疲労から来た熱」と診断された。
意識が朦朧とする中で、医者の診断結果を聞いて思ったのは「学園をお休みできるわ」という喜びだった。
体を休めなければならないと再び眠りについて、そして、私はまた夢の中でフワフワと何も無い場所を漂っていた。
その夢はすごく心地良くて。 だから私は、これが夢であるのだとしても、ずっとここで漂っていたいと、そう思った。


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