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いつか見た夢の世界で
見せない傷
しおりを挟むジークの姿を学園で見かけなくなってもう10日が経つ。
それ自体には慣れて、いないならいないで諦めがつくようになってきたこの頃、それとは別の問題が生じ始めた。
最近は、 日々を学業と仕事に明け暮れて、考えたくない事を頭の中から追い出してばかりの日々だった。 けれど、そんな日々にも綻びが見えてきてしまったのだ。
その原因の一つが生徒会の仕事量に対する、私が手掛ける仕事の消化量であった。
仕事は別に無限にあるというわけではない。 こなせば無くなるし、そもそも所詮は学生の行う程度の仕事なのだからキャパオーバーが無いように教師達の手によって調整されているため、たかが知れている。
自分の分を早々に済ませて他人の分の手伝いに回っていれば、仕事などすぐに終わるに決まっている。
だからと、何か仕事はないものかと私のお店に顔を覗かせれば、客足もそこそこに程よい忙しさと売れ行きでもって安定した売り上げを出しており、特に私が介入しなくてもお店は自然と回るようになっていた。
お店のオーナーとして、従業員との親交を深めようと定期的にお茶会を行なって意見交換をしたりしているけれど、それとこれとはまた別の話だ。
領地の方も問題無く回っているようで、公爵からの仕事関連と私の事業関連のどちらも問題は無いと、領邸家令のアンドレイからは定期連絡の手紙が届く。
私を取り巻いていた仕事の類は、そのことごとくが順調に回っている。
しかし、それは端的に言ってしまえば私が暇を持て余しているという事で、さらに言うならば現実逃避すら出来ずに目の前の問題と向き合わざるを得ないという事なのだ。
自室に帰ればいつまでも飾られているジークから送られてきたドレスがあって、目を背けて仕事仕事と逃げる事さえ出来なくなった。
だから最近の私は学園が終わると、真っ直ぐにユースクリフ邸に帰る事なく、教会に寄る事にしている。
休日ならば、領地に行けば孤児院の皆や仕事の話など、いくらでも気を引く事はあるのだけれど、平日ではそうもいかない。 だからこそ、私の足が教会に向く事は自然な流れなのだ。
ただ、それだけの事なのだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
教会に行けば、心安らかに在れる。 そこにいる人々は穏やかで、自然体で、見栄を張ったり他人を蹴落とそうとしない。
だから、気を張らずにいられる。 心底から落ち着いて過ごせる。
教会の常連となり、すっかり顔馴染みとなった若いシスターと少しの雑談に興じるのもまたよくある事。
でも、今日は珍しく神父様がいらっしゃらないらしい。 なんでも、何かの会合に出なければならないため2、3日は帰らないという。
教えてくれたシスターに礼を言って、私はいつものように広間の、並べられたベンチの中でも一番端の隅っこに腰掛ける。
人の目の寄りづらい位置に陣取って、持ち込んだ小説を読み耽った。
平日の夕方で、神父様も出払っていて、数人いるシスターは各々の仕事をこなしている。
今いる広間には私以外に誰もいない。
外の喧騒もどこか遠く聞こえ、小説を読み進めて項を捲る音だけがひたすら鳴っていた。
やがて最後のページを読み終えて、何日も前から読み始めた小説を読了した。
パタリと本を閉じる音さえ普段よりも大きく聞こえて、その後に教会前の通りの喧騒だけが残った。
そしてそれも、やがて消えて、何も聞こえなくなった。
誰も、何の気配も無い。 だから、私は目を瞑り、両手を組んで、上体を前のめりに倒して頭を下げて、そんな人には見せられないみっともない姿で神に祈りを捧げた。
込み上げてくるのは、慚愧の念。
かつての一番愚かしかった頃、悪役令嬢エリーナとしてサリーに与えた数々の行いを思い返して、その悪辣かつ傲慢なまでの在り方に胸が痛くなった。
なぜ、かつての私はあのように愚かしい虐めをしでかしてしまったのかと自問し、解の無い問いに「なぜ」と疑問を重ねる事しかできない。
あの時あんな愚かしい虐めをしでかさなければ、今この時を変えられただろうか?
………ああ、神様。 赦しを請うなど烏滸がましい事でしょう。
ならばせめて、このどうしようもない罪人の懺悔だけでもいいから聞きとどけてくださいませ。
祈る心と、懺悔の言葉とを絞り出し、気付けばいつの間にか目に溜まった涙が頬を伝って流れ落ちていく。
一度それを自覚すれば、あとは決壊してとめどなく流れていくだけだった。
祈る心は乱されて、懺悔の言葉は聞くに耐えない意味不明な言葉の羅列と化した。
それでも私は言葉を紡ぐ事を諦めはしない。
だってそうしなければ、明日もまた心を踏み躙られてしまう事に耐えられなくなってしまうだろうから。
だから私は、いるかも分からない神様に向けて、誰もいない教会で、懺悔の言葉を吐き出し続けるのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「おかえりなさいませ、お嬢様………どうなさったのですか!?」
教会で懺悔の言葉を吐き出し続けて、ユースクリフ邸に帰ったのは日が落ちて暫くした頃だった。
自室に帰ればいつものようにアリーがいて、そしてなぜかひどく驚かれた。
「目が充血しておいでです。 すぐに蒸したタオルをご用意いたしますので、できるだけ目を擦らないようお待ちください」
初動の取り乱した様子をすぐに律して、落ち着き払った様子で部屋を出るアリー。 けれども、部屋を出てすぐにパタパタと忙しない足音が聞こえて、まだ少しだけ取り乱しているのだろうと推測できる。
なぜそうも焦るのかと疑問に思うけれど、考えたところで他人の内心など考え至る事などあり得ないのだから、早々に疑問を切り上げた。
数分ほど待って、戻ってきたアリーは湯の張られた手桶を手に「まずはお化粧を落としましょう」といつものように化粧を丁寧に落としてくれる。
それから、ベッドの上に横にさせられて、閉じた瞼の上に温かい蒸したタオルを乗せられた。
「お嬢様、何があったのかとお聞きしてもよろしいでしょうか」
心底から心配したような声音で問うてくるアリー。 それは幼い頃から、私が体調を崩したりした時に掛けられてきた優しい声音だ。
けれど、今の私にはそれすらもまやかしに感じられた。
だってアリーの真実の姿は、公爵の指示で動く私の監視者なのだから。
だからこそ、何も話す事などありはしない。
「何も無いわ。 気にしないで」
「でも、お嬢様……」
「おかしな詮索はしないで。 私が何も無いと言ったら、何も無いの」
だから、これ以上の干渉は許さない。
言外にそう付け加えて、アリーを黙らせる。
暫くの沈黙の後、アリーは「お湯を替えてきます」と部屋を出た。
制服姿で寝そべったまま、薄ぼんやりとする思考の中で、冷たい態度を取ってしまった事をアリーに謝った。
いくらアリーが、公爵の指示で情が無くとも私に付いていてくれているだけだとしても、かつて感じていたアリーの愛が偽物だったのだとしても、たとえ裏切られていたのだとしても、私の中には捨てきれない情がいつまでも残っていた。
もしもアリーが私の事をほんの少しでも心から気に掛けていてくれているのだとしたら。
そんな『もしも』を考えて、アリーに心配をかけまいと真実を秘匿する事にした部分も少しだけあった。
実際にそんな事ありはしないと、分かりきってはいるのだけれど。 あくまで『もしも』の妄想の話だ。
そもそも、目が充血していた事は ーーー泣いていた事は、全て私の行いが生んだ自業自得な事象が原因なのだ。
同情される事も、励まされる事も必要無い、私自身が向き合うべき業。
だからこそ、他の誰にも今私が置かれている立場を知られる必要は無い。
人知れずに傷まみれになっていくのだとしても、それこそが私の負う罪業の禊となるのならば、それでいいのだから。
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