29 / 139
生きているこの世界で
ダンスレッスン
しおりを挟む最近の私は、とても充実した日々を過ごしていると思う。
事業は未だ下準備の段階にあり、開店にすら至っていない現段階では雇った領民達に払う給金は私の自腹を切るしかない。 なので、1日でも早く開店できる状況まで持っていかなくてはならない。
平日の昼間から放課までは学園と生徒会、放課後から夜中は学園で出た課題に商品のデザインと事業に関する雑事の処理。 休日はユースクリフ領の視察と領邸で仕事をしている領民達に顔を見せて共に作業をしたり孤児院に顔を出して子供達と遊んだりと、ゆっくり読書を楽しむ暇も無い日々を送っている。
問題があるとすれば、目元のクマがそろそろ化粧でも誤魔化しきれないほど酷くなってきたというくらいか。
最近は、ジークのみならず、アリーからすら過労気味だからと休むよう言われる始末である。聞く耳など向けてやらないけれど。
少なくとも、運命に怯え、人に怯え、神に救済を祈りながら死を待つよりはよほど健全で建設的な事だろう。
手を掛けている事業は未だ手探りで、これが領民達への救済になれるかは分からないけれど、そうなるよう励むのだ。 だってそれは、善い事なのだから。
それよりも目下、最も心配なのはサリーの事だった。
彼女がジークと結ばれる事は確定事項で、王太子と結ばれる次期王太子妃だからこそ、今からでも足りていない教養やマナーを叩き込まねばならない。 ……だと言うのに、どうにも進展の兆しが無い。
「キリエル嬢、今日もお勉強の時間よ」
「お姉様っ! わざわざお迎えに来てくださってありがとうございますぅ~っ!!」
「……少しは落ち着きなさいな」
レッスンを受けさせるためサリーの教室まで行けば、声をかけた途端に大声を上げて私の元まで駆け寄って来るサリー。 これでも、令嬢が大声を上げるのと走るのはやめてくれないかしら、という旨を口が酸っぱくなるほど教えてきたはずなのだけれど……。
お昼休みは私も常よりも比較的に時間が空いているため、毎日ではないにせよ2、3日に一度はこうしてサリーを引っ張っていって教育している。 おかげでサリーともすっかり親交ができ、たと思っていたのだけれど、これは『親しくなった』と言うよりも『懐かれている』と評した方が正しいだろう。
呼び方も、初めてダンスのレッスンをした際に私が男性役として相手をしていると、いつの間にか「エリーナ様」から「お姉様」になっていたし。
「だって久しぶりのお姉様なんですよ! またお会いできるのを待ちに待っていました!」
「前回のレッスンからまだ3日と経っていないでしょうに、キリエル嬢は熱心な子ね」
「私なら毎日、いえ、いつもご一緒したいですから」
この通り、サリーはとてもやる気のある子であり、教える私としても望ましい限りだ。 でも、熱心なのは感心するのだけれど、せめてその成果を見せてほしいものである。 とりあえず、いい加減学園内で走ったり大声を出すのはやめてほしい。
「今日はダンスのレッスンよ。 ホールを借りているから、行きましょう」
「はい、お姉様」
「……以前教えた事はもう覚えたかしら?」
「大丈夫です、多分! 何とかなります!」
………とても、先行き不安である。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「目線を私の顔に合わせるように、あまり他を見ないで。 足元はリズムに合わせて、硬くなりすぎないよう自然な足取りでステップを踏んで」
「はい、お姉様……て、きゃあああ!!」
足を滑らせて、サリーが盛大に転んだ。 しかも手をしっかり握られていたものだから、私まで巻き添えを受けて引っ張り倒された。 本日3度目である。
背中から倒れるサリーに引っ張られる私はサリーの上に覆い被さる形で倒れ込んでいるので怪我はないけれど、私に潰される形となるサリーは痛いだろうに、潰される度に喜色満面の顔をしている。
「ごめんなさい。 痛くはない? 大丈夫?」
「いえいえいえ、大丈夫ですよお姉様! むしろどんと来いというか、柔らかくて心地いいというか……」
最後の方は何と言っているのか聞き取れないけれど、潰されても大丈夫だと笑顔の彼女を健気と見るか、穿ってみれば何処と無く嬉しそうにも見えるので何か倒錯的な癖でもあるのではないかと邪推するべきか悩ましい。
少なくとも、今明らかなのは彼女に施してきたダンスレッスンの成果があまり見られないという事だ。 基本の姿勢や所作を知っていても、肝心のバランスやリズム感が危う過ぎるのだ。 ひょっとしたら彼女には、いきなりダンスを教えるよりも先に体幹トレーニングをさせるべきかもしれない。
「お姉様、私なら大丈夫ですよ! ささ、もう一度お願いします!」
彼女のやる気は一人前である。
ただ、やる気だけでどうにかなる程世の中甘くはない。 そんな事で万事どうにかなるのなら、私だってもう少し楽に生きられた筈だ。
とはいえ、やる気に満ちた者の興を冷めさせる事もあるまい。 もう暫くダンスレッスンをさせて、後で体幹トレーニングについて話してみよう。
そう考えて、差し出されていたサリーの手をとってそのまま彼女を引き寄せる。
「きゃっ」
「さあ、続きといきましょう。 今度は転ばないように落ち着いて、ね?」
「……は、はいぃぃ、お姉様…」
そうして踊る事暫く、サリーの動きがどうにもぎこちない。 先に比べて、まるで油のきれた機械仕掛け程に動きからしなやかさが失われている。
しかも何かブツブツと聞き取れない声量で言っているし、本格的に様子がおかしい。
「あの、キリエル嬢? 調子が悪いのかしら。 それとも疲れたのだったら、今日はもう終わりにしよう」
「いえ、大丈夫! まだやれます! ……あ」
かしら、と続ける前にサリーに言葉を遮られて、挙句焦った彼女は気もそぞろで、またしてもバランスを崩して倒れ込んだ。
「きゃああああ!!!」
叫びながら、直前まで取っていた手を握り潰さんばかりに掴まれる。 よって案の定、私も巻き込まれて倒れた。
ただ、こう何度も巻き込み事故のように倒れる事にも慣れてきて、サリーを潰してしまわないようサリーの腰に回していた方の手で何とか倒れ込むのを踏ん張った。
結果、サリーを潰す事はなかったけれど、代わりに私とサリーの鼻先があと数ミリで触れ合う所まで顔同士が接近し、危うく私とサリーでキスをするところだった。 しかも、形としては私がサリーを押し倒しているように見えるため、大変宜しくない。
「お、おねえさま……」
サリーなど顔が真っ赤である。 初心な子だ、余程恥ずかしいのだろう。
いくらこのホールを私が借りているとはいえ誰かが来ないとも限らないし、サリーの精神衛生的にも、早く退かなければ。
「ご、ごめんなさい!」
反射的に顔を逸らして、その勢いのままサリーと距離をとった。
理性的に思案していたけれど、実は私も恥ずかしかった。 だって、とても顔が近かったのだもの。
パッと接近した顔を離し、朱色に染まった頰をサリーに見られないよう背を向ける。
「……失礼、2人とも。 これはどうした事なのかな?」
なぜか聞こえてきた誰かの声。
トーンは男性のもの。 このホールには私とサリーの女性2人しかいない筈なのに。
誰かと思って声のする方を見れば、そこにはジークが、唖然として私達2人を見やっていた。
13
お気に入りに追加
509
あなたにおすすめの小説
【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~
胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。
時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。
王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。
処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。
これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。
疲れきった退職前女教師がある日突然、異世界のどうしようもない貴族令嬢に転生。こっちの世界でも子供たちの幸せは第一優先です!
ミミリン
恋愛
小学校教師として長年勤めた独身の皐月(さつき)。
退職間近で突然異世界に転生してしまった。転生先では醜いどうしようもない貴族令嬢リリア・アルバになっていた!
私を陥れようとする兄から逃れ、
不器用な大人たちに助けられ、少しずつ現世とのギャップを埋め合わせる。
逃れた先で出会った訳ありの美青年は何かとからかってくるけど、気がついたら成長して私を支えてくれる大切な男性になっていた。こ、これは恋?
異世界で繰り広げられるそれぞれの奮闘ストーリー。
この世界で新たに自分の人生を切り開けるか!?
変態婚約者を無事妹に奪わせて婚約破棄されたので気ままな城下町ライフを送っていたらなぜだか王太子に溺愛されることになってしまいました?!
utsugi
恋愛
私、こんなにも婚約者として貴方に尽くしてまいりましたのにひどすぎますわ!(笑)
妹に婚約者を奪われ婚約破棄された令嬢マリアベルは悲しみのあまり(?)生家を抜け出し城下町で庶民として気ままな生活を送ることになった。身分を隠して自由に生きようと思っていたのにひょんなことから光魔法の能力が開花し半強制的に魔法学校に入学させられることに。そのうちなぜか王太子から溺愛されるようになったけれど王太子にはなにやら秘密がありそうで……?!
※適宜内容を修正する場合があります
虐げられた人生に疲れたので本物の悪女に私はなります
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
伯爵家である私の家には両親を亡くして一緒に暮らす同い年の従妹のカサンドラがいる。当主である父はカサンドラばかりを溺愛し、何故か実の娘である私を虐げる。その為に母も、使用人も、屋敷に出入りする人達までもが皆私を馬鹿にし、時には罠を這って陥れ、その度に私は叱責される。どんなに自分の仕業では無いと訴えても、謝罪しても許されないなら、いっそ本当の悪女になることにした。その矢先に私の婚約者候補を名乗る人物が現れて、話は思わぬ方向へ・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
愛など初めからありませんが。
ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。
お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。
「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」
「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」
「……何を言っている?」
仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに?
✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。
婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです
青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています
チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。
しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。
婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。
さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。
失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。
目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。
二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。
一方、義妹は仕事でミスばかり。
闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。
挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。
※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます!
※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。
いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!
夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。
しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。
ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。
愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。
いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。
一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ!
世界観はゆるいです!
カクヨム様にも投稿しております。
※10万文字を超えたので長編に変更しました。
なんで私だけ我慢しなくちゃならないわけ?
ワールド
恋愛
私、フォン・クラインハートは、由緒正しき家柄に生まれ、常に家族の期待に応えるべく振る舞ってまいりましたわ。恋愛、趣味、さらには私の将来に至るまで、すべては家名と伝統のため。しかし、これ以上、我慢するのは終わりにしようと決意いたしましたわ。
だってなんで私だけ我慢しなくちゃいけないと思ったんですもの。
これからは好き勝手やらせてもらいますわ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる