公爵令嬢の辿る道

ヤマナ

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5度目の世界で

小さな恋慕

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ジークから休暇を言い渡され、その期に乗じた父から領地視察を命じられてから一週間後、私は再びユースクリフ領に訪れていた。

父へ提出する書類を作成している途中で情報として不明瞭な点がいくつか上がり、もう一度領地に赴く必要があったのだ…………もっとも、それは建前なのだけれど。
週末の学園の終了後、すぐに馬車を走らせて領地へ向かった私は、2日ある休みの初日を領地視察と領民とのコミュニケーション兼情報収集に当てた。
前回は時間がなくて深くまで聞けなかった領民達の不満や領内の問題点、逆に伸ばすべき点が覗けたので再び視察に来て正解だったと思う。
ちなみに領民達には私が領主の娘であることは黙っているので、愚痴を聞いてくれるよく来る商家のお嬢さんくらいに思われているらしく、皆とても私によくしてくれている。
領民の皆からすれば雑談程度の会話でも、私からしたら領地のことを知るために欠片さえも聞き逃せないことなので気が抜けないけれど、それでも令嬢として社交の場で培った対人スキルで何とか切り抜けて、初日の聞き取りを終えた。
さて領地の問題だが、施設の老朽化や近くの森でチラホラと獣が湧いているなどの解決し易い事案はこの際隅に置いておく。 要は、施設のリフォームや自警団を作るなり狩人を雇うなりすればいいだけだからだ。
今回私が確認した領地の実情の中で最も問題なのは、やはり農作物の収穫量とそれに付随する水源問題についてだろう。
ユースクリフ領の主流財源は豊富な土地を利用した農業による収入が主となっていて、それは国内に流通する穀物類の半分以上を占めているほどだ。
ユースクリフ家としては、このまま生産量が落ちるのは問題だ。
他領への流通もそうだが、ユースクリフ産の穀物は王城御用達と認められている格式高い品だ。 
その生産量が減り、その流通が滞るということは、商品を購入してくださっている王家や各所の信頼を裏切り、ユースクリフ家の名に泥を塗るのと同じだ。

ユースクリフ領は、その7割が田畑ということもあってとても広大だ。 そこで何十年も畑作を続け、豊かな土地に少しずつ田畑を拓いて富を生んできた。
当然、領民があってこその成果であり、彼らと共有すべき富だ。 彼らへの還元も忘れはしない。 
領内での祭りごとでは領邸だけではなく他所からも料理人を呼んで全ての領民に料理を振舞ったり、領内の環境整備も定期的に行われている。 そして既に働くことのできない扶養者のいない領民への支援もしている。
現領民達は他の地からの移民者も多く、もっと酷い統治をしている領から来た人達を中心に多くの領民が領主である父の事を支持している。 
私も、領民達から聞いた話だけならば父のことをとても良い領主だと思う。
だが、良い領主と良い父親というものは一緒ではない。 実際に父は、幼い頃の私に一度だって声をかけてくれなかった。 抱き上げてもくれなかった。 愛情を向けてくれたことなどなかった。
領民達がいくら父を慕おうとも、私は父を慕うことなどできない。 
父だって同じだろう。 私のことなど、所詮は自分の血を引くユースクリフ家所有の駒程度にしか見ていないはずだ。 
私だって、父のことを公爵として以外に見たことがない。
だから、この領地の視察も公爵様からの命令を遂行しているに過ぎない。 誰が、あんな父のために働こうものか。

「ラナさん。 どうかなさいましたか?」

ハッとして顔を上げると、かがんだ姿勢で私の顔を覗き込むようにしているピューラと、ピューラにピタリとくっ付いているエルマがいた。

「買い物の帰りにラナさんを見かけたら、何かとても思いつめたような顔をしていらしたのでお声掛けしました。 何かお悩みがあるなら、ご相談にのりますよ?」

「あぁいえ! この本がとても悲しくて! それでつい、思いつめたような表情になっていたかもしれません」

もっとも、実際には別のことを考えていて、休憩がてらに読もうと思っていた本の内容などほんの少しも入ってきてはいなかったのだけれど。
私の言い訳にピューラは、あらあらと頰に手を当てて柔らかい笑みを浮かべた。

「ラナさんは感受性豊かな方なのですね。 だからかしら、子供達みんなラナさんに懐いていて。 特にワイリーなんて、ラナ姉は次いつ来るのって大騒ぎで。 ねえ、エルマ」

「うん」

尚もピューラに張り付いて、しかも私から顔を隠すようにしているエルマにピューラも少し困ったようにエルマの頭を撫でている。
出会った当初からこの少女には避けられている節があった。 
ピューラ曰く人見知りらしいこの少女はいつになれば私に慣れてくれるものか。 先はだいぶ長そうだ。

「……ラナさん、なによんでるの?」

と思っていた矢先、エルマは私の読んでいた本に興味があるのか、そう尋ねてきた。
私が持っている本は、領邸の本棚に置いてあったような家令の趣味か父のものかわからない固い内容のものではなくて私物。 
王都の屋敷の自室の本棚の恋愛小説の中の一冊。 それもだいぶマイナーなシリーズ物で、王都の本屋を何件か梯子して漸く一冊見つかるというような、ある意味希少な一品だ。
苦労して手に入れた割に本棚に収めて積んでいて、ジークに休暇をもらったこの期にと他にも積んでいた小説と一緒に、父から与えられた仕事の合間に消化している。

「気になるのなら一緒に読む? 本は、人から聞くよりも自分で読んだ方が面白いわよ」

「え? え、えーと……」

よほど私の本が気になるのか、視線が本とピューラの顔を行ったり来たりしている。
そんなエルマを、ピューラは優しい笑みを浮かべて見ている。

「ラナさん、厚かましいことですがエルマをお任せしてもよろしいですか?」

「ええ、もちろん。 お昼から教会にお邪魔しようと思っていましたので、その頃にエルマと一緒に行きますね」

「ありがとうございます。 お礼と言ってはなんですが、お昼を準備させていただきますから。 エルマ、ラナさんのご迷惑にならないようにね」

そう言って去るピューラの背中を見送って、私は再び木陰に腰掛ける。
人見知りなエルマを怯えさせないよう、淑女教育で培った技術を惜しみなく発揮して笑顔を浮かべる。

「エルマちゃん、隣においで。 一緒に本を読みましょう」

「ラナさんは……」

俯いたまま動かないエルマは、聞き取れないが何かブツブツと言っているらしい。

「えっと……何かな? ごめんね、聞き取れなかったからもう一度言ってくれる?」

「ラナさんは………ワイリーのこと、好きなの?」

「……………え?」

「どうなの?」

ズイッと顔を寄せ、質問を重ねるエルマの表情は真剣だった。
なぜエルマは私がワイリーを好きだなんて思い込んでいるのだろうか。 いや、確かにあの年頃の子供はやんちゃでも大人しくても可愛らしく愛嬌があって好きだが、ここでエルマが言っているのはそう言った類の『好き』ではないのだろう。

「落ち着いてエルマちゃん。 一体どうしてそんな風に思ったのか、理由を教えてもらえないかな?」

そう尋ねると、今度は頰を膨らませてそっぽを向いたかと思うとブー垂れたような口調で理由を語った。

「タルトあげてたし、あれからワイリーずっとラナさんのことばっかりいってるし」

……ああ、確か、先週始めて教会を訪れた時に私がお土産として持って来たタルトの苺をワイリーがエルマからとったのだった。 
あの時は、私のタルトをあげてからとてもワイリーに懐かれて、おやつの後であちこちに引っ張り回されたのだ。
そしてエルマも、その時は今のように不満げで、そして私に嫉妬の視線を向けていた。

「エルマちゃんは、ワイリーくんが好きなのね」

だから、今こうして私に牽制をかけている。 
今のエルマの気持ちは、過去の私ならばとても共感できたものだろう。 かつての私とて、嫉妬に駆られ、暴走し、最終的に破滅したのだから。

「大丈夫、私は貴女からワイリーくんをとったりしないわ」

「………ほんとう?」

「ええ。 だって貴女達と私では年が離れているし、何よりワイリーくんの運命の相手は私ではないわ」

「うんめい……?」

言葉の意味がわからないのか、エルマは首をコテンと傾げて先程までの嫉妬に満ちた眼差しからは打って変わって未知の言葉に対する無知な、童女の瞳で、私を見る。

「そう。 そうあるべきだっていう、未来のこと」

「みらい」

「ワイリーくんには、エルマちゃんや教会のみんながいるわ。 彼らとの絆を育み、そしていつか誰かと結ばれるのだと思うの。 その誰かに、エルマちゃんがなれるのかはわからないけど、でも、今日のように嫉妬をして、早まったことをしてはいけないわ。 それは、貴女と、貴女の気持ちを、破滅させてしまうものだから」

かつての私がそうだったから。
誰からも愛されない私は、皆に、ジークに、愛されているあの令嬢に嫉妬していた。 なぜこんなにも頑張ってきた私ではなくてポッと出のお前なんかがと妬んだ。
だからといって、自らの不遇を嘆いて周囲に当たり散らし、害を振りまくのではただの子供、いや、やり口が陰湿な分よほど質の悪い所業だった。

「ラナさんには」

「ん?」

「ラナさんにはいるの? うんめいのひと」

目の前の少女は澄んだ瞳で私を見つめらがら問いかけた。

「まだ会えていないわ。 でも、多分……」

そんな人はいない。 そう言いかけて、口を閉じた。
見返せば、澄んだ瞳は私の心の底まで覗き込むようにジッと見つめてきていて、途中で切られた私の言葉の続きを待っている。
その、全てを見通していそうな瞳を向ける純粋な少女に、私の宿業を語って聞かせることもないだろう。 
だって子供に聞かせるべきなのは、いつだって希望に満ちたお話なのだから。

「いつか、何処かで会えるかもしれないわ」

だから私は、平然と嘘をついた。
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