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終わる世界
和解
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今日も今日とて、穏やかで暖かな日の照る良い日和です。
きっと、こんな日に枯草の上や大木の下で風がそよぐのを聞きながらお昼寝するのはとても気持ちいいだろうなぁ……などと現実逃避にぼんやりと考えながら、しかしナナシはそんな呑気な感想なんてとても言えないような雰囲気をしているお茶会の現状に内心、ハラハラとしていました。
というのも、そのお茶会のメンバーなのですけれど、まずはナナシと……。
「………」
このように、いつもであればナナシに話題を振って明るく色々な事を話して、そしてナナシの話にも付き合ってくれるのに、今はただひたすらに無言なままでいるカルネ。
「……ぁ、ぅ………!」
そして、先程から何度も言葉を発しようとしながらもカルネの圧に負けて未だ声を掛けるどころか、呻くばかりで一言だってまともに喋る事が出来ていないハンナさん。
そんな、過去に一悶着があり、蟠りが解消出来ていない間柄の2人が介するお茶会なのです。
その2人が何故こうしてお茶会の席を共にしているのかと言えば、それは先日、ナナシとハンナさんが和解した次の日の事。
ハンナさんが、「レイスラーク嬢に謝罪をしたいけれど、どうしたらいいかしら…」と、ナナシに相談してきた事が発端でした。
曰く、「わざわざ揉めなければならない理由ももう無いし……それに、もうあの怖い眼で睨まれたり、怒られたりしたくない」からだそうですが、ハンナさん自身がカルネに対して良くない事をしていた自覚はあるようなので、きっとその言葉の下地にはこれまでの所業を謝りたいという気持ちがあるのでしょう。
ハンナさんは今までご自身の目的に対する手法が悪かったというだけで、心の根幹の部分はただの優しい少女なのでしょうから。
なのでナナシ的には、そういう事ならば手伝わない訳にはいきません。
何より、ナナシにとって2人目の女の子の友人ですし、そうでなくとも悩みがある者の頼りであるのなら、それはナナシの出番ですから。
問題があり、その解決法が明確であるのなら、即決断即行動が最も効率がよろしいでしょう。
という事で、有言実行。
さっそくハンナさんを、いつものカルネとのお茶会に招いて、そして謝罪と仲直りのための場を設けた訳なのですが。
……なんとも、空気が悪いです。
何か、剣呑としているというか。
「ナナシ」
「は、はいぃ……」
突然カルネに呼ばれて、ナナシはびくりと反応します。
その際に声が震えてしまったのは、ご愛嬌という事で。 だってカルネ、普段からは想像も出来ないくらい重たい雰囲気を醸し出しているのですもの。
だから、別に悪い事をした訳でもないのに、何か責められているような感覚になるのです。
「以前、ナナシにはこの子がわたくしに何をしてきたか話したと思うのだけれど、違ったかしらね?」
「い、いいええ聞きました、はい……」
「だったら、どうしてこの子がこの場にいるのかしら? 勿論、どういう事か、お話してくれるわよね?」
「ははは、はいっ! それはもう当然ながら、はい。 ……えっと、事の起こりはですね」
いや怖い、怖いですよカルネ。
本当、言葉の圧が凄い。
ハンナさんに至っては、カルネの圧に完全に屈して、さっきから呻き声すら出ないくらい怯えていらっしゃってる程ですよ!
……しかし、まあ、この場を設けたのはナナシの責任ですし。
なので、カルネへの状況説明役はナナシが務めましょうとも。
という事で、意気込みを一つして。
そうして、話し終えた後でカルネに怒られる覚悟もまた一つ決めて、いざ今日この場に至るまでの経緯を要点を纏めて簡潔に説明します。
正直なところ、カルネの漏らす、説明している間の「ふぅん」や「そう」が怖かったですが、それでも怖いのを堪えて何とか話し終えると、ナナシは何を言われるのかと内心ビクビクしながらカルネの言葉を待ちます。
しかし、覚悟の割に、掛けられた言葉は軽いもの。
「そうだったのね」だけでした。
「……あれ。 それだけ、ですか?」
「むしろ、他に何言われると思ってたのよ。 ちょっと何があって今のこの状況になったのか聞きたかっただけなのに、ナナシったら蛇に睨まれた蛙みたいにビクビクとしちゃって。 失礼ね、もう」
「ご、ごめんなさい…」
「別にいいわよ。 ちょっとイラついてたのは事実だし、わたくしも態度が悪かったのは自覚があるもの。 ごめんなさいね、ナナシ」
ほんの少しだけ圧が薄まって普段のお茶会の時のような空気感に戻ったカルネは、先までの圧のある態度についてそのように言って、ナナシについては許してくださいました。
けれども、そんな空気の弛緩もほんの一瞬だけの事。
すぐに、「でもね」とカルネは話を続けます。
「それとこれとは別なのよ。 わたくしはこの子と、オルフェス令嬢と過度に関わる事は出来ないわ」
「そんな…。 でも、ハンナさんは」
「彼女にも事情があったというのは、さっき聞いたわ。 本質的には自業自得とはいえ悩みだってあったのだろうし……まあ、生い立ちや家庭事情には同情しないでもないわ。 でもね、そんなのは関係無いのよ。 もっと根本的なところで、関わる事は無理なの。 だって……立場的には敵同士だものね、わたくし達は」
「ねえ」と、声音を一段階低くして、カルネはハンナさんへとそう言います。
そして、対するハンナさんも先までとはまた違う無言で押し黙る。
それが、怯えではなく肯定の意の沈黙だという事は、ナナシにもすぐに分かりました。
敵同士。
カルネが語ったのは明確な拒絶の言葉で、現実の提示。 それも、『敵』だなんて物騒な響きの線引きでした。
そういえば、普段から距離感が近くて忘れてしまっていましたが、カルネはこの国の上位貴族レイスラーク公爵家の御令嬢。
貴族社会という澱の中の、さらに深い立場に座する存在なのです。
そしてそれは、ハンナさんも同じで、彼女もまた上位貴族であるというオルフェス公爵家の御令嬢。
それらの要素を考慮して考えるのなら、カルネの話にも合点がいくというものです。
そういえば、以前にレイド様から貴族間にある派閥の話を聞いた事がありましたが、お二人の間を隔てる障害とは、まさしくそれを端とするもの。
お二人は政の立場上では政敵同士です。
それ故に、どうしたってお互いの立場的には絶対に相入れる事などあってはならないのでしょう。
何せ2人は、隔絶したそれぞれのコミュニティに属するカーストの上位者同士なのですから。
「正直に言うとね、オルフェス令嬢の嫌がらせに苛立ちはすれども、仕方のない事だと思ってはいたのよ。 だって、元々わたくし達は家柄からして敵同士。 いがみ合って然るべき者同士なのだもの」
嫌がらせの理由があんなにも可愛くていじらしいものだとは思わなかったけどね、と途中笑いを漏らしはすれども、そんな弛緩は一瞬に留めて、更にカルネは話を続けます。
嫌がらせ一つにおける正否を超えた立場的な正当性や道理性、そして貴族社会という環境の中に泰然と存在している『蹴落とし合う』文化によって度々生じる諍いによって蓄積されてきた不和の在り方。
それは、いわゆる象徴でもあったのでしょう。
即ち、派閥の旗印であるという事。
その意味は、彼女らの家が先導する下位の家々の方針、行く先の指針であるのでしょう。 それ故に、彼女らでさえもその在り方に反する事は許されない。
なぜなら、彼女らもまたそれぞれの公爵家に属している時点で既に、下位の者らを先導する側の上位者であるのでしょうから。
「だから、そういう意味では貴女がわたくしにしてきた所業は間違いではないし、わざわざ謝る事もないの。 それをしてしまうのは、敵対者であるわたくしへの屈服と取られても仕方がないのだから」
「で、でもハンナは、レイスラーク嬢に謝りたくて……」
「謝って、それでどうするというの? 貴女の謝罪を受け入れて、それでわたくし達が仲良くするという訳にもいかないのよ。 だったら、別に今のままでもいいでしょうに」
立場に於ける責任感と、それに伴う合理性。
カルネの主張は、言わばそういうもの。
そしてそれは、彼女達の属するコミュニティにおける立場に準じた側面においては酷く正論であり、二人を隔て間を阻む理性の壁でもあったのです。
「それでも、ハンナはレイスラーク嬢に謝りたいんです。 悪い事をしたら謝るものだって、お祖父様にもうちの使用人達にも教えてもらったのですから。 レイスラーク嬢ーーー今まで酷い事ばかりして、申し訳ありませんでした」
けれども、ハンナさんはそんなカルネの言葉も気にせず、己が我を通して謝罪を敢行するのでした。
如何に合理性でものを語ろうと、如何に論理的思考で在り方を定めようとしても、それが通るのは理性によって自らの形を定め優劣を決定付けられるシステムに準じている同類同士でだけの事。
優も劣も無い、人の本質である感情にはどうしたって及びません。
いや、そもそも効力自体が無いのです。
だって、感情によって我を通すという事は、要するにただの我儘なのです。
理性によって導き出された道理に背き、非合理さえも貫き通すという、人に生来より備わっている貪欲な意思の露われなのですから。
「……そう。 貴女は、良い人達に囲まれているのね………本当に、羨ましいわね」
どうしたって、どこまで行ったって、人はどうしようもなく感情の生き物で、感情がある故に人であるのです。
そうでなければ人が君臨するこの世において、利得と我欲に塗れた浅ましくて不合理の極みである争いなど生まれはしなかった事でしょう。 だってシステムの機構とは、ただ「そうあれ」と定められただけの存在なのですから。
故に、人は『まだ』融通が利く。
そしてそれは、カルネとて同じ事でしょう。
「……はあ、分かったわよ。 オルフェス令嬢、貴女の謝罪は受け入れます。 でも、それで貴女はどうしたいの? 謝罪する、という事は何かわたくしに望む事でもあるのかしら」
「え………えと、その、ハンナもナナシの友達になりましたし、レイスラーク嬢が良ければ、これからはハンナもお茶会にご一緒したいな、と……」
「えぇ……。 貴女、さっきのわたくしの話は聞いてたかしら? わたくし達、本来は同じテーブルを囲む事さえ憚られるような間柄ですのよ。 わたくしはレイド殿下を、貴女はロイド殿下を支持する派閥のトップたる両公爵家の子女同士。 それは分かっているの?」
「えっと、ハンナのお祖父様とレイスラーク家の御当主様の仲が悪いという事かしら。 だったら、ハンナとレイスラーク嬢が仲良くしたらお二人も仲良くなるのではないかしら!」
「ああ、分かってないわ、この子……」
何処かヘナヘナとしたような声を漏らして「もう、ヤダこの子…」と呟くカルネに対し、ハンナさんは「ハンナ、何かおかしな事を言ったかしら?」と訳が分からないと言った御様子。
……まあ、今まで温室で蝶よ花よと育てられてきたらしいハンナさんの価値観なら、仲直りの原理がそういう単純なものだという認識になってしまっているというのは分からなくもないのですが……はい、これに関してはカルネに同情します。
カルネは、高位貴族の御令嬢。
であるのならば、もし仮にナナシが知るカルネの来歴が『最果て』で見た夢の限りであったのだとしても、相当の立場の上で多大なる責任と相応の態度を求められ続けてきた事は想像に難くはありません。 そういういった過程があってこその、カルネの先の言葉であったのでしょうし。
故に、価値観が致命的に噛み合っていないのです。
……うん、ここはナナシが助け舟を出すべきですかね。
「カルネ、ハンナさんは育ってきた環境が違うのです。 ナナシだって、『最果て』で生活してきたから最初の頃はこっちでの生活に不自由してましたし。 だから、今は価値観の擦り合わせのために一旦このままで事を飲み込みましょう?」
「でも、その間に変な噂を立てられたらどうするのよ。 敵対派閥のトップの令嬢同士が懇意にし合っているだなんて、噂好きな貴族達の格好の餌食じゃない」
「大丈夫、ナナシに考えがあります。 お二人が交流される理由を、ナナシにすればいいのです。 レイド様から聞きましたが、例の『泥』を祓った事でナナシの事も貴族達の噂に上がっているのでしょう? なら、王位継承争いの最中、有益そうな存在を取り込みたいのは何処も同じでしょうから、二人でナナシを取り合っている事にすればいいのです。 いわゆる、三角関係というやつですね!」
「それはちょっと違うでしょうよ……はあ、頭が痛いわ。 とりあえず、レイド殿下には後でナナシにそんな話をした事について詰めておかなくちゃならないようね」
げんなりとした様子で、カルネはそのように仰いました。
結構、合理的でベストな提案と思うのですが、どうやらカルネはあまり気乗りしないご様子です。
「ダメでしょうか? 良い案だと思ったのですが…」
「……もういいわよ、それで。 ーーーという事で、オルフェス嬢。 ナナシと一緒に居る時だけは、家の事情とか立場とか忘れてあげる。 でも代わりに今までの私怨とか、そういうのをドンドンぶつけるから覚悟しなさいよね」
「は、はいっ! ありがとうございます、レイスラーク嬢!」
こうして、無事ハンナさんとカルネは和解し、一連の騒動は収まりよく解決する事と相成ったのでした。
そしてそれからは、親睦を深めるという意味で記念すべき3人で初めてのお茶会をして、その際に色々なお話をして、その中でお二人の距離も少しずつ近付いているように思えたのでナナシも仲立ちとして喜ばしい形に落ち着いてくれた事に「ホッ」としながら、歓談を楽しむのでした。
……ところで、良い時間になってお茶会がお開きとなった時の事なのですが。
「……ダメだわ、この二人。 わたくしが、しっかりしないといけないようね……」
そのようにカルネが呟いたのは、一体どういう意味合いでの事だったのでしょうかね?
きっと、こんな日に枯草の上や大木の下で風がそよぐのを聞きながらお昼寝するのはとても気持ちいいだろうなぁ……などと現実逃避にぼんやりと考えながら、しかしナナシはそんな呑気な感想なんてとても言えないような雰囲気をしているお茶会の現状に内心、ハラハラとしていました。
というのも、そのお茶会のメンバーなのですけれど、まずはナナシと……。
「………」
このように、いつもであればナナシに話題を振って明るく色々な事を話して、そしてナナシの話にも付き合ってくれるのに、今はただひたすらに無言なままでいるカルネ。
「……ぁ、ぅ………!」
そして、先程から何度も言葉を発しようとしながらもカルネの圧に負けて未だ声を掛けるどころか、呻くばかりで一言だってまともに喋る事が出来ていないハンナさん。
そんな、過去に一悶着があり、蟠りが解消出来ていない間柄の2人が介するお茶会なのです。
その2人が何故こうしてお茶会の席を共にしているのかと言えば、それは先日、ナナシとハンナさんが和解した次の日の事。
ハンナさんが、「レイスラーク嬢に謝罪をしたいけれど、どうしたらいいかしら…」と、ナナシに相談してきた事が発端でした。
曰く、「わざわざ揉めなければならない理由ももう無いし……それに、もうあの怖い眼で睨まれたり、怒られたりしたくない」からだそうですが、ハンナさん自身がカルネに対して良くない事をしていた自覚はあるようなので、きっとその言葉の下地にはこれまでの所業を謝りたいという気持ちがあるのでしょう。
ハンナさんは今までご自身の目的に対する手法が悪かったというだけで、心の根幹の部分はただの優しい少女なのでしょうから。
なのでナナシ的には、そういう事ならば手伝わない訳にはいきません。
何より、ナナシにとって2人目の女の子の友人ですし、そうでなくとも悩みがある者の頼りであるのなら、それはナナシの出番ですから。
問題があり、その解決法が明確であるのなら、即決断即行動が最も効率がよろしいでしょう。
という事で、有言実行。
さっそくハンナさんを、いつものカルネとのお茶会に招いて、そして謝罪と仲直りのための場を設けた訳なのですが。
……なんとも、空気が悪いです。
何か、剣呑としているというか。
「ナナシ」
「は、はいぃ……」
突然カルネに呼ばれて、ナナシはびくりと反応します。
その際に声が震えてしまったのは、ご愛嬌という事で。 だってカルネ、普段からは想像も出来ないくらい重たい雰囲気を醸し出しているのですもの。
だから、別に悪い事をした訳でもないのに、何か責められているような感覚になるのです。
「以前、ナナシにはこの子がわたくしに何をしてきたか話したと思うのだけれど、違ったかしらね?」
「い、いいええ聞きました、はい……」
「だったら、どうしてこの子がこの場にいるのかしら? 勿論、どういう事か、お話してくれるわよね?」
「ははは、はいっ! それはもう当然ながら、はい。 ……えっと、事の起こりはですね」
いや怖い、怖いですよカルネ。
本当、言葉の圧が凄い。
ハンナさんに至っては、カルネの圧に完全に屈して、さっきから呻き声すら出ないくらい怯えていらっしゃってる程ですよ!
……しかし、まあ、この場を設けたのはナナシの責任ですし。
なので、カルネへの状況説明役はナナシが務めましょうとも。
という事で、意気込みを一つして。
そうして、話し終えた後でカルネに怒られる覚悟もまた一つ決めて、いざ今日この場に至るまでの経緯を要点を纏めて簡潔に説明します。
正直なところ、カルネの漏らす、説明している間の「ふぅん」や「そう」が怖かったですが、それでも怖いのを堪えて何とか話し終えると、ナナシは何を言われるのかと内心ビクビクしながらカルネの言葉を待ちます。
しかし、覚悟の割に、掛けられた言葉は軽いもの。
「そうだったのね」だけでした。
「……あれ。 それだけ、ですか?」
「むしろ、他に何言われると思ってたのよ。 ちょっと何があって今のこの状況になったのか聞きたかっただけなのに、ナナシったら蛇に睨まれた蛙みたいにビクビクとしちゃって。 失礼ね、もう」
「ご、ごめんなさい…」
「別にいいわよ。 ちょっとイラついてたのは事実だし、わたくしも態度が悪かったのは自覚があるもの。 ごめんなさいね、ナナシ」
ほんの少しだけ圧が薄まって普段のお茶会の時のような空気感に戻ったカルネは、先までの圧のある態度についてそのように言って、ナナシについては許してくださいました。
けれども、そんな空気の弛緩もほんの一瞬だけの事。
すぐに、「でもね」とカルネは話を続けます。
「それとこれとは別なのよ。 わたくしはこの子と、オルフェス令嬢と過度に関わる事は出来ないわ」
「そんな…。 でも、ハンナさんは」
「彼女にも事情があったというのは、さっき聞いたわ。 本質的には自業自得とはいえ悩みだってあったのだろうし……まあ、生い立ちや家庭事情には同情しないでもないわ。 でもね、そんなのは関係無いのよ。 もっと根本的なところで、関わる事は無理なの。 だって……立場的には敵同士だものね、わたくし達は」
「ねえ」と、声音を一段階低くして、カルネはハンナさんへとそう言います。
そして、対するハンナさんも先までとはまた違う無言で押し黙る。
それが、怯えではなく肯定の意の沈黙だという事は、ナナシにもすぐに分かりました。
敵同士。
カルネが語ったのは明確な拒絶の言葉で、現実の提示。 それも、『敵』だなんて物騒な響きの線引きでした。
そういえば、普段から距離感が近くて忘れてしまっていましたが、カルネはこの国の上位貴族レイスラーク公爵家の御令嬢。
貴族社会という澱の中の、さらに深い立場に座する存在なのです。
そしてそれは、ハンナさんも同じで、彼女もまた上位貴族であるというオルフェス公爵家の御令嬢。
それらの要素を考慮して考えるのなら、カルネの話にも合点がいくというものです。
そういえば、以前にレイド様から貴族間にある派閥の話を聞いた事がありましたが、お二人の間を隔てる障害とは、まさしくそれを端とするもの。
お二人は政の立場上では政敵同士です。
それ故に、どうしたってお互いの立場的には絶対に相入れる事などあってはならないのでしょう。
何せ2人は、隔絶したそれぞれのコミュニティに属するカーストの上位者同士なのですから。
「正直に言うとね、オルフェス令嬢の嫌がらせに苛立ちはすれども、仕方のない事だと思ってはいたのよ。 だって、元々わたくし達は家柄からして敵同士。 いがみ合って然るべき者同士なのだもの」
嫌がらせの理由があんなにも可愛くていじらしいものだとは思わなかったけどね、と途中笑いを漏らしはすれども、そんな弛緩は一瞬に留めて、更にカルネは話を続けます。
嫌がらせ一つにおける正否を超えた立場的な正当性や道理性、そして貴族社会という環境の中に泰然と存在している『蹴落とし合う』文化によって度々生じる諍いによって蓄積されてきた不和の在り方。
それは、いわゆる象徴でもあったのでしょう。
即ち、派閥の旗印であるという事。
その意味は、彼女らの家が先導する下位の家々の方針、行く先の指針であるのでしょう。 それ故に、彼女らでさえもその在り方に反する事は許されない。
なぜなら、彼女らもまたそれぞれの公爵家に属している時点で既に、下位の者らを先導する側の上位者であるのでしょうから。
「だから、そういう意味では貴女がわたくしにしてきた所業は間違いではないし、わざわざ謝る事もないの。 それをしてしまうのは、敵対者であるわたくしへの屈服と取られても仕方がないのだから」
「で、でもハンナは、レイスラーク嬢に謝りたくて……」
「謝って、それでどうするというの? 貴女の謝罪を受け入れて、それでわたくし達が仲良くするという訳にもいかないのよ。 だったら、別に今のままでもいいでしょうに」
立場に於ける責任感と、それに伴う合理性。
カルネの主張は、言わばそういうもの。
そしてそれは、彼女達の属するコミュニティにおける立場に準じた側面においては酷く正論であり、二人を隔て間を阻む理性の壁でもあったのです。
「それでも、ハンナはレイスラーク嬢に謝りたいんです。 悪い事をしたら謝るものだって、お祖父様にもうちの使用人達にも教えてもらったのですから。 レイスラーク嬢ーーー今まで酷い事ばかりして、申し訳ありませんでした」
けれども、ハンナさんはそんなカルネの言葉も気にせず、己が我を通して謝罪を敢行するのでした。
如何に合理性でものを語ろうと、如何に論理的思考で在り方を定めようとしても、それが通るのは理性によって自らの形を定め優劣を決定付けられるシステムに準じている同類同士でだけの事。
優も劣も無い、人の本質である感情にはどうしたって及びません。
いや、そもそも効力自体が無いのです。
だって、感情によって我を通すという事は、要するにただの我儘なのです。
理性によって導き出された道理に背き、非合理さえも貫き通すという、人に生来より備わっている貪欲な意思の露われなのですから。
「……そう。 貴女は、良い人達に囲まれているのね………本当に、羨ましいわね」
どうしたって、どこまで行ったって、人はどうしようもなく感情の生き物で、感情がある故に人であるのです。
そうでなければ人が君臨するこの世において、利得と我欲に塗れた浅ましくて不合理の極みである争いなど生まれはしなかった事でしょう。 だってシステムの機構とは、ただ「そうあれ」と定められただけの存在なのですから。
故に、人は『まだ』融通が利く。
そしてそれは、カルネとて同じ事でしょう。
「……はあ、分かったわよ。 オルフェス令嬢、貴女の謝罪は受け入れます。 でも、それで貴女はどうしたいの? 謝罪する、という事は何かわたくしに望む事でもあるのかしら」
「え………えと、その、ハンナもナナシの友達になりましたし、レイスラーク嬢が良ければ、これからはハンナもお茶会にご一緒したいな、と……」
「えぇ……。 貴女、さっきのわたくしの話は聞いてたかしら? わたくし達、本来は同じテーブルを囲む事さえ憚られるような間柄ですのよ。 わたくしはレイド殿下を、貴女はロイド殿下を支持する派閥のトップたる両公爵家の子女同士。 それは分かっているの?」
「えっと、ハンナのお祖父様とレイスラーク家の御当主様の仲が悪いという事かしら。 だったら、ハンナとレイスラーク嬢が仲良くしたらお二人も仲良くなるのではないかしら!」
「ああ、分かってないわ、この子……」
何処かヘナヘナとしたような声を漏らして「もう、ヤダこの子…」と呟くカルネに対し、ハンナさんは「ハンナ、何かおかしな事を言ったかしら?」と訳が分からないと言った御様子。
……まあ、今まで温室で蝶よ花よと育てられてきたらしいハンナさんの価値観なら、仲直りの原理がそういう単純なものだという認識になってしまっているというのは分からなくもないのですが……はい、これに関してはカルネに同情します。
カルネは、高位貴族の御令嬢。
であるのならば、もし仮にナナシが知るカルネの来歴が『最果て』で見た夢の限りであったのだとしても、相当の立場の上で多大なる責任と相応の態度を求められ続けてきた事は想像に難くはありません。 そういういった過程があってこその、カルネの先の言葉であったのでしょうし。
故に、価値観が致命的に噛み合っていないのです。
……うん、ここはナナシが助け舟を出すべきですかね。
「カルネ、ハンナさんは育ってきた環境が違うのです。 ナナシだって、『最果て』で生活してきたから最初の頃はこっちでの生活に不自由してましたし。 だから、今は価値観の擦り合わせのために一旦このままで事を飲み込みましょう?」
「でも、その間に変な噂を立てられたらどうするのよ。 敵対派閥のトップの令嬢同士が懇意にし合っているだなんて、噂好きな貴族達の格好の餌食じゃない」
「大丈夫、ナナシに考えがあります。 お二人が交流される理由を、ナナシにすればいいのです。 レイド様から聞きましたが、例の『泥』を祓った事でナナシの事も貴族達の噂に上がっているのでしょう? なら、王位継承争いの最中、有益そうな存在を取り込みたいのは何処も同じでしょうから、二人でナナシを取り合っている事にすればいいのです。 いわゆる、三角関係というやつですね!」
「それはちょっと違うでしょうよ……はあ、頭が痛いわ。 とりあえず、レイド殿下には後でナナシにそんな話をした事について詰めておかなくちゃならないようね」
げんなりとした様子で、カルネはそのように仰いました。
結構、合理的でベストな提案と思うのですが、どうやらカルネはあまり気乗りしないご様子です。
「ダメでしょうか? 良い案だと思ったのですが…」
「……もういいわよ、それで。 ーーーという事で、オルフェス嬢。 ナナシと一緒に居る時だけは、家の事情とか立場とか忘れてあげる。 でも代わりに今までの私怨とか、そういうのをドンドンぶつけるから覚悟しなさいよね」
「は、はいっ! ありがとうございます、レイスラーク嬢!」
こうして、無事ハンナさんとカルネは和解し、一連の騒動は収まりよく解決する事と相成ったのでした。
そしてそれからは、親睦を深めるという意味で記念すべき3人で初めてのお茶会をして、その際に色々なお話をして、その中でお二人の距離も少しずつ近付いているように思えたのでナナシも仲立ちとして喜ばしい形に落ち着いてくれた事に「ホッ」としながら、歓談を楽しむのでした。
……ところで、良い時間になってお茶会がお開きとなった時の事なのですが。
「……ダメだわ、この二人。 わたくしが、しっかりしないといけないようね……」
そのようにカルネが呟いたのは、一体どういう意味合いでの事だったのでしょうかね?
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