ワケありマニアの幽子さん

第30話 悪魔の嘲笑と1/3の純情な感情

　二人の一郎を目まの当あたりにして、幽子は頭を抱かかえていた。
　目の前の自分自身と向かい合った一郎は茫然自失ぼうぜんじしつとした様子ようす。

　一郎の片割かたわれ――彼に変身した鏡の悪魔ミラーデーモンは思う。
　危あぶなないところだった。

　罠わなに嵌はめられ、ほぼ完全に詰つんでいる状況じょうきょうだったが、運良く鏡かがみが割われてくれたことで、なんとか窮地きゅうちを脱だっすることができた。

　鏡の中に入らなければ、見た目や記憶きおく、能力まで完璧かんぺきにコピーすることはできない。
　しかし逆を言えば、『完璧』にコピーすることはできなくても、コピー自体は出来できるのだ。

　自分の住処すみかである鏡にさえ映うつりさえすれば、見た目と記憶はコピーすることができる。
　ここはこの幽子とかいう陰陽師おんみょうじの恋人こいびとになりすまし、隙すきを見て逃にげ出すしかない。

　できるなら逃げ出すだけでなく、今後のことを考えて二人とも殺ころしておきたいが――今は脱出だっしゅつが最優先さいゆうせんだ。

　なので、この陰陽師になんとしても自分が本物だと思わせなければならない。
　鏡の悪魔は表情ひょうじょうを変えず、ひたすら冷静れいせいな顔のまま、一郎の記憶を分析ぶんせきする。

「まずったぁ……まさか最後の最後にこんな手を取るなんて」

　自らの油断ゆだんに後悔こうかいをしているのか、両手で顔を覆おおいながら幽子が心情しんじょうを吐露とろした。

「私の声真似こえまねをして、一郎くんを騙だますだなんてやるじゃない！　さあどっちが本物ほんものでどっちが偽物にせもの！？　正直しょうじきに偽物は手を挙あげなさい！」

「そんなんで偽物が手を挙げるわけないだろ」
「偽物ってバレたら殺されるのに、はいって言うバカはいないんじゃないか？」
「うーん、この悪魔バカだしワンチャンいけると思ったんだけどなあ」

　幽子が二人をチラリと見る。
　二人の一郎の様子は何も変わらない。

「煽あおりも効きかない、か。今の言葉で『誰がバカだ』って顔を真っ赤にしてくれたら楽だったのに」

　幽子が腕うでを組み、「うーん」と唸うなる。
　さて、どうしたものか？

「なあ幽子、素人しろうと考えで悪いんだけど、こういう時に正体を見破みやぶる術じゅつとかってないのか？」

「あるにはあるんだけど、私それ使えないのよね。看破かんぱ系の術ってすっごい技術ぎじゅつが必要ひつようなのよ」
「なら、ここはやっぱり定番ていばんか……」

「まあ、定番をやるしかないでしょうね。ってことで二人の一郎くんに質問しつもん！　一郎くんの身長と体重は！？」
「「175センチ55キロ！」」

「住んでいる部屋へやの本来の家賃やちんは！？」
「「月120万！」」

「私と初めて出会った場所ばしょと時期じきは！？」
「「四月の頭にあった飲み会合コンの席！」」

「好きな映画のジャンルは！？」
「「90年代アメリカンホラーとサメ！」」

「一番最初に私が貸かしたラノベは！？」
「「まだ借かりたことないだろ！」」

「わかっていたけど完璧かんぺきね……これはもう、とっておきの質問をするしかないか」

　幽子は深呼吸しんこきゅうを一つした。

「二人とも、これで最後さいごよ。心して答えて」
「ああ」
「わかった」

　本当にとっておきの最後の質問なのだろう。
　この質問で確実かくじつに偽物を炙あぶり出せる。

　そう確信かくしんめいた意思いしを感じる。
　周囲しゅういの空気が張りつめる中、いよいよ幽子が口を開いた。

「ずばり聞くけど一郎くん……私のことをどう思ってる？」
「好きだ！」
「それは、えーと…………」

　二人のリアクションが別れた。
　幽子は間髪かんぱつ入れずに答えを言い淀よどんだ一郎の腕を取り、部屋の外に向けて思いっきり投げ飛ばした。

　投げ飛ばされた方の一郎は天地てんちが逆さかさまになった状態のまま宙ちゅうを舞まい、そのまま廊下ろうかの壁かべに叩たたきつけられる。

「ぐあっ！」
「ようやく尻尾しっぽを出したわね。偽物さん」

　幽子の殺気さっきが膨ふくれ上がった。
　ポケットに忍しのばせていた術符じゅつふを手に取り術力オーラを込こめる。

　――加工術式かこうじゅつしき、展開てんかい。

「冥土めいどの土産みやげに教えてあげるわ。陰陽八家おんみょうはっけ、葛覇くずのはの術は加工に特化とっかしているの。物質の原子に干渉かんしょうして存在そんざいそのものを書き換かえる。まあ私は落ちこぼれだから、加工できるものは限かぎられてるし、質量保存しつりょうほぞんの法則ほうそくも無視むしできないんだけどね」

　倒たおれた一郎にじりじりと幽子が迫せまる。
　部屋の中の一郎は微動びどうだにせずその様子をじっと見ている。

「あなたは……そうね、大きくてかわいいクマさんの人形にんぎょうにしてあげる。痛覚神経つうかくしんけいはそのままにしてね。毎日毎日、しっかり可愛かわいがってあげるわ。腹はらパンとか踵落かかとおとしで！」

　術の発動が近いのだろう。
　術符を持つ幽子の手の輝かがやきが増ます。

「今だ！　やれ！　幽子！」
「ええ、言われなくても」

　――疾シッッ。

　幽子の手から術符が放はなたれる。
　輝く術符は一直線に――部屋の中にいた方の一郎を捕とらえた。

「あ……？　え……？」

　術符によって拘束こうそくされた一郎は呆然ぼうぜんとしている。
　何が起こったのかわからないといった様子だ。

「な、何で俺を！？　偽物はあっちだろ！？」
「いいえ、偽物は間違いなくあなたよ。100%確信を持ってそう言えるわ」

「お、お前間違ってるぞ！　偽物はあっちの方だ！　だって、だって俺はちゃんとお前に好きだって――！」

「本物の一郎くんが躊躇ためらいも葛藤かっとうもなく、いきなりこんなこと言われて好きだなんて言えるわけないでしょ」
「あ……」

　偽物――鏡の悪魔は自分の致命的ちめいてきなミスに気づいた。
　そうだ、そうだった。

　この田中一郎とか言う男は、二人きりでこんなところに来てまでも、童貞どうていを捨てる直前になってまでも、未いまだに好きと言えていなかったのだ。

　言う決心けっしんはついていても、いざ実行に移そうとするとなかなか口に出せない程度ていどにはヘタレだったのだ。

　助かりたいという気持ちが前に出過すぎた！

「っていうか、あなた自分がミスったせいでバレたと思っているようだけど、ぶっちゃけ初めからどっちか偽物かなんて分かっていたからね、私」

　本物の一郎にはロクが憑ついている。
　なので、ロクとのリンクを辿たどれば一瞬で偽物がわかるのだ。

「じゃ、じゃあ何で悩なやむフリを……？」
「そんなの、あなたがなりふり構かまわず知恵ちえを絞しぼって、私を騙そうと無駄むだな努力どりょくをする様さまを見たかったからに決まっているじゃない。本当にご苦労くろうさま♪　プフッ……アハハハハ！　す、すっごい……すっごい滑稽こっけいだったわよ？　もうバレてるっていうことにも気づかずに、精一杯せいいっぱい一郎くんのフリをして助かろうとするあなた！　笑いをこらえるのに必死ひっしだったわ（笑）」

　じゃあ、自分がしていたことは全くの無駄だったのか。
　最初から全すべて見透みすかされていた上、完全にオモチャにされていたのか。

　鏡の悪魔の顔が、絶望ぜつぼう一色で塗ぬりつぶされた。
　それを見た幽子はこらえきれず爆笑ばくしょうしている。

「あは！　ふふ……あはははははははははは！」

　この女……やはり最初に感じた通りだ。
　自分よりもよっぽど悪魔だった。

「さようなら悪魔さん。かわいいクマさんになって自分の罪つみを反省はんせいしなさい。私に飽あきて殺されるその日までね」
「ああ……あああああぁぁぁぁぁぁぁっ！」

　鏡の悪魔の断末魔だんまつまとともに、部屋の中が光に包つつまれる。
　そして光が収おさまった時、そこには一体の人形があった。
　大きなサイズの白クマ人形が。

「せーのっ、うりゃーっ！」

　――ドゴッッ！

　幽個は人形に近寄ちかよるとおもむろにそれを蹴飛けとばした。
　蹴飛ばされた人形は弾丸だんがんのような速度で壁に叩きつけられる。

『うげ、おげええ……』

　人形から機械きかいボイスで嗚咽おえつが漏もれる。
　変換へんかんされた鏡の悪魔がしっかりと苦しんでいる様子を確認した幽子は満足そうに微笑ほほえむと、今度は思い切り頭を踏ふみつけた。

　何度も何度も。
　ドンドンと。

『やめ、やめて……お願いです！　やめてください！』
「何人も殺しておいてやめてはないでしょ？　あなたのせいで亡なくなった人や迷惑めいわくをこうむった不動産屋がたくさんいるんだからね。その人たちに比くらべればこの程度の痛み無いも同じよ」

　――痛みを感じられるだけありがたいと思いなさい。
　――だってまだ死んでないんだから。

　ゾッとするような冷たい口調くちょうでそう言い捨すてる。
　人形になった悪魔は恐怖きょうふで錯乱さくらんしたのか、同じ言葉だけを繰くり返し口に出し始めた。

『ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…………』

「謝あやまるなら私じゃなく、あなたに殺された人に謝るのね」

　全てが終わった後、幽子は一郎、ロクとともにクローゼットルームの片付かたづけを始はじめた。

　壁や床ゆか、天井てんじょうのところどころ凹へこんでいるところは専門せんもんの業者ぎょうしゃに頼たのむとして、飛とび散ちった鏡をなんとかしよう。

「なあ幽子、最初から俺が本物だってわかっていたならさ、あいつを騙して絶望を与あたえたかったとしても、もっと他にやり方があったんじゃないか？」

　きみに投げられた時、めっちゃ背中せなか痛かったんだけど？――と一郎が不満ふまんを述のべた。

「いくらなんでもあんなに勢いきおいよく投げなくても……」
「そう、だけど……でも、思わず力が入っちゃったんだからしょうがないじゃない」

「何で？」
「だって……」

　――だって一郎くん、好きって言ってくれなかったから……。

「……っ！」
「まだ言ってくれないんだって思ったら、思わず力が……ごめんなさい」
「あ、うん……そ、そういうことなら仕方しかたないか…………こっちこそごめん」

　この後、 二人は一言もしゃべらず黙々もくもくと作業をした。
　一郎は近いうちにちゃんと告白こくはくしようと思った。