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時価???
5−1
しおりを挟むさて次はどの記憶だろう。そう呑気に構えていたのに、アオイは目を覚ました。夢の世界で、ではない。現実である。全身が疲労を訴えているし腰はだるいし背中が痒かった。夢の世界では感じなかった不快感と、引きつれるような喉の渇きにアオイは眉を顰めた。
「いやどういうこと……」
起き上がりながら、アオイはつぶやいた。掠れた声だった。まるで何時間も叫び続けた後のような。
すると、アオイに黒い影が覆い被さった。
「目が覚めましたか」
ジスランだ。
アオイはジスランの顔を見た。
「……僕は、どうなったの」
ジスランは苦しそうに眉を寄せると、ベッドサイドに腰掛けた。男はそのまま左手を伸ばし、アオイの頬に触れた。労わるような優しい接触に、アオイは目を見開いた。
「君と、番契約を結びました」
「つがい……?」
ジスランは目を伏せ「ええ」と硬い声で答えた。
「番契約は、竜人が使える契約の中で最も強力なものです。アオイは死が2人を分つまで、という言葉を知っていますか」
ジスランの指先がアオイの頬から顎、首をたどる。アオイはジスランの様子をじっと伺いながら小さく頷いた。
「死が2人を分つまで共に居ることを誓う番契約は、竜人の……この場合は私の寿命半分を代償に成立します」
「なっ……ジスラン!」
アオイは咄嗟にジスランの腕を掴むと、「なんてことを!」と叫んだ。ジスランが寂しそうに微笑えむ。
「怒ってくれるんですか、アオイ」
「そりゃ…だってそんな、そんなこと……」
「それは、誰のために?」
「だ、れ……?」
そんなの、ジスランのために決まってるじゃないか。だって、だって、これじゃあまるで僕のせいで――。
ジスランは腕を掴むアオイの手に自らの右手を重ねた。分厚い手のひらに包まれこんなときなのに心臓が跳ねる。
「別に、私の寿命くらいなんでもありませんよ。どうせアオイよりも長生きする種です。アオイが死んだら後を追うつもりだったのでちょうどいいくらいだ」
「何だそれ……」
「寿命が半分になると言ってもあと300年くらいは生きるでしょう。竜人の寿命は1000年前後ですからね。大事なのは、アオイの寿命も私と同じになったことです。もっとも、アオイの場合は伸びてますけど」
アオイは息を飲んだ。
「番契約が強力な契約である理由は、二つの異なる生き物を一つの生き物として作り変えることにあります。病めるときも、健やかなときも死が2人を分つまで共にいることを強制する契約です。番契約を結ぶ前の君と、後の君は別の生き物と言っていいでしょう」
「…………」
「つまり、ソラハアオイは一度死んだことになる。大概の呪いは死ねば消えますからね。だから君の呪いも解けた」
ジスランは、小さな声で「ごめんね」とつぶやいた。その声がいつかの日に聞いたそれと重なって、アオイの心が波打つ。
「なんでそこで謝るんだよ……!」
もう何も聞きたくない。聞いたら、認めたら、現実を受け入れなくちゃいけなくなる。怒りに任せてジスランを振り払っても、ジスランは何も言わず、ただ辛そうに眉を下げた。
「気づいてましたか、君は、私が触れるたび、ほんの一瞬息を止めていた」
「え……?」
アオイは動きを止めると、ジスランの顔を呆然と見つめた。そんなことないとは言いきれなかった。
「アオイ、君は私と共にいて安心した日はないでしょう。君はいつも何かに怯えていた」
「そ、れは……」
アオイの瞳が揺れる。ジスランは苦笑いを浮かべると「責めてるわけじゃありません」と言った。
「竜人の執着は異常です。私たちにとってはそれが普通でも、人の子が受け入れられるそれではないことを私は知っています」
だからね、とジスランは穏やかな声で続けた。
「君を自由にしてあげたかった」
その言葉が引き金だった。
「僕は……僕は縛って欲しかった!」
力任せにジスランを押し倒し、その厚みのある体に乗り上げた。アオイのことくらい簡単にいなせるはずなのに、ジスランはされるがままだ。彼はずっと、どんなときも、どんなことだってアオイのすることなら全て受け入れてしまう。それが嬉しくて、同時にとても寂しかった。
「……アオイ?」
「もう分かんない、分かんないんだよ! ジスランはどうして俺と番になったんだよ、なんで寿命なんか、番って、そんな今更!」
ひっく、と涙で声が震え喉が痙攣する。アオイは両手で顔を覆うと、背中を小さく丸めた。
「ジスランは、俺のことどう思ってるんだよ……」
こんなのただのファンの範疇を遥かに超えている。確かに呪いを解くことは拒んだ。でも、眠り続けていればそれで全部上手くいくと、そう思ったのだ。
だって、思い出には誰も勝てない。輝かしい思い出として、ジスランの記憶の中にいられるのならそれで十分だった。空波蒼でいるにはそれしかないと思ったのに。それなのに、ジスランはアオイと番になったという。
アオイは顔を上げた、涙でぐちゃぐちゃの酷い顔だ。呪われる前なら、こんな汚い顔絶対に見せなかった。見せたのは、もう何もかもどうでも良かったのと――期待していたからだった。
「ジスランは、俺とどうなりたい?」
「それは……」
「正直に答えてくれなかったら僕はここで死ぬ」
「アオイ!」
「ん? ……もしかして、寿命も一緒ってことは僕が死んだらジスランも死ぬの?」
ジスランは微かに目を見開いた。無表情を繕ってはいるが、その顔には動揺が滲んでいる。それならそれでいいかもしれない。仄暗い優越感がアオイを支配する。アオイは微かに唇の端をつり上げた。
「ジスラン、死にたくないならちゃんと答えて」
「別に私の命はどうでもいいんです」
「えっ」
ジスランの瞳が迷うように揺れる。ややあって、男は口を開いた。
「アオイのことは……誰よりも、何よりも愛おしく思っています」
アオイは息を止めた。そんなの知ってる。ジスランがアオイを愛しているのは。本当に聞きたいことはこの先にあった。
「アオイを失うかと思ったとき、今まで感じたことがないほど恐ろしかった。アオイを助けるためなら本当に、命だって惜しくなかった」
「…………」
「……でもきっと、私が愛しているのは空波蒼だ」
「……うん?」
アオイは首を傾げた。ジスランが苦しそうな表情のまま続ける。
「君の見せる美しい君だけしか知らない私は、本当に君を愛しているのかが分からないんです」
「いや別にそれだけでいいけど」
アオイはジスランの目を真っ直ぐ見た。
「僕はね、ずっと誰かに愛されたかった」
「アオイ?」
アオイは夢で見た昔の記憶をジスランに語った。話している途中ジスランの顔からどんどん表情が抜けていき、終いには「殺してやりたい……」と聞こえたが無視だ。
アオイはジスランの手を握ると、秘密を打ち明けるように小さな声で言った。
「僕は、僕のことを愛してくれるなら誰でも良かったんだと思う」
ファンの子はアオイを愛してくれる。ファンの子にとってアオイが1番じゃなくても、たくさんいるから関係ない。アオイはそう思い込んで、自分を慰めてきた。
そう、だから別にジスランじゃなくても良かったのだ。
「でも、僕に1番価値をつけてくれたのはジスランしかいなかったんだよ」
かつてジスランにもらった竜人の鱗は、アオイにとって何よりも大切な拠り所だった。たくさん練習して、招待状だって何度も書き直したお遊戯会には、誰も来てくれなかったのに、ジスランは助けてと言ったら助けてくれた。そして、アオイが1番綺麗だと言ったのだ。
「もう誰でもよくなんかない。ジスランじゃなきゃ嫌だ」
アオイは小さく息を吸い込んだ。
「僕は、ジスランに好かれるためならなんでもするよ。ジスランが綺麗な僕が好きならそれでいい。でも、でも、ジスランは、綺麗だったら誰でもいいの?」
「そんなことありません!」
ジスランの間髪入れない否定に、アオイは頬を緩めた。
「君の……アオイの代わりなんてどこにもいません。君がいなくなったら私は死んでしまう」
「じゃあそれでいいじゃん。嘘つきどうし一生一緒にいようよ」
「アオイは嫌じゃないんですか」
「なんで?」
アオイは心底不思議そうな顔で首を傾げた。ジスランは気まずそうに言い淀んだ。
「だって……都合のいい事を言ってるでしょう」
「別に僕は空波蒼が全部嘘だとは思ってないよ。空波蒼も僕だ。ジスランもそうでしょう?」
アオイは「その敬語」とジスランの顔を指した。
「元々敬語なんか使う性格じゃなかったんだろ、ジスランも」
「ええ……まあそれは……」
「僕たちはよく似てうる。ジスランは敬語を話しているとき、それが本当の自分じゃないと言い切れる?」
「敬語くらい別に。何を演じていようと私は私ですし……」
「僕もそういうこと。ね、分かった?」
ジスランは釈然としないような面持ちで視線を彷徨わせたが、ややあって、男は破顔した。
「……アオイには叶いませんね」
「よし」
アオイは大きく頷いた。
「それに、ジスランといた時の僕、いつでも完璧な空波蒼ってわけじゃなかったよ」
特にここ最近は酷かった。テレビ撮影が入ってたら金にならないことはやめな!と社長からどやされていただろう。アオイの言葉を聞いたジスランはきょとんとした顔をした。
「そうなんですか? 私だけに見せてくれる特別な顔だと思ってました」
「ジスラン僕のこと大好きなんだね」
「はい」
臆面もなく言い切られ、アオイは照れ笑いを浮かべた。こんなに好かれているんだから、悩む必要もなかったかもしれない。思い返せば「好き」の形にこだわっていたのはアオイの方だった。アオイは微笑を浮かべながらジスランに言った。
「ごめんね、ジスラン」
ジスランが怪訝そうに眉を寄せる。
「いや、僕も貴方の愛を疑っていたとこがあったなって」
ジスランは心外だ、と唇を尖らせた。
「私はアオイのことがこんなに好きなのに」
アオイは器用に片眉をつり上げた。
「本当に?」
「本当に。アオイのためならなんでもします」
「それじゃあさ」
アオイはそっと唇を湿らせた。緊張のせいで体が強張る。アオイは意を決してジスランの目を見た。
「僕のこと――抱ける?」
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