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時価2000万

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「!」

 ――僕のために、番のフリをして。
 アオイは掠れた声で囁いた。ジスランが微かに目を見開く。震えそうになる指先を隠すため、アオイは拳を握った。

 嘘でいい。仮初でもその座を手に入れることができるなら何を犠牲にしても構わない。今さら本当の僕を好きになって欲しいなんて思ってない。周囲の状況なんて今までいやと言うほど利用してきた。何を今更躊躇うことがあるというのだ。
 仮面の下がどんなに醜くったって、俺しか知らないのなら存在しないのと同じだ。

 アオイはそれ以上言葉を重ねることはせず、辛抱強く男の反応を待った。ジスランの瞳は迷うように揺れている。ややあって、男は囁くような、小さな声で問いかけた。

「……アオイは嫌じゃないんですか?」
「え? ああ、別に演技なんだから嫌じゃないよ」

 まあ僕は本気なんだけどな! 
 要するにジスランにさえバレなきゃいいのだ。好意があるのは知られていい。でも、抱いて欲しいとか、僕だけを見ていて欲しいとか、そういうことまでバレちゃだめだ。だってそれはジスランの理想のアオイじゃない。
 アオイがへらりと笑うと、ジスランは眉間に深い皺を刻んで黙りこくってしまった。その厳しい表情を見て不安に襲われる。正直、いくら演技だと強調してもギリギリの橋を渡っている自覚あった。ジスランのようなタイプは、推しアオイが理想から外れることを何より嫌う。ある程度は盲信に近い好意で煙にまけても、彼の中で決定的な乖離があった瞬間、すぐにアオイに愛想を尽かすだろう。
 別に、それが悪いとは思っていない。理想を売っているのだから当然だ。
 しかし分かっていても重苦しい沈黙に耐えきれず、アオイは言い訳をするように口を開いた。

「それに、元の世界でも誰かの恋人役ならたくさんやってきたし慣れてるからさ」

 もっとも、その時の相手は皆女の子だったけど。アオイは一時期、あらゆる恋愛映画に何かしらの役で出演していたことがあった。作画同じじゃねえか、と掲示板で揶揄されているのを見たこともある。
 フォローのつもりで言ったのに、ジスランの眉間の皺がますます深くなってアオイは慌てた。

「えっと、ジスラン……?」
「……そんなに、誰かの恋人役を演じていたのですか?」
「いやちょっと盛ったかも。や、嘘とかじゃなくて! なんていうか、単純に僕って綺麗な顔してるでしょう? 女の子の可愛さとは違うけどさ、なんというか、男らしくもないからこの顔でメインヒーローって意外と嵌まらなくて、どっちかっていうと当て馬の方が多かったかな」
「当て馬。アオイが」
「優しそうな顔の男は好きだけど、でも女の子は優しいだけじゃなくてちょっと強引な男の方が好きなんだって。僕だって好きな子になら強引に迫ったりするのにね?」

 そう、たとえば今みたいに。アオイはこっそり自嘲した。

「とにかくさ、ジスランが嫌じゃなかったら、俺の番のふりをして欲しいんだ」
「……そうですね、ええ。いえ、そもそも私はアオイの望みを全て叶えたいと思っています」
 
 アオイに嘘はつきません、とジスラン。男は口元に微笑を浮かべると、アオイの名前を呼んだ。その優しい声に、アオイは泣きたくなった。

「仰せのままに。だからどうか、私の前では一番綺麗な貴方でいてください」
「ん、任せて。それで、ちょっと教えて欲しいことがあって――……」



 全身にかかる心地の良い重みに、アオイはゆっくりと目を開けた。目の前には白いシーツが広がっている。ジスランの番として振る舞うために打ち合わせをしていたはずなのだが、いつの間にか眠ってしまったらしい。寝ぼけ眼のまま上体を起こして辺りを見回すと、最初にアオイの部屋として案内された部屋だった。ジスランが運んでくれたのだろう。
 重かっただろうな、とアオイはあくびを噛み殺しながら立ち上がった。今何時だろう。ずいぶん日が高い気がする。もしかしてこれって次の日? まさか1日以上寝ていたのだろうか。
 アオイは裸足のままペタペタと室内を歩き回ると、壁にかけられた鏡の前で足を止めた。乱れた頭を手櫛で整えながら、アオイは「まあいいか」と呟いた。上半身しか映らないがこれしかないのなら仕方ない。

「後で全身鏡がないか聞かないと……ふぁ~ふ。これ寝過ぎて逆に眠いやつだな……」

 ボソボソと独り言を呟きながら、手際よく衣服を脱いでいく。全裸になったアオイは、再び鏡の前に向き直ると、全身を細かくチェックし始めた。

「ん゛ー……やっぱ筋肉なくなってる気がする。……なんでここにあざが?」

 背中を鏡に写し、首だけを捻りながらアオイは唇を尖らせた。脇の下にいつの間にかできていた青あざを撫でながら心当たりを探っていると、ノックの音。アオイはドアの方向に顔を向けることすらせず、ただ大声で「どうぞー」と叫んだ。

「失礼します、お目覚めですか……ッアオイ様?!」
「ん? ああ、ハトリさんか。ね、僕たぶん寝過ぎたよね?」

 開いたドアに体を向け「ヤッホー」と手を振ると、ハトリはギョッとした顔でアオイの全身に目を走らせ、真っ青な顔で悲鳴のような声を上げた。

「いやそんなことよりっ、あのっ、いやとりあえず失礼します!」

 バタンと扉が閉められる刹那、ハトリの背後にいた驚いたように目を見開いたジスランと目が合った。アオイはぱちくりと瞬きを繰り返した。

「あれ?」

 首を傾げたアオイは、そのままドアノブに手をかけようとして、ハトリの鋭い声によって静止させられた。

「ハトリさん?」
「その格好でドアを開けないでください……! いやその前になんで服を着ていないんですか……」

 弱々しいハトリの声に、アオイはようやく合点がいった。
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