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桜田と空の場合

十二話

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「で、お前の新しい彼女はどんな子になったんだ?」

 どのくらい時間が経ったかは分からない。
 ゆったりと意識が浮上していく中で、肥護先生が誰かと話している声が聞こえてきた。

「いない」

 涼やかだけど、どこか不機嫌そうなその声は聞き覚えがあった。
 この1週間で随分と馴染んだ声だ。
 それに対して、わざとらしく驚く肥護先生の返事が聞こえてくる。

「おおー!入学してきて初めてじゃねぇか」
「もう、いい。しばらくそんな気分になりそうにない」

 うん、間違いなく凪の声だ。
 でもおかしいな、今、彼女居ないって言っていた気がする。
 聞き間違えだろうか、と考えながら、布団で口元を隠してついつい息をひそめる。

 もう少し、聞いていたい会話だった。

「惚れたって言ってみりゃいいのに」

 凪の本命の話か、もしかして。
 いたのか、そんな人。

 俺と仮の恋人期間に一度「本気で好きになった子は居ないのか」って聞いたけどあっさり「いない」って言ってて、殴ってやろうかと思った時があったのに。

 カーテン越しでも聞こえる、鬱陶しそうな溜息が吐き出される。

「何のために別れたと」
「その言い方は、脈ありだったのか?」
「俺の都合のいい勘違いじゃなければな。ただ……」

 凪は一旦、そこで話を切った。
 どんな表情をしているかなどを想像しながら、静かな空間で続きを待つ。
 
 別れたってことは付き合ったことがあるのか。しかも相手の子も凪のことを好きだった?
 それなら、その子と付き合っててくれたら俺はこんな思いをしなくてよかったのに。
 告白したらフラれて、予定通りの罰ゲームで終われたのに。

「部活してる時が、一番楽しそうだった」
「スポーツに嫉妬って、ガチのやつだな」

 多分、凪が舌打ちをした。
 肥護先生の揶揄うような小さな笑い声が聞こえてくる。
 運動部に入ってる子なのか。

 俺は知らず知らずのうちに唇に歯を立てていた。
 なんで俺、フラれた相手の好きな人の話を息を顰めて聞いてんだろ。

 だんだん虚しくなってきたが、出て行くのも気まずい。聞かないようにするには耳を塞いで時間が過ぎるのを待つしかない。
 仕方がないから、そうしようかと思った時。

「サッカーの邪魔はしたくねぇ。でも、したくなりそうだから離れたんだよ」

 え?
 サッカー部?
 俺は息を飲み、耳を疑った。

「夏で部活は引退だ。あとちょっとじゃねぇか」
「待てない」

 語気の強い凪の声。
 引退ってことは、3年で。
 うちには女子サッカー部はない。
 凪が別れたサッカー部って。
 他校の女子の可能性も、もちろんあるけれど。
 もしかして、もしかするかもしれない。
 
 鼓動が早くなる。
 掛け布団のシーツを強く握りしめた。
 どうしても期待してしまう。
 名前を、言ってくれないだろうか。
 お前は誰の話をしているんだ?
 
(いや、これもうカーテン開けて、直接聞いたらよくねぇ? でももし違ったらガッカリしすぎてまた泣くかも)
 
 らしくなく頭の中がごちゃごちゃしてきた。
 いつもなら、もしかして俺の話かってすぐに突入出来るのに。
 心のどこかで、確認するのが怖いと感じている。
 
(でも、聞かなきゃずっとモヤモヤしたまんまだ!)
 
 意を決して俺は深呼吸する。
 緊張で震える手を伸ばして、ベッドを囲む白い布を握った。
 そして、息を止めて思いっきりカーテンを開ける。
 シャッと音がするとともに視界が開けた。

「なぁ! なんの話を……って、凪居ねぇ!!」
「お? 起きたのか桜田」
「肥護先生! 凪は!?」
「出てったぞ」

 聞くや否や、ベッドから飛び降りてドアへと向かう。背後からガタンとベッドが揺れる音が聞こえたが気にしない。
 引き戸を縦枠に思いっきりぶつけながら廊下に出た。
 でも、もう凪の姿はどこにも無かった。

「歩くの速ぇよ……!」

 俺はその場で大袈裟に崩れ落ちて、冷たい床を拳で殴る。
 さっきまでここに居たのに!
 あれ、もしかして俺、思ったより長く悩んでたのか。
 床と睨めっこしていると、頭上から呆れ返ったような声が降ってきた。

「お前、ひとりで忙しいなー」

 俺はそのまま顔を上げて、じっと声の主を見つめる。

「なぁ、ふたりは誰の話をしてたんだ?」

 真剣な俺とは反対に、ニヤリと肥護先生は唇の片端を上げた。この表情は、面白いものを見つけた時の反応だ。

「お。どこから聞いてた?」
「凪に彼女が今いないってとこ」
「ほー」

 棒読みな返事だった。
 でも、にやけ顔を隠そうとしていない。
 これは多分、俺のこと話してた、とポジティブな気持ちになった。

 でも、なかなか「俺のことだろ」とは聞けないまま歯切れの悪い言葉を続ける。

「昨日、告白されたからってフラれたのに……それなのに」
「へー」
「先生ー! 教えてくれよー!」

 全く答えてくれる気のなさそうな声に、俺はとうとう立ち上がって青いワイシャツの胸元を掴んだ。
 グラグラと体を揺さぶると、先生はそのまま肩をすくめる。

「聞けば良いだろ本人に」
「今すぐ知りたいんだよ! あとちょっと本人に話しかけるのまだ怖い!」

 情けない本音がボロボロと口をついて出る。この勢いがあと少し早く出せていれば、今頃は凪と話せていたかもしれないのに。

「てか先生、俺が居るの知ってただろ! 絶対わざとじゃ」

 話の途中で、ぽんぽん、と頭を宥めるように撫でられる。
 昨日の別れ際に凪も頭に手を置いてきたな、と思い出してしまって、胸がギュッと痛くなった。
 そんな俺の気持ちが分かっているのかいないのか、先生は元々整えてもいない寝起きの俺の頭を、さらにぐしゃぐしゃにした。
 そして、のんびりとした口調で話しかけてくる。

「まぁまぁ。お前も早く行かねぇと部活遅れんぞ~」

 それは魔法の呪文のようだった。
 俺は弾けるように顔を上げた。

「えっ行かなきゃ…! て、授業は!?」
「さっきホームルームまで全部終わった」

 俺は声も出せずに大きな口を開けて固まった。
 起こしてくれよ! この時間だけって言ったの先生なのに!
 3時間くらい寝てたってことだ。
 我ながら驚きの昼寝時間だった。

「てか、先生ずっとここにいたのか!?」
「まさか。お前がまだ寝てたらそろそろ起こしてやろうと思ってきたらあの問題児と鉢合わせたんだよ」
「起こしに来るの遅ぇよ!」

 アラームをかけなかった自分の落ち度を完全に棚に上げ、完全なる八つ当たりをしながら俺は保健室から駆け出した。

 思考は完全に部活へと切り替わる。
 後ろから「廊下は走るなよー」と、さして真剣みのない声が聞こえてくるけど無視だ。
 急がないと遅刻する。

 部活に間に合う時間で本当に良かった。
 教室から出てくる生徒たちを避けて全速力で駆け抜ける。
 荷物をとるために滑り込んだ教室で「心配してたのに、すげぇ元気じゃねーか!」とツッコまれ、笑って誤魔化しながら部室に向かった。
 
 凪は明日捕まえて、問い詰めよう。

 いや、俺から告白する!

 そう決めて、いつも通り練習用のウェアに着替えた。
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