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二章

41話 発散

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 いつも涼しげなアトヴァルからは考えられないほど汗ばんでいて冷たい手が、頬に触れているピングの手を遠慮がちに握る。

「……気持ちの整理が……切り替えが、早いですね」

 低い声を奏でる唇の動きや吐息を手で感じながら、ピングは努めて明るい声を出した。

「私はさっき、ティーグレに泣きついてこれでもかってほど喚いたからな。スッキリするぞ泣くと!」

 自慢できることとは思えなかったが、ピングは胸を張る。女々しかろうと子供っぽかろうと、感情を発散させるのはピングがピングを保つために必要なことだった。
 人に弱みを見せないアトヴァルには考えられないことだろうが、と内心苦笑していると。

「その割にはずっと黙ってらっしゃいましたね」

 淡々と痛いところを突かれてしまった。
 ピングはアトヴァルの両頬に触れる指に少し力を込めて左右に引っ張る。

「実際にお前を目の前にしたら言おうとしてたことが全部どっかいったんだ!」
「ふ……」
「笑うな!」

 手を離して声を荒げるピングは、ふと気がついた。

 笑っているのだ。アトヴァルが。
 アトヴァルは手の甲を口に当てて肩を震わせている。

 凍てついた氷細工のようだったアトヴァルの目尻が下がって、口角がはっきりと上がっていた。顔を伏せていても、下から見上げているピングの目にははっきりと映っている。
 リョウイチがいなくても、ピングの挙動で笑っている。

 じんわりと胸が熱くなって、ピングはアトヴァルのほとんど声を出さない笑い方をじっと見つめた。

「私も……」
「ん?」
「私も、少し泣いてから考えます」

 長くない時間で顔を上げたアトヴァルは、どんな表情をしたらいいのか分からないようだった。ただ、眉を下げた穏やかな表情をしている。

 ピングは大きく頷いた。
 今日できる話はここまでだ。
 明日からはまた、子どもの頃のようにアトヴァルに話しかけてみることにしよう。
 羨ましいときには羨ましいと、素晴らしいと思ったときには素晴らしいと口にしよう。

 アトヴァルの腕をポンっと叩いてから、ピングはにっこりと笑った。

「リョウイチを呼んできてやろう」
「なんでリョウイチが出てくるんですか。一人で泣けます」
「リョウイチの部屋でか?」
「……」

 ならば自分の部屋に帰る、と言えばいいのに言わないアトヴァルは、リョウイチに甘えたい気持ちもあるんだろう。
 意外と素直なところがあるのだと、ピングはまた新しいアトヴァルを発見した。
 悔しそうなアトヴァルを置いて、ピングは部屋を出る。

 部屋を明け渡して廊下で待ってくれていたティーグレとリョウイチに頭を下げ、

「リョウイチ、ありがとう。アトヴァルがお前を待ってる」

 と伝えると、リョウイチはすぐに部屋に入って行った。

 ピングは紺の絨毯が敷かれた床に膝をつき、ティーグレと共に待っていたペンギンの頭に触れる。機嫌良さそうに擦り寄ってくるペンギンの小さな頭を撫でながら、キョロキョロと廊下を見渡した。

 誰もいない。
 足音も、聞こえない。

 ピングはティーグレの黒いローブの裾をくいくいと引っ張る。ティーグレは当然のようにしゃがんで、背中から包み込んでくれる。

「言いたいこといえました?」
「ん」
「頑張りましたね」
「うん。私は、ひとつ大人になったぞ」

 自覚はあったが、想像以上に緊張していたらしい。体の筋肉が解けていくようだった。
 耳鳴りがして目元も顎の周りも全部、急にダルなってくる。

 しかしこれは必要な時間だった。生まれて初めて、ピングはアトヴァルとまともに会話が出来た。
 ピングはペンギンを抱き、ティーグレに体重を預ける。

「もーこのまま部屋に連れてってくれ……」
「特別ですよ」

 ふわりと体を浮遊感が襲い、慣れた温もりが尻に当たる。ホワイトタイガーの上で、ピングはティーグレのローブに体をうずめる。
 優しい幼なじみは、いつも甘やかしてくれるから。ティーグレにこれ以上何かを求めるなんて贅沢だ。

「良かった……二人が仲直りして……」

 低く深い声が呟き、髪に口付けてくるのを感じながら、ピングは自室のドアまで無防備に目を閉じた。
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