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三章
鈍ちん
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杉野は咳き込む藤ヶ谷におしぼりを差し出しながら、真剣な表情でじっと見つめてくる。
「医務室の……部長との話をきいてました。運命の番がいる相手だって」
「う……」
藤ヶ谷はヒート休暇に入る前に、八重樫と医務室で話したことを思い出す。
まさか部屋の外まで話し声が聞こえていたとは。
杉野に好きな相手を聞かれていなかったことは不幸中の幸いと言えるだろう。
藤ヶ谷の狼狽えぶりを肯定と受け取った杉野は、眉間にシワを寄せて話を続けた。
「運命の番がそうポンポンいるとも思えませんけど、もし本当にそうなら諦めた方がいいです」
「諦める」
「はい」
強く頷く杉野の瞳を見て、血の気が引く。
熱気にあふれ暖房も効いていて暑いくらいの店内なのに、身体の芯の部分が冷えていく心地がして腕を擦った。
杉野は、運命の番が居る相手なのであれば、例え両想いだったとしても心変わりされる可能性が高いこと。
そもそもアルファは何人でも番が作れるため、オメガの方がリスクが大きいことなどを改めて説明してくる。
心配して言ってくれていることは伝わったが、今の藤ヶ谷にとっては地雷原を踏み荒らされたような心地だった。
俯いてしまった藤ヶ谷に、杉野はそっと手を伸ばしてくる。
頭に大きな手が乗る。
温かい、藤ヶ谷がヒート中に何度も夢想した手だ。
「だから、そんな人は諦めて俺と」
「無理だよ」
「え?」
「諦められるなら、とっくにそうしてんだよ。今だって、忘れようと頑張って……っ」
藤ヶ谷は噛み締めた唇を布巾で隠す。
その白い手は小刻みに震えていた。
杉野と一緒にいるだけで気持ちが溢れてきてしまう。
気持ちを自覚してからは杉野と接するたびに、自分だけが大切にされているのではないかと錯覚するほど杉野は優しい。
だが悲しいことに、「自分は特別じゃない」のだとすぐに我に返って。
顔も知らない杉野の「運命の番」への嫉妬心がどんどん膨らんでいく。
杉野は髪から頬へと手を滑らせ、藤ヶ谷に顔を上げさせた。
藤ヶ谷の表情も泣きそうに歪んでいたが、杉野も悲痛な面持ちになっている。
「そんなに、その人が好きですか」
「大好きだ」
藤ヶ谷は頬の手に自分の手を重ねる。
互いの手は、緊張して冷たくなってしまっていた。
「こんなに、好きになったの初めてなんだ」
至近距離で見つめ合いながらも、お互いの心は全く通っていない。
杉野は運命の番を知っているから、そこに横恋慕することがどんなに不毛なことか分かっていて忠告してくれるのだ。
だが杉野は知らぬこととはいえ、好きな人本人に「諦めろ」と言われてしまった藤ヶ谷の心はボロボロだった。
「誰ですか、それは」
人の気も知らないで、杉野は更に追い打ちを掛けてくる。
運命の番は珍しい。
ならば、藤ヶ谷の近くで運命の番がいるのは杉野しかいない可能性が高いのに、何故気が付かないのか。
他のことは、いつも驚くほど察しがいいというのに。
そんな理不尽な怒りが藤ヶ谷の中で燃え上がってきた。
藤ヶ谷はガタンと椅子の音を鳴らして立ち上がる。
「もういい!杉野の鈍ちん野郎!」
「え、藤ヶ谷さん!?」
やかましい店内で、近くの人たちが振り返るほどの声を上げた藤ヶ谷は、大股で店を出て行ってしまった。
残された杉野はただ唖然と怒った背中を見送るしかない。
「……あの人にだけは絶対言われたくない……」
独りで呟いた言葉は、当然藤ヶ谷には届かなかった。
「医務室の……部長との話をきいてました。運命の番がいる相手だって」
「う……」
藤ヶ谷はヒート休暇に入る前に、八重樫と医務室で話したことを思い出す。
まさか部屋の外まで話し声が聞こえていたとは。
杉野に好きな相手を聞かれていなかったことは不幸中の幸いと言えるだろう。
藤ヶ谷の狼狽えぶりを肯定と受け取った杉野は、眉間にシワを寄せて話を続けた。
「運命の番がそうポンポンいるとも思えませんけど、もし本当にそうなら諦めた方がいいです」
「諦める」
「はい」
強く頷く杉野の瞳を見て、血の気が引く。
熱気にあふれ暖房も効いていて暑いくらいの店内なのに、身体の芯の部分が冷えていく心地がして腕を擦った。
杉野は、運命の番が居る相手なのであれば、例え両想いだったとしても心変わりされる可能性が高いこと。
そもそもアルファは何人でも番が作れるため、オメガの方がリスクが大きいことなどを改めて説明してくる。
心配して言ってくれていることは伝わったが、今の藤ヶ谷にとっては地雷原を踏み荒らされたような心地だった。
俯いてしまった藤ヶ谷に、杉野はそっと手を伸ばしてくる。
頭に大きな手が乗る。
温かい、藤ヶ谷がヒート中に何度も夢想した手だ。
「だから、そんな人は諦めて俺と」
「無理だよ」
「え?」
「諦められるなら、とっくにそうしてんだよ。今だって、忘れようと頑張って……っ」
藤ヶ谷は噛み締めた唇を布巾で隠す。
その白い手は小刻みに震えていた。
杉野と一緒にいるだけで気持ちが溢れてきてしまう。
気持ちを自覚してからは杉野と接するたびに、自分だけが大切にされているのではないかと錯覚するほど杉野は優しい。
だが悲しいことに、「自分は特別じゃない」のだとすぐに我に返って。
顔も知らない杉野の「運命の番」への嫉妬心がどんどん膨らんでいく。
杉野は髪から頬へと手を滑らせ、藤ヶ谷に顔を上げさせた。
藤ヶ谷の表情も泣きそうに歪んでいたが、杉野も悲痛な面持ちになっている。
「そんなに、その人が好きですか」
「大好きだ」
藤ヶ谷は頬の手に自分の手を重ねる。
互いの手は、緊張して冷たくなってしまっていた。
「こんなに、好きになったの初めてなんだ」
至近距離で見つめ合いながらも、お互いの心は全く通っていない。
杉野は運命の番を知っているから、そこに横恋慕することがどんなに不毛なことか分かっていて忠告してくれるのだ。
だが杉野は知らぬこととはいえ、好きな人本人に「諦めろ」と言われてしまった藤ヶ谷の心はボロボロだった。
「誰ですか、それは」
人の気も知らないで、杉野は更に追い打ちを掛けてくる。
運命の番は珍しい。
ならば、藤ヶ谷の近くで運命の番がいるのは杉野しかいない可能性が高いのに、何故気が付かないのか。
他のことは、いつも驚くほど察しがいいというのに。
そんな理不尽な怒りが藤ヶ谷の中で燃え上がってきた。
藤ヶ谷はガタンと椅子の音を鳴らして立ち上がる。
「もういい!杉野の鈍ちん野郎!」
「え、藤ヶ谷さん!?」
やかましい店内で、近くの人たちが振り返るほどの声を上げた藤ヶ谷は、大股で店を出て行ってしまった。
残された杉野はただ唖然と怒った背中を見送るしかない。
「……あの人にだけは絶対言われたくない……」
独りで呟いた言葉は、当然藤ヶ谷には届かなかった。
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