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一章

いつも通り?

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「俺以外にも、被害者がいたんですね」

 深刻な表情で藤ヶ谷は呟いた。
 発情期が終わり通常通り出社した藤ヶ谷は、部長室に謝罪に行った。
 ヒート休暇の直前の言動が、あまりにも冷静さを欠いていたと。

 そしていつも通りおおらかに笑い飛ばしてくれた八重樫から、予想外にも蓮池の情報が入ってきたのだ。

 蓮池には過去に番がいた。
 だが番のオメガが「運命」に出会ってしまったために、別のアルファに番契約を上書きされたのだという。
 
「そんなことが出来るのか」

 都市伝説だと思っていた「運命の番」が実在することにも驚いたが、番契約が上書きできるとは初耳だ。
 もし本当だとしたら、穏やかに見えた蓮池の精神は荒れ果てているだろう。

 目を見開く藤ヶ谷に、八重樫は重々しく頷いた。

「私も驚いたよ。『運命の番』というのはそれほど、何者にも侵せない絆なんだろう」

 その耐えがたい事実から目を背けるように、蓮池は何人ものオメガに声を掛け弄ぶようになった。
 藤ヶ谷を襲った時に一緒にいたベータの男たちは、今回新たに雇われた者たちだという。
 許される行為ではないが、藤ヶ谷は少し同情してしまった。

「番を奪われたアルファの成れの果てだ。同じアルファとして謝らせてくれ」

 手の指を組んだ八重樫は、苦々しい表情で吐き捨てる。
 当然藤ヶ谷は慌てて首を振ったが、八重樫の表情は曇ったままだ。

 八重樫には敢えて言わなかったことがある。
 蓮池が複数の男にオメガを襲わせるという非情な行為に及んだのは、今回が初めてのことだった。
 実は蓮池の元番の運命はハイアルファ。
 藤ヶ谷が標的になったのは、ハイアルファである杉野への当てつけである可能性が高いのだ。

 これは杉野に頼まれて蓮池について調べてくれた、山吹が掴んだ情報である。
 山吹もまた、友人の杉野には伝えなかった。
 部下を心配して問い合わせた八重樫しか知らない事実だ。

 そんな八重樫の複雑な心情を知らない藤ヶ谷は、感動に打ち震えていた。
 蓮池とのことは、そもそも八重樫には何の関係もない話だ。
 少し惚気ようとした藤ヶ谷が杉野と揉めてしまったのを見ていただけで、本来はここまで深く知ることもないはずだった。

 だというのに、こんなにも親身になって話してくれている。

「部長……俺のために色々調べてくれてありがとうございます!やっぱり俺には部長だけだ!」
「いや、これは杉野が」
「杉野が?」
「よつば商社の山吹君に頼んで、調べてくれたみたいだよ」

 藤ヶ谷の口元がじんわりと緩む。
 ホテルでの出来事のあと、杉野は再び藤ヶ谷をオメガ専用タクシーに乗せて送り出した。
 出社したときにはまだデスクに居なかったため、感謝の言葉も伝えられていない。

 八重樫との会話が終わると、藤ヶ谷は急いで自分のデスクに戻る。
 目的の背中が見えて心が弾み、勢いよく声を掛けた。

「杉野ー!こないだはありがとうな!」

 バチンと大きな音がするほど背中を叩いた。
 唐突な打撃に、杉野から苦痛の声が上がる。

「いっ……た……お礼を言いながら何す」
「俺、お前にすごくときめいた!」
「え?」

 瞳を輝かせた藤ヶ谷は、杉野の両肩を掴んで真正面から告げる。
 座ったままの杉野は目を見開いた。
 いつものポーカーフェイスが年相応に色づき、瞳を揺らして藤ヶ谷の言葉を待っている。
 藤ヶ谷は微笑み、艶のある黒い髪を優しい手つきで撫でた。

 杉野がオメガのフェロモンが充満した部屋で、藤ヶ谷を抱きしめる以上のことは一切しなかったことを思い出す。
 あの時の胸の高鳴りは、なかなか忘れられなかった。

「好きな人のために本能に抗えるの、感動した。お前に好かれてる子は幸せだな」
「……は?」

 藤ヶ谷の心からの称賛の言葉に対し、杉野の声は低くなり表情は硬直する。
 息をひそめて聞き耳を立てていた同僚たちは、思わぬ言葉に顔を見合わせた。

 しかし、藤ヶ谷はそんなことには気が付かない。
 明るい声で、楽し気に杉野の肩をぽんぽんと叩いた。

「俺も、お前みたいにちゃんと大事にしてくれる番候補をそろそろ真面目に見つけるぞー!」
「藤ヶ谷さん、あの」
「あ、そうだこれの鍵、開発部に貰いに行かねえと!今回は助かったから俺が謝っとくな。もう壊すなよ!」

 首につけた赤いカラーに触れ、藤ヶ谷は唇を尖らせる。
 杉野の言葉が入る余地は全くない勢いでまくし立てると、いつも以上に元気に部屋を出て行った。

 ◆

 藤ヶ谷の後ろ姿を呆然と見送った杉野は、デスクに額をぶつけて崩れ落ちる。

「……嘘だろ……」

 気持ちが全く伝わっていなかったことに、信じられない気持ちしか沸かない。
 杉野は藤ヶ谷の休み中もずっと、どんな顔をしようかと柄にもなく考えていたというのに。

(どれだけ相手にされてないんだ……)

 微動だにしなくなった杉野の周りに同僚たちが集まってきた。
 力を無くした背中を叩かれたり、頭をぐしゃぐしゃと撫でたりされる。

「婚活でも始めそうな勢いだったな藤ヶ谷さん」
「ドンマイ」
「抱いときゃよかったのに」
「とりあえず番えばよかったのに」
「ちゃんと好きって言いなさいよ」

 ここぞとばかりに好き勝手言う同僚たちに言い返す気力も出ない。
 またいつも通りになるだけだと気持ちを切り替えるしかなかった。

 だが、杉野も気が付いていなかった。
 藤ヶ谷がいつも以上にテンションが高かったのは、「どんな顔をすればいいのか」と同じように悩んだ結果だということを。
 そして知らなかった。
 ヒート中、藤ヶ谷は何度も杉野の温もりと香りを思い出して過ごしていたことを。

 二人の関係は「いつも通り」から、少しずつ動き出す。



                 一章完
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