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一章

飲み過ぎじゃないですか

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 その後の杉野は、藤ヶ谷と蓮池の会話を特に邪魔することはなく黙々と呑んでいるだけだ。
 だが、それが藤ヶ谷は気になって仕方がない。
 せっかく好みのアルファが声を掛けてくれたのに、チャンスを無にしそうだ。

「この歳になっても番も妻も居なくて……」

 という言葉を引き出して内心でガッツポーズをとっていた藤ヶ谷は、なんとかもっと蓮池とお近づきになりたかった。

 しばらく会話した蓮池がトイレに立った瞬間、藤ヶ谷は杉野のネクタイを握って引き寄せた。
 額が触れ合いそうなほど近づき、唸るような低い声を出す。

「お前、空気読めよ」
「俺はまだ飲みたいからいるだけです。お気になさらず」

 全く怯まずにパタパタと片手を振る杉野にわずかな殺意が芽生える。
 実際に杉野は止めないで大丈夫なのかというほど、ひたすら呑んでいる。
 顔色は変わらないし会話もしっかりしているので、相当酒に強いらしい。
 ゆっくり呑んでいるにもかかわらず、顔が火照っている藤ヶ谷とは雲泥の差だ。

 断固として動く気配のない杉野を返すことは諦める。丁度帰ってきた蓮池の方に何事もなかったかのように向き直った。

 会話をするにつれ、蓮池は藤ヶ谷の「理想的な紳士」であることが分かる。
 物腰柔らかで聞き上手で、趣味も美術館や歴史的建造物巡りであるなど、絵に描いたような人だった。

「蓮池さんは絵画にくわしいんですね」
「そう、良かったら今度一緒に美術館でもどうかな?」
「是非是非! 俺も好きなんです!」

 藤ヶ谷ははしゃいで両拳を握りしめた。
 実際にはものすごく好きだというわけではなかった。
 しかし藤ヶ谷はおじさまアルファと出会った時に恥ずかしくないように、とさまざまな芸術的知識を頭に叩き込んでいたのだ。
 営業をしていると世間話として出せる話題は豊富な方がいいので、今までもその知識の使いところはあったのだが。
 まさかプライベートで役に立つ時が来ようとは。

「でも俺、美術品に集中できますかね。今だって、蓮池さんと話してるとドキドキして」
「そろそろ本格的に飲み過ぎじゃないですか」
「黙ってろ」

 ずっと会話に入ってこなかったくせに、急に割り込んできた杉野の脛を踵で蹴りつける。
 うまくヒットして、杉野が息を詰める気配がした。

 おそらく蓮池は2人のやりとりに気がついているが、何も言わずに流してくれる。
 そして、左腕の時計に目をやった。

「名残惜しいけど、そろそろ帰る時間かな?」
「え……」

 藤ヶ谷の腕時計は、0時を過ぎていることを知らせている。
 バーはまだ営業してるが、無理に引き止めるわけにはいかない。

 藤ヶ谷は名残惜しさを隠さず眉を下げる。
 素直な反応を見て、蓮池は目元の皺を濃くした。
 座る位置をズラして藤ヶ谷に近づき、柔らかく頭を撫でてくれる。

「また会ってくれるかい?」
「もちろん、喜んで!」

 ずっと好みの香りに包まれて夢見心地で話していたが、触れられるともっと気持ちが舞い上がった。
 つつがなく連絡先を交換した後、藤ヶ谷を送ってくれるという蓮池の好意を跳ね除けたのは杉野だった。

「本人が思ってるより酔ってるみたいなんで、アルファは危ないです」

 杉野は最もらしい理由を付けて2人を引き離そうとした上、オメガのドライバーが運転するタクシーを既に手配していると言う。

「ちょ、勝手に決めるな!」

 文句を言おうとカウンターに手をついて立ち上がった藤ヶ谷だったが、足元がフラついて蓮池の胸に受け止められた。

「すみません……っ」
「彼の言う通りだね。あまりにも楽しくて気がつかなかった。次はきちんと君の体調管理もしてみせよう」
「あ、ありがとうございます」

 温かい手が頬に触れ流れるように上を向かされた藤ヶ谷は、期待に満ち溢れた表情で目を閉じた。
 が、

「タクシー来ましたんで」

 本日何度目かの不躾な声が、雰囲気をぶち壊した。

「ほんっと空気読めよバカ杉野!」

 腕を掴んで店外に引きずるように連れて行く杉野と文句を言いながらも抵抗できない藤ヶ谷を、蓮池は驚いた顔をして見送っていた。
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