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第七章 真相
第三話 片山沙織の思い
しおりを挟む翌日、鎧塚と徳大寺は埼玉県秩父市へと向かった。
入院中の片山桜織に面会するためだ。
鎧塚は、雪乃が失踪した昨年十一月二十六日の深夜から翌未明にかけて、本当は何があったのか、もう一度最初から洗い直そうと考えていた。そこに雪乃失踪の謎を解く鍵が秘められているはずだ。
友部凌馬からは何度か話を聞いているが、海斗から聞いた以上の内容は出てきていない。桜織から事情聴取することで、隠された真相に迫りたかった。
桜織は現在、愛光病院という地域では有名な精神科病院に強制入院させられており、面会謝絶の状態がずっとつづいている。これまで埼玉県警を含めいっさい接触がはかれていないのが実情だ。
しかしこの期に及んで、彼女からあの日のいきさつを聞かないことには真相に辿り着けないと考えた鎧塚は、警視総監から病院側へ圧力をかけてもらい、無理をいって今日の面会が叶ったという次第だ。
秩父駅から車で十分ほどの場所に、目指す愛光病院はあった。薄黄色のやわらかな色彩の外壁が印象的な四階建ての建物で、三階の個室に桜織は入院している。
鎧塚と徳大寺は、まず担当の村越女医と会った。
「このところ、ようやく気持ちが落ち着いてきたところなのです。くれぐれも彼女の心を刺激するような言動はお控えください。彼女は事件の重要参考人というわけではないのでしょう? 本来なら聴取に応じられる精神状態ではないのです。そのことを、くれぐれもお忘れなく」
気難しそうな、仏頂面の女性だ。にこりともしない。
最初に桜織との面会を申し入れた時、村越女医から一度は無理だと断られたのだが、警視総監が病院長に手を回してくれて、今日の面会が叶った経緯がある。そのことが気に入らないのかもしれない。無言の敵意のようなものを、女医の目つきから感じた。
「分かっています。当たり障りのない質問をするだけですから」
鎧塚は低姿勢でいったあと、「ご協力いただき、ありがとうございます」と感謝の言葉を添えるのを忘れなかった。
二人は桜織の個室へ入った。
一見して普通のマンションの室内と何ら変わらない。片山桜織は三人掛けソファの中央に座って待っていた。鎧塚らの姿をみとめると、にこやかな笑顔を向けてくる。精神を病んでいるようにはとても見えない。
二人が警察手帳をかざして名前を名乗ると、
「刑事さんは、雪乃さんの事件のことで私に会いにいらしたのでしょう?」
と、おっとりした声でいった。
「ええ、そうです。雪乃さんが失踪した日のことを伺いたいと思いまして」
鎧塚はやさしい眼差しを返した。
「ようするに刑事さんは、私が犯人だと疑っていらっしゃるんですね」
「いいえ、そうではありません」
「嘘ばっかり」
クククッ、と小鳥のさえずりのような笑い声を立てた。
「どうして、そう思うんですか?」
「どうしてって、決まってるじゃありませんか。ここに入院した当初、私は自分が雪乃さんを殺したと強硬に言い張っていたからです。父にもそう訴えて、さんざん困らせました」
「あなたは自分が犯人だと告白したんですか?」
「ええ、そうです。でも、実際に殺したわけではありません。あの時はそう思い込んでしまっていたんです。心の中で願っていたことが急に現実のものとなり、夢とうつつが区別できなくなって、一種のパニック状態でした」
「あなたは、雪乃さんの死を願っていたんですか?」
相手を刺激しないように、落ち着いた声で尋ねた。
「というより、海斗を取り戻したかっただけです」
「今でも海斗さんを愛していらっしゃるんですね」
「そうです。私は海斗を愛しています。彼も私を愛しています」
自信に満ちた表情でいった。
「海斗さんがそうおっしゃったんですか?」
「言わなくても分かります。私たちは誓い合ったのです。富めるときも貧しきときも、病めるときも健やかなるときも、死が二人を別つまで永遠に愛しつづけると――。海斗がそれを忘れるはずがありません」
「そうですか」
鎧塚はほほ笑んでみせる。
「刑事さん、お願いがあります」
やおら、ソファから立ち上がると、桜織は鎧塚に近づいてその手をぎゅっと握りしめた。
鎧塚はどきりとする。
「どうか海斗をここへ連れてきてください。お願いします。刑事さんのお力で、彼をこの部屋に引っ張ってきてください。彼もそれを望んでいます」
「我々には、そんな権限はないんです。ご自分で連絡なさったらいかがですか」
「スマホを取り上げられているので、連絡がとれません。館内電話も使わせてもらえない状況です。職員はみんな私の行動を見張っていて、いっさいの自由が奪われています」
「お父様に頼んだらどうです?」
「その父が一番の障害なのです。私を海斗に会わせないようにしています。もう雪乃さんはこの世にいないんです。何の障害もないんです。なのに父は私の願いをいっこうに聞き入れてくれません。お願いです、刑事さん。海斗に会わせてください。私たちは愛し合っているんです」
「申し訳ありませんが、我々はお力になれません」
謝するようにこうべを垂れる。
「……そうですか」
桜織は失望をありありと顔に浮かべ、鎧塚を恨みがましい目つきで見つめたのち、握っていた手を振りほどくと、再びソファに座り込んだ。両手で顔を覆い、悲鳴のような声を発して、おいおい泣き出してしまった。
彼女の慟哭が部屋中に響き渡る。
重度の精神不安定ぶりがうかがえる。とてもこれ以上、冷静に話が聞ける状況ではなかった。
その時、荒々しくドアが開き、村越女医が駆け込んできた。中の様子を監視カメラでうかがっていたのだろう。
「何をしたんですか、あなた方は」
「いや、我々はなにも……」
と、言い訳しようとするが、
「心を刺激するような言動は控えてくださいとお願いしましたよね。彼女は治療中の身なんです。せっかく快方に向かっていたのに、これでは水の泡だわ。やはり警察など入れるべきではなかったんです。今すぐ、ここから出ていってください」
出入口ドアを指差し、凄まじい剣幕でまくしたてる。
鎧塚が弁明しようと口を開きかけるが、
「出て行けといっているでしょう!」
女医は鬼のような形相で絶叫を発した。
取り付く島もない状態だ。
「分かりました。失礼します」
追い立てられるように、二人はすごすごと病室をあとにするしかなかった。
病院の玄関を出たところで、ふたりは同時に溜息を吐く。
「いやはや、まいりましたな。結局、何も聞き出すことができませんでした」
徳大寺が頭の後ろをかきながらいった。
「そうだね。でも仮に聞き出せたとしても、彼女の証言は信憑性という点で大いに疑問符がつく」
「そうですね。あれはかなりの重症ですよ。海斗恋しさのあまり、すっかりおかしくなってしまっています」
「友部海斗も罪なことをしたものだな」
二人は駐車場に停めてある警察車両のほうへと歩いていく。
鎧塚は事情聴取が無駄足に終わったことに失望を覚えていた。
雪乃が失踪した日に、雪乃と桜織、凌馬の間で本当は何が起きていたのか、それを突きとめずして本件の真相に迫ることはむずかしいと感じていた。
はたして雪乃は、徳大寺がいうように自らの意思で失踪したのだろうか。
それとも何者かによって拉致され、殺害されたのだろうか。
そもそもあの遺体は雪乃なのか、それとも別人なのか――。
捜査がほとんど振りだしに戻ってしまっている現状に暗澹たる思いがした。
「あっ」
隣を歩く徳大寺がふいに何かに目を留めた様子で立ち止まった。
「どうした?」
鎧塚も足を止める。
「あれを見てください」と前方を指差す。
十メートルほど先にブルーのジャガーが停まっている。
一人の男性がボンネットに腰かけて煙草をふかしている。Tシャツ姿で、鍛え上げられた肉体が遠目からでもよく分かる。
「片山貴俊ですよ」
「片山……?」
目を凝らして見る。確かに埼玉県警から提供された顔写真にそっくりだ。
片山は手にした煙草を足元に落として靴底で踏みつけると、ボンネットから腰をあげ、病院のエントランスへ向かって歩き始める。
「どうします?」
「行こう」
二人は小走りで追いかけた。館内へ入る直前で追いついて、うしろから声をかける。
「片山貴俊さんですね」
「えっ」
と、振り返った片山の眼前に、鎧塚は警察手帳を提示した。
「警視庁の鎧塚と申します」
「警視庁?」
怪訝そうに首をかしげる。
「警視庁が私に何の用ですか?」
「友部雪乃さんが殺害された件で、少しお話をきかせていただきたいと思いまして」
「しかし……すでに埼玉県警のほうで連日、取り調べを受けています」
迷惑そうに顔をしかめる。
「存じています。五分で結構ですので、お時間をいただけないでしょうか?」
「チッ」
片山は露骨に舌打ちした。
「お願いします」
「でしたら、後ろの刑事たちに了解をとってください」
後方を振り返って人差し指を向ける。指差す方向に、背広姿の男がふたり、こちらの様子を窺うように立っている。
「私をずっと尾行しているんです。本人たちは警護だといっています。私の身に危険が迫っているから、片時も離れないのだと」
おそらく高見沢が手配した刑事だろう。
「ちょっと、待っていて下さい」
言い置いて、二人の刑事のもとへ向かい、事情を説明して了承を得ると、ふたたび片山のところへ戻ってきた。
「県警の許可をもらいました。よろしいですか?」
「五分だけですよ」
片山はぶっきらぼうにいうと、玄関ドアから館内へと足早に入っていった。
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