妻の失踪

琉莉派

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第六章 タカの正体

第五話 奥平龍平の弁明

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 翌日、鎧塚は朝四時に起床すると、出勤前の時間を使って、小田急線の鶴川駅へ向かった。七年前に亡くなった妻の麻美は、町田いずみ浄苑に眠っている。樹木葬で知られる都内有数の墓地である。樹木葬は、彼女の希望だった。

「私が死んだら、ハッピーと一緒に木の下に埋めて」

 生前、冗談めかしていっていた。
 もともと彼女の両親がこの地に眠っており、墓参りに訪れたおり、何の気なしに発した言葉だ。 

 その時、彼女はまだ四十歳だった。
 まさか直後に永遠の別れが訪れようとは思ってもみなかった。
 彼女としても深い意味などなく発した言葉だったはずだ。
 結局、それが遺言となった。

 鎧塚は、彼女の願いを叶えるため、愛犬の隣に遺骨を葬った。
 どんなに仕事が忙しくても、月命日の墓参を欠かしたことはない。
 墓の前に座り、一ヶ月間に起きたさまざまな出来事を報告するのが慣習になっている。それを七年間、欠かすことなく続けている。
 この日も一時間ほど天国の妻と会話を交わしてから、捜査本部へ出勤した。


 午前十時。
 徳大寺とともに、OKUHIRA本社へ向かう。
 社長室で奥平と対面した。

「昨日はすいませんでした。せっかくいらしていただいたのに、留守にしておりまして」
「お身体は大丈夫ですか?」

 鎧塚が気遣うように問う。
 顔が土気色をしている。前回会った時よりも、かなり痩せてやつれたように見受けられる。

「雪乃のことがあってから、よく眠れないんです」うつろな瞳でいった。
「分かります」同情するように小さくうなずく。

 養女とはいえ、娘を亡くしたのだから、体調を崩すのは当然といえば当然である。
 問題は、彼がタカであるかどうかだ。タカであれば、雪乃を殺したのは彼であり、悲しみの表情はすべて演技ということになる。

「ところで、秘書の寺島から聞いたのですが、刑事さんは七尾の失踪が雪乃の事件と関係があるとお考えのようですね」
「ええ、そうです。七尾常務は、二十二年前に磯部裕也邸に押し入った強殺犯の一員であると考えています」
「それは間違いないのですか?」
「我々はそう見ております」
「そうですか」

 呟くようにいって、視線を落とす。鎧塚はその表情を注意深くうかがった。

「そこでおたずねしたいのですが、奥平さんは七尾常務をどのような経緯で採用なさったのですか?」
「どのようにといわれましても……普通に面接して採用しただけですよ」
「奥平さんみずから面接したのですね」
「そうです。私の一存で決めました」
「入社はいつです?」
「五年ほど前です」

 その言葉に、ふと疑問を覚えた。

「七尾さんはその時点ですでに四十代後半ですよね」
「ええ。たしか四十八歳だったと思います」
「よほど、他社で実績があったのですか?」
「……なぜです?」
「実績もない五十手前の男性を、いきなり常務取締役で雇い入れるというのは、普通では考えられませんから」
「……」
「それで、他社で要職に就くなど、実績を重視されたのだろうと思ったのです」
「いいえ、実績は特にみませんでした」
「前歴をよく調べもせずに雇い入れたということですか?」
「はい」
「なぜです?」
「なぜって……大切なのは、実績よりも、やる気や人間性だと考えるからです」
「面接だけで人間性が分かりますか?」
「分かろうが分かるまいが、私が彼のことを良いと思ったのですから、それでいいじゃありませんか。仕事ができれば前歴など気にしない。うちは実力主義なのです」
「ところが、七尾さんは仕事があまりできなかったという人もいますよ」
「誰がそんなことを言ったんですか」

 奥平の顔がこわばった。顔に憤怒が立ち昇る。

「昨日、何人かの社員の方からお話を伺いました」
「社員がそんなことをいうはずがありません。七尾は優秀な仕事ぶりで、誰からも評価されていました」

 奥平は明らかにムキになっている。やはり怪しい、と鎧塚は思った。

「我々は確かに社員の方から真実を聞いています。その方の名前を申し上げるわけにはいきませんが、七尾常務の仕事ぶりに疑問を覚えていらっしゃいました。奥平さんがあくまで七尾常務をかばいだてするようでしたら、こちらとしては社員の方ひとりひとりに署まで来ていただき、事情聴取を敢行しなければならなくなります」
「待ってください」

 あわてたように両手を前に突きだした。

「分かりました。正直にお話し致します」

 鎧塚の気迫に呑まれたのか、観念したようにいった。鎧塚は満足げにうなずく。

「刑事さんの仰るとおり、七尾は常務取締役として不適格者でした。それは認めます」
「なのにあなたは、彼を役員として五年間も雇いつづけた」
「仕方ないんですよ」

 奥平は口元を曲げ、投げやりな態度になる。

「仕方ない……? どういう意味です」
「七尾常務は、ある方からの紹介を受けて、入社してもらったんです。その方への恩義もあって、他の社員からは優遇ととられかねない処遇になってしまったのは事実です。今回の三千万円の流用といい、すべては彼を甘やかしてきた私の責任です。それは痛感しています」
「ある方とは誰です?」

 鎧塚が身体を前傾させる。

「それは勘弁してください」

 困った顔でこうべを垂れる。よほど恩義のある人物なのだろう。もちろん、諦めるわけにはいかない。

「お教え願えませんか」
「刑事さんはさきほど、七尾は二十二年前の強盗犯人グループの一員だとおっしゃった。もし私が名前を挙げれば、その方があの事件と結び付けられてしまいます」
「そんなことにはなりませんよ」
「いいえ、なるんです」
「ねえ、奥平さん」

 徳大寺が、横から会話に割り込んだ。

「七尾常務は、中溝潤の高校時代の同級生です。中溝潤は、ご存じのように八王子市長である中溝孝明氏の弟にあたります。……もしかして、市長に頼まれて七尾常務を採用したのではありませんか?」
「……」

 奥平は答えない。口を真一文字に結んでいる。

「これは殺人事件の捜査なのです。答えていただかなくては困ります」

 鎧塚が圧をかけるようにいった。

「奥平さんに悪いようにはしませんから」

 徳大寺は柔らかい声音こわねでほほ笑みかける。

「……弱りましたね」

 奥平は苦しそうに顔をゆがませた。これ以上しらを切り通すのは無理だと悟ったのか、ひとつ、大きく息を吐き出すと、

「分かりました。お話しします」

 と消え入りそうな声でいった。

「刑事さんがおっしゃるように、七尾常務はあるパーティーの席で市長から紹介を受けました。その際、OKUHIRAで雇ってもらえないかと相談されたのです。以前勤めていた建設会社を首になって困っているという話でした。市長には日ごろからお世話になっていますので、断ることができず、言われるままОKUHIRAに迎え入れた次第です」
「常務に据えたのも、市長の意向ですね」
「直接いわれたわけではありませんが、それなりの処遇をする必要があると感じました」
「わかりました。正直に話していただき、ありがとうございます」

 鎧塚は丁寧に礼を述べた。徳大寺と顔を見合わせ、うなずき合う。
      
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