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第四章 二十二年前の事故
第五話 捜査会議
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「では、それぞれの捜査状況を報告してもらおうか」
本部長の斎藤哲哉が第一声を発した。
五十二歳の本庁管理官。いかつい顔つきで耳がつぶれている。柔道六段の猛者である。
最初の報告者には、榊原が指名された。
本来は鎧塚の役割だが、部下に発表を任せたのだ。
榊原は立ち上がると、メモ帳に視線を落とし、かしこまった様子で話し始める。
一昨日の友部海斗のひき逃げ事故から始まって、きのうの薬師丸真理子や松崎幸之助、中溝孝明、本日の田中幸代への聞き込みと、時系列に従って順次報告していく。
簡潔かつ分かりやすい説明で、新人にしては堂に入っている。
鎧塚は目を細めて聞き入った。
「つまり、中溝孝明八王子市長の亡くなった弟が、二十二年前の強盗殺人犯として浮上してきたわけだな」
説明を聞き終えた本部長が腕組みしながらいった。
「そういうことになります」
鎧塚が答える。
「わかった。では、次。丸亀」
「はい」
丸亀刑事が立ち上がった。
「我々は埼玉県警と協力して、二十二年前の磯部裕也邸強盗殺人事件の際、重要参考人と目された側近社員について調べました。具体的には、経理を担当していた正岡茂雄、磯部裕也の個人秘書だった田中健、そして専務取締役・片山貴俊の三名です。
県警が当時、彼らを容疑者とみなしたのには合理的理由があります。磯部裕也は強盗に入られた翌日に、金の延べ棒や書画骨董の類いを、自宅から別の場所に移送し、隠匿する計画があったのです。これを知り得る立場にあり、移送の手伝いをしていたのがこの三名でした。三名とも事件当日のアリバイがないことが確認されています」
「しかし結局、誰も逮捕されなかったんだな」
本部長が確認するように問う。
「明確な証拠が挙がらなかったのです。しかし当時事件を担当した県警の刑事は、少なくとも三人のうちの誰かが関与しているのは間違いないと、今でも考えています」
「根拠は?」
「磯部邸は、当時最新鋭の防犯設備が備わっていましたが、それらがことごとく破られ無力化されていました。どこにどんな防犯装置がついているかは、邸内に詳しい者にしか分かりません」
「その三人なら、それが分かるというわけだな」
「特に片山貴俊は、磯部から自宅の防犯対策を一手に任されていたそうです。そのため、片山がかかわっているのはほぼ間違いないというのが、埼玉県警の見立てです」
「なるほど」
と本部長はうなずいた。
「ここから先は私の憶測が入りますが……側近三名のうち、少なくとも経理担当だった正岡茂雄に関しては、容疑者から除外して差し支えないかと思います」
「なぜだ?」
「彼は現在、後藤商事という会社で経理の仕事をしています。在職二十一年になりますが、磯部不動産とは比べものにならないほど小さな会社で、生活もつましいものです。調べてみると、現在の住まいは月八万円の賃貸住宅で、妻と二人暮らし。磯部邸から盗まれたのは、金の延べ棒だけでも六億円近くと見積もられ、三人で割っても最低二億円になります。現在の暮らしぶりとの整合性が取れません」
「散財して使い果たしたという見方もできるぞ」本部長が突っ込んだ。
「過去にさかのぼって調べましたが、正岡が派手な生活をしていた形跡は皆無です。磯部不動産を辞めて、翌年には後藤商事に入り、以後、二十年以上にわたって、真面目でつましい生活をつづけています」
「うむ」
本部長は納得したようにうなずいた。
「つづいて秘書の田中健ですが、この男の行方がいまだ掴めません。現在五十三歳になっているはずですが、両親はすでに亡く、兄妹もありません。高校や大学時代の友人にも当たりましたが、まるで行方が掴めません。さらに捜索をつづけたいと思います」
丸亀はそこでいったん言葉を区切ると、ここからが本題だという顔でつづける。
「最後に、若くして専務に取り立てられ、磯部の右腕と謳われた片山貴俊ですが、彼は現在、磯部と同じ不動産業で財を成し、地域の名士として知られています」
「友部海斗の元恋人の父親だろう」
と、本部長がきいた。
「はい。この片山ですが、もともとは埼玉の高校サッカー界で活躍した人物で、将来を嘱望されていました。怪我でプロ入りを断念したのですが、その点は友部海斗とよく似た軌跡を辿っています。その後、夢を絶たれた喪失感からか、片山は心がすさみ、十九歳の時に、埼玉の正龍会に入ります」
「なんだ。極道だったのか?」
少し驚いたように本部長がいった。
「はい。喧嘩も相当強かったようですが、彼は企業舎弟の道を歩みます。三つくらいの会社の役員を任され、一時期は羽振りもかなりよかったようです。
ところが、ある時、ヘマをやらかして組を追われます。儲けた金の一部を上納せずにちょろまかし、博打ですってしまったんです。その時に救いの手を差し伸べたのが磯部裕也でした。磯部は正龍会に顔が利き、借金を肩代わりしたうえに、自分の会社に片山貴俊を引き取りました。恩義を感じた片山は磯部のためにしゃにむに働き、汚い裏の仕事もすすんで引き受けたようです。磯部亡きあとは、磯部の地盤で不動産会社を立ち上げ、大成功をおさめています。かつて極道だったことを隠し、今やいっぱしの名士気取りですよ」
丸亀の報告が終わると、本部長は、
「片山貴俊が、強殺犯グループの一員である可能性はかなり高いといえそうだな」
と、総括するようにいった。
「一員というより、主犯格と見ています。彼が仲間ふたりを引き入れて、磯部邸に押し入ったと考えれば筋が通ります」
「わかった。次」
本部長の指名を受けて、富永という名の五十五歳のベテラン刑事が立ち上がった。友部海斗の両親の事故死に関する調査を担当する所轄の叩き上げだ。捜査員の中では最年長にあたる。
鎧塚は大きな期待をもって富永の報告に耳をかたむけた。それは友部海斗の父である康利が、強殺犯グループの一員であると睨んでいるからだ。
友部雪乃がかつて目撃した犯人のひとりは、おそらく康利であろう。中溝潤の可能性も浮上してきたが、康利の可能性が高いと鎧塚はみている。
いずれにせよ、康利が共犯者であることは間違いあるまい。
根拠は、雪乃が海斗に黙って単独で強殺犯グループを探る調査をつづけていたからである。吉田朋美にソウルメイトとまでいわしめるほど関係性の深い夫に、なぜ自分の計画を打ち明けなかったのか。
それは、海斗の父親が強殺犯一味であることに気付いていたからに他ならない。
理詰めで考えればそれ以外の解答はありえない。
だとすると、現在、大学生による交通事故で片付けられている友部康利夫妻の死には、いまだ明らかになっていない隠された真相が存在するはずなのだ。
「友部海斗の両親の事故死について説明いたします。当時捜査に当たった埼玉県警交通課の刑事によりますと、あの事故には不審な点はまったく見受けられなかったとのことです。あくまで大学生による不注意の交通事故であり、それ以上でも以下でもない。それが県警の見解です。また、友部康利が二十二年前の強殺事件に関与していたのではないかという、鎧塚警部からの指摘を受け、康利の当時の交友関係を洗いましたが、磯部裕也との交際はもちろん、アンダーグラウンドな人脈もいっさい浮かび上がってきませんでした。誰に聞いても、夫妻はともに実直な人柄で、誰からも愛されていたという声しか返ってきません。経営していた店も順調だったようですし、強盗殺人に関与したということは考えられません。友部康利は事件と無関係と考えてよいかと思います」
「ちょっと待ってください」
鎧塚が声を発した。結論をくだすのが早すぎるのではないだろうか。
「康利夫妻をひきころした大学生については分かっているのですか?」
「ええ」
富永刑事は手帳に視線を落とすと、
「柿沼航という、当時W大学の三回生でした。両親は世田谷区で酒店を営んでいました。航は過失運転致死罪で執行猶予付きの判決を受けたため、服役はしておりません。現在は柿沼酒店の三代目を継いでおります。航も両親も、磯部裕也や磯部不動産とは何の接点もなく、片山貴俊や正岡茂雄らとの関係も皆無です。以上のことから、友部康利は強殺事件とは無関係と見るのが正しいと思います。鎧塚警部がその点に強くこだわっておられるのは充分承知していますが、あの事故は埼玉県警がいうように、大学生による不注意の交通事故に間違いありません。すべての調書をくまなく読んだうえで、自分なりに結論をくだしました。友部康利夫妻の死は、一連の事件から切り離して考えるべきです」
富永刑事は、自分の考えに揺るぎない自信を覚えている様子で言い切った。
鎧塚は彼の報告に一応の納得感は覚えつつも、諦めきれない気持ちで言葉を発する。
「富永さんのおっしゃることも分かりますが、友部康利の背景を、もう少しだけ探っていただけないでしょうか。ひょっとしたら何か見落としている点があるかもしれません」
「見落としはないと思いますよ」
富永刑事が、少しムッとした顔でいった。
「それでも調べてください。強殺事件の発生から四ヶ月後の十二月上旬に、ごく近距離で二件の交通事故が発生しているんです。いずれも三歳の子供だけを残し、親が轢き殺されている。とても偶然とは思えません。必ず裏に何かあるはずです。それを突きとめたいんです。それこそが今回の事件の謎を解く最大の鍵だと考えています」
鎧塚は力説した。最初におぼえた直感が頭にあった。吉田朋美のいった「信じられないような、運命を呪いたくなる共通項」というワードが頭にこびりついて離れない。
「そうですか。分かりました。では、友部康利の捜査を継続したいと思います」
最年長のベテラン所轄署員は、不機嫌そうにいって、着席した。
最後に、徳大寺刑事が立ち上がった。
「私は、奥平龍平と佳代子について調べました」
手帳を取り出し、ページを開く。
「奥平龍平は岩手県奥州市の出身で、二十歳で上京し、大手スーパーに勤務したのち、二十五歳でコンビニオーナーとして独立。近所に競合店ができてすぐに撤退すると、その後はさまざまな会社を作っては潰し、を繰り返しています。運が向いてきたのは今から十九年前、彼が四十六歳の時です。現在の会社の前身である雑貨店・水戸商店のひとり娘と恋に落ち、婿養子に入りました。それが前妻の昌子です」
「なんだ、奥平龍平は婿養子だったのか」
本部長が少し意外そうにいった。
「といっても、彼が結婚したころの水戸商店は赤字続きで経営は苦しかったようです。それが、彼が入社して三年もすると黒字に転換し、五年目からはディスカウントショップに業態転換して大成功を収めました。現在は東京西部や神奈川などに十六店舗を展開しています」
「磯部裕也や磯部不動産との接点はあるのか?」
「いいえ、今のところ浮かび上がっておりません」
「片山貴俊との繋がりは?」
「それも確認できませんでした」
徳大寺はメモ帳のページを繰ってつづける。
「次に、蒲谷佳代子、現在は結婚して奥平佳代子ですが――、彼女は十八歳で上京し、二十年間、銀座の夜の街で生き抜いてきました。今まで浮名を流した男は、都議会議員や一流企業の重役など錚々たる顔ぶれです。彼女の武器は料理で、男をつかむなら胃袋をつかめが口癖だったようです。非常に人あたりがよく、会った人間は皆、彼女の人柄に惹かれてしまうようです。しかし同僚ホステスの間では、彼女が善良に見えるのは男の前だけ、というのが定説となっています」
「磯部裕也や磯部不動産と接点はあるのか」
「いいえ。彼女が東京に出てきた時には、すでに磯部は亡くなっていました」
徳大寺はメモ帳を閉じると、
「私からは以上です」
一礼して着席する。
「ご苦労さん。では最後に鎧塚君のほうから、現時点でのスジ読みと今後の捜査方針について語ってもらおうか」
斎藤本部長が話をまとめるように鎧塚に発言を振った――その時だった。
「ああぁっ!」
突然、末席から素っ頓狂な声が上がった。全員が何事かと声の方を見る。声の主は榊原である。
彼は全員に見つめられ、恥じ入るように頬を赤く染める。
「す、すいません。ごめんなさい。思わず、大きな声を出してしまいました」
あわてた様子でおろおろする彼に、捜査員たちから、どっと、笑い声が起こる。
「居眠りでもしてたのか、若造」
揶揄する声が飛んだ。
「いいえ、違います。分かったんですよ。ついに思い出したんです」
榊原は顔を紅潮させて立ち上がった。
「何が分かったというんだ」
鎧塚が問いかける。
「写真ですよ、警部。中溝潤の顔写真です。どこかで会ったことがあると、さきほど申し上げたでしょう? ついに思い出したんです。確かに自分はあの顔と出会っていました」
本部長の斎藤哲哉が第一声を発した。
五十二歳の本庁管理官。いかつい顔つきで耳がつぶれている。柔道六段の猛者である。
最初の報告者には、榊原が指名された。
本来は鎧塚の役割だが、部下に発表を任せたのだ。
榊原は立ち上がると、メモ帳に視線を落とし、かしこまった様子で話し始める。
一昨日の友部海斗のひき逃げ事故から始まって、きのうの薬師丸真理子や松崎幸之助、中溝孝明、本日の田中幸代への聞き込みと、時系列に従って順次報告していく。
簡潔かつ分かりやすい説明で、新人にしては堂に入っている。
鎧塚は目を細めて聞き入った。
「つまり、中溝孝明八王子市長の亡くなった弟が、二十二年前の強盗殺人犯として浮上してきたわけだな」
説明を聞き終えた本部長が腕組みしながらいった。
「そういうことになります」
鎧塚が答える。
「わかった。では、次。丸亀」
「はい」
丸亀刑事が立ち上がった。
「我々は埼玉県警と協力して、二十二年前の磯部裕也邸強盗殺人事件の際、重要参考人と目された側近社員について調べました。具体的には、経理を担当していた正岡茂雄、磯部裕也の個人秘書だった田中健、そして専務取締役・片山貴俊の三名です。
県警が当時、彼らを容疑者とみなしたのには合理的理由があります。磯部裕也は強盗に入られた翌日に、金の延べ棒や書画骨董の類いを、自宅から別の場所に移送し、隠匿する計画があったのです。これを知り得る立場にあり、移送の手伝いをしていたのがこの三名でした。三名とも事件当日のアリバイがないことが確認されています」
「しかし結局、誰も逮捕されなかったんだな」
本部長が確認するように問う。
「明確な証拠が挙がらなかったのです。しかし当時事件を担当した県警の刑事は、少なくとも三人のうちの誰かが関与しているのは間違いないと、今でも考えています」
「根拠は?」
「磯部邸は、当時最新鋭の防犯設備が備わっていましたが、それらがことごとく破られ無力化されていました。どこにどんな防犯装置がついているかは、邸内に詳しい者にしか分かりません」
「その三人なら、それが分かるというわけだな」
「特に片山貴俊は、磯部から自宅の防犯対策を一手に任されていたそうです。そのため、片山がかかわっているのはほぼ間違いないというのが、埼玉県警の見立てです」
「なるほど」
と本部長はうなずいた。
「ここから先は私の憶測が入りますが……側近三名のうち、少なくとも経理担当だった正岡茂雄に関しては、容疑者から除外して差し支えないかと思います」
「なぜだ?」
「彼は現在、後藤商事という会社で経理の仕事をしています。在職二十一年になりますが、磯部不動産とは比べものにならないほど小さな会社で、生活もつましいものです。調べてみると、現在の住まいは月八万円の賃貸住宅で、妻と二人暮らし。磯部邸から盗まれたのは、金の延べ棒だけでも六億円近くと見積もられ、三人で割っても最低二億円になります。現在の暮らしぶりとの整合性が取れません」
「散財して使い果たしたという見方もできるぞ」本部長が突っ込んだ。
「過去にさかのぼって調べましたが、正岡が派手な生活をしていた形跡は皆無です。磯部不動産を辞めて、翌年には後藤商事に入り、以後、二十年以上にわたって、真面目でつましい生活をつづけています」
「うむ」
本部長は納得したようにうなずいた。
「つづいて秘書の田中健ですが、この男の行方がいまだ掴めません。現在五十三歳になっているはずですが、両親はすでに亡く、兄妹もありません。高校や大学時代の友人にも当たりましたが、まるで行方が掴めません。さらに捜索をつづけたいと思います」
丸亀はそこでいったん言葉を区切ると、ここからが本題だという顔でつづける。
「最後に、若くして専務に取り立てられ、磯部の右腕と謳われた片山貴俊ですが、彼は現在、磯部と同じ不動産業で財を成し、地域の名士として知られています」
「友部海斗の元恋人の父親だろう」
と、本部長がきいた。
「はい。この片山ですが、もともとは埼玉の高校サッカー界で活躍した人物で、将来を嘱望されていました。怪我でプロ入りを断念したのですが、その点は友部海斗とよく似た軌跡を辿っています。その後、夢を絶たれた喪失感からか、片山は心がすさみ、十九歳の時に、埼玉の正龍会に入ります」
「なんだ。極道だったのか?」
少し驚いたように本部長がいった。
「はい。喧嘩も相当強かったようですが、彼は企業舎弟の道を歩みます。三つくらいの会社の役員を任され、一時期は羽振りもかなりよかったようです。
ところが、ある時、ヘマをやらかして組を追われます。儲けた金の一部を上納せずにちょろまかし、博打ですってしまったんです。その時に救いの手を差し伸べたのが磯部裕也でした。磯部は正龍会に顔が利き、借金を肩代わりしたうえに、自分の会社に片山貴俊を引き取りました。恩義を感じた片山は磯部のためにしゃにむに働き、汚い裏の仕事もすすんで引き受けたようです。磯部亡きあとは、磯部の地盤で不動産会社を立ち上げ、大成功をおさめています。かつて極道だったことを隠し、今やいっぱしの名士気取りですよ」
丸亀の報告が終わると、本部長は、
「片山貴俊が、強殺犯グループの一員である可能性はかなり高いといえそうだな」
と、総括するようにいった。
「一員というより、主犯格と見ています。彼が仲間ふたりを引き入れて、磯部邸に押し入ったと考えれば筋が通ります」
「わかった。次」
本部長の指名を受けて、富永という名の五十五歳のベテラン刑事が立ち上がった。友部海斗の両親の事故死に関する調査を担当する所轄の叩き上げだ。捜査員の中では最年長にあたる。
鎧塚は大きな期待をもって富永の報告に耳をかたむけた。それは友部海斗の父である康利が、強殺犯グループの一員であると睨んでいるからだ。
友部雪乃がかつて目撃した犯人のひとりは、おそらく康利であろう。中溝潤の可能性も浮上してきたが、康利の可能性が高いと鎧塚はみている。
いずれにせよ、康利が共犯者であることは間違いあるまい。
根拠は、雪乃が海斗に黙って単独で強殺犯グループを探る調査をつづけていたからである。吉田朋美にソウルメイトとまでいわしめるほど関係性の深い夫に、なぜ自分の計画を打ち明けなかったのか。
それは、海斗の父親が強殺犯一味であることに気付いていたからに他ならない。
理詰めで考えればそれ以外の解答はありえない。
だとすると、現在、大学生による交通事故で片付けられている友部康利夫妻の死には、いまだ明らかになっていない隠された真相が存在するはずなのだ。
「友部海斗の両親の事故死について説明いたします。当時捜査に当たった埼玉県警交通課の刑事によりますと、あの事故には不審な点はまったく見受けられなかったとのことです。あくまで大学生による不注意の交通事故であり、それ以上でも以下でもない。それが県警の見解です。また、友部康利が二十二年前の強殺事件に関与していたのではないかという、鎧塚警部からの指摘を受け、康利の当時の交友関係を洗いましたが、磯部裕也との交際はもちろん、アンダーグラウンドな人脈もいっさい浮かび上がってきませんでした。誰に聞いても、夫妻はともに実直な人柄で、誰からも愛されていたという声しか返ってきません。経営していた店も順調だったようですし、強盗殺人に関与したということは考えられません。友部康利は事件と無関係と考えてよいかと思います」
「ちょっと待ってください」
鎧塚が声を発した。結論をくだすのが早すぎるのではないだろうか。
「康利夫妻をひきころした大学生については分かっているのですか?」
「ええ」
富永刑事は手帳に視線を落とすと、
「柿沼航という、当時W大学の三回生でした。両親は世田谷区で酒店を営んでいました。航は過失運転致死罪で執行猶予付きの判決を受けたため、服役はしておりません。現在は柿沼酒店の三代目を継いでおります。航も両親も、磯部裕也や磯部不動産とは何の接点もなく、片山貴俊や正岡茂雄らとの関係も皆無です。以上のことから、友部康利は強殺事件とは無関係と見るのが正しいと思います。鎧塚警部がその点に強くこだわっておられるのは充分承知していますが、あの事故は埼玉県警がいうように、大学生による不注意の交通事故に間違いありません。すべての調書をくまなく読んだうえで、自分なりに結論をくだしました。友部康利夫妻の死は、一連の事件から切り離して考えるべきです」
富永刑事は、自分の考えに揺るぎない自信を覚えている様子で言い切った。
鎧塚は彼の報告に一応の納得感は覚えつつも、諦めきれない気持ちで言葉を発する。
「富永さんのおっしゃることも分かりますが、友部康利の背景を、もう少しだけ探っていただけないでしょうか。ひょっとしたら何か見落としている点があるかもしれません」
「見落としはないと思いますよ」
富永刑事が、少しムッとした顔でいった。
「それでも調べてください。強殺事件の発生から四ヶ月後の十二月上旬に、ごく近距離で二件の交通事故が発生しているんです。いずれも三歳の子供だけを残し、親が轢き殺されている。とても偶然とは思えません。必ず裏に何かあるはずです。それを突きとめたいんです。それこそが今回の事件の謎を解く最大の鍵だと考えています」
鎧塚は力説した。最初におぼえた直感が頭にあった。吉田朋美のいった「信じられないような、運命を呪いたくなる共通項」というワードが頭にこびりついて離れない。
「そうですか。分かりました。では、友部康利の捜査を継続したいと思います」
最年長のベテラン所轄署員は、不機嫌そうにいって、着席した。
最後に、徳大寺刑事が立ち上がった。
「私は、奥平龍平と佳代子について調べました」
手帳を取り出し、ページを開く。
「奥平龍平は岩手県奥州市の出身で、二十歳で上京し、大手スーパーに勤務したのち、二十五歳でコンビニオーナーとして独立。近所に競合店ができてすぐに撤退すると、その後はさまざまな会社を作っては潰し、を繰り返しています。運が向いてきたのは今から十九年前、彼が四十六歳の時です。現在の会社の前身である雑貨店・水戸商店のひとり娘と恋に落ち、婿養子に入りました。それが前妻の昌子です」
「なんだ、奥平龍平は婿養子だったのか」
本部長が少し意外そうにいった。
「といっても、彼が結婚したころの水戸商店は赤字続きで経営は苦しかったようです。それが、彼が入社して三年もすると黒字に転換し、五年目からはディスカウントショップに業態転換して大成功を収めました。現在は東京西部や神奈川などに十六店舗を展開しています」
「磯部裕也や磯部不動産との接点はあるのか?」
「いいえ、今のところ浮かび上がっておりません」
「片山貴俊との繋がりは?」
「それも確認できませんでした」
徳大寺はメモ帳のページを繰ってつづける。
「次に、蒲谷佳代子、現在は結婚して奥平佳代子ですが――、彼女は十八歳で上京し、二十年間、銀座の夜の街で生き抜いてきました。今まで浮名を流した男は、都議会議員や一流企業の重役など錚々たる顔ぶれです。彼女の武器は料理で、男をつかむなら胃袋をつかめが口癖だったようです。非常に人あたりがよく、会った人間は皆、彼女の人柄に惹かれてしまうようです。しかし同僚ホステスの間では、彼女が善良に見えるのは男の前だけ、というのが定説となっています」
「磯部裕也や磯部不動産と接点はあるのか」
「いいえ。彼女が東京に出てきた時には、すでに磯部は亡くなっていました」
徳大寺はメモ帳を閉じると、
「私からは以上です」
一礼して着席する。
「ご苦労さん。では最後に鎧塚君のほうから、現時点でのスジ読みと今後の捜査方針について語ってもらおうか」
斎藤本部長が話をまとめるように鎧塚に発言を振った――その時だった。
「ああぁっ!」
突然、末席から素っ頓狂な声が上がった。全員が何事かと声の方を見る。声の主は榊原である。
彼は全員に見つめられ、恥じ入るように頬を赤く染める。
「す、すいません。ごめんなさい。思わず、大きな声を出してしまいました」
あわてた様子でおろおろする彼に、捜査員たちから、どっと、笑い声が起こる。
「居眠りでもしてたのか、若造」
揶揄する声が飛んだ。
「いいえ、違います。分かったんですよ。ついに思い出したんです」
榊原は顔を紅潮させて立ち上がった。
「何が分かったというんだ」
鎧塚が問いかける。
「写真ですよ、警部。中溝潤の顔写真です。どこかで会ったことがあると、さきほど申し上げたでしょう? ついに思い出したんです。確かに自分はあの顔と出会っていました」
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