妻の失踪

琉莉派

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第四章 二十二年前の事故

第一話 ひき逃げ

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 友部海斗がひき逃げされたとの一報が、捜査本部にいる鎧塚警部の元に入ったのは、午後九時すぎのことである。

 電話してきたのは榊原刑事だ。彼は鎧塚に命じられて、前日から海斗の尾行をつづけていた。
 海斗を轢いた車は、時速百キロ以上でブレーキも踏まずに突っ込み、そのまま走り去ったという。榊原は五メートルほど後方を追尾しており、救急車を呼んだのも彼である。

「すいません、警部。自分のミスです。自分が注意を怠ったばかりに、友部海斗は車にひかれてしまいました。なんとお詫びを申し上げたらいいか……」 

 榊原は狼狽し、取り乱していた。

「謝罪はいい。それより友部の容態はどうなんだ」 
「意識不明の重体です。死ぬかもしれません」
「今、病院か?」
「はい。京成会病院です」
「これから、すぐに行く」

 鎧塚は電話を切ると、所轄の若い刑事を連れ、車で京成会病院へと向かった。
 十五分ほどで到着し、榊原に案内されて館内へと入っていく。

「現在、救急処置室で治療中です」

 一階東隅にある救急処置室へと向かう。友部海斗は救命治療の真っ最中で、中へ入ることは許されなかった。

 ふと見ると、処置室前の休憩所で、奥平龍平と佳代子が身体を寄せ合い、心配そうな表情でベンチに座っている。海斗の事故を知り、急いで駆けつけたのだろう。ふたりは、こちらに向かって一礼してきた。鎧塚も頭を下げ返す。
 佳代子の顔は写真で確認しているが、実際に生で見るのは初めてだった。丸顔で色白、くりっとした目が特徴的で、高齢男性から好かれそうな愛らしさを備えている。

 三十分後、処置室から出てきた医師をつかまえ、話を聞いた。
 海斗は全身を強く打って意識不明の状態で運びこまれたが、現在は心拍数や血圧などの数値が落ち着きつつあり、回復の可能性は少なからずあるとのこと。この二、三時間がヤマだと告げられた。

 鎧塚は、「生きてくれ」と心の中で念じながら、捜査本部から連れてきた所轄の若い刑事に告げる。

「俺と榊原はこれから本部へ戻る。君は残って、友部海斗の容体を随時報告してくれ」
「分かりました」

 小松原こまつばらという名の若い刑事は、緊張した面持ちで返事をする。 

「これはたんなる事故ではなく、何者かに命を狙われた疑いが強い。友部が助かると分かれば、犯人は再び命を狙ってくるかもしれない。不審な人物が近づかないよう、万全の注意を払ってくれ」
「はい」

 小松原は、責任重大だという顔でうなずいた。
 鎧塚は、ベンチに座っている奥平と佳代子にチラリと視線を送ると、

「奥平夫妻からも目を離すな。友部海斗をはねたのは、あの二人かもしれない。だとしたら隙をついて息の根を止めにかかるはずだ。担当医には話をつけておくから、二人への監視を怠るな。すぐに援軍を送る。それまでひとりで友部海斗を守るんだ」
「分かりました」

 小松原刑事はこわばった顔でうなずいた。

 鎧塚は榊原とともに本部に戻ると、捜査員を二名、京成会病院に送り込み、榊原とともに小会議室に入った。彼の報告を聞こうというのである。

「事故の際の状況をくわしく話してくれ」
「はい」

 榊原の顔は蒼ざめ、ひきつっている。

「友部海斗は今日一日、慌ただしい動きを見せていました。昼過ぎに薬師丸豪志という、数日前に銀座の路上で殺された男の自宅を訪ね、その後、銀座の鏑木画廊へ向かっています。夜には八王子市長の自宅を訪問し、その帰り道に事故に遭いました」

 鎧塚がうなずく。

「市長邸から彼の家までは、徒歩二十分ほどの距離です。友部は途中、ファミレスに立ち寄り食事をしています。ファミレスを出たのが午後九時前で、そのまま帰宅すると考え、自分は少し気を抜いてしまいました。彼の五メートルほど後方を追尾していたのですが、突然、後方から紺のセダンが猛スピードで走ってきて、ブレーキも踏まずにそのまま友部に突っ込んでいったんです。私は思わず、危ない! と叫びましたが、時すでに遅く……」

 榊原は言葉を区切ると、自責の念に駆られたように唇をかんだ。

「すべては自分の責任です。申し訳ありません」
「君のせいじゃないさ」

 鎧塚は温和な表情でいった。榊原の説明を聞いて、確信が持てた。

「しかし……」
「僕が君に命じたのは、あくまで友部海斗の尾行であって、警護ではない。君はそれを忠実に実行したまでだ。責任はない。それどころか、君が思わず『危ない!』と叫んだことで、友部は一瞬、身構える猶予ができたはずだ。もし彼の命が助かることになれば、それは君のお手柄だよ」

 若い部下を励ますようにいった。
 実際、榊原の行動に非難されるべき点はない。少し気を抜いてしまったのは事実だろうが、たとえ気を張っていたとしても、事故を未然に防ぐことは難しかっただろう。

「ありがとうございます」
「礼を言われる筋合いはないよ」

 その時、鎧塚のスマホが鳴った。
 発信元を確認すると、友部海斗のひき逃げ事故の捜査に当たっている所轄の刑事からだ。
 新たな事実が判明したら、連絡するように命じてある。

「何か分かったか?」期待を込めて訊いた。
「友部海斗をはねた車が、現場から一キロほど離れた浅川沿いの空き地に乗り捨てられているのが発見されました」
「そうか」

 声が自然と高くなった。

「持ち主は分かりそうか?」
「ナンバーを照会したところ、盗難車でした」
「運転していた人間の面は割れそうか?」
「それが……現場近くのコンビニの防犯カメラを確認したのですが、黒の目出し帽をかぶっていて、顔はまったく分かりません。捜査範囲を広げてさらに調べたいと思います」
「頼んだよ」

 いって、電話を切った。

 犯人が殺意をもって友部海斗を襲ったことはもはや疑いがないと、鎧塚は確信した。

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