妻の失踪

琉莉派

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第二章 奥平家の秘密

第七話 雪乃の過去

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 二日後、榊原刑事と丸亀刑事が、友部雪乃に関する調査を終えて、鎧塚のもとに報告に訪れた。

「かなり詳細な事実が分かりました。夫の友部海斗に関しても調べてあります」 

 手には分厚いノートが握られている。彼らは五日間にわたって綿密な調査をおこなってきた。

「聞かせてもらおうか」

 鎧塚は椅子に腰を降ろした。徳大寺をはじめ、他の捜査員たちも次々に周囲に集まってくる。臨時の捜査会議が始まった。
 榊原が改まった態度で話し始める。

「まずは友部雪乃について報告します。彼女は、友部海斗と結婚する以前は、奥平龍平の養女として奥平姓を名乗っていたわけですが、養女になる以前の十九歳までは磯部雪乃として生きていました。警部は、磯部裕也という名前に心当たりはありませんか?」
「磯部裕也?」

 鎧塚が首をかしげる。

「どこかで聞いた名だな」
「あれじゃないですか。マンションの耐震偽装の……ほら、椎葉しいば事件」

 徳大寺が助け舟を出すようにいった。

「ああ」鎧塚が思い出してうなずく。「あの磯部裕也かい」

 それは今から二十二年前のこと。一級建築士の椎葉尚哉しいばなおやが、複数のマンションの構造計算書を偽造していた事実が発覚し、世間を揺るがす一大スキャンダルに発展した事件だ。椎葉が設計したマンションの一つが、震度五強の地震で半壊する事態を起こし、芋づる式に数十というマンションの耐震偽装が発覚した。

 建築主である不動産会社社長の磯部裕也が、耐震偽装を指示した黒幕と判明した。司法の手が伸びることを察知した磯部は、会社を計画倒産させ、資産を密かに隠蔽するべく動いていた。

 そんな中、磯部邸に三人組の強盗が押し入ったのだ。
 磯部裕也は殺害され、金庫の中の金の延べ棒と、地下室に隠してあった絵画や骨董・宝石類がすべて盗まれた。被害総額は、磯部が死んでしまったため正確なところは誰にも分からない。磯部が資産を美術品や金の延べ棒に変え、いずこかへ持ち運ぼうとしていた矢先に起きた事件だったことから、内部事情に明るい者の犯行が疑われた。

 そのかん、磯部と行動をともにしていた幹部社員三名が容疑線上に浮かんだ。彼らは磯部が資産を密かに別の場所へ移そうとしていた事実を知っており、それに協力していたのだ。

 磯部の一人娘である雪乃は、当時三歳にも満たなかったが、たまたま犯人の一人の顔を目撃したため、三名の幹部社員の面通しが行なわれた。彼女は三人の中に自分が目撃した人物はいないと証言した。

 しかしこれは、幹部社員三名が無実であることを必ずしも意味しない。事件直後に磯部の妻・陽子が警察に語ったところによると、強殺犯にはリーダー格の男がおり、他の二名に対して高圧的な態度で命令を下していたという。その男は変声機で声を変え、体型も肉襦袢で偽装していたとのこと。

 幹部社員三名のうちのいずれかが主犯で、その者が共犯者を雇って磯部邸に押し入ったと考えれば筋はとおる。共犯者のひとりが雪乃に顔を目撃されたのである。

 警察は、雪乃の記憶に基づいて犯人の似顔絵を作成した。しかしこれは公開捜査での正式採用は見送られた。なにせ三歳にも満たない幼児の記憶であり、信憑性に欠けると判断されたのだ。
 それでも現場の刑事たちは、実際の聞き込みにあたってはその似顔絵を懐に忍ばせ、捜査に当たっていたという。

「埼玉県警で当時の似顔絵を見せてもらいましたが、痩せぎすの大人しそうな顔立ちの男性でした」
「結局、その男は発見できなかったのだな?」
「はい。似顔絵があまり似ていなかったのでしょう。なにせ、三歳児の証言を元に作られたものですから」
「うむ。話をつづけてくれ」
「はい」

 と、榊原はノートに視線を戻す。

「磯部邸に三人組の強盗が押し入ってから四ヶ月後、今度は磯部裕也の妻で、雪乃の母親である磯部陽子が、交通事故に遭い、命を落としています」
「それはどういう事故なんだい」鎧塚がきいた。
「磯部陽子が娘の雪乃を連れて、自宅近くの市道を手を繋いで歩いていたところ、後ろから猛スピードで走ってきた白い乗用車にはねられたのです。幸い、雪乃は当たり所が良かったのか軽症で済みましたが、陽子は車の下敷きになり即死だったそうです」
「犯人は捕まったのか?」 
「いいえ。車両は盗難車で、運転していた人物は結局分からずじまいでした」
「強盗事件との関連は?」
「埼玉県警としては、事件から四ヶ月も経過していますし、強殺犯たちが今さら母親の陽子を轢き殺す理由がないとの理由で、無関係と判断したようです」
「しかし、殺害しなければならない何らかの事情があとから生じたとも考えられるぞ」
「はい。自分もそう思いました。しかし、埼玉県警で口にすることははばかられ、それ以上、突っ込んで聞くことはできませんでした」
「はは。そりゃそうだな」

 徳大寺がおかしそうに笑った。へたに詮索すれば県警の誤認捜査を暴き立てることになりかねない。たとえ不審な点があっても他県の捜査に口出ししないのが警察組織の不文律である。

「いずれにせよ、雪乃はわずか四ヶ月の間に両親を立て続けに失ったことになるな」

 鎧塚が考え込むようにいった。

「両親を失った三歳の雪乃は、友部海斗と同じ佐伯市内の児童養護施設に入り、そこで高校卒業まで暮らします。十八歳の時に東京へ出て、六本木の高級ラウンジで働き始め、奥平龍平と出会って、彼の養女になり、友部海斗と結婚して今に至る。現在分かっている彼女の軌跡はそこまでです」

 榊原は、話し終えて一礼した。

「ご苦労さん。……友部海斗についても調べたと言っていたな」
「それは私のほうから」

 丸亀刑事が一歩前へ進み出る。八王子署一の切れ者と称される、叩き上げの刑事である。

「友部海斗は妻の雪乃と同じく、幼少期に両親を亡くしております。父親の友部康利ともべやすとしと母親の晶子あきこが、海斗が三歳の時、彼の目の前で車に轢かれて亡くなっているのです。友部海斗は、両親が血だらけになって悶え苦しみながら死んでいくさまを目の前で目撃しています。彼はそのショックから、一年ほど口がきけなくなったそうです」
「雪乃のケースとそっくりだな。ともに親を目の前で轢き殺され、三歳の幼児だけが生き残っている」

 鎧塚はふと、二日前に吉田朋美からきいた言葉を思い出した。

「で、事故を起こした犯人はどうなったんだ?」
「こちらは逮捕されています。二十歳の大学生で、仲間四人と徹夜でドライブをしていて朝方に事故を起こしたものです」
「なんだ……逮捕されているのか。しかも大学生か……」

 少しがっかりした気持ちでいった。鎧塚は二つの事故死の関連性を脳裏で思い描いていたのだ。

「実は、保険の外交員から通報があって、友部雪乃が夫の海斗に三億円もの保険金を残している事実が分かった。それも彼女が失踪する八日前に本契約が成立している」
「本当ですか」

 榊原が目を大きくした。

「その際、雪乃はその保険外交員に対して、こう発言しているんだ」

 鎧塚はメモ帳に視線を落とす。書き記した文字をゆっくりと正確に読み上げる。

「『私と海斗は、まるで魂の双子のように境遇が似通っていると思っていたけど、またひとつ、信じられないような共通項が見つかった。それも運命を呪いたくなる共通項なの』」
「意味深ですね」と榊原。
「今の丸亀君の報告を聞いて、ふと考えてみたんだよ。ひょっとして彼女が新たに発見した共通項とは、ふたつの交通事故死に関することではないかとね」
「なるほど」 

 徳大寺が顎を突き出すようにしていった。

「ふたりの両親の死が、何らかの意図をもって行われた同一犯による犯罪であり、その事実を雪乃が最近になって知ったと仮定したら、『信じられないような、運命を呪いたくなる共通項』という文言と合致すると思ったんだ」
「確かにそうですね」
「だが、いっぽうが大学生による単なる不注意運転事故だとしたら、僕の見立ては崩れることになる」
「ええ」

 鎧塚は自らの推理に未練を残すように黙考していたが、ふと顔を上げると、

「話の腰を折って悪かった。つづけてくれ」

 と丸亀に先を促す。

「はい」

 丸亀は手帳のページをめくって、報告を再開する。

「友部海斗は両親の死後、雪乃と同じ養護施設に入り、中学卒業までそこで暮らしています。高校時代に雪乃と恋愛関係になりますが、卒業と同時に別れ、その後、片山桜織という一つ年下の女性と付き合っています。かなり真剣な交際だったようで、彼としては結婚まで考えていたようです。しかし、桜織の父親から猛反対に遭います」
「それで別れたのか?」
「そのようです。彼は突然、桜織の前から姿を消しました。桜織は失意から精神が錯乱し、約一年間、精神病院に入院しています」
「かわいそうにな」

 鎧塚は同情するように言った。

「時を同じくして、海斗は雪乃と結婚します。桜織との別離から間もない挙式だったようで、友人たちから疑惑の目を向けられることになります。そもそも彼は、桜織の父親から反対されて彼女と別れたのではなく、交際中に雪乃と再会し、やけぼっくいに火がついて、桜織を捨てたのではないか。少なくとも友人らはそう考え、いまだに友部海斗のことを許していません。地元じゃ、総スカンですよ」
「真相はどっちなんだい?」
「分かりません」
「それによって友部海斗の人物像が変わってくるぞ」
「ええ」

 丸亀はうなずくと、改まった様子で口を開く。

「実はここに一つ、彼と雪乃の間に、重大な因縁があることが分かっています。先ほど警部がおっしゃった、『信じられないような、運命を呪いたくなる共通項』という表現とも、ぴったり一致する内容です」
「なんだい」

 鎧塚は興味を惹かれて、身を乗り出す。

「二十二年前の磯部裕也邸への押し込み強盗の容疑者として、磯部の側近三名が捜査線上にあがっていたことはすでにお伝えしましたよね」
「ああ」
「具体的な名前を挙げますと、一人は磯部の会社で経理を担当していた正岡茂雄まさおかしげおという人物。もう一人は秘書をつとめていた田中健たなかけん。そして最後の一人が、専務取締役だった片山貴俊です。片山は現在、埼玉を中心に手広く不動産業を営んでいますが、実はこの男、友部海斗が交際していた片山桜織の父親なんです」
「なんだと」

 鎧塚は思わず甲高い声を発した。

「つまり友部海斗は、雪乃の父親を殺したかもしれない容疑者の娘と交際していたことになるな」
「はい」
「たんなる偶然とは思えませんね」榊原がいった。
「うむ……」鎧塚は目線を落として思索する。
「こうは考えられませんか」

 徳大寺がひらめいた様子で言葉を発した。

「友部雪乃は、片山貴俊が強殺犯グループの主犯であることに気付いたんですよ。それをもって、『海斗との間の信じられないような共通項』と表現したんです。そして彼女は独自に片山を調査するうちに、彼に勘づかれ、殺されてしまった」

 ありえない話ではないだろう。

「しかし……」

 と一方で疑問も覚える。

「その場合、『共通項』という単語を使うだろうか」
「と、いいますと?」
「雪乃は、『海斗との間の信じられないような、運命を呪いたくなる共通項』と言っているんだ」
「ええ」
「共通項というからには、海斗と同じ体験や境遇がなければならないと思うんだ。たとえば、ともに三歳の時に両親を失ったとか、同じ養護施設で育ったとか、そういう類いのものだ。自分の父親を殺した犯人が、海斗の元恋人の父親だったというだけでは、信じられないような『状況』ではあっても、『共通項』というワードは出てこないんじゃないかな。言葉尻にこだわって、申し訳ないんだが……」
「いえ、分かります。警部のおっしゃりたいことは」

 徳大寺が理解を示すようにいった。

「それはやはり、例の交通事故死の件ではないでしょうか?」

 丸亀刑事が横から控えめに言葉を発した。

「うん?」

 鎧塚が視線を向ける。

「先ほど申し上げたふたつの事故は、埼玉県佐伯市のわずか三百メートルほどしか離れていない場所で、立て続けに発生しています。雪乃の母親の事故死が二〇〇二年十二月五日。海斗の両親の事故死はその一週間後の十二月十二日です。海斗の両親の場合、東京の大学生による交通事故死とされていますが、実際には別の背景があるのかもしれません。雪乃は、隠された真相を知ってしまった」
「であれば、『信じられないような、運命を呪いたくなる』という表現が、ぴったり当てはまるね」
「しかもその犯人が、磯部裕也邸を襲った強殺犯一味だとしたら、徳大寺さんの推理とも整合性が取れると思うんです」
「なるほどな」

 鎧塚は同意するようにいって、丸亀に問いかける。

「その場合、犯人の動機は何だと思う? なぜ強殺犯一味は、磯部陽子と海斗の両親を殺さなければならなかったんだろう?」

 彼のスジ読みを聞いてみたかった。

「磯部陽子の場合は、口封じでしょう。事故当時、娘の雪乃と手を繋いで市道を歩いていたとのことですから、犯人は、陽子というよりもむしろ、目撃者である雪乃の口を封じたかったのだと思います。しかし雪乃は運よく軽症で済み、陽子だけが命を落とす結果となってしまった」
「なるほど」

 丸亀の推理には一定の合理性があると感じた。

「では、友部海斗の両親が殺された理由は何だと思う?」
「おそらくですが……」

 一旦言葉を区切ったあとで、

「仲間割れではないかと考えられます」
「仲間割れ?」
「はい」
「つまり、友部康利は強殺犯の一員だったと……?」
「そう考えれば、すべての辻褄が合う気がするのです」
「金の分け前で揉めるなりして、粛清された。そういう見立てかい?」
「いいえ、そうではありません。友部康利は、犯行当日、三歳の雪乃に顔をみられるヘマをしてしまったのです。そのために粛清されたのだと思います」
「……ほう」

 鎧塚は丸亀の思い切ったスジ読みに感心したように上体をそらし、椅子の背にもたれかかった。

「考えてみてください。主犯格の男は犯行後、いつ逮捕されるかとビクビクしていたはずです。仲間のひとりが雪乃に顔を見られたわけですから。警察が似顔絵を作って聞きこみに当たっていることも耳に入っていたでしょう。このままでは、芋づる式に自分にまで捜査の手が及ぶかもしれない」
「だから殺したと?」
「そうです。雪乃に顔を見られた友部康利と、目撃者である雪乃を、交通事故にみせかけて始末しようと考えたのです。彼らさえいなくなれば、自らは安全圏に身を置くことができますからね。ところが雪乃が最近になって、その事実を知ってしまったんですよ。たまたま康利の古い写真か何かを見る機会があって、自分が目撃した犯人が、海斗の父親だと気付いてしまった――。だから彼女は海斗に何も語らず、ひとりで真相解明の調査をしていたのです。その結果、主犯格の男の正体を探り当てたことで、不幸にも殺害されてしまった」

 なかなか鋭いスジ読みだと思った。
 ひとつの推論としては充分成り立ちうる。さすがは八王子署を代表するエース捜査官だ。

 問題は、友部海斗の両親の死が、大学生による単なる不注意事故として処理されている点だ。これをくつがえさない限り、丸亀の推理は絵に描いた餅である。

 いずれにせよ、二十二年前の強殺事件が今回の雪乃の死に関係している可能性はかなり高まったといえるだろう。

 鎧塚が言葉を発する。

「当時、容疑者とみなされた磯部の側近三名のうち、片山貴俊以外の二人の近況は分かっているのかい?」
「はい」

 丸亀は、抜かりはありませんという顔で答えると、手帳をった。

「経理の正岡茂雄ですが、現在六十四歳で、東村山市にある後藤商事という会社で働いています。当時と同じ経理の仕事です。秘書を務めていた田中健は、現在五十三歳になっているはずですが、こちらの消息は掴めておりません」
「至急、調べてくれ。丸亀君のスジ読みが正しければ、かつて磯部邸に押し入った強殺犯一味が、今回、友部雪乃によってその正体を暴かれそうになり、口封じのために殺害したという見立てになる。犯人は三人組だ。そいつらの正体を突きとめたい」
「はい」

 捜査員らは引き締まった顔で返事をした。

 鎧塚はすっくと立ち上がると、全員を見渡して号令を発する。

「これより捜査班を大きく三つに再編する。――一つは、二十二年前の磯部裕也邸強盗殺人事件との関連を捜査するチーム。これは埼玉県警との連携が不可欠となる。片山貴俊をはじめとする、当時容疑者と目された側近三名の捜査に当たってくれ。
 もう一つのチームは、友部海斗とその両親について調べてほしい。亡くなった彼の両親……特に父親の康利が強殺犯の一員である可能性を調べるのだ。磯部裕也との接点はなかったか。片山貴俊との関係はどうだったのか。また、両親の死の原因は本当に大学生らによる交通事故だったのか。
 最後の一班は従来通り、蒲谷佳代子と奥平龍平に焦点を絞った捜査をつづける。二十二年前の強殺事件との関連は、現時点ではあくまで推測の域を出ない。痴情のもつれによる犯行の線は依然として捨てがたい。特に蒲谷佳代子に関しては、雪乃に対し強い殺害動機が存在した。彼女が第一容疑者である状況はいまだ変わらない。……では、チーム分けに取りかかろう」

 


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