妻の失踪

琉莉派

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第一章 結婚と殺人

第七話 隠蔽

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 海斗は二階の書斎のドアをノックした。
 奥平龍平の許可を得たうえで、雪乃を廊下へと連れ出す。寝室に招き入れ、凌馬から聞いた話を手短かに説明した。
 雪乃は聞き終わると、目を閉じ、深い嘆息をもらした。

「よりによって、こんな時に」顔に困惑の表情が浮かんでいる。
「凌馬が自首するって言ってるんだ。これから一緒に警察署へ行こうと思う」
「今、凌馬君は?」
「居間にいる」

 二人は一階の居間に移動した。
 凌馬は生気の失せた顔でソファの中央に座り、宙の一点をうつろな瞳で見つめていた。

「海斗から話は聞きました。私にももう一度、何があったか教えてくれる?」
「はい」

 凌馬はうなずいて、再度、説明した。海斗が聞いた内容とほとんど相違はなかった。
 聞き終わった雪乃は、しばらく考えこんでいたが、

「二、三、教えてほしいんだけど」

 と、おもむろに口を開いた。

「凌馬君と桜織さんが付き合っていることは、誰と誰が知っているの?」
「たぶん、誰も知らないと思う。俺も彼女も、人には言っていない。一年半前の件があるから、色眼鏡で見られるのを嫌ったんだ。兄貴にも今日まで黙っていたくらいだよ。おそらく彼女の両親も知らないと思う」
「二人は同棲していたわけじゃないのね」
「違う。彼女は親の金で大通り沿いにマンションを借りて住んでいた。でも、そこへは俺を絶対に入れてくれなかった。いつも、汚い俺の部屋でセックスをしていた」

 言って、ちらりと海斗を見る。
 海斗は受け流した。

「凌馬君のアパートに防犯カメラはついてる?」
「防犯カメラ? そんなもの、ないと思うよ。築四十年のボロアパートだ。周りは田んぼや畑しかない」
「彼女は今日、車で凌馬君のアパートへ来たの?」
「ううん、歩きだよ。どうして?」
「……」
「どうして、そんなことを訊くんだい?」

 凌馬が怪訝そうに問う。
 海斗も不安になって、

「雪乃。いったい、何を考えているんだ」
「ようするに、こういうことよね。凌馬君と桜織さんが男女の関係にあったことは誰も知らない。今日、桜織さんが凌馬君の部屋へ来たことも誰ひとり気付いていない」
「近所の人が見ているかもしれないよ」凌馬がいった。
「見ていたとしても、すれ違いざまにチラッと目にしたくらいでしょ。彼女が誰かもわからない」
「それはそうかもしれないけど、でも……」
「もし桜織さんが、今日を境に行方をくらませたとしても、誰も彼女と凌馬君を結びつけて考える人間はいない」
「それは危険すぎるよ」

 海斗が、慌てて言葉を発する。

「ようするに雪乃は、桜織の死体をどこかに隠して、失踪に見せかけようと思っているんだろう。馬鹿な考えはやめたほうがいい。無謀すぎる」
「そうかしら。凌馬君が自首する方が、私たちにとってはよっぽど危険だと思うわ」
「どうして?」
「二ヶ月後に市議会議員選挙を控えているのよ」
「それは、そうだけど……」
「考えてもみて。マスコミがこの事件をどう報じると思う? 彼らは桜織さんの過去を徹底的に調べ上げるわ。そうしたら海斗とのかつての恋愛関係も明るみに出る。そうなれば、あなたはマスコミの恰好の餌食よ。お金のために最愛の恋人を捨てた冷酷無比な男としてね。私はさしずめ、お金の力で海斗を奪い取った悪女って役回りね。凌馬君を挟んだ兄弟間の三角関係も、おどろおどろしいストーリーに仕立て上げられる。そうなれば、次の市議選どころか、永久に政治の世界に足を踏み入れることは出来なくなる。これまでの計画がすべて水の泡じゃないの」
「……」

 確かに雪乃の言う通りなのだろう。この件が表沙汰になれば、海斗の人生は間違いなく暗転を余儀なくされる。

 いったい、何度目だろう――と、海斗は絶望的な気持ちで考えた。

 三歳の時の両親の死。つづく二十一歳でのサッカー界からの引退。二十三歳の片山桜織との別れも、彼の心に大きな傷跡を残した。
 絶望から懸命に努力して這い上がり、未来に希望の光を見出したと思ったとたん、必ず不可抗力によって奈落の底へ叩き落とされる。つくづく、呪われた人生だと嘆かずにはいられない。

「奥平家だって大変なことになるわ。父は激高するでしょうし、私も海斗もこの家から叩き出されるかもしれない。そうなれば、何もかも失ってしまうのよ」
「だけど……警察相手に俺たちの偽装工作が通用するとはとても思えない」
「海斗は何もしなくていいの。ここにいて、アリバイを完璧にしておいて。あとは私と凌馬君でやるから」
「お、俺?」

 凌馬が自分の顔を指差して、素っ頓狂な声を発した。

「殺人犯として逮捕されたくなければ、私の指示に従って。ここまでは車で来た?」
「……え、ええ」
「じゃあ一時間半もあれば現場に着くわね。遺体の処理については、向こうに行ってから考えましょう。今、あれこれ議論しても仕方がない。行動あるのみ。すぐに出発するわよ」

 有無を言わせぬ雪乃の迫力に、海斗と凌馬はずるずると彼女のペースに巻き込まれていった。
 たしかに彼女の言う通り、素直に自首してもマスコミから袋叩きにされSNSで人格否定の壮絶なバッシングを浴びる暗黒の未来しか見通せない。
 もしも桜織の死をなかったことに出来るのなら、それにまさる方法はないのかもしれない。
 自信に満ちた雪乃の表情を見つめながら、海斗はぼんやりと考えていた。 

「じゃあ、行くわよ、凌馬君」

 ふたりは時間差で家を出た。まず凌馬が先に出て、車をひと気のない空き地に移動させ、十分後に雪乃と合流する手筈である。
 雪乃の指示で、奥平家の防犯カメラの電源を切ることも忘れなかった。故障に見せかけて過去二時間分のデータを廃棄し、凌馬が出入りした痕跡を消し去った。

 雪乃の指示は的確で、隙がなかった。
 海斗はこの時点で、もはや全てを雪乃に託すより他に方法はない、と腹をくくっていた。何事も完璧にこなす彼女のことだ。きっと、うまくやり遂げてくれるに違いない。そこに賭けるしかなかった。

「海斗君」

 突然、背後から声をかけられ、ぎくりとして振り返った。奥平龍平が立っている。

「雪乃を知らないか。書斎に戻ってこないんだ」
「あ、あの、じ、実は……彼女はたった今、外出しました」あわあわしながら答えた。
「出ていった?」
 
 不審げな表情で、海斗を見つめる。

「こんな夜中にか?」
「……はい」
「理由は?」
「さあ……。何か大事な用事が出来たとかで、私にも内容を教えてくれませんでした。お義父さんには、明日、改めて話をさせてほしいと、あの、そう伝えてほしいと……言っておりました」
「ふむ」

 義父はどこか納得のいかない顔つきで、首をかしげながら自室へと引き上げていった。
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