妻の失踪

琉莉派

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第二章 奥平家の秘密

第一話 遺体

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 翌年の三月二十五日。
 東京都八王子市の山中で、土の中に埋められていた女性の遺体が発見された。

 三日間降り続いた大雨の影響で土砂が崩れ、隠されたものが露わになったのだ。

 遺体は、冬の低温と、通気に乏しい湿潤な土の中という特殊な条件下にあったことから、屍蝋化しろうかの初期状態にあった。屍蝋化とは、ミイラと同じ永久死体の一形態で、ミイラは乾燥によって生じるが、屍蝋化は水中や湿潤な土中など、水分が豊富で空気の流通が遮断された環境下で発生する。
 腐敗が進まず、体内の脂肪が脂肪酸となってカルシウムやマグネシウムと結合することで、蝋状ろうじょうあるいはチーズ状に変化する。

 発見された遺体は、黄褐色のチーズ状を呈していた。黄色い蝋人形を想像したら分かりやすいかもしれない。顔は生前とは多少異なるものの、ミイラと同様に生きていた時の面影を残している。服装や装飾品から判断して、捜索願が出されている八王子市在住の二十五歳女性であろうと警察は判断し、すぐに家族に連絡がとられた。

 二時間後、捜索願を出した父親がやってきた。
 東京西部や神奈川を中心にディスカウントショップを手広く展開する六十五歳の実業家で、名を奥平龍平という。地域の名士であり、所轄署員でその名を知らぬ者はいない。

 奥平龍平は、八王子署地下の霊安室で娘の遺体と対面した。屍蝋化した遺体をしばらく茫然と眺めていたが、

「娘さんの遺体で、間違いありませんか?」

 担当署員の問いかけに対し、微かな声で、はい、と小さくうなずいた。

「娘がいなくなった時の服装と同じですし、身に着けている時計とイヤリングも彼女のものに間違いありません。顔にも面影がありますし、何より歯が、遺体が娘であることを示しています」
「歯……ですか?」
「真っ白い、美しい歯が自慢でした。娘に間違いありません」

 奥平龍平は落ち着いた声でいった。取り乱した様子は見られない。どこかで最悪の事態を覚悟していたのだろう。失踪からすでに四ヶ月が経過している。

「娘は、何者かに殺害されたという理解でよろしいのでしょうか」

 奥平の問いに、担当署員がちらりと背後を振り返る。
 中年の刑事が、ゆっくりと前に進み出た。
 警視庁捜査一課の鎧塚よろいづか警部である。

 鎧塚が口を開く。

「腹部や胸部に複数の刺し傷が見られます。肋骨も折れていることから、何者かに殺害されたと見て間違いないでしょう。死亡日時など詳しいことは、司法解剖の結果を待たねばなりませんが……」

 鎧塚はいったん言葉を区切ると、話題を変えるように、

「ところで、今日はお嬢さまのご主人はいらっしゃらないのですか?」

 言って、遺体の左手薬指にはめられた高価そうな結婚指輪に視線をおとす。

「現在、海外視察研修中で、台湾のほうへ行っています。遺体が娘だと確定すれば、予定を切り上げて帰国する手筈になっています」
「そうですか」

 被害者の夫は、八王子市議会議員の友部海斗である。二ヶ月前の選挙で、二十五歳の若さで初当選を果たしている。
 鎧塚警部は、奥平龍平を別室にしょうじ入れた。

「こんな時に申し訳ありませんが、二、三、確認させていただきたい事項があります」

 他に三名の刑事が同席した。

「構いません。どうぞ」

 奥平龍平は落ち着いている。

「お嬢様が姿を消されたのは、昨年の十一月二十六日で間違いありませんか」
「はい。二十七日に捜索願を出しました」
「当時の調書によると、二十六日の夜十一時半すぎにお嬢様は急に用事ができたといって、ひとりで外出されていますね」
「娘婿から、そのように聞いています。私は別室にいたので、実際に娘が出ていく姿は見ておりません」
「その後、お父様とご主人は、ずっと家におられたのですか?」
「ええ、おりました。私も娘婿もそれぞれの部屋に入って就寝しました。朝になって、まだ娘が戻ってきていないことが分かり、大変心配しました。それでもその日は、仕事に出ました。午後になっても娘から連絡がなく、彼女の携帯にかけても一向に繋がりません。夕方、先に帰宅した娘婿からまだ戻っていないと聞かされ、二人で相談して捜索願を提出することにしたのです」
「なるほど。分かりました」

 鎧塚は礼をいって奥平を帰すと、三名の刑事とともに二階の会議室に移動した。

「奥平氏はやけに落ち着いていましたね。娘が無残な殺され方をしたっていうのに、取り乱すこともなく、涙ひとつ流さなかった」

 榊原さかきばら刑事が不思議そうに首をひねりながら言った。本庁捜査一課の二十六歳の巡査部長である。

「確かに、達観した顔をしていたな」

 五十四歳の徳大寺とくだいじ刑事が同調した。四十七歳の鎧塚警部より七歳年上の、同じく本庁一課所属のベテラン刑事だ。

「それは、おそらく血が繋がっていないからではないでしょうか」

 そう発言したのは、八王子署所属の刑事で三十七歳の丸亀まるがめである。所轄署員だけに地域の事情に明るい。

「なんだ、マル害は実子じゃないのか」鎧塚警部が意外そうに口にした。
「たしか、マル害の雪乃が十八か十九の頃に、奥平龍平の養女になっています」
「ほう」

 鎧塚は目を輝かせて興味を示す。

「成人近くなってからの養子縁組かい。そいつは珍しいな」
「ええ。ですから当時は、よからぬ噂が流れたものです」
「だろうな」鎧塚は意味ありげにうなずく。
「そのころ、奥平の妻は寝たきりのうえに末期癌を患い、ずっと入院生活を送っていました。雪乃が養女になった一年後に亡くなっています。その間、奥平と雪乃は二人きりで生活していたことになります」
「年寄りの金持ちが、愛人を養女という名目で手元に置くのは良く聞く話だ」
「ですから、奥平の場合もそんなところだろうと噂されていたのです。ところが二年前、雪乃が突然、別の男と結婚したので、みんな驚いたわけです」
「市議会議員の旦那だな」
「はい」
「ということは、奥平龍平と雪乃の間には、男女関係はなかったことになりますね」

 若い榊原刑事がいった。

「いや、そうとも限らんぞ」

 鎧塚は胸の前で腕を組む。

「養女にした時点では恋愛関係が存在したが、途中で破綻したのかもしれん。奥平には現在、恋の相手はいるのかい?」
「公然たる恋人がいますよ。名前を蒲谷かまやつ佳代子かよこといい、公の席にも同伴して、事実上の夫婦関係にあります。現在は奥平家で同棲しているはずです。すでに入籍を済ませているかもしれません」
「つまり、こういうことだな」

 ベテランの徳大寺刑事が話を引き取ってつづける。

「奥平龍平と雪乃は、養子縁組という名の事実上の結婚をしたものの関係が破綻し、その後、それぞれが別のパートナーを得た」
「しかし、そんなことが現実にありえますかねえ」

 榊原がとても理解ができないという顔で、首をかしげる。

「お前はまだ若いから知らないんだ。金持ちの世界ってのはな、我々庶民が思いもよらないようなおぞましい出来事が、日夜、繰り広げられているんだ。いわゆる酒池肉林てやつさ」

 徳大寺は新米刑事をからかうようにいった。
 所轄署員の丸亀が口を開く。

「もしも仮に徳大寺さんの見立てどおりだとしたら、雪乃は相当まずい立場に立たされていたことになりませんか」
「というと?」
「奥平は、恋の相手を雪乃から蒲谷佳代子に乗り換えたわけですよね。となると、雪乃はいつ養子縁組を解消されてもおかしくない状況にあった。もし離縁されれば、相続人としての法的権利を失い、遺産は一銭も入ってこない。もともと血縁関係はないわけですから、相当、怯えていたはずです」
「なるほどな」

 徳大寺がうなずく。

「そのへんの人間関係が、今度のヤマの背景にあるのかもしれないな」鎧塚がいった。

 恋愛関係のもつれと遺産相続のトラブルは、もっともポピュラーな殺人事件の動機と相場は決まっている。奥平家には、その両方が揃っていることになる。

「徳さんは、奥平家の家族関係を洗ってくれ」

 鎧塚が指示を出した。

「分かりました」
「榊原と丸亀君は、マル害の過去を洗ってくれ。奥平と知り合う前、友部雪乃がどんな人生を歩んできたのか。詳細なプロフィールを作るんだ」
「はい」


 翌日、八王子署内に特別捜査本部が立ちあがり、本格的な捜査が始まった。

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