妻の失踪

琉莉派

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第一章 結婚と殺人

第四話 不肖の弟

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 十日が経った。

 パーティーでの騒動は、頭のおかしな女性が勝手に会場に入り込んで騒ぎを起こした、という体裁にして、大事に至ることなく収拾することができた。専務と常務が、うまく事後処理をしてくれたおかげだ。

 海斗は、義父にすべての事情を説明し、謝罪して了承を得た。妻は何も言わなかった。

 しかし翌日から海斗は、皿洗いやトイレ・風呂掃除を率先して行なうようになった。義父がせっかく用意してくれたお披露目パーティーに泥を塗ってしまった責任を痛感していた。

 この日、海斗は久しぶりに埼玉県佐伯市の実家に帰った。母から相談があると連絡を受けたからだ。海斗の住む八王子市からは車で一時間半ほどの距離にある。茶畑や田園風景が広がる、のどかな田舎町である。

「お帰り。待ってたよ」

 玄関で、母が迎えてくれた。居間に入ると、父が昼間からビールを飲みながら、BSのサスペンスドラマを見ていた。

「これ、雪乃から」

 父には高級ウィスキーを、母には高島屋の商品券を渡した。

「いつも済まないねえ」

 母が押しいただくようにしていった。
 父はテレビを消して、海斗に向き合う。

「市議選に出るんだってな」
「うん。龍平りゅうへいさんの命令で」
「二十五で市議か。てことは……三十代で都議。四十代で国会議員。末は大臣ってとこだな」
「よしてよ」
「凄いよね、海斗は。何をやってもうまくいくんだから」母が感心したようにいう。
「怪我でサッカーを断念した時にはどうなるかと思ったがな」
「すべては雪乃ちゃんのお陰ですよ」
「そうだな。感謝しないとバチが当たるぞ、海斗」
「雪乃にも毎日言われてる。私があんたを拾ってやったんだぞって」

 海斗は肩をすくめる。

「彼女とは赤い糸で結ばれていたのよ。高校生の時から感じていたわ。二人はぜったい、将来一緒になる運命だって」
「境遇が同じだからな」父がしみじみいった。「喜びも悲しみも、分かち合えるんだろう」
「……」

 海斗はうつむいて苦笑する。

「とにかく海斗が立派になってくれてお母さん、嬉しいわ。天国の晶子あきこさんもきっと喜んでいるに違いない。ねえ、あなた」
「そうだな」父が感慨深げにうなずいた。「妹に今の海斗の姿を見せてやりたかった」
「それにひきかえ、凌馬りょうまときたら……。まったく、もう、どうしようもないわ」

 母はため息まじりの声で嘆くようにいった。顔は苦渋に染まっている。
 凌馬は、海斗にとって五歳年下の弟にあたる。高校を中退し、現在は実家を出て佐伯市内のアパートで一人暮らしをしている。

 母からの相談とは、凌馬のことだった。

「あいつ、まだ悪い連中と付き合ってるの?」
「二十歳にもなって、不良みたいな真似をつづけてるよ。まったく、どうしようもない。なんであんな風になっちまったんだか」
「……」

 海斗は胸がチクリと痛むのを感じた。凌馬がひねくれてしまったのは、海斗にも一因があるからだ。

「海斗からきつく言ってやっておくれよ。このままだと、あの子はろくな人生を送らないよ。それどころか何か問題を起こしてお前に迷惑をかけるんじゃないかと、気が気じゃないんだ。政治家になるんなら、身内の不祥事は命取りだろ。あんな弟を持っていたら、大変なことになってしまうよ」

 凌馬は午後四時すぎにやってきた。

 久しぶりに家族四人で食卓を囲んだ。四人暮らしが始まったのは、海斗が高校生になったばかりの時だ。将来のプロ入りが期待される海斗の栄養面や生育環境を考え、ユースチーム側と伯父夫婦が話し合って決めたものだ。

 突然現れた五歳年長の兄に、当時十歳だった凌馬はさぞ戸惑ったことだろう。
 それまで伯父と伯母だった二人は、「今日から私たちをお父さん、お母さん、と呼ぶように」と海斗にいった。「私たちも今日からお前を本当の息子として育てるから」

 最初のうち、海斗はそのいいつけに抵抗した。実の両親以外を、お父さん、お母さん、などと呼びたくなかったし、何より実の親を奪われたと感じているであろう凌馬へのうしろめたさがあった。その頃、海斗はユースチームのスター選手で、周囲から常にちやほやされていた。

 食事の後、海斗は昔の自分の部屋に凌馬を招き入れた。二人だけで話がある、といって。

「珍しいな、兄貴が俺と話したがるなんて」

 凌馬は警戒するようにいって、椅子に腰をおろした。

「どうせ、ろくな話じゃないんだろ」

 海斗はベッドの端に座ると、おもむろに切り出す。

「母さんから聞いたんだが……警察沙汰を起こしたそうじゃないか」

 先週、凌馬は友人三人と居酒屋で酒を飲んでいたところ、態度の悪い店員に腹を立て、四人がかりでボコボコにしてしまったという。警察に連行され、取り調べを受けた。

「ああ、そのことか」顎を突き出すようにして笑った。「あの件ならすでに解決したよ。相手とは示談が成立してる」
「他にもたびたび喧嘩沙汰を繰り返していると聞いたぞ」
「おしゃべりだな、母さんは」と眉をひそめる。
「お前のことを心配しているんだ」
「俺のことじゃない。兄さんのことさ」
「うん?」

 と、首をかしげる。

「母さんに言われたよ。今、俺が問題を起こしたら、兄さんに迷惑がかかるって。選挙を控えた大事な時期なんだから、絶対に警察沙汰を起こしてはいけないって。……そういや、兄さんがユースチームのスター選手だった頃も、よく同じことを言われたっけ」

 凌馬の顔にふっと寂寥せきりょうが浮かんだ。

「母さんは、お前のことを心配して言ってるんだ」

 海斗は声に力を込める。

「実の息子じゃないか」
「ふん」

 凌馬はポケットから煙草を取り出し、火をつけた。

「まだ暴走族仲間とつるんでるのか?」
「みんな、足を洗ったよ」

 けだるそうに返して、口から紫煙しえんを吐き出す。

「でも、付き合っているんだな」
「いいじゃないか、付き合うくらい。心配しなくても、兄さんに迷惑はかけないよ」
「そういうことを言ってるんじゃない」
「じゃあ、どういうことだよ」

 苛立ったように声を尖らせる。

「どうせ母さんから俺の行状を聞きつけて、あわててすっ飛んできたんだろう。自分のキャリアに傷をつけられたら、たまらないからな。二年近くも音沙汰なしだったくせに、選挙に出るとなった途端、突然、帰ってきて、猫なで声で俺の行動に探りを入れてくる。まったく分かりやすいよ、兄貴のやることは」
「お前が良くない連中とつるんでいるから注意してほしいと、母さんから頼まれたんだ」
「俺はあいつらが好きなんだよ」

 凌馬は声を高めた。

「暴走族あがりでヤンチャでけんかっ早いけど――、正直で、人懐っこくて、なにより友情を大切にする。そりゃ、兄さんみたいに計算高くはないし、要領もよくはないけどね」

 その物言いには、明らかに海斗への侮蔑が込められていた。
 海斗は眉間にしわを寄せる。

「俺が計算高くて、要領がいいって言いたいのか?」
「そうじゃないか。自分の成功のために、愛する女を騙して、ゴミ屑のように捨てる。女が精神を病んでも、まったく知らんぷりだ。普通の人間に出来ることじゃない。ご立派ですよ、兄さんは。実にご立派だ」

 凌馬は歯をむきだしてあざけるように笑った。

「桜織のことを……言っているのか?」
「俺の友人たちの方が、兄さんよりもよっぽど人間としてまともだと言ってるんだよ」
「俺は桜織を騙してなどいない」
「騙してなくても、利用して捨てたのは事実だろう」
「何も知らないくせに、勝手なことを言うな」
「知ってるさ」

 凌馬は跳ね返すようにいった。目には憎悪がこもっている。

「何を知ってるっていうんだ」
「全部だよ」
「お前に事情が分かるはずない」
「分かるさ。桜織さんから直接聞いたからね」
「なんだと」

 海斗は驚いて目をしばたたかせた。

「兄さんには言ってなかったが、俺はあれから、桜織さんと何度も会ってる。全て聞かせてもらったよ。兄貴の常軌を逸した極悪非道ぶりをね」
「……まさか」

 海斗は言葉に詰まった。

「想像を絶するおぞましさだ。とても血の通った人間のやれることじゃない。桜織をあんな風にしたのは兄さん、あんただ。彼女の心をもてあそんで、ずたずたに切り裂いた。これはいわば、魂の殺人だよ。俺や友人たちのことをとやかくいう資格など、あんたにはない。ひとりの人間を完膚なきまでに破壊し尽くしたんだから……。俺に説教たれてる暇があったら、桜織に対しておこなった悪魔のような所業を心から悔いたらどうなんだ!」

 凌馬は真っ赤な顔で糾弾するように怒りを炸裂させた。

 弟に見据えられ、海斗は気弱く視線をそらす。
 一言いちごんもなかった。自分のおこなった行為によって、桜織が精神を病んでしまったのは紛れもない事実だった。

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