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修道院
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エルトハイム地方にある小さな修道院を、ルディガーは訪ねていた。
彼と共に行動しているのはルディガーの部下、ユーリアールだ。彼は下級騎士ながら剣の腕は一流で、ルディガーを慕っている。
エルトハイムは肥沃な大地に恵まれ、小麦の一大生産地である。黄金の絨毯のような小麦畑は修道院の窓からもよく見える。
修道院は外の喧騒から一切の音を遮断したような、静寂に満ちた世界だった。慣れない場所に来て落ち着かない様子のユーリアールと、平然と壁に掛けられた絵画を観察しているルディガーの元に、暗い表情の女が現れた。
「お待たせいたしました」
女のか細い声に振り返ったルディガーは、女の顔を見ると背筋を伸ばした。
「突然の訪問をお許しください。私はレーヴェンハーツ騎士団の下級騎士ルディガーと申します。こちらは部下のユーリアール。グリーオウル家のセシリア嬢ですね?」
セシリアは暗い表情で答えた。
「今の私は『ただのセシリア』ですわ、騎士様。はるばる王都から一体何の御用でしょう?」
化粧っ気のない顔に地味な修道服だが、彼女の立ち姿からは令嬢としての気品が漂っている。
「あなたの話を聞かせていただきたいのです。あなたの……結婚していた頃についての話です」
ルディガーは早速本題を切り出した。セシリアは結婚と聞き、目を大きく見開いた。
「まあ、騎士様。はるばる遠い所から私の醜聞を聞きつけて、わざわざここまでいらしたんですのね。せっかくですが、昔のことは全て忘れてしまいましたの。申し訳ありませんが、お引き取りくださいませ」
「醜聞などには興味がありませんよ。私が聞きたいのは、あなたの元夫であるクラウスのことです。あなたはクラウスのことを良くご存知のはず」
「……やめて……その名前を出さないで……」
セシリアはクラウスの名を聞くと、急に頭を抱えガタガタと震え出した。
「ルディガー隊長……」
動揺してルディガーを見るユーリアール。
「申し訳ありません。あなたの思い出したくないことを聞いてしまいました。失礼をお許しください……お詫びに、あなたにこれを」
ルディガーはさっと跪き、セシリアに一輪の花を差し出した。
「……これを私に?」
「ここへ来る途中、あまりに綺麗だったので摘んでおいたのです。この花が枯れないよう、どうぞお受け取りください」
「……ありがとう。綺麗な花ね」
セシリアの顔に、ほんの少し笑顔が浮かんだように見えた。
修道院を後にしたルディガーとユーリアールは、馬に乗り宿屋を目指していた。
「いつの間に、あんな花を用意していたんです? 隊長」
「廊下に飾ってあったやつだよ。花瓶から取ったって言うと怒られると思ってさ」
ルディガーは飄々と答えた。
「……そんなことだろうと思いました。それにしても……セシリア様から話を聞くのは難しそうですね」
「そうだな、明日もまた来てみよう。明日はもう少しまともな花を持って行こうかな」
鼻歌を歌いながら、ルディガーは軽く馬の腹を蹴った。
翌日もまた同じ時間に、ルディガーとユーリアールは修道院のセシリアを訪ねた。町の花売りから買った小さな花束を差し入れし、セシリアは笑顔でそれを受け取ったが、やはりこの日もクラウスの話は聞けずじまいだった。
そして三日目。ルディガーは三度目のセシリアとの面会である。
「今日はこちらをお持ちしました。セシリア様」
ルディガーがセシリアに手渡したのは、手のひらほどの大きさの、一枚の小さな絵だった。美しい風景と共に王宮が描かれたもので、城下町では飛ぶように売れる人気商品である。ルディガーは王都の城下町で売られているこの絵を持ってきていた。
セシリアはその絵を見ると、ぱあっと目を輝かせた。
「まあ……! 美しい絵だわ。昔、何度か夜会にお邪魔したことがありますの」
「ええ。セシリア様は社交界では有名だったと聞きました。セシリア様のダンスはとてもお上手だったとか……」
「過去のことですわ。あの頃は本当に楽しかった……私が、一番幸せだった頃の思い出です」
目を潤ませながら、懐かしそうにセシリアは呟いた。
ルディガーは一歩前に歩み出て、セシリアの顔を見つめた。
「この美しい王宮で暮らすキャスリーン王女を、クラウスが妻にしようとしているのです」
「何ですって? キャスリーン王女を? ……な、なぜそんなことに?」
セシリアは驚いてルディガーを見つめ返す。
「クラウスは以前から、キャスリーン王女を妻にと狙っていたようです。セシリア様、クラウスのことを教えていただけませんか? このまま危険な男が王女殿下に近づくのを避けたいのです」
セシリアはじっとルディガーを見つめ、やがてふっとため息を漏らした。
「……分かりました。私の知っていることを、全てお話ししましょう」
クラウスとセシリアの結婚が平和だったのは、たった三日だった。
牙を隠していたクラウスは、四日目に初めてセシリアを殴った。それから暴力はエスカレートし、クラウスは完全にセシリアを支配した。
「あの男の卑怯な所は、顔は決して傷つけない所ですわ……これを、ご覧ください」
そう言ってセシリアは袖を大きくまくり上げた。肘から上のあたりにやけどでただれた傷が痛々しく残っていた。
ルディガーとユーリアールは、その傷痕の大きさと深さに息を飲んだ。
「ここだけではありません。体中、私は傷だらけなのです。あの男は服に隠れて見えない所をいたぶるのが好きなのです。あの男は父親に知られたくないのですわ。結局、私が逃げたことで知られることになったのですけれど……」
二人が結婚してから半年、手紙の一通も寄越さないことを不審に思ったセシリアの弟が様子を見に来て、事実に気づいた弟がセシリアを救い出して屋敷から逃げ出した。
クラウスの父マシューは、多額のお金と数々の財宝をグリーオウル家に送り、口止めをしたのである。
「我が家はあまり余裕がない暮らしでしたから、ゴルトウェーブ家に逆らえなかったのです。その後、私は修道院に入り、ずっとここで過ごしています」
「マシューは息子の暴力を知っていて揉み消したんですね。そして次の妻、次の妻と次々に犠牲者を出した……」
「まあ……他にも私のような者が? なんて酷い」
セシリアはクラウスのその後のことを全く知らなかった。事実を知って驚き、瞳には怒りが浮かんでいる。
「セシリア様。何か、他にクラウスのことでご存じのことはありませんか? どんな人間と付き合いがあるかとか、行きつけの店だとか……」
そう言えば、とセシリアは顔を上げた。
「……クラウスは、悪い相談をする時には、必ず使う酒場があるのです」
「それはどんな酒場ですか? 店の名前とか、分かりますか?」
「名前までは……でも、とても古くて汚い、小さな酒場だと申しておりましたわ。客が殆ど来ないので、秘密の話をするのにぴったりだと話していたのを聞いたことがあるのです。そうそう……店に行く途中の路地裏で、いつも猫の名を呼ぶおかしな男が住む家があるのだと話していましたわ」
ルディガーは、あっと声を上げそうになった。以前クラウスの知り合いらしき男の尾行をしていた時、刺客に襲われた。その時、確かにペットの名を呼ぶ男がいたのを思い出したのだ。
「その猫の名は『ジェシカ』と言うのではありませんか?」
「猫の名までは……でも、そのおかしな男は夜な夜な猫の名を呼び続けているそうですわ。かわいそうに、きっと亡くした猫の名でしょうね……」
しんみりとしているセシリアと対照的に、目を輝かせているルディガー。あの時、クラウスの行きつけの店を突き止める寸前まで行っていたのだ。
「ありがとうございます、セシリア様。あなたのおかげでだいぶあの男に近づけました」
「こんな情報でお役に立つかしら? ルディガー様のお役に立てて良かったですわ」
セシリアはすっかりルディガーに心を許していた。初対面の時は表情の硬かった彼女が、今では表情が和らぎ、鈴の鳴るような声で笑っていた。
そして翌日。改めてルディガーとユーリアールはセシリアを訪ねた。
「……そうですか、ルディガー様。もう帰ってしまうのですね」
寂しそうにセシリアは微笑む。
「私ももう少しここに滞在したい所ですが……別の用事ができまして」
「……あの、少しだけルディガー様と二人だけで話をさせていただけませんか?」
セシリアがユーリアールを見る。ユーリアールは「はい。私は部屋の外で待ちますので」と言い残し、部屋を出て行った。
ユーリアールが出て行ったのを見届けたセシリアは、緊張した顔でルディガーに向き直った。
「あの……ルディガー様にお願いがあります」
「お願い? 何でしょう」
ルディガーは相変わらず穏やかな笑みを浮かべている。
「……私を、王都まで連れて行ってくださいませ。あなたと一緒にいたいのです」
セシリアは潤んだ瞳でルディガーを見上げる。
「……それは、できません。私が下級騎士なのは、ご存知でしょう?」
ルディガーは困った顔をした。
「分かっています。無理を承知でお願いしています。私はこの修道院でずっと、生きる屍のようでした。でもルディガー様に出会って、生きる喜びを思い出したのです」
セシリアの必死の告白を、ルディガーは黙ったまま聞いていた。
「お願いです。どうか私に、愛を与えてくださいませ」
セシリアの瞳が潤んでいる。胸の前で手を組み、じっとルディガーを見つめている。
ルディガーはふっと微笑んだ。
「セシリア様の真剣な気持ちに、私も真剣に応えなければなりませんね。実は……私には心から愛する女性がいます」
セシリアは「え……」と言葉を漏らした。
「でもその女性とは、結ばれることのない運命です。ですから私は生涯、妻を持たないと決めています。あなたの気持ちに応えることはできません」
「……そうですか……ルディガー様にそんなに想われているそのお方、羨ましいですわ」
セシリアはため息をつき、ぽつりと呟いた。
「私のこの気持ちは、誰にも話したことはありません。どんなに親しい友人にもね。だから、このことは私とセシリア様だけの秘密にしておいてください」
ルディガーはいたずらっぽく微笑みながら、唇に指を当てた。
セシリアと別れ、修道院の廊下を歩くルディガーにユーリアールは話しかけた。
「隊長にそんなに大切な方がいるとは知りませんでした」
ルディガーはため息をつきながらユーリアールを軽く睨む。
「盗み聞きしてたのか」
「すみません」
ユーリアールは気まずそうに頭を掻いた。
ルディガーはすました顔で話す。
「令嬢にはああ言って断ることにしてるんだよ。そうすればもう何も言ってこないだろ」
「なんだ、そうだったんですね」
「さあ、これから急いでブルーゲートに向かおう。用件を済ませてさっさと王都に戻るぞ。のんびりもしていられないからな」
「はい、隊長」
ルディガーとユーリアールは、この後予定を変え港町ブルーゲートに立ち寄る予定だ。二人は急ぎ足で預けていた馬を引き取り、修道院から出発した。
ルディガーは、ふとセシリアの言葉を思い出していた。
──私はこの修道院でずっと、生きる屍のようでした。でもルディガー様に出会って、生きる喜びを思い出したのです──
彼女の気持ちが、ルディガーには痛いほど理解できた。クラウスに痛めつけられ、修道院に入った彼女のこれからの人生を想うと心が痛かった。だが彼にセシリアを救うことはできない。
(だったらせめて、彼女の仇を取ってやらないとな)
ルディガーはセシリアの想いを胸に、ブルーゲートへ向かった。
彼と共に行動しているのはルディガーの部下、ユーリアールだ。彼は下級騎士ながら剣の腕は一流で、ルディガーを慕っている。
エルトハイムは肥沃な大地に恵まれ、小麦の一大生産地である。黄金の絨毯のような小麦畑は修道院の窓からもよく見える。
修道院は外の喧騒から一切の音を遮断したような、静寂に満ちた世界だった。慣れない場所に来て落ち着かない様子のユーリアールと、平然と壁に掛けられた絵画を観察しているルディガーの元に、暗い表情の女が現れた。
「お待たせいたしました」
女のか細い声に振り返ったルディガーは、女の顔を見ると背筋を伸ばした。
「突然の訪問をお許しください。私はレーヴェンハーツ騎士団の下級騎士ルディガーと申します。こちらは部下のユーリアール。グリーオウル家のセシリア嬢ですね?」
セシリアは暗い表情で答えた。
「今の私は『ただのセシリア』ですわ、騎士様。はるばる王都から一体何の御用でしょう?」
化粧っ気のない顔に地味な修道服だが、彼女の立ち姿からは令嬢としての気品が漂っている。
「あなたの話を聞かせていただきたいのです。あなたの……結婚していた頃についての話です」
ルディガーは早速本題を切り出した。セシリアは結婚と聞き、目を大きく見開いた。
「まあ、騎士様。はるばる遠い所から私の醜聞を聞きつけて、わざわざここまでいらしたんですのね。せっかくですが、昔のことは全て忘れてしまいましたの。申し訳ありませんが、お引き取りくださいませ」
「醜聞などには興味がありませんよ。私が聞きたいのは、あなたの元夫であるクラウスのことです。あなたはクラウスのことを良くご存知のはず」
「……やめて……その名前を出さないで……」
セシリアはクラウスの名を聞くと、急に頭を抱えガタガタと震え出した。
「ルディガー隊長……」
動揺してルディガーを見るユーリアール。
「申し訳ありません。あなたの思い出したくないことを聞いてしまいました。失礼をお許しください……お詫びに、あなたにこれを」
ルディガーはさっと跪き、セシリアに一輪の花を差し出した。
「……これを私に?」
「ここへ来る途中、あまりに綺麗だったので摘んでおいたのです。この花が枯れないよう、どうぞお受け取りください」
「……ありがとう。綺麗な花ね」
セシリアの顔に、ほんの少し笑顔が浮かんだように見えた。
修道院を後にしたルディガーとユーリアールは、馬に乗り宿屋を目指していた。
「いつの間に、あんな花を用意していたんです? 隊長」
「廊下に飾ってあったやつだよ。花瓶から取ったって言うと怒られると思ってさ」
ルディガーは飄々と答えた。
「……そんなことだろうと思いました。それにしても……セシリア様から話を聞くのは難しそうですね」
「そうだな、明日もまた来てみよう。明日はもう少しまともな花を持って行こうかな」
鼻歌を歌いながら、ルディガーは軽く馬の腹を蹴った。
翌日もまた同じ時間に、ルディガーとユーリアールは修道院のセシリアを訪ねた。町の花売りから買った小さな花束を差し入れし、セシリアは笑顔でそれを受け取ったが、やはりこの日もクラウスの話は聞けずじまいだった。
そして三日目。ルディガーは三度目のセシリアとの面会である。
「今日はこちらをお持ちしました。セシリア様」
ルディガーがセシリアに手渡したのは、手のひらほどの大きさの、一枚の小さな絵だった。美しい風景と共に王宮が描かれたもので、城下町では飛ぶように売れる人気商品である。ルディガーは王都の城下町で売られているこの絵を持ってきていた。
セシリアはその絵を見ると、ぱあっと目を輝かせた。
「まあ……! 美しい絵だわ。昔、何度か夜会にお邪魔したことがありますの」
「ええ。セシリア様は社交界では有名だったと聞きました。セシリア様のダンスはとてもお上手だったとか……」
「過去のことですわ。あの頃は本当に楽しかった……私が、一番幸せだった頃の思い出です」
目を潤ませながら、懐かしそうにセシリアは呟いた。
ルディガーは一歩前に歩み出て、セシリアの顔を見つめた。
「この美しい王宮で暮らすキャスリーン王女を、クラウスが妻にしようとしているのです」
「何ですって? キャスリーン王女を? ……な、なぜそんなことに?」
セシリアは驚いてルディガーを見つめ返す。
「クラウスは以前から、キャスリーン王女を妻にと狙っていたようです。セシリア様、クラウスのことを教えていただけませんか? このまま危険な男が王女殿下に近づくのを避けたいのです」
セシリアはじっとルディガーを見つめ、やがてふっとため息を漏らした。
「……分かりました。私の知っていることを、全てお話ししましょう」
クラウスとセシリアの結婚が平和だったのは、たった三日だった。
牙を隠していたクラウスは、四日目に初めてセシリアを殴った。それから暴力はエスカレートし、クラウスは完全にセシリアを支配した。
「あの男の卑怯な所は、顔は決して傷つけない所ですわ……これを、ご覧ください」
そう言ってセシリアは袖を大きくまくり上げた。肘から上のあたりにやけどでただれた傷が痛々しく残っていた。
ルディガーとユーリアールは、その傷痕の大きさと深さに息を飲んだ。
「ここだけではありません。体中、私は傷だらけなのです。あの男は服に隠れて見えない所をいたぶるのが好きなのです。あの男は父親に知られたくないのですわ。結局、私が逃げたことで知られることになったのですけれど……」
二人が結婚してから半年、手紙の一通も寄越さないことを不審に思ったセシリアの弟が様子を見に来て、事実に気づいた弟がセシリアを救い出して屋敷から逃げ出した。
クラウスの父マシューは、多額のお金と数々の財宝をグリーオウル家に送り、口止めをしたのである。
「我が家はあまり余裕がない暮らしでしたから、ゴルトウェーブ家に逆らえなかったのです。その後、私は修道院に入り、ずっとここで過ごしています」
「マシューは息子の暴力を知っていて揉み消したんですね。そして次の妻、次の妻と次々に犠牲者を出した……」
「まあ……他にも私のような者が? なんて酷い」
セシリアはクラウスのその後のことを全く知らなかった。事実を知って驚き、瞳には怒りが浮かんでいる。
「セシリア様。何か、他にクラウスのことでご存じのことはありませんか? どんな人間と付き合いがあるかとか、行きつけの店だとか……」
そう言えば、とセシリアは顔を上げた。
「……クラウスは、悪い相談をする時には、必ず使う酒場があるのです」
「それはどんな酒場ですか? 店の名前とか、分かりますか?」
「名前までは……でも、とても古くて汚い、小さな酒場だと申しておりましたわ。客が殆ど来ないので、秘密の話をするのにぴったりだと話していたのを聞いたことがあるのです。そうそう……店に行く途中の路地裏で、いつも猫の名を呼ぶおかしな男が住む家があるのだと話していましたわ」
ルディガーは、あっと声を上げそうになった。以前クラウスの知り合いらしき男の尾行をしていた時、刺客に襲われた。その時、確かにペットの名を呼ぶ男がいたのを思い出したのだ。
「その猫の名は『ジェシカ』と言うのではありませんか?」
「猫の名までは……でも、そのおかしな男は夜な夜な猫の名を呼び続けているそうですわ。かわいそうに、きっと亡くした猫の名でしょうね……」
しんみりとしているセシリアと対照的に、目を輝かせているルディガー。あの時、クラウスの行きつけの店を突き止める寸前まで行っていたのだ。
「ありがとうございます、セシリア様。あなたのおかげでだいぶあの男に近づけました」
「こんな情報でお役に立つかしら? ルディガー様のお役に立てて良かったですわ」
セシリアはすっかりルディガーに心を許していた。初対面の時は表情の硬かった彼女が、今では表情が和らぎ、鈴の鳴るような声で笑っていた。
そして翌日。改めてルディガーとユーリアールはセシリアを訪ねた。
「……そうですか、ルディガー様。もう帰ってしまうのですね」
寂しそうにセシリアは微笑む。
「私ももう少しここに滞在したい所ですが……別の用事ができまして」
「……あの、少しだけルディガー様と二人だけで話をさせていただけませんか?」
セシリアがユーリアールを見る。ユーリアールは「はい。私は部屋の外で待ちますので」と言い残し、部屋を出て行った。
ユーリアールが出て行ったのを見届けたセシリアは、緊張した顔でルディガーに向き直った。
「あの……ルディガー様にお願いがあります」
「お願い? 何でしょう」
ルディガーは相変わらず穏やかな笑みを浮かべている。
「……私を、王都まで連れて行ってくださいませ。あなたと一緒にいたいのです」
セシリアは潤んだ瞳でルディガーを見上げる。
「……それは、できません。私が下級騎士なのは、ご存知でしょう?」
ルディガーは困った顔をした。
「分かっています。無理を承知でお願いしています。私はこの修道院でずっと、生きる屍のようでした。でもルディガー様に出会って、生きる喜びを思い出したのです」
セシリアの必死の告白を、ルディガーは黙ったまま聞いていた。
「お願いです。どうか私に、愛を与えてくださいませ」
セシリアの瞳が潤んでいる。胸の前で手を組み、じっとルディガーを見つめている。
ルディガーはふっと微笑んだ。
「セシリア様の真剣な気持ちに、私も真剣に応えなければなりませんね。実は……私には心から愛する女性がいます」
セシリアは「え……」と言葉を漏らした。
「でもその女性とは、結ばれることのない運命です。ですから私は生涯、妻を持たないと決めています。あなたの気持ちに応えることはできません」
「……そうですか……ルディガー様にそんなに想われているそのお方、羨ましいですわ」
セシリアはため息をつき、ぽつりと呟いた。
「私のこの気持ちは、誰にも話したことはありません。どんなに親しい友人にもね。だから、このことは私とセシリア様だけの秘密にしておいてください」
ルディガーはいたずらっぽく微笑みながら、唇に指を当てた。
セシリアと別れ、修道院の廊下を歩くルディガーにユーリアールは話しかけた。
「隊長にそんなに大切な方がいるとは知りませんでした」
ルディガーはため息をつきながらユーリアールを軽く睨む。
「盗み聞きしてたのか」
「すみません」
ユーリアールは気まずそうに頭を掻いた。
ルディガーはすました顔で話す。
「令嬢にはああ言って断ることにしてるんだよ。そうすればもう何も言ってこないだろ」
「なんだ、そうだったんですね」
「さあ、これから急いでブルーゲートに向かおう。用件を済ませてさっさと王都に戻るぞ。のんびりもしていられないからな」
「はい、隊長」
ルディガーとユーリアールは、この後予定を変え港町ブルーゲートに立ち寄る予定だ。二人は急ぎ足で預けていた馬を引き取り、修道院から出発した。
ルディガーは、ふとセシリアの言葉を思い出していた。
──私はこの修道院でずっと、生きる屍のようでした。でもルディガー様に出会って、生きる喜びを思い出したのです──
彼女の気持ちが、ルディガーには痛いほど理解できた。クラウスに痛めつけられ、修道院に入った彼女のこれからの人生を想うと心が痛かった。だが彼にセシリアを救うことはできない。
(だったらせめて、彼女の仇を取ってやらないとな)
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