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大人になった二人
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その後のルディガーの成長は凄まじかった。人が変わったように真剣に訓練に向き合い、剣の腕はみるみる上達した。
レーヴェンハーツ騎士団は王家に仕える。彼らはルディガーのような平民からなる下級騎士と、貴族階級の上級騎士で構成されている。ルディガーをいじめていた上官も、まるで別人のように努力する彼の姿を見て、やがて彼を認めざるを得なくなった。
ルディガーが、キャスリーン王女が目をかけた下級騎士だということも、上級騎士らの態度を変化させる理由としては十分だった。
二人が出会ってから十年が経ち、キャスリーンは二十二歳、ルディガーは二十五歳になっていた。
アズールマーレ王国で最も大きな港町ブルーゲートは、王領に隣接するブラックシー地方にある。
ブルーゲートは夜が更けても賑わいが消えることはない。船でやってくる商人や旅人が楽しむ場所はいくらでもある。
酒場が集まる通りの一軒の店からふらりと外へ出てきたのは、レーヴェンハーツ騎士団の下級騎士、ルディガーだ。
彼は一人だった。まるで旅人のようなラフな服を身に着け、周囲を警戒しながら前を歩く人物を追っている。
前を歩く男は、路地裏へと入って行った。見失わないよう、ルディガーは少し足を速める。路地裏に入ると男が持つランタンの光が、建物の影へ消えていくところだった。
ふとルディガーは人の気配を感じて振り返った。手に持っているランタンを掲げてみるが、そこには誰もいない。
気のせいかと思い直し、前に向き直ると彼の目の前にフードを深く被った男が立ちはだかる。
「何だ、お前……」
ルディガーが口を開いた瞬間、男は小刀を振りあげ、ルディガーに斬りかかった。
「くそ、この野郎……!」
ルディガーの右腕から血が流れ出る。ルディガーは慌てて左手で小刀を抜いた。
「ジェシカ! ジェシカ! どこへ行ったんだ? 全く、脱走ばかりして……」
その時突然、頭の上から男の声が聞こえた。男は建物の窓から顔を出し、必死にペットか何かの名前を呼んでいる。
男の視線が、睨み合うルディガーとフードの男に向く。その瞬間、フードの男はさっと小刀をしまうと小走りで逃げて行った。
ルディガーは一度追いかけようとしたが、思い直して立ち止まった。腕からはどくどくと血が流れだしている。
「こりゃあ、早く手当てしないとな……」
ルディガーは痛みをこらえて呟いた。
♢♢♢
ここは王家「レーヴェンハーツ家」の王宮。港町ブルーゲートがあるブラックシー地方は、レーヴェンハーツ家が治めるシーブルーム地方の隣にある。王宮は山の上にあり、眼下に広がるのは美しい城下町だ。
王宮のバルコニーから外を眺めている、美しい女性がいた。
腰の辺りまで伸びた輝く金色の髪には、髪の輝きに引けをとらない真珠で作られた髪飾りを付け、耳元には彼女の瞳の色と同じ、青い色の宝石が光る。
その半面、ドレスはとても簡素でシンプルなものだ。装飾は少なく、金や銀の糸で縫われた刺繍は美しいが、デクスター王の末娘キャスリーンという立場にしては、少々地味なドレスと言える。
王女キャスリーンは簡素なものを好む。兄の妻カリーナのようにごてごてと飾りつけ、宝石の大きさを競い合ったり、どれだけ生地をふんだんに使ったドレスなのかを自慢し合ったりするのは好きではないのだ。
「騎士団の館へ参ります」
キャスリーンはふと思いついたように振り返ると、侍女に告げて部屋の出口へ向かった。
「お待ちください、キャスリーン様」
侍女は慌ててキャスリーンの後を追う。
「一人で向かいます。着いてこなくて結構」
「か……かしこまりました」
侍女は急いで扉を開け、キャスリーン王女を見送った。
廊下を足早に歩いて行く王女を、侍女はまたかと言う顔でため息をついた。
王宮を抜けて外に出る。しばらく歩くと見えてくるのがレーヴェンハーツ騎士団の館だ。地下一階、地上三階建てのその建物には作戦室や食堂、診療所などの必要な設備が備わっていて、上の階は下級騎士の宿舎となっている。館の裏庭は訓練場となっていて、騎士達が剣を合わせる鈍い音と掛け声が響いている。
「ルディガーが戻ったと聞きました」
「は……はっ!」
キャスリーンが扉の前に立つ。若い見張りの騎士は王女の姿を見ると慌てて敬礼した後、扉を開けた。
王女が時々この場所を訪れているのは、ここにいる騎士ならば誰でも知っていることだ。
館の中に入り、カツカツと小気味いい音を立てながら階段を上る。天井の低い廊下を通り抜けて一番奥の部屋に向かうと、王女は無遠慮に扉を開けた。
「怪我の具合はどうですか、ルディガー」
ベッドに座り、腕に巻いていた包帯を外していたルディガーは、驚いた顔でキャスリーンを見た。
「キャスリーン様。あなたの行動にはいつも驚かされます。今日いらっしゃると聞いていたら、上等な紅茶を用意しておいたんですが」
ルディガーは苦笑いしながら立ち上がった。
キャスリーンはすっと手を伸ばしルディガーを制する。
「気遣いは結構です。あなたを夜道で襲った犯人は見つかりましたか?」
「いえ……まだ見つかりませんが、恐らく向こうの衛兵でしょうね」
ルディガーは痛々しい腕の傷を王女に見せないよう、後ろに手を回した。
「衛兵……やはりクラウスが関係していると思いますか?」
「そうだとは思いますが、何しろ俺は多くの人間に恨みを買っていますからね。断言はできませんが」
苦笑いしながらルディガーは首を振る。
ルディガーはキャスリーン王女の命令で、クラウスという男の動きを探っていた。騎士団でめきめきと成長を見せたルディガーは、騎士としてだけではなくキャスリーンの密偵として動くことがあった。王国の不穏分子を炙り出し、対処する為である。
実際に彼は密偵として素晴らしい才能を見せた。そんなルディガーにキャスリーンは少しの部下を与え、下級騎士の立場にありながら、彼を自由に動き回らせている。
「見せなさい。その傷を私に」
キャスリーンは一歩前に出て手を差し出した。
「王女様にお見せできるようなものではありませんよ」
「いいから見せなさい」
キャスリーンは眉をひそめ、じっとルディガーを見つめている。
ルディガーは渋々腕を差し出す。肘から下にかけて、刃物で大きくつけられた傷が痛々しい。
「……ルディガーをこのような目に合わせるとは。犯人を見つけ、今すぐにでも投獄し、罰を与えねばなりません」
キャスリーンは傷を見ながら、美しい顔に怒りを浮かべていた。
「俺のことはいいですよ。キャスリーン様、それよりもご自分の安全をお考えください。クラウスはあなたを妻にしようと企んでいるのです。暴力で前の妻を支配していたような男です。あの男の行動は予測出来ない。今後はこのようにお一人で男の部屋を訪ねるなどという、軽率な行動は慎んでもらわないと」
ルディガーは腕を再び隠し、キャスリーンを困った顔で見た。
「王宮の中ならあの男の目は届きません」
「それはそうですが……クラウスの息のかかった騎士が入り込んでこないとも限らないんですから」
キャスリーンは目を閉じ、ため息をついた。
「クラウスと言う男、粗雑な男と思いきや、用心深い所もあるようですね。ルディガー、あなたも行動には気をつけるように」
「ご心配には及びません。必ず、キャスリーン様をお守りしますのでご安心を」
ルディガーはキャスリーンに敬礼をした。
「あなたを信じます、ルディガー」
キャスリーンは背筋を伸ばしたまま、ほんの少し表情を緩めてルディガーを見つめた。
「それでは戻ります。ルディガー、余計なことですがいつ誰が訪ねてきてもいいように、部屋は少し片付けておくべきですね」
キャスリーンが部屋のベッドサイドテーブルに目をちらりとやった。ルディガーはキャスリーンの視線の先にある、地味な髪飾りを見つけると慌ててそれをひったくった。
「キャスリーン様、これは、その……誤解なんですよ」
「誤解? 私は何も誤解していません。あなたは独身なのですから、私がとやかく言うことではないでしょう。ただ私は、部屋を片付けるようにと言っただけですから」
「はあ……あの、申し訳ありません」
気まずそうに頭を掻くルディガーに冷たい視線を送りながら、キャスリーンは部屋を出て行った。
騎士として成長したルディガーは、大人になりとても魅力的な男性になった。透き通るような薄い緑の瞳は見ていると吸い込まれそうな美しさで、常に微笑んでいるような口元からこぼれる声は、甘くて低い。身長も伸び、鍛えた筋肉はしなやかで、出会う女性達を次々と虜にした。
キャスリーンはルディガーが女性と噂になるたびに、心がなんだかざわざわと落ち着かなくなった。その度に、ルディガーにさっきのような嫌味を言って困らせたりした。
(あの髪飾りは、きっとわざとあそこに置いていったんだわ)
ルディガーの女性の噂は絶えなかったが、彼は特定の恋人を持たないようだった。あの髪飾りを置いていった女は、他の女へ牽制する為に置いていったのだろうか。それともルディガーに髪飾りを返してもらう口実で、再び彼と会うつもりなのかもしれない。
男女の機微には疎いキャスリーンにも、それくらいの想像はついた。
レーヴェンハーツ騎士団は王家に仕える。彼らはルディガーのような平民からなる下級騎士と、貴族階級の上級騎士で構成されている。ルディガーをいじめていた上官も、まるで別人のように努力する彼の姿を見て、やがて彼を認めざるを得なくなった。
ルディガーが、キャスリーン王女が目をかけた下級騎士だということも、上級騎士らの態度を変化させる理由としては十分だった。
二人が出会ってから十年が経ち、キャスリーンは二十二歳、ルディガーは二十五歳になっていた。
アズールマーレ王国で最も大きな港町ブルーゲートは、王領に隣接するブラックシー地方にある。
ブルーゲートは夜が更けても賑わいが消えることはない。船でやってくる商人や旅人が楽しむ場所はいくらでもある。
酒場が集まる通りの一軒の店からふらりと外へ出てきたのは、レーヴェンハーツ騎士団の下級騎士、ルディガーだ。
彼は一人だった。まるで旅人のようなラフな服を身に着け、周囲を警戒しながら前を歩く人物を追っている。
前を歩く男は、路地裏へと入って行った。見失わないよう、ルディガーは少し足を速める。路地裏に入ると男が持つランタンの光が、建物の影へ消えていくところだった。
ふとルディガーは人の気配を感じて振り返った。手に持っているランタンを掲げてみるが、そこには誰もいない。
気のせいかと思い直し、前に向き直ると彼の目の前にフードを深く被った男が立ちはだかる。
「何だ、お前……」
ルディガーが口を開いた瞬間、男は小刀を振りあげ、ルディガーに斬りかかった。
「くそ、この野郎……!」
ルディガーの右腕から血が流れ出る。ルディガーは慌てて左手で小刀を抜いた。
「ジェシカ! ジェシカ! どこへ行ったんだ? 全く、脱走ばかりして……」
その時突然、頭の上から男の声が聞こえた。男は建物の窓から顔を出し、必死にペットか何かの名前を呼んでいる。
男の視線が、睨み合うルディガーとフードの男に向く。その瞬間、フードの男はさっと小刀をしまうと小走りで逃げて行った。
ルディガーは一度追いかけようとしたが、思い直して立ち止まった。腕からはどくどくと血が流れだしている。
「こりゃあ、早く手当てしないとな……」
ルディガーは痛みをこらえて呟いた。
♢♢♢
ここは王家「レーヴェンハーツ家」の王宮。港町ブルーゲートがあるブラックシー地方は、レーヴェンハーツ家が治めるシーブルーム地方の隣にある。王宮は山の上にあり、眼下に広がるのは美しい城下町だ。
王宮のバルコニーから外を眺めている、美しい女性がいた。
腰の辺りまで伸びた輝く金色の髪には、髪の輝きに引けをとらない真珠で作られた髪飾りを付け、耳元には彼女の瞳の色と同じ、青い色の宝石が光る。
その半面、ドレスはとても簡素でシンプルなものだ。装飾は少なく、金や銀の糸で縫われた刺繍は美しいが、デクスター王の末娘キャスリーンという立場にしては、少々地味なドレスと言える。
王女キャスリーンは簡素なものを好む。兄の妻カリーナのようにごてごてと飾りつけ、宝石の大きさを競い合ったり、どれだけ生地をふんだんに使ったドレスなのかを自慢し合ったりするのは好きではないのだ。
「騎士団の館へ参ります」
キャスリーンはふと思いついたように振り返ると、侍女に告げて部屋の出口へ向かった。
「お待ちください、キャスリーン様」
侍女は慌ててキャスリーンの後を追う。
「一人で向かいます。着いてこなくて結構」
「か……かしこまりました」
侍女は急いで扉を開け、キャスリーン王女を見送った。
廊下を足早に歩いて行く王女を、侍女はまたかと言う顔でため息をついた。
王宮を抜けて外に出る。しばらく歩くと見えてくるのがレーヴェンハーツ騎士団の館だ。地下一階、地上三階建てのその建物には作戦室や食堂、診療所などの必要な設備が備わっていて、上の階は下級騎士の宿舎となっている。館の裏庭は訓練場となっていて、騎士達が剣を合わせる鈍い音と掛け声が響いている。
「ルディガーが戻ったと聞きました」
「は……はっ!」
キャスリーンが扉の前に立つ。若い見張りの騎士は王女の姿を見ると慌てて敬礼した後、扉を開けた。
王女が時々この場所を訪れているのは、ここにいる騎士ならば誰でも知っていることだ。
館の中に入り、カツカツと小気味いい音を立てながら階段を上る。天井の低い廊下を通り抜けて一番奥の部屋に向かうと、王女は無遠慮に扉を開けた。
「怪我の具合はどうですか、ルディガー」
ベッドに座り、腕に巻いていた包帯を外していたルディガーは、驚いた顔でキャスリーンを見た。
「キャスリーン様。あなたの行動にはいつも驚かされます。今日いらっしゃると聞いていたら、上等な紅茶を用意しておいたんですが」
ルディガーは苦笑いしながら立ち上がった。
キャスリーンはすっと手を伸ばしルディガーを制する。
「気遣いは結構です。あなたを夜道で襲った犯人は見つかりましたか?」
「いえ……まだ見つかりませんが、恐らく向こうの衛兵でしょうね」
ルディガーは痛々しい腕の傷を王女に見せないよう、後ろに手を回した。
「衛兵……やはりクラウスが関係していると思いますか?」
「そうだとは思いますが、何しろ俺は多くの人間に恨みを買っていますからね。断言はできませんが」
苦笑いしながらルディガーは首を振る。
ルディガーはキャスリーン王女の命令で、クラウスという男の動きを探っていた。騎士団でめきめきと成長を見せたルディガーは、騎士としてだけではなくキャスリーンの密偵として動くことがあった。王国の不穏分子を炙り出し、対処する為である。
実際に彼は密偵として素晴らしい才能を見せた。そんなルディガーにキャスリーンは少しの部下を与え、下級騎士の立場にありながら、彼を自由に動き回らせている。
「見せなさい。その傷を私に」
キャスリーンは一歩前に出て手を差し出した。
「王女様にお見せできるようなものではありませんよ」
「いいから見せなさい」
キャスリーンは眉をひそめ、じっとルディガーを見つめている。
ルディガーは渋々腕を差し出す。肘から下にかけて、刃物で大きくつけられた傷が痛々しい。
「……ルディガーをこのような目に合わせるとは。犯人を見つけ、今すぐにでも投獄し、罰を与えねばなりません」
キャスリーンは傷を見ながら、美しい顔に怒りを浮かべていた。
「俺のことはいいですよ。キャスリーン様、それよりもご自分の安全をお考えください。クラウスはあなたを妻にしようと企んでいるのです。暴力で前の妻を支配していたような男です。あの男の行動は予測出来ない。今後はこのようにお一人で男の部屋を訪ねるなどという、軽率な行動は慎んでもらわないと」
ルディガーは腕を再び隠し、キャスリーンを困った顔で見た。
「王宮の中ならあの男の目は届きません」
「それはそうですが……クラウスの息のかかった騎士が入り込んでこないとも限らないんですから」
キャスリーンは目を閉じ、ため息をついた。
「クラウスと言う男、粗雑な男と思いきや、用心深い所もあるようですね。ルディガー、あなたも行動には気をつけるように」
「ご心配には及びません。必ず、キャスリーン様をお守りしますのでご安心を」
ルディガーはキャスリーンに敬礼をした。
「あなたを信じます、ルディガー」
キャスリーンは背筋を伸ばしたまま、ほんの少し表情を緩めてルディガーを見つめた。
「それでは戻ります。ルディガー、余計なことですがいつ誰が訪ねてきてもいいように、部屋は少し片付けておくべきですね」
キャスリーンが部屋のベッドサイドテーブルに目をちらりとやった。ルディガーはキャスリーンの視線の先にある、地味な髪飾りを見つけると慌ててそれをひったくった。
「キャスリーン様、これは、その……誤解なんですよ」
「誤解? 私は何も誤解していません。あなたは独身なのですから、私がとやかく言うことではないでしょう。ただ私は、部屋を片付けるようにと言っただけですから」
「はあ……あの、申し訳ありません」
気まずそうに頭を掻くルディガーに冷たい視線を送りながら、キャスリーンは部屋を出て行った。
騎士として成長したルディガーは、大人になりとても魅力的な男性になった。透き通るような薄い緑の瞳は見ていると吸い込まれそうな美しさで、常に微笑んでいるような口元からこぼれる声は、甘くて低い。身長も伸び、鍛えた筋肉はしなやかで、出会う女性達を次々と虜にした。
キャスリーンはルディガーが女性と噂になるたびに、心がなんだかざわざわと落ち着かなくなった。その度に、ルディガーにさっきのような嫌味を言って困らせたりした。
(あの髪飾りは、きっとわざとあそこに置いていったんだわ)
ルディガーの女性の噂は絶えなかったが、彼は特定の恋人を持たないようだった。あの髪飾りを置いていった女は、他の女へ牽制する為に置いていったのだろうか。それともルディガーに髪飾りを返してもらう口実で、再び彼と会うつもりなのかもしれない。
男女の機微には疎いキャスリーンにも、それくらいの想像はついた。
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