上 下
23 / 94
第三話

しおりを挟む

 その後、セランはキッカによって部屋に運ばれた。
 怪我の有無を確かめられたが、擦り傷が少しある以外はどこにも怪我がなかった。

「怖かったろ、もう大丈夫だからな」
「うん……」
「目ぇ離して悪かった。俺のせいだ」
「……ううん。覚悟が足りてなかったの。人間なのに亜人の城で生活する覚悟が」
「そんなもん、持たせたくねぇ。……人間だとか獣人だとか、空の下ではみんな一緒じゃねぇか」
「でも……」

 言いかけたセランの頭に、再びキッカが手を乗せる。

「今度からは誰かと一緒に行動するか、もしくは部屋を出ないようにしろ。いいな?」
「……キッカは?」
「んあ?」
「一緒にいてくれないの?」
「なんだよ、親にくっつく雛みたいなこと言って。俺がいなきゃだめなのか?」
「え、あ、う、ううん、違うの。……違うの」

 砂漠を散々歩き回ったときよりも顔が熱い。
 どうしてそうなっているのかセラン自身にもわからなかったが、少なくとも見られたい状態ではなかった。

(私にもキッカみたいな仮面があったらよかったのに……!)

 なぜ、キッカはいてくれないのかと尋ねてしまったのか、やはり理由ははっきりしない。
 ただ、そうしてくれれば安心するだろうと思う。
 二度も助けてもらった。そんな相手の側を安全だと感じるのはごくごく普通のことだろう。
 それにしてもどうしてこんなに熱いのか。心臓だって先ほどからやかましい――。
 そう思っていたセランは、キッカの次の行動にぎょっとする羽目になった。

「な……なにしてるの……?」

 手に感じる、冷たい金属。
 キッカはセランの手を取って、仮面のくちばしに当たる部分を擦り付けていた。

「……ん?」
「冷たいんだけど……」
「……あ、うん、そうだよな。悪い」

 すぐにキッカが離れていく。
 セランの手には冷たい感触だけが残った。

「今の、なに?」
「いや、俺にもわかんねぇ」
「どういうこと?」
「説明できねぇもんはできねぇんだって」
「なにそれ、変だよ」
「うっせ」

 先ほどは見られなくてよかったという仮面の裏側を、今はとても見たいと思ってしまう。
 どうやらキッカは焦っているように見えるが――。

「もうお前、一人でも平気だろ。俺、ゼダと――さっきの奴と話してくるから」
「あ……うん」
「代わりに謝っとくよ。ごめんな」
「……あの人にも、気に入らないことをしていたならごめんなさいって言っておいて。私……気にしてないよって」
「わかった」

 短く言うと、キッカは部屋を出て行った。
 廊下から聞こえる足音が遠ざかり、完全に聞こえなくなる。
 セランはしばらく動かなかった。
 まだ、襲われた衝撃は胸の内から消えていない。

(……私、魔王と戦うことになってもなにもできない)

 突きつけられたのはその事実だった。
 ティアリーゼにも近いうちに相談する必要があるだろう。

(やっぱりどうにかして平和に乗っ取らなきゃ……)

 そこだけは諦めきれず、むむむと頭をひねる。

(話し合い……。……いっそ不在の間、留守を守りますって言ってみるとか……。……でもそれって、家を守る妻みたいじゃない?)

 連鎖的に思い浮かんだのは、慣れ親しんだ集落の天幕。
 砂の上に絨毯を敷いた簡素な中で、帰りを待つセランと――「ただいま」を言うキッカ。

(――なんで!)

 ぼふ、とセランは咄嗟にベッドに飛び込んでいた。
 顔を枕に押し付け、突然熱くなった頬を冷やそうとする。

(なんでキッカの顔が思い浮かんだの!)

 まったく意味がわからなくて、その混乱をどこかへ逃がそうとじたばた暴れてみる。
 やがて疲れ果てたセランはちょっとだけ顔を上げた。
 ぺしゃんこにしてしまった枕を抱き締め、軽く唇を噛む。

(……無理するなって言ってくれた。女の子なんだからって)

 あの優しい囁きと、頭を撫でてくれた手の大きさを思い出すだけで、ひどく胸がざわつく。

(……ラシードでさえそんなこと言わなかったのに)

 婚約者だった男のことを思い出そうとして失敗する。
 顔が見えていたはずの男より、顔が見えない男のことしか考えられない。
 自分の心がどうにかなってしまったようで、今日一日の記憶すらごちゃごちゃになっていく。
 恐ろしい事件があったはずだった。
 セランは死にかけて、もう二度と剣など持たないと思ってもいいはずだった。
 しかし、あまりそのときのことを考えられない。
 怖かったから記憶を締め出しているのではなく、それ以上の記憶が頭を占めすぎている。
 ぎゅう、とセランは枕を抱き締めた。

(もやもやして気持ち悪い……)

 得体の知れないものがセランを惑わせている。
 キッカがくちばしを擦り付けていった手は、あの時の冷たさを忘れて、甘い熱をはらんでいた――。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。

とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」 成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。 「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」 ********************************************        ATTENTION ******************************************** *世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。 *いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。 *R-15は保険です。

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

[完]本好き元地味令嬢〜婚約破棄に浮かれていたら王太子妃になりました〜

桐生桜月姫
恋愛
 シャーロット侯爵令嬢は地味で大人しいが、勉強・魔法がパーフェクトでいつも1番、それが婚約破棄されるまでの彼女の周りからの評価だった。  だが、婚約破棄されて現れた本来の彼女は輝かんばかりの銀髪にアメジストの瞳を持つ超絶美人な行動過激派だった⁉︎  本が大好きな彼女は婚約破棄後に国立図書館の司書になるがそこで待っていたのは幼馴染である王太子からの溺愛⁉︎ 〜これはシャーロットの婚約破棄から始まる波瀾万丈の人生を綴った物語である〜 夕方6時に毎日予約更新です。 1話あたり超短いです。 毎日ちょこちょこ読みたい人向けです。

【完結】婚約者に忘れられていた私

稲垣桜
恋愛
「やっぱり帰ってきてた」  「そのようだね。あれが問題の彼女?アシュリーの方が綺麗なのにな」  私は夜会の会場で、間違うことなく自身の婚約者が、栗毛の令嬢を愛しそうな瞳で見つめながら腰を抱き寄せて、それはそれは親しそうに見つめ合ってダンスをする姿を視線の先にとらえていた。  エスコートを申し出てくれた令息は私の横に立って、そんな冗談を口にしながら二人に視線を向けていた。  ここはベイモント侯爵家の夜会の会場。  私はとある方から国境の騎士団に所属している婚約者が『もう二か月前に帰ってきてる』という話を聞いて、ちょっとは驚いたけど「やっぱりか」と思った。  あれだけ出し続けた手紙の返事がないんだもん。そう思っても仕方ないよでしょ?    まあ、帰ってきているのはいいけど、女も一緒?  誰?  あれ?  せめて婚約者の私に『もうすぐ戻れる』とか、『もう帰ってきた』の一言ぐらいあってもいいんじゃない?  もうあなたなんてポイよポイッ。  ※ゆる~い設定です。  ※ご都合主義です。そんなものかと思ってください。  ※視点が一話一話変わる場面もあります。

政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。

うたた寝している間に運命が変わりました。

gacchi
恋愛
優柔不断な第三王子フレディ様の婚約者として、幼いころから色々と苦労してきたけど、最近はもう呆れてしまって放置気味。そんな中、お義姉様がフレディ様の子を身ごもった?私との婚約は解消?私は学園を卒業したら修道院へ入れられることに。…だったはずなのに、カフェテリアでうたた寝していたら、私の運命は変わってしまったようです。

【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?

つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。 彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。 次の婚約者は恋人であるアリス。 アリスはキャサリンの義妹。 愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。 同じ高位貴族。 少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。 八番目の教育係も辞めていく。 王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。 だが、エドワードは知らなかった事がある。 彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。 他サイトにも公開中。

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

処理中です...