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第三話
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しおりを挟むその後、セランはキッカによって部屋に運ばれた。
怪我の有無を確かめられたが、擦り傷が少しある以外はどこにも怪我がなかった。
「怖かったろ、もう大丈夫だからな」
「うん……」
「目ぇ離して悪かった。俺のせいだ」
「……ううん。覚悟が足りてなかったの。人間なのに亜人の城で生活する覚悟が」
「そんなもん、持たせたくねぇ。……人間だとか獣人だとか、空の下ではみんな一緒じゃねぇか」
「でも……」
言いかけたセランの頭に、再びキッカが手を乗せる。
「今度からは誰かと一緒に行動するか、もしくは部屋を出ないようにしろ。いいな?」
「……キッカは?」
「んあ?」
「一緒にいてくれないの?」
「なんだよ、親にくっつく雛みたいなこと言って。俺がいなきゃだめなのか?」
「え、あ、う、ううん、違うの。……違うの」
砂漠を散々歩き回ったときよりも顔が熱い。
どうしてそうなっているのかセラン自身にもわからなかったが、少なくとも見られたい状態ではなかった。
(私にもキッカみたいな仮面があったらよかったのに……!)
なぜ、キッカはいてくれないのかと尋ねてしまったのか、やはり理由ははっきりしない。
ただ、そうしてくれれば安心するだろうと思う。
二度も助けてもらった。そんな相手の側を安全だと感じるのはごくごく普通のことだろう。
それにしてもどうしてこんなに熱いのか。心臓だって先ほどからやかましい――。
そう思っていたセランは、キッカの次の行動にぎょっとする羽目になった。
「な……なにしてるの……?」
手に感じる、冷たい金属。
キッカはセランの手を取って、仮面のくちばしに当たる部分を擦り付けていた。
「……ん?」
「冷たいんだけど……」
「……あ、うん、そうだよな。悪い」
すぐにキッカが離れていく。
セランの手には冷たい感触だけが残った。
「今の、なに?」
「いや、俺にもわかんねぇ」
「どういうこと?」
「説明できねぇもんはできねぇんだって」
「なにそれ、変だよ」
「うっせ」
先ほどは見られなくてよかったという仮面の裏側を、今はとても見たいと思ってしまう。
どうやらキッカは焦っているように見えるが――。
「もうお前、一人でも平気だろ。俺、ゼダと――さっきの奴と話してくるから」
「あ……うん」
「代わりに謝っとくよ。ごめんな」
「……あの人にも、気に入らないことをしていたならごめんなさいって言っておいて。私……気にしてないよって」
「わかった」
短く言うと、キッカは部屋を出て行った。
廊下から聞こえる足音が遠ざかり、完全に聞こえなくなる。
セランはしばらく動かなかった。
まだ、襲われた衝撃は胸の内から消えていない。
(……私、魔王と戦うことになってもなにもできない)
突きつけられたのはその事実だった。
ティアリーゼにも近いうちに相談する必要があるだろう。
(やっぱりどうにかして平和に乗っ取らなきゃ……)
そこだけは諦めきれず、むむむと頭をひねる。
(話し合い……。……いっそ不在の間、留守を守りますって言ってみるとか……。……でもそれって、家を守る妻みたいじゃない?)
連鎖的に思い浮かんだのは、慣れ親しんだ集落の天幕。
砂の上に絨毯を敷いた簡素な中で、帰りを待つセランと――「ただいま」を言うキッカ。
(――なんで!)
ぼふ、とセランは咄嗟にベッドに飛び込んでいた。
顔を枕に押し付け、突然熱くなった頬を冷やそうとする。
(なんでキッカの顔が思い浮かんだの!)
まったく意味がわからなくて、その混乱をどこかへ逃がそうとじたばた暴れてみる。
やがて疲れ果てたセランはちょっとだけ顔を上げた。
ぺしゃんこにしてしまった枕を抱き締め、軽く唇を噛む。
(……無理するなって言ってくれた。女の子なんだからって)
あの優しい囁きと、頭を撫でてくれた手の大きさを思い出すだけで、ひどく胸がざわつく。
(……ラシードでさえそんなこと言わなかったのに)
婚約者だった男のことを思い出そうとして失敗する。
顔が見えていたはずの男より、顔が見えない男のことしか考えられない。
自分の心がどうにかなってしまったようで、今日一日の記憶すらごちゃごちゃになっていく。
恐ろしい事件があったはずだった。
セランは死にかけて、もう二度と剣など持たないと思ってもいいはずだった。
しかし、あまりそのときのことを考えられない。
怖かったから記憶を締め出しているのではなく、それ以上の記憶が頭を占めすぎている。
ぎゅう、とセランは枕を抱き締めた。
(もやもやして気持ち悪い……)
得体の知れないものがセランを惑わせている。
キッカがくちばしを擦り付けていった手は、あの時の冷たさを忘れて、甘い熱をはらんでいた――。
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