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第七話
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しおりを挟む微かにシュクルが目を見開いた。
そうすると、瞳孔が細くなる。
「……嫌では? 無理を強いるつもりはない」
シュクルがそう言ってきたことが、これまで過ごしてきた時間の深さを感じさせた。
日々、彼は雛から成体へ心を進化させている。
「違うの。心の準備ができていなかっただけで……あなたと添い遂げることに文句はないのよ」
「恋人をやめる?」
「うん。もうほぼほぼ、周りの人の扱いもそういう感じだし……」
キッカはティアリーゼをシュクルの嫁と呼ぶ。
トトはまだそこまで柔軟な対応をしていないが、以前より扱いが柔らかくなったような気がする。メルチゥに至っては早く王妃と呼びたいと言ってくる始末だった。
他にも出会う亜人たちは皆、ティアリーゼをシュクルのものとして接する。ティアリーゼ本人だけが、そんな状況を飲み込み切れていなかった。
「……改めてお父様に報告しなければならないわね。さすがに勝手に結婚まではできないわ」
「結婚?」
「人間は添い遂げることをそう言うの。つがいになる……の方がわかりやすいかしら」
「私も言葉ぐらいは知っている。……単純に自分のことだと思えなかっただけだ」
こつ、とシュクルがティアリーゼの額に自分の額を押し当てる。
久しくしていなかった、シュクルなりの求愛行動だった。
「過去、人間と結ばれた魔王はいない。私が初めてだな」
「そうなのね。じゃあ、あなたの仲間たちにも、人間たちにも驚かれるかも――」
そう答えた瞬間、ティアリーゼに電流が走った。
「これを利用することってできないかしら」
「なにが?」
「人間とあなたたちの共存のために、私たちの結婚を使うの。だって人間と魔王が結婚するなんて初めてのことなんでしょう? しかも私、一応は元勇者よ。敵対していた二人が結ばれたって広まったら……」
「よくわからない。人間はそういうことになにかを思う生き物なのか」
「思うわ」
きっぱり断言する。
そう育てられていなかったとはいえ、姫だったティアリーゼは政略結婚という言葉を知っている。敵対しあう二つの国が結婚によって友好的になるというのは、よく聞く話だった。
「一人一人に意識を変えるよう言っていても仕方がないわ。私とあなたが結ばれることで、共に生きていけることを伝えるの」
「……お前は自分に役目を押し付けるのが好きだな」
ふ、とシュクルが鼻を鳴らす。
表情が変わらないせいで、笑われているのか不満に思っているのか読み取れない。
「よくないことかしら……?」
「わからない。ただ、自分を利用することに抵抗がないのかと思っただけだ」
「……ごめんなさい。あなたを利用することにもなるわね」
「私は構わない。お前がそう望むなら、いくらでも」
「……ありがとう」
ティアリーゼが思うほど、シュクルは種の共存に意欲的ではない。他の亜人たちがそうであるように、自分に害さえなければどうでもいいと思っている節がある。
それなのにティアリーゼが望むならと肯定してくれるのだから、心が広いという言葉で片付けられるものではなかった。
魔王がそう発言すればどうなるか、さすがにわからないシュクルではないというのに。
「ただ、叱られそうだ」
「キッカさん?」
「違う。グウェン」
「……初めて名前を聞くお友達だわ」
「東の大陸を治めている。人間が嫌いだと言っていた」
(……治めている? じゃあ……)
「藍狼の魔王……かしら?」
「いかにも」
(お友達が魔王ばっかりなのは、やっぱりシュクルも魔王だからなのかしら……)
自分には姫の友人も勇者の友人もいなかった、となんとも言えない気持ちになる。
「でも、そうね。人間を嫌う仲間たちからすれば、あなたの結婚は嬉しいことじゃないわ。もしあなたが困るようなら、今の話はなかったことに――」
「なぜ? 私は私で、何者にも生き方を強制される筋合いはない。皆、それをわかっている」
シュクルがティアリーゼに額を押し付ける。
毛布が勝手に動いているのが視界に入った。中でご機嫌な尻尾が暴れているらしい。
「お前が恋人をやめてくれるのが嬉しい」
「そんなに?」
「キスをしても叱られなくなる」
「そんなに気に入ったの……?」
「触れ合えている、という気になる。ティアリーゼは温かい。それに、美味い」
「……どきっとするから、おいしいっていう扱いはどうにかしてほしいわ」
(せめて甘いとかなら、こう……どきどきもするんだけど……)
「結婚はもうしたのか?」
シュクルの言葉選びに悶々としていると、妙な質問をされてしまった。
本人はいたって真面目な顔をしている。
「結婚が終わっているなら嬉しい」
「ええと……残念だけど、まだよ。だってほら、結婚式をしないと」
「そういったものが存在するのはわかる。公の場で誓いを告げる行為だろう」
「まぁ……そうね」
(人間だけがすることじゃないのかしら。それなら話は早そう)
「それをしてから、恋人をやめるのか」
「うん、そうね。そうなると思うわ」
答えてから、これまでの流れをまとめる。
「私たちの結婚を大々的に広めるなら、結婚式に二つの種族を招くのが一番いいと思うの」
「そうだな」
「……ごめんなさい。こんな話ばっかりして」
「構わない。そういうお前の強さも好きだ」
嘘偽りのないまっすぐな言葉がティアリーゼの胸を突く。
シュクルがティアリーゼを好きだと言うたびに、ティアリーゼもシュクルのことを好きになる気がした。
(一緒にいられるだけでいいって思った。でも、結局私は役目を求めてしまう……)
「最後にもう一度聞かせて。……本当に私でいい?」
「お前がいい。他の人間はいらない」
即答され、言葉を失う。
しかし、すぐにティアリーゼは笑った。
「私もあなた以外と結婚するのは嫌だわ」
いつもはシュクルからしてくるキスを、今日はティアリーゼからする。
次に言葉を失ったのはシュクルだった。
目をぱちくりさせたところは驚くほど表情豊かで、つい見とれてしまう。
「あなたってそんな顔もするのね」
「なんのことかわからない」
はむ、と唇を甘噛みされ、鼓動が速くなっていく。
二人はどちらからともなく指を絡め、触れるだけのキスを繰り返した。
今夜のシュクルはティアリーゼが逃げてしまわないよう、優しく優しく触れてくる。それが逆に落ち着かない気持ちを加速させているのだと知ることもなく。
そっと差し入れられた舌を受け入れる。そんな風にシュクルが自分を味わいたいと言うなら、食べさせてあげてもいいと思ってしまった。
「もっと見せてね。そういうところ」
「だから、なんのことかわからない」
憮然と言ったのがおかしくてくすくす笑ってしまう。
笑われているのが気に入らない、とでも言うようにキスで唇を塞がれ、ティアリーゼはまた胸を高鳴らせた。
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