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愛を取り戻した女の話
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***
「君の作った卵焼きが食べたいな」
キッチンに立った彼女に、彼が無邪気に言った。
どうして彼がそう言ったのか、彼女はすぐに理解してしまう。
彼は卵料理が食べられない。
アレルギーのせいだと言っていたのを思い出し、自分が試されていることを改めて認識する。
分かっていてなお、彼女は彼に微笑みかける。
「分かった。じゃあ楽しみにしていてね」
――さようなら。
そう、心の中で告げる。
こう答えることを彼は心のどこかで望んでいるのだろうし、彼女も偽りの愛を終わらせたいと望んでいた。
「君は……」
彼が浅い呼吸を繰り返す。彼女も、息をした振りをした。
「君は死んだはずだ」
その指摘を望んでいたはずなのに、咄嗟に首を横に振っていた。
(言わないで。また一緒にいたい。ずっとあなたと『生きたい』)
「駄目だよ。それを言ったらもう戻れなくなる」
叫びたい本当の気持ちは隠して、彼に選択させることを選んだ。
それがどんなに残酷な選択肢でも、彼女には出せない結論だった。
彼はただ静かに伏せていた目を彼女に向ける。
「君は、死んだはずだ」
(……さようなら。私の大好きな人。ごめんなさい。私の大切な人)
目の前で、彼が正気に戻っていくのが分かる。
甘い香りに騙されて、彼女という優しさに騙されて、惑わされた住人に騙されて、狂っていた彼が少しずつ正常を取り戻していく。
「もう二度と、私を取り戻さないで」
頭を押さえてふらつく彼にはっきりと告げる。
もう、その声が彼の耳に入っていないと分かっていても、言わずにはいられなかった。
「……幸せに『生きて』ね。私の分まで……」
――ごめんなさい。
最後に告げた瞬間、彼と繋がっていた何かがぷつりと切れたのが分かった。
***
「これで、良かったの」
シレネの咲く家で、一人若い女が目を閉じる。
「私はもう一度だけあなたと『生きた』。それだけで充分」
若い女は自分の左手をそっと握り締める。
その薬指には鈍い銀の指輪がはまっていた。
何度も愛おしげに指輪を撫で、そこに刻まれた『あなたを永遠に愛しています』という言葉に口付ける。
「……私を忘れてね」
誰も、女の声には応えない。
「……ごめんなさい」
――流れるはずのない涙を流し、女は永遠に誠実な恋人を想い続けた。
「君の作った卵焼きが食べたいな」
キッチンに立った彼女に、彼が無邪気に言った。
どうして彼がそう言ったのか、彼女はすぐに理解してしまう。
彼は卵料理が食べられない。
アレルギーのせいだと言っていたのを思い出し、自分が試されていることを改めて認識する。
分かっていてなお、彼女は彼に微笑みかける。
「分かった。じゃあ楽しみにしていてね」
――さようなら。
そう、心の中で告げる。
こう答えることを彼は心のどこかで望んでいるのだろうし、彼女も偽りの愛を終わらせたいと望んでいた。
「君は……」
彼が浅い呼吸を繰り返す。彼女も、息をした振りをした。
「君は死んだはずだ」
その指摘を望んでいたはずなのに、咄嗟に首を横に振っていた。
(言わないで。また一緒にいたい。ずっとあなたと『生きたい』)
「駄目だよ。それを言ったらもう戻れなくなる」
叫びたい本当の気持ちは隠して、彼に選択させることを選んだ。
それがどんなに残酷な選択肢でも、彼女には出せない結論だった。
彼はただ静かに伏せていた目を彼女に向ける。
「君は、死んだはずだ」
(……さようなら。私の大好きな人。ごめんなさい。私の大切な人)
目の前で、彼が正気に戻っていくのが分かる。
甘い香りに騙されて、彼女という優しさに騙されて、惑わされた住人に騙されて、狂っていた彼が少しずつ正常を取り戻していく。
「もう二度と、私を取り戻さないで」
頭を押さえてふらつく彼にはっきりと告げる。
もう、その声が彼の耳に入っていないと分かっていても、言わずにはいられなかった。
「……幸せに『生きて』ね。私の分まで……」
――ごめんなさい。
最後に告げた瞬間、彼と繋がっていた何かがぷつりと切れたのが分かった。
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「これで、良かったの」
シレネの咲く家で、一人若い女が目を閉じる。
「私はもう一度だけあなたと『生きた』。それだけで充分」
若い女は自分の左手をそっと握り締める。
その薬指には鈍い銀の指輪がはまっていた。
何度も愛おしげに指輪を撫で、そこに刻まれた『あなたを永遠に愛しています』という言葉に口付ける。
「……私を忘れてね」
誰も、女の声には応えない。
「……ごめんなさい」
――流れるはずのない涙を流し、女は永遠に誠実な恋人を想い続けた。
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