6 / 8
愛を取り戻した女の話
2
しおりを挟む
***
「……早く起きないかな」
目を閉じた彼の顔を覗き込む。
彼女を『運んだ』ことで疲れてしまったのか、彼は死んだように眠っていた。
以前のように揺さぶって起こしたいような、このまま寝かせてあげたいような、そんな不思議な気持ちになる。
「……私、とても嬉しいの。もう一度会いに来てくれてありがとう。もう一度会わせてくれてありがとう。だから……ごめんなさい」
そっと彼の胸に顔を近付ける。
とく、と生きた人間の音がした。
その音に惹かれて、そこにゆっくりと手を伸ばす。
触れた温もりは確かなもので、彼女の指先をじんわり温めた。
「起きて。……でも、起きないで。ずっと眠っていてくれれば、きっと何も悲しいことなんてないと思う。もう一回あなたとお別れしないですむ。……分かってるのに、あなたと話したい。もう一度だけ、あなたと」
――彼女には自分のことがよく分かっていた。
温かい彼の手を握っても、自分にその温もりが移らない意味を。
そして、彼が今の今まで彼女に気付かなかった意味を。
「……シレネの花が咲いた家だって。私たちのどこに『偽りの愛』があるんだろう。……嘘を吐いているのも、騙しているのもあなたじゃない。……私だけ」
すぅ、と彼が息を吸う。彼女にはもう必要のないものだ。
「あの女性はサルビアの花が咲いた家に住んでるって言ってた。子どもが待ってるサルビアの家。ねぇ、サルビアの花言葉を知ってる? 『家族愛』って言うんだよ。……きっと、あの人の子どもは――」
――私と同じだね。
事実を拒むように彼女は激しくむせた。
もっとも、むせていると思い込んでいるだけかもしれない。
かつての記憶がそう錯覚させているだけのようにも思えたし、硬直した喉が空気の吸い方を忘れて本当に痙攣しているようにも思えた。
どちらにせよ、彼女にはある意味で関係がない。
「……ん」
もぞ、と彼が身じろぎする。穏やかな寝顔を見て、彼女は嘆息した。
「……ごめんなさい」
きっと彼は目を開けるだろう。
そして、彼女に『気付いてしまう』。
「……ここはあなたにとっての楽園じゃない」
彼女はそう呟いて、目を閉じた。ふわりと甘すぎる香りが漂い、そして――。
「……早く起きないかな」
目を閉じた彼の顔を覗き込む。
彼女を『運んだ』ことで疲れてしまったのか、彼は死んだように眠っていた。
以前のように揺さぶって起こしたいような、このまま寝かせてあげたいような、そんな不思議な気持ちになる。
「……私、とても嬉しいの。もう一度会いに来てくれてありがとう。もう一度会わせてくれてありがとう。だから……ごめんなさい」
そっと彼の胸に顔を近付ける。
とく、と生きた人間の音がした。
その音に惹かれて、そこにゆっくりと手を伸ばす。
触れた温もりは確かなもので、彼女の指先をじんわり温めた。
「起きて。……でも、起きないで。ずっと眠っていてくれれば、きっと何も悲しいことなんてないと思う。もう一回あなたとお別れしないですむ。……分かってるのに、あなたと話したい。もう一度だけ、あなたと」
――彼女には自分のことがよく分かっていた。
温かい彼の手を握っても、自分にその温もりが移らない意味を。
そして、彼が今の今まで彼女に気付かなかった意味を。
「……シレネの花が咲いた家だって。私たちのどこに『偽りの愛』があるんだろう。……嘘を吐いているのも、騙しているのもあなたじゃない。……私だけ」
すぅ、と彼が息を吸う。彼女にはもう必要のないものだ。
「あの女性はサルビアの花が咲いた家に住んでるって言ってた。子どもが待ってるサルビアの家。ねぇ、サルビアの花言葉を知ってる? 『家族愛』って言うんだよ。……きっと、あの人の子どもは――」
――私と同じだね。
事実を拒むように彼女は激しくむせた。
もっとも、むせていると思い込んでいるだけかもしれない。
かつての記憶がそう錯覚させているだけのようにも思えたし、硬直した喉が空気の吸い方を忘れて本当に痙攣しているようにも思えた。
どちらにせよ、彼女にはある意味で関係がない。
「……ん」
もぞ、と彼が身じろぎする。穏やかな寝顔を見て、彼女は嘆息した。
「……ごめんなさい」
きっと彼は目を開けるだろう。
そして、彼女に『気付いてしまう』。
「……ここはあなたにとっての楽園じゃない」
彼女はそう呟いて、目を閉じた。ふわりと甘すぎる香りが漂い、そして――。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
婚約破棄の夜の余韻~婚約者を奪った妹の高笑いを聞いて姉は旅に出る~
岡暁舟
恋愛
第一王子アンカロンは婚約者である公爵令嬢アンナの妹アリシアを陰で溺愛していた。そして、そのことに気が付いたアンナは二人の関係を糾弾した。
「ばれてしまっては仕方がないですわね?????」
開き直るアリシアの姿を見て、アンナはこれ以上、自分には何もできないことを悟った。そして……何か目的を見つけたアンナはそのまま旅に出るのだった……。
愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる