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愛を取り戻したかった男の話
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しおりを挟むふと彼は目を覚ます。
寝起きでぼやけた視界に映る天井は明るい。
電気をつけた覚えはないし、まさか朝が来てしまったとも思えない。
未だはっきりしない頭を叩き起こしたのは彼以外の人間の声だった。
「おはよう」
ああ、と声にならない声が喉に詰まる。
体を起こした彼は先ほどまで確かに動かなかった人間が目の前に座っているのを見た。
自然と嗚咽が漏れる。そんな彼を心配する声は彼女のそれ以外のなにものでもなかった。
「寝ぼけた?」
くすくす笑い。
以前彼女自身がよくやっていたように、目の前の彼女も彼の頬をつついた。
残る体温と感触が、これは夢ではないということを物語っている。
しかしそれだけでは安心できず、彼は自分で自分の左手をつねった。
鈍い痛みがじわりと広がり、さらに彼の涙腺を刺激する。
どうしたの、という一言で、ほとんど反射的に体が動いた。
抱き締めた彼女はおずおずと彼の背中に腕を回し、子供をあやすように頭を撫でる。
偽物ではない本物の温もりを確かに感じ、やがて彼は声をあげて泣き出した。
――それからの生活は幸せそのものだった。
色のなかった日々が突然鮮やかになり、彼は忘れていた心からの笑顔を思い出した。
新しい住人のことが小さい村に広まるのはあっという間のことで、すぐに村の様々な住人が彼ら二人を訪ねた。
この家まで案内してくれたあの女性が、やんちゃ盛りの息子を紹介しにやってきたこともあった。
飛ぶように過ぎていく日々の中、彼らを含めたすべての住人が同じ喜びを分かち合い、かつて自分達の身に起きた不幸を忘れ、これ以上ないほどの幸せを噛み締めながら生きていた。
***
彼らがここに住み始めてからはや数ヶ月が経った。
はやく進んでいるように感じられるものの、思っているよりは進んでいない時間だったが、少しとして満たされていないときはなかった。
しかし、風が肌を冷たくなぞり始める頃、彼は微かな違和感を覚えるようになっていた。
それは主に彼女に関することで、ふとした瞬間に露わになるものだった。
例えば、以前の彼女なら彼の言うことすべてを肯定することなどなかったし、彼の望むことすべてを叶えようとはしなかった。
基本的にマイペースだった彼女が彼に合わせるために自分を犠牲にすることなどなかったからだ。
また、彼女と外に出るだけでひどく疲れることも気になっていた。
精神的な意味ではなく、体力的な意味でだ。
それについて、彼女に相談すると「私は疲れないから」と返される。
彼女が疲れないということがなぜ彼の疲れに関係するのか、まったく意味が分からない。
何か重要なことを忘れている気がした。
それが何かを突き止めようと、彼はあえて彼女を試すことを決意する。
それによってこの短い幸せの時間がすべて失われるとしても。
「明日の朝ご飯は何にする?」
いつも通り聞いてきた彼女のその微笑みが恐ろしいと感じたのは初めてだった。
そう感じる自分と、これからの会話を考えて、その残酷さに吐き気がする。
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