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【遠い海から来た男】
岩永①
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白羽の死から一週間が経った。
ユキは以前と変わらないように見えたが、森田ユキ観察歴六年以上の大ベテランである水沢からすると「まだちょっと元気がない」様子であった。
仕事が終わり、村尾はユキを久々に食事に誘った。村尾もユキのことが心配であったからだ。
「森田ちゃん今から飯行かねぇ? 水沢と三人で」
だがユキは申し訳なさそうに、
「ごめん、今日は人と会う約束があるんだよね。明日以降はいつでもいいから」
と断り帰ってしまった。
村尾が水沢にそう伝えると、
「人に会う約束ですか……。誰でしょう?」
水沢は怪訝な表情である。
「さぁ。男かもな。今は森田ちゃん精神的に弱ってるから、誰かに言い寄られたらふらっといっちゃうんじゃねぇの?」
それを聞いた水沢は間髪入れず
「尾行します」
と言い、さっさと歩き出してしまった。
水沢一人では何かやらかしそうなので、仕方ねぇなと村尾も同行することにした。
アパートの入り口を見張っていると、早速ユキが出てきた。いつものジャケットとジーンズ姿に水沢は少しホッとする。男と会うような格好ではない。
ユキは早足だ。見失わないようついて行くと、最寄の駅から電車に乗り込んだ。
水沢はユキの尾行歴も六年以上である。ユキが振り向くこともなく目的地に向かってズンズン歩いていくのを知っている。
対して村尾は尾行自体が初めての一般人だ。彼は水沢がユキとの距離を空けずに、隠れることもせず歩くのにやきもきし通しだった。
電車内でのユキはぼぉっとした表情だったので尾行はしやすい。やがてある駅で降車し、駅前の割と大きいホテルに入って行った。
そのまま一階のレストランに入り、入り口でウェイターに何か話している。水沢が堂々とユキの数メートル後から続くので、村尾はまたもヒヤヒヤした。
水沢は勝手に席を決め、
「ここに座りましょう」
と奥が見える側の椅子に座る。
「俺も」
村尾も水沢の隣に腰掛けようとするが、
「不自然ですので村尾さんはあっちに座って下さい」
と押し返された。内心面白くないが、水沢は言い出したら聞かないのを知っているので、素直に向かいの席に座る。
奥の方で男が手を挙げ、ユキに合図をした。ユキが席に着く。
ユキはこちらに背中を向けているので顔は見えず、距離があるため話し声も聞こえない。
「何が見える?」
「五十歳くらいの男と話しています」
男は灰色のポロシャツを着ており、よく焼けているのか浅黒い顔で、肩幅が広いのと太い眉毛でいかつい印象を受けた。
親子くらいの年の差だが、ユキは両親がいないはずなので父親ではないはず。
「誰ですかあれ」
「俺が知るか。そもそも見えねぇ」
村尾は振り返ってその男を見てみたい衝動と闘っている。
村尾達はとりあえずコーヒーを注文した。
しばらくユキたちは会話をしていたようだが、
「森田さんが男に何か封筒を渡しました」
「封筒?」
「はい。男が鞄に仕舞いました」
男が何かユキに言った。
途端に、ガタンとユキが立ち上がり、ついでテーブルに手を突きバチン! と平手で男の頬を打った。
店中がシンとなり、「痴話喧嘩?」などと囁き声が聞こえる。
さすがに村尾も振り向いてしまったが、ユキがこちらに向かって足早に歩いてくるのを見て慌てて姿勢を戻す。だが水沢は顔を上げたままだ。
「アホ! バレるだろ伏せろ!」
村尾が小声で言っても、まだユキを目で追っている。
入り口のベルがガランと鳴りユキが出て行った。
男はタバコを吸い始め、水沢が立ち上がった。
そしてユキの座っていたテーブルの脇に行き、立ったまま男を睨みつけた。男も何だこいつと睨み返す。打たれた頬が赤くなっている。
「なんやわいは。おおちゃっかね。くらすっぞ。
(訳:なんでしょう、貴方は。生意気ですね。殴りますよ)」
周囲の客は新たな人物の登場に修羅場を期待して注目している。
村尾がやれやれと立ち上がり、水沢の横に移動し、どう口火を切るべきかわからないのでとりあえず言った。
「ここ、禁煙スよ」
すると男は、
「あぁ、……すまん」
と携帯灰皿にタバコを押し付けたあたり、少しは動揺しているのかもしれない。
水沢はまだ男を睨んでいる。
「俺たち森田ユキさんの同僚です。ここ座ってもいいスか」
村尾が世話が焼けるなと思いながらも水沢の代わりに言うと、意外に男はすんなりと「別に良かけど」と承諾した。
飲み物を持って移動し腰掛ける。さらなる修羅場を期待していた観客たちはがっかりしたのか、また店内に騒めきが戻った。
「わい達ユキの同僚ちゆうたばって、付けて来たとね? そげんとばストーカーちゆうとぞ。
(訳:あなた達はユキの同僚とおっしゃいましたが、付けて来たのですか? そういうのをストーカーと言うのですよ)」
と男は椅子にもたれてこちらを見据えながら言う。
抑揚のない独特のイントネーションに強い方言と滑舌の悪さのトリプルアタックにより、良く聞き取れない。
男は西の果ての漁師町出身であった。言葉は少々荒いものの、二人を追い返さなかったところをみると、それすなわち性格も荒いという訳ではないようだ。
水沢は男が何を言っているのかよくわからなかったが、彼が「ユキ」と呼び捨てにしたのが気になって仕方がない。
「俺たち森田ちゃんの親衛隊みたいなもんです」
村尾が答える。
すると男は声を出して笑った。笑うと現れる目尻や鼻の皺が、先ほどの態度とのギャップを与えた。
「似たようなもんやっか。懐かしかね。昔もあんなんなぁようストーキングされとったけん。
(訳:似たようなものでしょう。懐かしいですね。昔もあの子は良くストーキングされていましたからね)」
と男は言い、鞄から名刺を出す。
「おいがだいか気になるっちゃろ(私が誰だか気になるのでしょう)」
名刺には「児童養護施設◯◯ 施設長 岩永岩造」と書いてある。
村尾は名刺を受け取りながら、その名前をどこかで見たことがある気がしたが、思い出せなかった。考えながらも、二人分の自己紹介をする。
「おいはあんなんの育った施設のもんたい。あんなんのこんまか時から知っとるばい。だけん半分親んごたっ感じたいね。
(訳:私はあの子が育った施設の者です。あの子の小さな時から知っています。だから半分親みたいなものですね)」
二人とも黙っている。両親がいないとは聞いているが、ユキが施設育ちとは初耳だった。
というか部分的にしか言葉が聞き取れないのだ。
「わい達聞いとらんと? まぁそりゃそうばいね……。しもうたばい、おいがこげん言うたこつあんなんには内緒にしてくれんね。そいよっかユキ元気のなかごたったばって何かあったとね?
(訳:あなた方聞いていないのですか? まぁそれはそうでしょうね。しまった、私がこう言ったことはあの子に内緒にして下さいね。それよりユキは元気がないようでしたが何かあったのですか?)」
村尾は岩永の言葉を懸命に標準語に変換し、
「恩師が亡くなったんスよ」
と答えながら、ユキが元気がないことを男が見抜いていることに感心していた。それだけ二人は長い付き合いなのだろう。
「そうたいね、道理で冗談の通じんかったったい
(訳:そうですか、道理で冗談が通じなかったんですね)」
岩永が呟く。
「森田さんが泣いていた。あんた何言ったんだ」
水沢がやっと口を聞く。
先ほどユキが俯いて泣きながら出て行くのを水沢は見た。
岩永は少し驚いた様子で、
「ユキ泣きよったとか? そいはだいぶ余裕なかごたっね。いつもやったらわろうて流すか、出て行くにしてもジュース代くらい置いて行くやろうけん。あんなん貸し借りが一番好かんやろ。
(訳:ユキは泣いていたのですか? それは大分余裕が無いようですね。いつもでしたら笑って流すか、出て行くにしてもジュース代くらい置いて行くでしょうから。あの子貸し借りが一番嫌いでしょう)」
「そうスね」と村尾がそれっぽく答える。
「ユキの奴、おいに借金しとったと。ゆうてもよんにゅうじゃなかばって。で、今回で最後の返済やったとけど、あんなんのしょんぼりしとったけん『こん後おいの部屋に来たら三割引にしてやっばい』って言うたったい。笑わせるつもりやったとけどな。
(訳:ユキは私に借金をしていました。と言っても沢山じゃないのですが。それで今回が最後の返済だったのですが、あの子がしょんぼりしていたので『この後私の部屋に来て、しかるべきことを行なったら三割引にして差し上げますよ』と言ったのです。笑わせるつもりだったのですが)」
岩永は真顔で言う。
村尾も水沢もなんとなく意味がわかった。
「セクハラじゃないスか。それに冗談に聞こえませんよ」
「そいは悪かこつばしてしもうたばい。今日知人の結婚式でたまたまこっちに来たけんね。あんなんに会うとは七年半ぶりとに。今まではお金ば書留で送ってくれよったとけど、今回はせっかくやけん会わんかって声掛けたとたい。
(訳:それは悪いことをしてしまいました。今日知人の結婚式でたまたまこっちに来ましたからね。あの子に会うのは七年半ぶりなのに。今まではお金ば書留で送ってくれていたのですが、今回はせっかくだから会おうかと声をかけたのです)」
この男よく喋るな、と村尾は思った。借金や施設育ちのことなど、完全にユキの個人情報ではないか。結婚式で飲んだアルコールがまだ体内に残っているのだろうか。
水沢はいつの間にか岩永を睨むのをやめている。彼がユキに害をなすものではないとわかったらしい。と言っても目つきの悪いのは相変わらずであるし、それに岩永がユキを泣かしたことを許した訳ではない。
水沢はユキと長年の付き合いらしい岩永に嫉妬し、また彼女に関する有益な情報を引き出せないかと考えた。
その時、岩永とユキが注文したらしい「カロリーゼロ。さらさらお茶漬けセット」と「一日分の野菜の約十五パーセントが摂れるちゃんぽんセット」が来た。岩永が頼んだのはお茶漬けの方らしい。結婚式の後だと言うから腹があまり減っていないのだろう。
岩永が言う。
「ユキの帰ってしもうたけんどっちか食べんね。ふだるかやろ。後一つ頼んで良かけん。奢っちゃるばい。
(訳:ユキが帰ってしまったので、どちらかが食べて下さい。お腹が減っているでしょう。後一つ頼んで良いですから。奢ってあげます)」
ちゃんぽんは水沢が食べることにし、村尾はガッツリと「こってりモツ煮込みうどんスペシャルセット大盛りカレー付き」を注文した。税抜きで三千円近い。なかなか厚かましい選択である。
「俺、森田さんのことをもっと聞きたいです」
水沢が言うと岩永は、
「わい、ユキば相当すいとるごたっね。この後すっことなかし、別によかばい。
(訳:あなたユキを相当好きみたいですね。この後することも無いですし、別に良いですよ)」
と、勝手にビールを三杯追加した。
ユキは以前と変わらないように見えたが、森田ユキ観察歴六年以上の大ベテランである水沢からすると「まだちょっと元気がない」様子であった。
仕事が終わり、村尾はユキを久々に食事に誘った。村尾もユキのことが心配であったからだ。
「森田ちゃん今から飯行かねぇ? 水沢と三人で」
だがユキは申し訳なさそうに、
「ごめん、今日は人と会う約束があるんだよね。明日以降はいつでもいいから」
と断り帰ってしまった。
村尾が水沢にそう伝えると、
「人に会う約束ですか……。誰でしょう?」
水沢は怪訝な表情である。
「さぁ。男かもな。今は森田ちゃん精神的に弱ってるから、誰かに言い寄られたらふらっといっちゃうんじゃねぇの?」
それを聞いた水沢は間髪入れず
「尾行します」
と言い、さっさと歩き出してしまった。
水沢一人では何かやらかしそうなので、仕方ねぇなと村尾も同行することにした。
アパートの入り口を見張っていると、早速ユキが出てきた。いつものジャケットとジーンズ姿に水沢は少しホッとする。男と会うような格好ではない。
ユキは早足だ。見失わないようついて行くと、最寄の駅から電車に乗り込んだ。
水沢はユキの尾行歴も六年以上である。ユキが振り向くこともなく目的地に向かってズンズン歩いていくのを知っている。
対して村尾は尾行自体が初めての一般人だ。彼は水沢がユキとの距離を空けずに、隠れることもせず歩くのにやきもきし通しだった。
電車内でのユキはぼぉっとした表情だったので尾行はしやすい。やがてある駅で降車し、駅前の割と大きいホテルに入って行った。
そのまま一階のレストランに入り、入り口でウェイターに何か話している。水沢が堂々とユキの数メートル後から続くので、村尾はまたもヒヤヒヤした。
水沢は勝手に席を決め、
「ここに座りましょう」
と奥が見える側の椅子に座る。
「俺も」
村尾も水沢の隣に腰掛けようとするが、
「不自然ですので村尾さんはあっちに座って下さい」
と押し返された。内心面白くないが、水沢は言い出したら聞かないのを知っているので、素直に向かいの席に座る。
奥の方で男が手を挙げ、ユキに合図をした。ユキが席に着く。
ユキはこちらに背中を向けているので顔は見えず、距離があるため話し声も聞こえない。
「何が見える?」
「五十歳くらいの男と話しています」
男は灰色のポロシャツを着ており、よく焼けているのか浅黒い顔で、肩幅が広いのと太い眉毛でいかつい印象を受けた。
親子くらいの年の差だが、ユキは両親がいないはずなので父親ではないはず。
「誰ですかあれ」
「俺が知るか。そもそも見えねぇ」
村尾は振り返ってその男を見てみたい衝動と闘っている。
村尾達はとりあえずコーヒーを注文した。
しばらくユキたちは会話をしていたようだが、
「森田さんが男に何か封筒を渡しました」
「封筒?」
「はい。男が鞄に仕舞いました」
男が何かユキに言った。
途端に、ガタンとユキが立ち上がり、ついでテーブルに手を突きバチン! と平手で男の頬を打った。
店中がシンとなり、「痴話喧嘩?」などと囁き声が聞こえる。
さすがに村尾も振り向いてしまったが、ユキがこちらに向かって足早に歩いてくるのを見て慌てて姿勢を戻す。だが水沢は顔を上げたままだ。
「アホ! バレるだろ伏せろ!」
村尾が小声で言っても、まだユキを目で追っている。
入り口のベルがガランと鳴りユキが出て行った。
男はタバコを吸い始め、水沢が立ち上がった。
そしてユキの座っていたテーブルの脇に行き、立ったまま男を睨みつけた。男も何だこいつと睨み返す。打たれた頬が赤くなっている。
「なんやわいは。おおちゃっかね。くらすっぞ。
(訳:なんでしょう、貴方は。生意気ですね。殴りますよ)」
周囲の客は新たな人物の登場に修羅場を期待して注目している。
村尾がやれやれと立ち上がり、水沢の横に移動し、どう口火を切るべきかわからないのでとりあえず言った。
「ここ、禁煙スよ」
すると男は、
「あぁ、……すまん」
と携帯灰皿にタバコを押し付けたあたり、少しは動揺しているのかもしれない。
水沢はまだ男を睨んでいる。
「俺たち森田ユキさんの同僚です。ここ座ってもいいスか」
村尾が世話が焼けるなと思いながらも水沢の代わりに言うと、意外に男はすんなりと「別に良かけど」と承諾した。
飲み物を持って移動し腰掛ける。さらなる修羅場を期待していた観客たちはがっかりしたのか、また店内に騒めきが戻った。
「わい達ユキの同僚ちゆうたばって、付けて来たとね? そげんとばストーカーちゆうとぞ。
(訳:あなた達はユキの同僚とおっしゃいましたが、付けて来たのですか? そういうのをストーカーと言うのですよ)」
と男は椅子にもたれてこちらを見据えながら言う。
抑揚のない独特のイントネーションに強い方言と滑舌の悪さのトリプルアタックにより、良く聞き取れない。
男は西の果ての漁師町出身であった。言葉は少々荒いものの、二人を追い返さなかったところをみると、それすなわち性格も荒いという訳ではないようだ。
水沢は男が何を言っているのかよくわからなかったが、彼が「ユキ」と呼び捨てにしたのが気になって仕方がない。
「俺たち森田ちゃんの親衛隊みたいなもんです」
村尾が答える。
すると男は声を出して笑った。笑うと現れる目尻や鼻の皺が、先ほどの態度とのギャップを与えた。
「似たようなもんやっか。懐かしかね。昔もあんなんなぁようストーキングされとったけん。
(訳:似たようなものでしょう。懐かしいですね。昔もあの子は良くストーキングされていましたからね)」
と男は言い、鞄から名刺を出す。
「おいがだいか気になるっちゃろ(私が誰だか気になるのでしょう)」
名刺には「児童養護施設◯◯ 施設長 岩永岩造」と書いてある。
村尾は名刺を受け取りながら、その名前をどこかで見たことがある気がしたが、思い出せなかった。考えながらも、二人分の自己紹介をする。
「おいはあんなんの育った施設のもんたい。あんなんのこんまか時から知っとるばい。だけん半分親んごたっ感じたいね。
(訳:私はあの子が育った施設の者です。あの子の小さな時から知っています。だから半分親みたいなものですね)」
二人とも黙っている。両親がいないとは聞いているが、ユキが施設育ちとは初耳だった。
というか部分的にしか言葉が聞き取れないのだ。
「わい達聞いとらんと? まぁそりゃそうばいね……。しもうたばい、おいがこげん言うたこつあんなんには内緒にしてくれんね。そいよっかユキ元気のなかごたったばって何かあったとね?
(訳:あなた方聞いていないのですか? まぁそれはそうでしょうね。しまった、私がこう言ったことはあの子に内緒にして下さいね。それよりユキは元気がないようでしたが何かあったのですか?)」
村尾は岩永の言葉を懸命に標準語に変換し、
「恩師が亡くなったんスよ」
と答えながら、ユキが元気がないことを男が見抜いていることに感心していた。それだけ二人は長い付き合いなのだろう。
「そうたいね、道理で冗談の通じんかったったい
(訳:そうですか、道理で冗談が通じなかったんですね)」
岩永が呟く。
「森田さんが泣いていた。あんた何言ったんだ」
水沢がやっと口を聞く。
先ほどユキが俯いて泣きながら出て行くのを水沢は見た。
岩永は少し驚いた様子で、
「ユキ泣きよったとか? そいはだいぶ余裕なかごたっね。いつもやったらわろうて流すか、出て行くにしてもジュース代くらい置いて行くやろうけん。あんなん貸し借りが一番好かんやろ。
(訳:ユキは泣いていたのですか? それは大分余裕が無いようですね。いつもでしたら笑って流すか、出て行くにしてもジュース代くらい置いて行くでしょうから。あの子貸し借りが一番嫌いでしょう)」
「そうスね」と村尾がそれっぽく答える。
「ユキの奴、おいに借金しとったと。ゆうてもよんにゅうじゃなかばって。で、今回で最後の返済やったとけど、あんなんのしょんぼりしとったけん『こん後おいの部屋に来たら三割引にしてやっばい』って言うたったい。笑わせるつもりやったとけどな。
(訳:ユキは私に借金をしていました。と言っても沢山じゃないのですが。それで今回が最後の返済だったのですが、あの子がしょんぼりしていたので『この後私の部屋に来て、しかるべきことを行なったら三割引にして差し上げますよ』と言ったのです。笑わせるつもりだったのですが)」
岩永は真顔で言う。
村尾も水沢もなんとなく意味がわかった。
「セクハラじゃないスか。それに冗談に聞こえませんよ」
「そいは悪かこつばしてしもうたばい。今日知人の結婚式でたまたまこっちに来たけんね。あんなんに会うとは七年半ぶりとに。今まではお金ば書留で送ってくれよったとけど、今回はせっかくやけん会わんかって声掛けたとたい。
(訳:それは悪いことをしてしまいました。今日知人の結婚式でたまたまこっちに来ましたからね。あの子に会うのは七年半ぶりなのに。今まではお金ば書留で送ってくれていたのですが、今回はせっかくだから会おうかと声をかけたのです)」
この男よく喋るな、と村尾は思った。借金や施設育ちのことなど、完全にユキの個人情報ではないか。結婚式で飲んだアルコールがまだ体内に残っているのだろうか。
水沢はいつの間にか岩永を睨むのをやめている。彼がユキに害をなすものではないとわかったらしい。と言っても目つきの悪いのは相変わらずであるし、それに岩永がユキを泣かしたことを許した訳ではない。
水沢はユキと長年の付き合いらしい岩永に嫉妬し、また彼女に関する有益な情報を引き出せないかと考えた。
その時、岩永とユキが注文したらしい「カロリーゼロ。さらさらお茶漬けセット」と「一日分の野菜の約十五パーセントが摂れるちゃんぽんセット」が来た。岩永が頼んだのはお茶漬けの方らしい。結婚式の後だと言うから腹があまり減っていないのだろう。
岩永が言う。
「ユキの帰ってしもうたけんどっちか食べんね。ふだるかやろ。後一つ頼んで良かけん。奢っちゃるばい。
(訳:ユキが帰ってしまったので、どちらかが食べて下さい。お腹が減っているでしょう。後一つ頼んで良いですから。奢ってあげます)」
ちゃんぽんは水沢が食べることにし、村尾はガッツリと「こってりモツ煮込みうどんスペシャルセット大盛りカレー付き」を注文した。税抜きで三千円近い。なかなか厚かましい選択である。
「俺、森田さんのことをもっと聞きたいです」
水沢が言うと岩永は、
「わい、ユキば相当すいとるごたっね。この後すっことなかし、別によかばい。
(訳:あなたユキを相当好きみたいですね。この後することも無いですし、別に良いですよ)」
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