野生のチューリップ

たんぽぽ。

文字の大きさ
上 下
22 / 37
【白羽の諦念】

なんか知らんけど小供の時から損ばかりして居ます

しおりを挟む
 白羽が倒れた。

 彼は職場の健診で、肝機能と血糖が異常値を示したことで受診勧告を受けていたにもかかわらず、面倒で放置していたのだ。仕事が忙しかったのもある。

 末期の癌であった。既に手術での切除が不可能な段階まで進行しており、医師は抗がん剤治療を勧めたが、彼はそれを拒否した。



 *



 白羽草介しらはそうすけは周囲から「飄々ひょうひょうとしている」と評されることが良くあるが、飄々と生まれ飄々と大きくなってきたわけではない。

 実は、彼の人生は「諦念」と共にあった。
 少々長くなり申し訳ないが、よろしければお付き合い願いたい。


 白羽は東京都出身で、都庁に勤める父と、専業主婦の母の元に生まれ育った。

 彼は四人きょうだいの三番目、つまり姉、兄、白羽、妹という構成である。
 姉は第一子ゆえに可愛がられ、兄は初の男児であり大事にされた。
 しかし白羽は姉とは四歳差、兄とは年子であり、両親は多忙で白羽を可愛がるどころではなかった。
 対して未子である妹は白羽とさらに六歳差で、未子特有の甘え上手な性格なのと、両親が歳をとり丸くなったのとでたいそう可愛がられた。

 自分は損をしている、と物心ついた頃から彼は漠然と感じていた。

 お下がりは当たり前、きょうだい間でのお菓子争奪戦にはいつも負けた。両親は他のきょうだいばかり庇い、子どもたちの乳幼児期の思い出話の中における白羽の登場回数は極めて少なかった。

 例えば他のきょうだいの思い出話は「ベビーカーで散歩させていたら女子高生にキャーキャー言われた」だの、「生後九ヶ月で五歩歩いた」だの、「五ヶ月の時バナナを丸々二本平らげた」だの言う微笑ましいものだったが、白羽のただでさえ数少ないそれは、「掃き出し窓が開いているのに気付かずもたれ掛かろうとしてベランダにひっくり返った」だの、「野良犬に追いかけられて泣きながら二キロの距離を全力疾走した」だの、「父親が置きっ放しにしていたホット青汁をこぼして号泣し兄貴のねんねタイムを邪魔した」だの、痛みを伴うものばかりだった。

 誰も聞いてはいなかったのだが、彼の初めて喋った言葉は「せちがらいよのなか」であった。

 小学二年生の時である。
 白羽はその日、学校で嫌なことがあって、トボトボと靴の先端を見つめて歩いていた。

 欠席した児童の分のパイナップル入りコッペパンを巡るジャンケン大会で見事優勝したにもかかわらず、準優勝した女子が泣き始め、譲らざるを得なくなったのだ。
 いつもは派閥を作ってお互い敵対し合っている女子達はここぞとばかりに団結し、白羽を責めた。
 担任教諭は児童の自主性を重んじると言う名目で傍観を決め込んだ。
 大人にとっては瑣末な出来事だが、八歳の白羽には大事件である。

 下校していると斜向かいの爺さんが庭木に水をやっていた。
 白羽を見つけた爺さんは「おかえり、どうした二男坊」と話しかけてきた。

 白羽は学校での出来事を簡潔に話した。すると爺さんは、
「期待するから失望するんだ。これからの人生、さらに不愉快なことが次々起こるぞ。とにかく期待は禁物だ」
 と、およそ小学校低学年の児童に、通常なら言わないようなことを言った。

 白羽は彼の言葉にその時はふうんと頷いただけであったが、その夜読んでいた漫画を途中で兄に取り上げられた際にそれを思い出した。

 なるほど人を変えるのが無理なら自分が変わるしかない、期待はやめよう。

 もちろん完全には無理だった。しかし腹の立つ気持ちが十五パーセントくらいは軽減されたような気がした。

 漫画の取り合いは労力を空費するだけだ。こいつも俺もどうせ死ぬ。
 白羽はきょうだい喧嘩の際引くようになった。

 白羽は期待をしないやり方を徐々に体得していった。小学生にしてそうであったのだから、元来そのような質だったのかもしれない。
 彼のきょうだいは段々と白羽に構わなくなった。年齢が上がってきたのもあるだろうが、彼に絡んでも全く面白くないからだ。

 すると父親が突然、剣道をやれと言ってきた。小学五年生の時である。
 父親には白羽の態度が無気力に映っており、それが彼を苛立たせていた。

 白羽はまだまだ甘かった。人に期待しないからと言って、決して人から干渉されない訳ではない。

 父親は近所の道場の先生と町内会で天候の話題プラスアルファを話す程度の仲で、度々「四人もお子さんがいるのなら、一人くらい剣道を習わせてみてはどうですか?」と、よく分からない理屈の勧誘を受けていた。恐らくただの世間話の一環なのだろうが、父親は思い付きで白羽に道場に通うよう強制した。

 心身を鍛えろ、ということであった。

 それは妻に育児のほとんどを任せていた罪悪感を軽くすると共に、先生に対する近所同士の義理を果たすという、つまり父親の自己満足でもある。
 同じ町内会のよしみで防具の代金も負けときますよ、という言葉も父親の背中を押した。

 父親の言うことは絶対である。白羽は渋々通い始めた。取り敢えずしばらく通っていれば父親も満足するだろう、時期をみて辞めようと思った。

 入って当分は礼法や体力づくりや素振り、足捌きなどをやらされたが、直接相手の面や小手に打ち込む稽古が始まると、いわゆる「覚醒」をした。

 竹刀で実際に相手を打つと、彼の中の何かが震えた。

 俺が求めていたものはこれだ、と思った。

 彼は剣道にのめり込んだ。打つのが楽しくて仕方がなかった。

 延々と打ち込み続ける地獄の掛かり稽古では、もういっそ永遠にやっていたいとさえ思った。真夏の灼熱の道場で「ヤメ!」の号令の後に「是非まだやりましょう」と提案した日には、稽古後に上級生に袋叩きにあったりもした。
 周りには、「あいつはドMかドSか意味不明」と言われていた。

 白羽は狙った部位に正確に打突を与える技を習得し、今度は相手を誘導し隙を作らせることに熱中し出した。

 そして、やがて道場の先生に「神童」とまで呼ばれるようになる。

 彼は中学に入ると迷わず剣道部に入り、六段の段位持ちだった顧問と互角に渡り合った。当然高校生になっても部活を続けた。

 最終的に白羽は高校二年生の時に、全国大会で優勝することになるのだが、母親が「あら凄いじゃない」と義務的に言っただけで、家族は特に関心が無いようであった。父親に至っては、自分が二男に剣道を勧めたことすら忘れていた。
 白羽は知らなかったが、その頃白羽家では長女が不倫相手との妊娠騒動を巻き起こしており、それどころではなかったのだ。

 白羽はその頃には他人に期待しないというモットーに加えて他人との関係を円滑に保つ術をある程度会得していたが、やはり落胆した。
 正直に言うとかなり応えた。彼はどこかで、まだ両親に手放しで褒めてもらいたかったのかもしれない。

 思春期だったこともあり、剣道やって、で、それで? という心境にもなった。
 惰性で部活は続け、やがて三年生になり引退した。

 彼はそれから長く剣道から離れることになる。

 同級生達は当然のように進学準備を始めていたが、彼は就職を希望した。

 兄と姉が二人とも私立の大学に進学し、おまけに一人暮らしをしたため、白羽に残された教育資金はもはやなかった。
 大学に行くなら奨学金を借りるよう言われ、そこまでして進学して何になると思ったのだ。ちなみに六歳下の妹は、兄や姉の資金援助もあり私大に進み、異性との交遊にかまけ、ちゃっかり一留までした。

 時は就職氷河期真っ只中。

 彼は飄々と何社も受け続け、飄々と不採用通知を受け続けた。諦念だけでは腹は膨れないため、仕事を見つけなければならない。

 そして四十五社目に受けた会社にようやく内定を貰った。小さな薬品卸の会社だった。仕事内容を簡単に言うと、医療機関に薬品を配達したり、情報を提供したりするのである。

 白羽はそこで十年間働いた。
 取引先の重役の家の草むしりを貴重な休日にやらされたり、外来が終わるのを長時間待った挙句当直明けの医師に邪険にされたり、調剤薬局に配達に行った際丁度出没した不快害虫の駆除を薬剤師に命ぜられたりしたが、モットーを貫き淡々と仕事をこなした。

 しかし、こと恋愛に関しては、モットー故に上手くいかなかった。
 交際に至るまでは良いのだ。彼の飄々っぷりは一部の女性には余裕ある大人の男性として魅力的に映るようだった。しかしいざ付き合うとなると、女達は白羽にありとあらゆることを期待した。

 やれ記念日だの、やれ何処そこへ連れて行けだの、オチのない話を最後まで笑顔で聞けだの、微妙な髪型の変化に気付いてべた褒めにしろだの、せっかく作った味噌汁に青汁をかけるなだの、相談事には正論で返すのではなく共感しろだの、うるさいことこの上ない。
 交際二日目で「式の入場にはゴンドラを使いましょうね」と提案された時は心底ゾッとした。

 彼はプライベートまでも人に気を遣いたくなかった。女達はそれを、自分に関する無関心だと捉えた。
 あなたと話していると木の人形に語りかけている気になるとか、そんなにオチのある話が欲しかったら寄席よせに落語を聞きに行け、とまで言われた。

 単に彼は、不運にも相性の良い女性との出会いがなかったのであった。
 恋愛も結婚も義務ではない、彼はプライベートを一人で過ごすことを優先するようになる。

 そもそも仕事が忙しく、月日がピュンピュン過ぎていった。剣道をやっていたことなど思い出さないくらい多忙だった。彼はいつの間にか二十七歳になっていた。

 やがて転機が訪れる。取引先のクリニックの待合室に、妖物が出現したのである。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

貴方の愛人を屋敷に連れて来られても困ります。それより大事なお話がありますわ。

もふっとしたクリームパン
恋愛
「早速だけど、カレンに子供が出来たんだ」 隣に居る座ったままの栗色の髪と青い眼の女性を示し、ジャンは笑顔で勝手に話しだす。 「離れには子供部屋がないから、こっちの屋敷に移りたいんだ。部屋はたくさん空いてるんだろ? どうせだから、僕もカレンもこれからこの屋敷で暮らすよ」 三年間通った学園を無事に卒業して、辺境に帰ってきたディアナ・モンド。モンド辺境伯の娘である彼女の元に辺境伯の敷地内にある離れに住んでいたジャン・ボクスがやって来る。 ドレスは淑女の鎧、扇子は盾、言葉を剣にして。正々堂々と迎え入れて差し上げましょう。 妊娠した愛人を連れて私に会いに来た、無法者をね。 本編九話+オマケで完結します。*2021/06/30一部内容変更あり。カクヨム様でも投稿しています。 随時、誤字修正と読みやすさを求めて試行錯誤してますので行間など変更する場合があります。 拙い作品ですが、どうぞよろしくお願いします。

【完結】婚約破棄にて奴隷生活から解放されたので、もう貴方の面倒は見ませんよ?

かのん
恋愛
 ℌot ランキング乗ることができました! ありがとうございます!  婚約相手から奴隷のような扱いを受けていた伯爵令嬢のミリー。第二王子の婚約破棄の流れで、大嫌いな婚約者のエレンから婚約破棄を言い渡される。  婚約者という奴隷生活からの解放に、ミリーは歓喜した。その上、憧れの存在であるトーマス公爵に助けられて~。  婚約破棄によって奴隷生活から解放されたミリーはもう、元婚約者の面倒はみません!  4月1日より毎日更新していきます。およそ、十何話で完結予定。内容はないので、それでも良い方は読んでいただけたら嬉しいです。   作者 かのん

妹に人生を狂わされた代わりに、ハイスペックな夫が出来ました

コトミ
恋愛
子爵令嬢のソフィアは成人する直前に婚約者に浮気をされ婚約破棄を告げられた。そしてその婚約者を奪ったのはソフィアの妹であるミアだった。ミアや周りの人間に散々に罵倒され、元婚約者にビンタまでされ、何も考えられなくなったソフィアは屋敷から逃げ出した。すぐに追いつかれて屋敷に連れ戻されると覚悟していたソフィアは一人の青年に助けられ、屋敷で一晩を過ごす。その後にその青年と…

茶番には付き合っていられません

わらびもち
恋愛
私の婚約者の隣には何故かいつも同じ女性がいる。 婚約者の交流茶会にも彼女を同席させ仲睦まじく過ごす。 これではまるで私の方が邪魔者だ。 苦言を呈しようものなら彼は目を吊り上げて罵倒する。 どうして婚約者同士の交流にわざわざ部外者を連れてくるのか。 彼が何をしたいのかさっぱり分からない。 もうこんな茶番に付き合っていられない。 そんなにその女性を傍に置きたいのなら好きにすればいいわ。

望まれない結婚〜相手は前妻を忘れられない初恋の人でした

結城芙由奈 
恋愛
【忘れるな、憎い君と結婚するのは亡き妻の遺言だということを】 男爵家令嬢、ジェニファーは薄幸な少女だった。両親を早くに亡くし、意地悪な叔母と叔父に育てられた彼女には忘れられない初恋があった。それは少女時代、病弱な従姉妹の話し相手として滞在した避暑地で偶然出会った少年。年が近かった2人は頻繁に会っては楽しい日々を過ごしているうちに、ジェニファーは少年に好意を抱くようになっていった。 少年に恋したジェニファーは今の生活が長く続くことを祈った。 けれど従姉妹の体調が悪化し、遠くの病院に入院することになり、ジェニファーの役目は終わった。 少年に別れを告げる事もできずに、元の生活に戻ることになってしまったのだ。 それから十数年の時が流れ、音信不通になっていた従姉妹が自分の初恋の男性と結婚したことを知る。その事実にショックを受けたものの、ジェニファーは2人の結婚を心から祝うことにした。 その2年後、従姉妹は病で亡くなってしまう。それから1年の歳月が流れ、突然彼から求婚状が届けられた。ずっと彼のことが忘れられなかったジェニファーは、喜んで後妻に入ることにしたのだが……。 そこには残酷な現実が待っていた―― *他サイトでも投稿中

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

幼馴染みとの間に子どもをつくった夫に、離縁を言い渡されました。

ふまさ
恋愛
「シンディーのことは、恋愛対象としては見てないよ。それだけは信じてくれ」  夫のランドルは、そう言って笑った。けれどある日、ランドルの幼馴染みであるシンディーが、ランドルの子を妊娠したと知ってしまうセシリア。それを問うと、ランドルは急に激怒した。そして、離縁を言い渡されると同時に、屋敷を追い出されてしまう。  ──数年後。  ランドルの一言にぷつんとキレてしまったセシリアは、殺意を宿した双眸で、ランドルにこう言いはなった。 「あなたの息の根は、わたしが止めます」

道具として生きた令嬢、雪解けの冬

こまの ととと
恋愛
王子の婚約者であったケイト。しかしその婚約は一方的な破棄で終わってしまう。 横暴な態度に呆れながら、これで離れられると思って素直に了承。 屋敷に戻ったケイトだったが、どこから聞きつけたのか新たな婚約の話が舞い込んで来る。 自分を家門の為の道具としてのみ使う父親からも離れる為に、その話を了承する。 かくして新たな婚約者である北方の長の元へと向かうケイト。 今度こそ、彼女は自由な幸せを掴む事が出来るのだろうか?

処理中です...