野生のチューリップ

【妖滅官養成学校時代】

若き水沢の悩み②

　オープンキャンパスへの参加のため訪れた養成学校で、水沢はユキに出会う。

　といっても言葉を交わした訳ではなく、目撃したといった方が正しい。

　説明会が行われる講堂で、ユキは水沢より少し前の席に座っていたが、何かの拍子にユキが振り向いた時、目が釘付けになった。

　一目惚れだった。脳天に雷が直撃したような感覚だった。

　いつかこの女性と会話をしたり、碁会所に行ったり、あわよくば一緒にお風呂に入ったり、一緒のお墓に入ったりしてみたい。
　帰宅したら彼女が愛妻三種の神器である笑顔・エプロン・おたまと共に出迎えてくれたら、どんなにか幸せだろう！

　水沢は説明をろくに聞かず、ユキの形の良い後頭部を斜め後ろからただ眺めていた。

　水沢が自分は何かの感情が抜け落ちているのかもしれないと思ったのは、彼が異性に好意を抱いたことが一度も無かったというのも原因の一つである。かといって同性に興味がある訳でもない。

　しかしユキを見た瞬間に抱いた感情は、その悩みを随分と軽くしてくれた。自分にも人を好きになるという感情がある。

　ユキが熱心にメモを取っていたことから冷やかしではないと確信し、受験を決心した。不思議と、入学後にユキが在籍していない可能性は考えなかった。
　水沢は昔から思い込むと突っ走る傾向にある。

　その場でユキに話しかけることもできたのだがそうしなかったのは、自らのモチベーションを上げるためである。

　だから、入学のきっかけは両親の死であったが、動機はユキとの再会のためということになる。

　水沢は名前も知らない一人の女性によって進路を決定させられたのであった。

　祖母は水沢の決心を聞き、この子は両親のために妖滅官養成学校に行くのだと涙を流した。
　しかし合格発表から何日も経たないうちに、肺炎にかかり義務を終えたようにあっけなくなくなってしまった。
　この時も水沢は泣かなかった。

　やがて希望通り試験に受かり、水沢は妖滅官への道を歩み始める。

　そして数あるクラスの中でユキと同じクラスになり、最初の講義で班が同じになった時、何か見えないものの意図を感じ、自分の選択は正しかったのだと確信するに至る。



　＊



　水沢は窓からユキの部屋の窓を眺めた。月明かりによって、それは容易に判別出来た。当然灯りは消えている。

　学生寮はくの字型となっており、水沢の部屋からはユキの部屋の窓が見える。水沢は寮をくの字型に設計した者と、ユキの部屋の窓の見える位置に自分の部屋を割り振った者とに感謝した。
　でなければ彼は不審者として通報されていたかもしれない。贅沢を言えば、隣同士ならなお良かったのだが。

　水沢は毎晩窓辺で、棋譜並べをしたり詰碁を解いたりしながらユキの部屋の窓を監視した。

　観察の結果、普段ならばユキの部屋の消灯は平均して十時半頃だと知っている。
　あまりに遅いと翌日さりげなく「今日はなんか眠そうですね」と話を振り、寝るのが遅れた原因を探る。そして例えば今読んでいる本が面白くてと彼女が答えれば同じ本を購入する。

　お星様になった親御さんが見たらきっと泣くであろう。

　ちなみに彼は最初の二週間ほど見張るべき窓を勘違いしており、ガラリと窓が開きゴリラのようにゴツい男が顔を出した時には、読んでいた「この一冊！　詰碁も恋も攻略せよ！」を激しく壁に叩きつけ、隣室から壁ドンの報復を受けたという苦い記憶がある。



　水沢は、ユキに単なる片思いをしている訳ではないと自分で思っていた。

　ユキは彼の人生の道しるべであり、救世主であり、絶対者である。

　だから彼女が太陽は北から登ると言えばそうだと信じ、琵琶湖の水を飲み干せと言われれば今すぐ特急に乗り込み、富士山頂にて自転車を漕ぎながら皿回しをしろと言われれば直ちに中国雑技団に入団するだろう。

　つまりはそういうことなのだ。