黒い空

希京

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宿る命

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蜜月の時間をすごしてしばらく経つと、静は体の不調を感じ始めた。

「律、なんか気持ち悪い」

食膳を前にすると吐き気がする。

「姫さま…」

風邪でもひいたのかと軽く考えていたが、律が呼んだのは初老の医師と産婆だった。

人払いをして、いろいろ調べられる。

産婆が腹部に手を置いて、何かを確信したように頷いた。

「おめでとうございます。ご懐妊です」

「姫さま!」

にこやかに笑う医師たちと、大げさに喜ぶ律がいる。

懐妊。

アルノが帰ってきてから濃密な夜をすごしていた。

当然といえば当然か。

興奮している律たちを横目に静はどんどん冷めていく。

「男か女かわかりますか?」

「それはまだ。お生まれになるまでは…」

「それもそうですわね、ああ姫さま、おめでとうございます」

本来は自分がこれくらい喜ばなければならないのだろうけど、現実感がないし吐き気も止まらない。

「しばらくはご気分が悪いと思います。無理をせず横になっておすごし下さい」

医師はそう言っていくつか薬を処方して下がっていく。

口から入る栄養がほとんど摂れないせいで、体に力が入らない。

それなりに空腹感があり、それがまた吐き気を強くして静はその場に転がる。

「姫さまっ」

ひとり騒いでいた律が現実に戻り青ざめて静を支えようと肩に手をまわした。

「気持ちは悪いけど…、おなかはすくもんだな」

「この律の血を飲んでください。死なない程度に」
冗談めかして律が言う。

「お前が動けなくなると困る。それより寝たいから運んで」

目の前の寝所にさえ自力で行けないのが歯がゆい。

こどもが授かることはもっと嬉しい気分になると思っていたのに、こんなに気分が悪いのか。

人によるとは聞いていたが、どうやら自分は悪い確率のほうに当たったようだ。

血が欲しい。

種の本能がそれを求める。

その時こちらに向かってくる衣ずれの音が聞こえてきた。
先程の医師たちが手柄顔で夫であるアルノに報告したのだろうか。

いらぬことをと律が近づいてくる音のほうを見ていると意外な人物が現れた。

「入っていい?」

いつもの黒い狩衣姿のクルトと、後ろに箱を持った直衣姿の若い官吏が続く。

「晴明がこれ持ってきたんだけど、男二人で顔つき合わせて貝合せするのむさ苦しいから遊ば…」

クルトの香りが静の本能を刺激する。

「姫さま!」

動けないはずの静が蹴るように立ち上がってクルトの体に腕をまわして抱きつき、ゆるく着ている狩衣からのぞく首筋に思い切り噛み付いた。


顔が赤く染まるのも気にせずに、じゅるじゅると音を立てて静は血をすすった。

「…っ!」

止めようとして動くふたりをクルトは手で制す。

「おいしい?」

かすかに頷いて噛みついている静の腰に腕をまわして支えながら、もう片方の手でふたつのほくろにかかる髪を梳く。

愛おしいものを見る瞳でやわらかい笑みを浮かべているクルトを見て、律は言葉を失った。








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