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しおりを挟むその後、何事もないかの如く朝の支度をした。
フルメニアより少し厚みのあるドレスに着替えて、ダイニングに案内された。
彼はもうそこにいる。
一番会いたくないが、会わないといけない。
動悸と頭痛が相まって、気を逸らすために笑顔を装う。
「おはようございます」
「……ああ」
それ以上何も言わず、私たちはハンナが用意してくれたご飯を食べ始めた。
朝食はとても美味しかった、と思う。
何にせよ、緊張しすぎて味が分からなかった。
だけど、フルメニアにもよく見かけた料理が並んでいる。食文化が似ているとはいえ、北の方では入手困難な食材が数多くある。
その気遣いは私の胸に温かく滲み込んだ。
だからこそなのか、背中が押されたような、そんな気分になった。
食器がぶつかる音が完全に止み、部屋が重い空気に包まれる。
気が付くと、ハンナもソフィの姿はどこにも見当たらない。
ここに私と彼だけが残されている。
言うなら、今しかない。
「旦那様」
唇を噛み、左手で軽く拳を握った。
罪悪感や恥、緊張などが全部私の胸を重くさせる。
「昨夜、取り乱してしまい本当に申し訳ありませんでした」
顔を背けながら謝罪を告げた。私には、彼の瞳を見つめる勇気がなかった。
だが、沈黙が重い。彼からの視線を感じるから余計に重くなった。
喉が絞められたみたいに呼吸が難しくなった。
「……気にするな」
「ですがっ」
あまりにも簡潔な返事に、声と一緒に顔を上げた。
まっすぐな視線と目があったせいで、体の動きが封じられた。
やはり、彼の瞳が、少し苦手だ。
「俺は気にしていない。だから君も気にする必要はない」
「はい……」
これ以上の返答を許さない言葉だった。
ほっとする一方、胸の中に靄が残っている。
「それより」
その言葉は、私の心を痛めた。小さな針が刺さったままのように痛い。
表情を保ちつつ、彼の言葉の続きを待つ。
「その『旦那様』という呼び方は……いいのか?」
まさに、藪から棒。
昨日のことといい、今日といい。彼は本当に予想を超える言葉ばかり口にしている。
「昨日、私たちは結婚しましたのでそう呼ばせていただきますが……あ、もしかすると嫌でしょうか?」
「いや、それはない。ないが……」
「ないが?」
「……いや、なんでもない」
彼の小さなため息に顔を顰めそうになったが、なんとか堪えた。
「あの、それと旦那様。これからの話について話したいですが……今は大丈夫でしょうか?」
「ああ、大丈夫だ」
「昨夜、答えたように、私の意志はそのままです。旦那様の意向に従います」
「……感謝する」
ほっとしたみたいに、彼の肩から力が抜けた。
それを目にして、胸に刺さった針がより深くねじ込まれた。
(そんなに私と子供を作るのが嫌だろうか……)
いらない感情がそれ以上長く続かないように深呼吸をする。
気にならないと言われたら、それはとても気になっている。
だって、これでおそらく二、三年後の社交界で私は「石女」と呼ばれるかもしれない。
でも、今優先すべきことはそれではない。
これは、国同士が決めたことだったため、関係がないかもしれない。
いらない確認だろうね。
それでも、私は保険が欲しい。
「そして、もう一つです。『同盟は守る』という旦那様の言葉を信じてもいいのでしょうか?」
「!!」
私の言葉に、彼は目を大きく見開いた。
彼はそのままずかずかと私に近づき、そして跪いた。
急なことに頭が真っ白になって、上手く反応できなかった。
唖然とした私をよそに、彼は流れるように私の右手を取り、手の甲を自分の額に当てる。左手は己の心臓の上に置きながら、凛とした声でそう告げた。
「誓う。国に、君に誓う。竜と騎士の誇りにかけて」
この光景は、どこかで見たことがある。
ああ、あれか。幼かった弟によく読み聞かせた絵本の挿絵みたいだ。
騎士が王や姫に忠誠の誓いを立てるシーンだ。
(はは、おかしいな……)
内心で笑った。その笑い声は乾いているように感じる。
だって、しょうがないでしょう?
昨日、彼と私は夫婦になったはずなのに。
「だから安心してくれ。ここで君がしたいように自由に過ごしても構わない」
「……ありがとうございます」
できるだけ綺麗な笑みを作り、「夫は妻に跪いてはいけません」と彼が立つように急かした。
そして、私は逃げるように自分の部屋に戻った。
部屋に辿り着いて、鉛みたいに重い体を行儀悪くベッドに投げた。
(私は、一体何を期待しているのだろうか)
目を閉じれば、仲睦まじく並んでいる親の姿が脳に浮かんだ。
(私って、本当に我が儘だな……もっと残酷な政略結婚があるのに)
それ以上余計なことを考えないように、私はぐっともっと強く目を閉じた。
心の奥底から湧き出る気持ちに蓋をする。
そうすれば、今までのように全部うまく行く。
熱くなった瞳の奥も、傷む胸も。
全部全部、ただの気のせいだよね。
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