56 / 64
56,王として
しおりを挟む「…ロイ」
熟睡する夫の横顔を撫でて、ローレンは瞳を閉じる。夢のようなあの出来事は、まるで幻のようにぼんやりとしか思い出せない。
もう忘れていい、という言葉だけが頭の奥に響く。まるで心の中にのさばっていた呪いが解けたように、ローレンは安らかな表情を浮かべた。
***
大きな十字架が掲げられた礼拝堂で、少年は両手を握り、目を瞑っていた。
「神様なんて、こっちに来てから会ったことねぇけどなぁ」
ぽつりと呟いた男に少年は振り返る。
「そうでしょうか。私は私の知る神を信じます」
「熱心なことだ。それにしたって、俺の話をアイツに漏らすなんて酷いぞ」
苦笑したライエルに、少年は大きく目を開く。
「会えたのですか」
「ほんの少し見えたみたいだな。けど、旦那が迎えに来てからは俺が目の前にいてももう見えていなかった。くっそ、俺の前でイチャつきやがって」
「…けれどそれが兄さんの望むことだったのでは?」
少年が尋ねると、彼は吹っ切れたように笑った。その顔にはもう、初めて幽霊として少年の前に現れた日のような曇った様子はなかった。
「アイツの跡つけたけど、出世してるなぁ」
「兄さんも生きていたらそこそこしていたでしょうね」
「そこそこって酷いな。まぁ、うん。ていうか、あのアグシェルト公爵家の正妻だろ?やばくねぇ?」
「…そういえば今の王妃様も、アグシェルト公爵の弟君だとか」
「へぇ。………え?」
「オメガの方ですよ」
「公爵家にもオメガって生まれるんだな」
「アルファだろうがオメガだろうが、生まれ持った性別だというだけです。どこに生まれてもおかしくない」
触れることは出来なくとも、ライエルは少年の頭に手をやった。感覚はないけれど、それでも少年は温かいと感じた。
「…兄さんが死んでから、沢山変わったことがあるんですよ。王妃様のおかげでオメガの迫害も、随分とましになりました」
「みたいだな。…けど、お前も生きやすいような時代になって、良かったな。…お前もちゃんとした男見つけろよ」
「私は神に仕えるものですから、結婚など…」
「いつか絶対に、大切な人が出来るから。…せめて、お前がもっと成長するまでは見送りたいけど」
「では、そうしてください」
微笑んだ少年に、ライエルが返事をすることはなかった。
「お疲れ様です」
「あぁ」
特に何か起こることもなく、陛下の慰霊碑参りは終了した。後はもう帰るだけだ。気がほんの少し楽になったと思ったが、それもリヴィウスよの一言で覆る。
「お前に話すことがあるんだが」
「……なんですか」
嫌な予感しかしない。特にこの真面目そうな顔をした陛下の口からはいつも爆弾発言しか飛び出て来ないのだ。
「言うかどうか迷ったが…投書が届いていてな」
「…投書といいますと」
「アグシェルト公爵家の純血をこのまま絶やすつもりか、と」
急に現実に引き戻された気分だった。ローレンの雰囲気が変わったことを感じたのか、リヴィウスは軽い調子の声を出す。
「いや、匿名だから気にすることもないんだが」
「…陛下はこのままではよろしくないとお考えと、そういう解釈でよろしいでしょうか?」
「勘違いするな。子のことについては義兄上とお前の、夫婦の問題だ。だが…跡継ぎのことになると話は変わってくる」
「ではどうしろと?」
冷たい声が出てしまったのは動揺からだった。いつかは誰かに指摘されることだ。けれどまさか陛下からとは思わなかった。
「……アグシェルトは建国当時からの旧家だ。絶やすわけにいかないのは、俺も承知だ」
「そんなこと私も分かっております」
「だが俺から妾を取れなどと言えば、どうなるか分かるだろう」
容易に想像出来てしまう。きっと弟の王妃を使って懲らしめ、それ以上言わせないに違いない。王妃も喜んで協力するだろう。
「…私からそれを言えと、そう言いたいのですか」
「……そんな顔をされると俺が悪者のようだ」
「もう十分、私の中ではそうですよ」
娼館の美少年が来た時、自分の心には嫉妬というみっともない感情が渦巻いていた。
あの後何度も自分の身体を見ては、それなりに筋肉のついた腕や胸が恨めしかった。あの美少年の、薄い身体や細い手足が羨ましくて仕方なかった。
「一度だけでいい。子供をどこかの女にでも男にでも生ませてしまえば、もう誰にも何も言われることはないんだ」
「貴方は愛する人が他の男に抱かれても平気だと?」
「俺の話じゃない。それに、減るものじゃないだろう」
「レイ様がもしそう言っても、貴方は許しますか」
黙り込む陛下をぶん殴りたくなった。誰よりも理解している。彼の子を、直系の子を生まなければならないと。
「だがこのままでは領の問題、しまいには国民まで巻き込む事態になる」
「分かっていると言っているでしょう」
「お前は分かっていない!」
「分かっていますから、っ…もうたくさんだ!!」
何故愛する人と共になるのがいけない。何故、そこまで干渉されなくてはいけない?
「お前が、お前たちがただ平民だったなら、誰も文句を言いなどしなかった。だが片方は公爵、それだけならまだしも二人ともアルファだ。…子供を残すことなど出来ん」
「では何故貴方は私たちの結婚を認めた?ただ、面白かったからですか」
手を握りしめて、陛下の目を見据える。涙の膜のせいでほんの少し歪んで見えた。
「…お前はもう長いこと俺に仕えてくれている」
「は……?」
「どこへ行くにも信頼の置けるお前を連れて行ったし、信頼できたからこそレイのそばに置いた」
「……だから何ですか」
「単純に、お前が幸せになるのなら、それはいいことだと考えた。王ではなく俺個人の気持ちを優先させた。深く考えなかった俺の責任だ。すまなかった」
そんなことを言われては、責めることも出来なかった。ーー仕事だけをするつもりだった。同期が沢山死んだ分、自分が更に仕事に打ち込んで、ここまで来れなかった彼らの分まで。
自分の幸せを考えてくれる人は、こんなに沢山いたのに。
「…俺もこんなことを言いたくはなかった。だが、王として、俺は生きてきた。王として、お前に言わなければならなかった」
王として。一人の部下よりも、幾万の民のことを考えなければならない。そしてそれを管轄できるのはたった一人だということを、俺に告げなければならなかったのだ。
ではどうすればいいというのだ。
「……どちらにせよ、道中私はおりません。明日から休暇を頂いておりますので」
「分かっている。義兄上もそうだが…どこに行くんだ?」
「…前公爵のお義父様のところに。…その時に、あの人に、妾を取るように勧めてもらいます」
リヴィウスの目が大きく見開く。そうしろと言ったくせに、そんな顔をするなんてずるい。言葉はそれ以上何も出なくて、「失礼します」とだけ告げてローレンはその場を後にした。
22
お気に入りに追加
953
あなたにおすすめの小説
春を拒む【完結】
璃々丸
BL
日本有数の財閥三男でΩの北條院環(ほうじょういん たまき)の目の前には見るからに可憐で儚げなΩの女子大生、桜雛子(さくら ひなこ)が座っていた。
「ケイト君を解放してあげてください!」
大きなおめめをうるうるさせながらそう訴えかけてきた。
ケイト君────諏訪恵都(すわ けいと)は環の婚約者であるαだった。
環とはひとまわり歳の差がある。この女はそんな環の負い目を突いてきたつもりだろうが、『こちとらお前等より人生経験それなりに積んどんねん────!』
そう簡単に譲って堪るか、と大人げない反撃を開始するのであった。
オメガバな設定ですが設定は緩めで独自設定があります、ご注意。
不定期更新になります。
君のことなんてもう知らない
ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。
告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。
だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。
今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが…
「お前なんて知らないから」
マリオネットが、糸を断つ時。
せんぷう
BL
異世界に転生したが、かなり不遇な第二の人生待ったなし。
オレの前世は地球は日本国、先進国の裕福な場所に産まれたおかげで何不自由なく育った。確かその終わりは何かの事故だった気がするが、よく覚えていない。若くして死んだはずが……気付けばそこはビックリ、異世界だった。
第二生は前世とは正反対。魔法というとんでもない歴史によって構築され、貧富の差がアホみたいに激しい世界。オレを産んだせいで母は体調を崩して亡くなったらしくその後は孤児院にいたが、あまりに酷い暮らしに嫌気がさして逃亡。スラムで前世では絶対やらなかったような悪さもしながら、なんとか生きていた。
そんな暮らしの終わりは、とある富裕層らしき連中の騒ぎに関わってしまったこと。不敬罪でとっ捕まらないために背を向けて逃げ出したオレに、彼はこう叫んだ。
『待て、そこの下民っ!! そうだ、そこの少し小綺麗な黒い容姿の、お前だお前!』
金髪縦ロールにド派手な紫色の服。装飾品をジャラジャラと身に付け、靴なんて全然汚れてないし擦り減ってもいない。まさにお貴族様……そう、貴族やら王族がこの世界にも存在した。
『貴様のような虫ケラ、本来なら僕に背を向けるなどと斬首ものだ。しかし、僕は寛大だ!!
許す。喜べ、貴様を今日から王族である僕の傍に置いてやろう!』
そいつはバカだった。しかし、なんと王族でもあった。
王族という権力を振り翳し、盾にするヤバい奴。嫌味ったらしい口調に人をすぐにバカにする。気に入らない奴は全員斬首。
『ぼ、僕に向かってなんたる失礼な態度っ……!! 今すぐ首をっ』
『殿下ったら大変です、向こうで殿下のお好きな竜種が飛んでいた気がします。すぐに外に出て見に行きませんとー』
『なにっ!? 本当か、タタラ! こうしては居られぬ、すぐに連れて行け!』
しかし、オレは彼に拾われた。
どんなに嫌な奴でも、どんなに周りに嫌われていっても、彼はどうしようもない恩人だった。だからせめて多少の恩を返してから逃げ出そうと思っていたのに、事態はどんどん最悪な展開を迎えて行く。
気に入らなければ即断罪。意中の騎士に全く好かれずよく暴走するバカ王子。果ては王都にまで及ぶ危険。命の危機など日常的に!
しかし、一緒にいればいるほど惹かれてしまう気持ちは……ただの忠誠心なのか?
スラム出身、第十一王子の守護魔導師。
これは運命によってもたらされた出会い。唯一の魔法を駆使しながら、タタラは今日も今日とてワガママ王子の手綱を引きながら平凡な生活に焦がれている。
※BL作品
恋愛要素は前半皆無。戦闘描写等多数。健全すぎる、健全すぎて怪しいけどこれはBLです。
.
巻き戻りした悪役令息は最愛の人から離れて生きていく
藍沢真啓/庚あき
BL
婚約者ユリウスから断罪をされたアリステルは、ボロボロになった状態で廃教会で命を終えた……はずだった。
目覚めた時はユリウスと婚約したばかりの頃で、それならばとアリステルは自らユリウスと距離を置くことに決める。だが、なぜかユリウスはアリステルに構うようになり……
巻き戻りから人生をやり直す悪役令息の物語。
【感想のお返事について】
感想をくださりありがとうございます。
執筆を最優先させていただきますので、お返事についてはご容赦願います。
大切に読ませていただいてます。執筆の活力になっていますので、今後も感想いただければ幸いです。
転生したけど赤ちゃんの頃から運命に囲われてて鬱陶しい
翡翠飾
BL
普通に高校生として学校に通っていたはずだが、気が付いたら雨の中道端で動けなくなっていた。寒くて死にかけていたら、通りかかった馬車から降りてきた12歳くらいの美少年に拾われ、何やら大きい屋敷に連れていかれる。
それから温かいご飯食べさせてもらったり、お風呂に入れてもらったり、柔らかいベッドで寝かせてもらったり、撫でてもらったり、ボールとかもらったり、それを投げてもらったり───ん?
「え、俺何か、犬になってない?」
豹獣人の番大好き大公子(12)×ポメラニアン獣人転生者(1)の話。
※どんどん年齢は上がっていきます。
※設定が多く感じたのでオメガバースを無くしました。
可愛い悪役令息(攻)はアリですか?~恥を知った元我儘令息は、超恥ずかしがり屋さんの陰キャイケメンに生まれ変わりました~
狼蝶
BL
――『恥を知れ!』
婚約者にそう言い放たれた瞬間に、前世の自分が超恥ずかしがり屋だった記憶を思い出した公爵家次男、リツカ・クラネット8歳。
小姓にはいびり倒したことで怯えられているし、実の弟からは馬鹿にされ見下される日々。婚約者には嫌われていて、専属家庭教師にも未来を諦められている。
おまけに自身の腹を摘まむと大量のお肉・・・。
「よしっ、ダイエットしよう!」と決意しても、人前でダイエットをするのが恥ずかしい!
そんな『恥』を知った元悪役令息っぽい少年リツカが、彼を嫌っていた者たちを悩殺させてゆく(予定)のお話。
お決まりの悪役令息は物語から消えることにします?
麻山おもと
BL
愛読していたblファンタジーものの漫画に転生した主人公は、最推しの悪役令息に転生する。今までとは打って変わって、誰にも興味を示さない主人公に周りが関心を向け始め、執着していく話を書くつもりです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる