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55,幽霊の告白
しおりを挟む少年が帰る際に『もしお手数でなければお願いします』と渡していった花を、ローレンは持って行けずにいた。
報告を聞いたり他のことをしたりで忙しかったのは事実だけれど、言い訳だ。今、この手に指輪を嵌めた自分を見たら、あの男は一体どう思うだろう。それを考えると、どうしても足が向かなかった。
「隊長、まだ宿にはお戻りになりませんか?もう日も暮れそうですが…」
「……もうそんな時間か」
今夜の見張りが寝泊まりするテントから出てみれば、外はもう夕焼けの色も紺に染まってきていた。
机に置いた花の籠を見て、ようやく決意する。
「同輩の墓参りに行ってくる。そのまま宿に戻るから、お前ももう休んでいいぞ」
「同輩…」
目をパチクリさせた彼が「あっ!」と声をあげた。
「そうですね。隊長、とても若々しく見えるので、まさかもうそんな歳とは」
何が言いたいんだコイツ、とひと睨みすれば、隣に立っていたもう一人の兵士が口を塞いでくれた。
「隊長、すみません!コイツ馬鹿なんです!承知しました、お疲れ様でした!」
「…あぁ」
ゆっくり休めよと言葉を残し、ローレンは籠を持ってゆっくりと慰霊碑の前を通り過ぎる。慰霊碑は墓地に後から作られたものだ。この国では基本的に亡くなった理由が同じなら、墓地を一定の場所に固める風習がある。
この場所は一番死者が多かったし、十年前、死体はほとんどここに埋められた。
「…歩くか」
ペーペーだった彼らの墓地は随分と離れた場所にある。当時の責任者やなんかは入り口近くに集められているというのに。
夕食の時間までに戻らなければならないと分かっていても、どうしてもこの場所を馬で駆ける気にはならなかった。
夜の墓地、しかも視察隊の松明はもう随分と遠くに見える。薄暗い中でランプを灯し、ローレンはようやく男の墓地の前へと辿り着いた。
「…本当に、枯れかけだな」
墓石の前に置かれた花瓶の中の枯れかけの花を手に取り、中の水を芝生の上に流す。代わりに水を持ってきてよかった、とローレンはまだ口のつけていないそれを瓶に流し込んだ。
「……おい、なぁ。久しぶりだな」
手早く花を生けて、枯れた方を籠の中へ戻す。
ローレンは芝生の上にどかりと座り込んで、墓石の前に指輪を掲げる。
「俺、結婚したぞ」
「まじか」
「おう、まじ………………」
ビュ、と背中が凍るのを感じた。ーーいや、いやいやいや。
正直恐怖心しかない。ついさっきまでここには確かに俺しかいなかった。見てはいけない、と思うのに顔を上げてしまう。
墓石の上にあぐらをかいた、男がいた。
「………あれ、見えてんの?」
耳にこびりついていた声が、また聴ける日が来るとは思わなかった。ローレンはあぁ、夢でも見ているのかと思った。
「…なに、俺いつから幽霊なんて見えるようになったわけ…?」
「失礼だな。お前、去年までは俺がお前の心臓のとこから顔出してても見えてなかったくせに」
「何してんだ馬鹿野郎」
思わず殴りかけた拳が、彼の右腕を貫通する。
「………非現実的だ」
「お前って現実思考だよな」
「当たり前だ。こんなことがあってたまるか」
「お前、もう少し周りを見てみろって。世の中、非現実的なことなんて山ほどあるんだからよ」
「その例がお前か」
「その通り」
十年ぶりに見た男は、十年前と同じだった。けれど、その身体はよく見れば透けているし、手をかざしてみても貫通する。
「…ライエル・ゾワーフ」
「なんだよ」
「何勝手に死んで、しかも弟君に俺のことベラベラ惚気てんだよ」
「………会ったの?」
「おう、ついさっきな」
もうなんだから
今日はあり得ないことが多すぎて、弟君に会った時から夢見心地だ。
「わー、まじかよ。恥ずかしいんだけど」
「俺の方が恥ずかしいっての。…俺の夢には出てこないくせに」
「夢ってか、アイツ俺のこと視えてるんだって。それも毎回じゃなくて、何回かに一回だけどよー。神官に向いてたんじゃねぇかな」
「…そうか」
ため息をついて、ローレンは水筒に残っていた水を口に含む。冷たくひんやりしていて、あぁ、やっぱり今が現実だと思い知る。
「…結婚したんだな」
「あぁ。つい最近な」
「誰とか聞いていいか?」
「聞いて驚け。アグシェルト公爵家の現公爵だ」
「………え、お前アルファじゃん?」
「愛に性別なんざ関係ないってよ。旦那の持論だ」
鼻で笑いながら、あぁ、もう一つ、と声に出す。
「俺、あの時お前の言葉が本気って知ってたぞ」
「……言葉って、なんの」
「『俺のこと好きになればいいのに』」
「…は……」
「知ってて、気付かないふりをした。その方が良かったと思ってた。お前とは、恋人にならない方がよかったから」
「ていうかお前、グランのことが好きなんじゃ」
「そう。そう思ってて、グランのことが好きなはずなのに、お前の視線に、お前の言葉一つ一つに喜んでる自分が許せなかった」
ずっと後悔していた、と呟く。ずっとずっと、どうしてあの日、最後に抱き合った日、素直になれなかったのだろう、と。
「お前にもう言葉が届かないって知って、ただ涙がこぼれた。悲しいとか、怒りとか、そういうの全部吹っ飛んで、自分でも自分が分からなかった」
「…ローレン、」
「あの頃の俺は馬鹿だったから、くだらない意地ばかり張ってたんだ。でも十年経って、他の奴らの声なんかはもう忘れたのに、お前のことはくだらない会話の一つすらも覚えてて、…俺、多分お前のこと好きだったんだ」
初めて恋をしたのは、顔だけを見ていたから。グランと友人になってからは『友人』としてしか見れなくなっていた。
逆にグランと話せば話すほど、よくわからない気持ちが渦巻き、彼に惹かれていた。
それをあの頃の自分は認められなかった。
「弟君、俺に幸せになっていいって言ってくれたんだ」
「当たり前だろ」
「…お前も、本心からそう思ってくれるか?」
酷い人間だと、自分でも思う。こうして妄想か現実かも区別がつかないまま、この男に助けを求めようとしている。
「……ローレン。お前のこと、好きだったよ」
「あぁ」
「不器用なところも、プライドが高いことも、けどアルファだってことを笠に着なかったのも」
「あぁ」
「全部好きだった。自分で思うより、ずっと。死んでからも…お前が幸せになれる日がくればいいと思ってた。それを出来るのは、俺じゃないけど」
「あぁ、」
「旦那は、お前のために全てを捨てられる男か?」
「ーーきっと、そうしなければならない時がきたら、そうすると思うよ」
「ならいい。…俺のこと、今まで忘れなかったか?」
「そんなの、当たり前だ」
「じゃあ、もう忘れていい」
「…え?」
てっきりこれからも忘れるなと言われると思ったのに、とローレンは眉をひそめる。
「そんな顔をするな。…幸せになればいい。俺はお前が、いつまでも俺の思い出に縛り付けられているのは嫌なんだ。俺のことを忘れて、寿命まで生きろ。それで、老衰してこっちにきたら、グランも交えて同期の奴らで飲んで騒ごうぜ」
「…あぁ、ライエル、」
「だからもう、泣くなよ。お前と話せてよかった、ローレン。幸せで、よかった」
もう行ってしまいそうな言葉に、引き止めようとした時だ。
「ローレンさん!!」
「っ、…ロイ…?」
薄暗いけれど、声ですぐに彼だとわかる。気がつけばもう、月が随分と高くに出ていた。
「旦那のお出ましか?なら、間男はさっさとトンズラするぜ」
「何言ってんだばか、」
「じゃあな。また、次会う時、旦那が来るのを待つ間、飲むからな!」
「ライエル、」
「ローレンさん!」
その声に振り返り、慌てて墓石を見る。もうそこには誰も座ってなんていなくて、まるで狐につままれた気分だった。
「こんな時間まで…誰といたんです?さっきの男はどこへ?」
「……お前にも見えたのか…?」
「え……、な、なんで泣いてるんですか!?すみません、痛かったですか!?」
掴んでいた腕をとっさに放して、ロイスが謝罪を口にした。
「…俺、幸せ者だなぁ」
「はい!?」
突然彼に抱き着いたものだから、驚いて身を硬直させている。当たり前だ、付いてくるのは勝手だがこっちでは手を出すななんて宣言しておいて。
死んだ奴にまで心配されて、俺は本当に想われている。
「とりあえず帰りましょう。ずっと待っていたんですからね」
「うん、ごめんね。…ロイス、愛してる」
「そ、それは私もですが…どうしたんですか?ていうかさっきの男は?」
「幽霊」
「は!?」
そっちに行く時には、大量の酒を持って行こう。それで、今この温もりをくれる彼が自分と同じように寿命を全うするまで。オメガが王妃となったこの国がどう変わったのか、それを酒の肴にでもしようか。
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