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第1章

35 皇子は幼馴染のような関係だけど、緊張感はあります

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 東京から帰ってきてからユリウスにまだ挨拶をしていなかったので、ユリウスの隣に座る前にユリウスの頬にキスをする。そしてユリウスからも頬にキスを受けていると、第三皇子ヴェルナーがテーブルに肘を付いた手に顔を乗せながら口を開いた。

「君たち、本当仲がいいよね。僕の相手を差し置いて、姉弟で挨拶が先なの?」
「ヴェルナー殿下には、先ほど挨拶したではないですか。あなたは、この店のお客様ではあっても、私たちが呼び出される謂れはそもそもないでしょう。私もユリウスも忙しいんです。わざわざ来て差し上げたのですから、もっとありがたく思ってください」
「この僕に、そういう口をきくの、君くらいだよ。普通は皇子が来店したら、喜んでオーナーが挨拶に来てくれるものでしょう」
「駄目ですよ、その『してもらって当たり前』という考え。せっかく好感度の高い皇子をやっているんですから、たとえそう思っていたとしても感謝を伝えることは忘れないようにしないと。好感度は大事です」
「分かってるよ。いつもやってる。ここでくらい楽に過ごしてもいいでしょう。君、最近お小言多くない?」
「誰のせいですか。ところで、お腹が空いているので、ここで夕食いただこうと思うのですが、いいですよね?」

 私はヴェルナーの了承を得る前にライナに手を挙げて合図した。ライナは頷いたので、すぐに夕食を用意してくれるだろう。

「ああ、いいよ。君、今まで研究室に籠っていたんだって? 相変わらず研究中は時間の管理ができないんだね。君を呼び出して、すでに僕は二時間ここで待っているのに」

 私が東京に行っていて来れない間、私は研究室に籠っているとユリウスが言い訳しておいてくれたらしい。いつも同じ言い訳をするのである。隣のユリウスを見ると、頷いている。

「殿下、暇なんですねぇ」
「暇じゃないよ、失礼だな。執務の休憩がてら、ちょっと食事をしに来ただけだよ。カレー、ここでしか食べられないからね。君がカレーの取引を許してくれれば、皇子宮でも食べられるんだけれど」
「申し訳ありません。カレーの材料は機密事項でして。ぜひともヴェルナー殿下には、今後も我がカレー店を御贔屓にしていただきたいものですわ。ほほほ」
「はいはい。そう言うと思った」

 私の前のテーブルに次々と食事が運ばれてくる。私はさっそくそれらを口に入れ始めた。

「すごい量だね……それ全部食べるつもり?」
「もちろんです」
「いつも思うけど、君の食べる時と食べない時の差がすごいな」
「研究室に籠ると、食事をするのを忘れることがあるんです。だから研究室出るとお腹が減るようで」

 という言い訳で大食いを誤魔化す。

「まあいいけどね。君が研究室に籠るから、僕が色々と食べることができるわけだし」
「やはり、今回も来られた理由は、カレーではなかったんですね」
「カレーも食べたかったよ! でも、あれが無くなったんだ! 追加発注したい!」
「第三皇子宮には来週定期納品の予定ですけれど」
「それはそれ、これはこれだよ。無くなったんだ、仕方ないでしょう!」

 ヴェルナーが追加注文したい『あれ』とは、実はポテトチップスのことである。もちろん東京から持ち帰ったもので、普段はそれを別の容器に入れ替えて皇子宮に納品しているのだ。ヴェルナーにはポテトチップスは私が研究室で開発したと言ってある。ポテトチップスはまだ帝都で流行らす予定はないので、食べることができるのはヴェルナーとウィザー家の人間くらいである。

「皇子宮の料理長に作ってもらうと言っていませんでした?」
「作ってもらったよ! 君に教えてもらったとおりね! だけど味が違うんだ!」

 帝都にもジャガイモはあるが、少し日本のものと種類が違う。だから味が違ってしまうのだろう。

「しかも塩味しかないし! 塩味も好きだけど、君に納品してもらう『コンソメ』味と『バターしょうゆ』味と『ピザ』味が食べたい」

 ヴェルナーとは、私が二回目の人生になってから接するようになり、いわゆる幼馴染に近い関係と言えよう。ただ私たちの関係を周囲の人に探られたくないので、メイル学園ではお互い話しかけないようにしてはいるが。
 そんなヴェルナーには、小さいころから餌付けしようと、東京から美味しいお菓子を買ってきては与えていたため、舌が肥えたと言っていいのか、日本の味を占めたというか、とにかく日本のお菓子中毒気味なのである。特にポテトチップスが好きで、どうやら執務をする合間にご褒美感覚で食べるのが習慣化しているらしく、無くなると時々こうして追加注文にヴェルナー自らやってくるのだ。

「残念ですが、今言われた味のものは、すぐにお出しできません」
「なんだって!?」

 今日東京から持って帰ってきてはいるが、まだ整理ができていないのだ。

「ただ、試作品と言いますか、違う味付けのものがあるので、試食されてみますか?」
「試作品!? それは、ぜひ試食させてくれ!」

 ユリウスや咲たちに持ち帰ってきたお土産品だが、少しヴェルナーにも分けてあげようと思う。ライナに手で合図する。するとポテトチップスを別の容器に移し替えたものを、ライナがテーブルに置いた。

「右から『わさび』味、『からしレンコン』味、『ゆず胡椒』味です」

 どれも帝国にはない味付けである。興味津々のヴェルナーは、さっそく『わさび』味に手を伸ばす。

「こ、これ辛……!! あ、なんか鼻が変……!」
「それは大人な味付けですから、辛みがありますね」

 鼻がツンとするっとかなんとか言いながら、ヴェルナーは他の味も試食している。

「僕は『ゆず胡椒』味が気に入ったよ。今度の納品に追加したい」
「……今度の納品には難しいですね。次回ということでよければ準備しますが」
「……分かったよ、それでいいよ。君は僕に食べさせるだけ食べさせて、欲しいと言ってもすぐに用意してくれないところがずるいよね!」
「ほほほ、事業戦略と言ってください」

 実はただ在庫がないだけである。今度東京に戻ったら買ってこなければと、脳内にメモをする。

 その後、私は大量の食事を平らげ、紅茶とデザートはヴェルナーとユリウスも一緒に楽しむ。

「今日はこんなにゆっくりしていても良いのですか? 執務が残っているのでは?」

 すでにヴェルナーは三時間近くカレー店にいる。
 私の一度目の人生で、今頃の時期に皇帝が体調を崩したと記憶している。二度目の人生の現在、そのあたりの歴史が大きく変わるとは思っていないので、今頃皇帝が体調を崩しているとするなら、ヴェルナーにも皇帝がやるべき執務のしわ寄せが来ているはずである。いまだ皇帝が体調を崩しているという噂はないから、まだ病床に臥していないのか、もしくは病床に臥していることを隠しているのであろうと察しているが。

「まだ残っているけれど、帰ってやるからいいよ。僕だって休息は必要でしょう。最近はルドルフも手伝ってくれているし、なんとかなってる」
「……そうですか」

 急に昔の夫の名を出され、少しだけ息をのんでしまった。内心少し動揺したが、それを表に出さないよう口を開く。

「ルドルフ殿下と仲良くされているようで、安心しました」
「兄弟は仲良くするべき、が君の口癖じゃないか。そう言うわりには、君は兄上たちやリーゼと仲良くしろとは言わなかったけれど」

 ヴェルナーの上には兄が二人いた。第一皇子と第二皇子である。彼らは私の前世時代から性格に難ありで、堂々と弟二人のヴェルナーとルドルフをいじめていた。彼らは前世では、後継者争いにてルドルフに敗れ、殺された。現世では、第一皇子と第二皇子が互いに殺し合い、二人ともすでに亡くなっている。数年前の出来事で、大変なスキャンダルだった。
 リーゼはヴェルナーの腹違いの妹で、こちらも性格に難あり。前世では、彼女も後継者争いに敗れ、ルドルフに殺された。現世では、現在の帝室の問題児として君臨していると言っていいだろう。
 そんな彼らとは、仲良くしろとヴェルナーには言ったことはない。仲良くするなとも言ってはいないが。

「ヴェルナー殿下が仲良くしたいなら、しても構いませんよ?」
「……いいよ。今更リーゼと仲良くしても、寝首を掻かれそうだ」

 本人も分かっているようである。

「要はルドルフとだけ、仲良くしろってことだったんでしょう。昔から遠まわしにそう言うけど、君はルドルフとは接点がないよね? けれどルドルフを推しているようにも見える」
「他意はありませんよ。私とユリウスのように仲の良い兄弟になってくださるといいなと思って伝えただけのことです。昔もお伝えしたと思いますが、私はヴェルナー殿下推しですよ」

 この場合、大きな声では言えないが、『推し』とは、次期皇帝にあなたを推します、という意味を含んでいる。私は本気でヴェルナーを推しているのだが、何か不信に思われているのだろうか。少しドキドキしてしまう。

 じーっと私を見るヴェルナーだが、息を吐いた。

「君の表情を読もうと思っても、顔が見えないから分からないな。昔は前髪もっと短かったでしょう。戻した方がいいよ。もう僕は君の顔が思い出せない。デビュタント後も、そのままでいるつもり?」
「今年はデビュタントしませんから」
「そうなの? じゃあ来年するの?」
「はい」
「ユリウス、君の姉上、こんなこと言っているけど、いいの? 来年まで社交活動をユリウスに任せたって言ってるんだよ?」
「構いません。僕は社交活動は得意なので」
「そうだろうけど。姉上を甘やかしすぎてない?」
「そうですか? まだ甘やかしが足りないと思っているのですが」
「ユリウスも重症だね……」

 呆れた表情のヴェルナーは、やっと帰る気になったのか立ち上がった。

「僕は帰るよ。今度の納品はサーヤ嬢が来てくれるのかな」
「その予定ですよ」
「分かった。皇子宮の料理長に美味しいお菓子を用意させておくよ」
「ありがとうございます。そうだ、ヴェルナー殿下に、塩味ですが少しだけポテトチップスをお土産にお渡しします」
「え!? そう!? ありがとうありがとう、さすがサーヤ嬢!」

 ヴェルナーはお土産がもらえて上機嫌で帰っていった。
 ふーと息を吐く。なんだかものすごく疲れてしまった。

「私、何か怪しまれているのかな……」
「……姉様が怪しまれているというより、帝室側で何かあったのではないですか?」

 確かにそうかもしれない。もしかしたら皇帝が本当に倒れでもして、本格的に後継者争いでも起ころうとしているのだろうか。そんなものに巻き込まれたくはないのだが。

「そうかもしれないわね……。怪しい行動をしないよう気を付けましょう」
「はい」

 約一週間ぶりに会うユリウスを見る。疲れているようには見えないが、仕事は色々と任せてしまっているし、ユリウスに負担がかかり過ぎるのはよくない。ユリウスの頬を両手で包んだ。

「ヴェルナー殿下の言うように、社交活動を任せっぱなしにして、ごめんね。社交活動はあと一年はユリウスだけに任せることになるから、それ以外の仕事なら私がもう少し請け負うわ」

 ユリウスはすでに社交活動をしている。帝国では、女性はデビュタント時に皇帝に挨拶をしなければならない行事があるが、男性はそういうものがない。一般的には親や知人に付いて行っていろんな人に紹介してもらうことで、いつのまにか社交活動をするようになるものなのだ。だから私の代わりに夜会やパーティーなどには、ユリウスが参加してくれている。

「社交活動もそれ以外の仕事も、僕は何も負担に思っていません。むしろ、姉様がされている他の仕事も、僕ができるものがあるなら、任せてもらって構いません」
「ユリウス……」
「姉様は死神業だけでも負担が大きいでしょう。母上は帝国にまったく帰ってきませんし、姉様が一人で請け負っているようなもの。いつか姉様が倒れないか、僕はそれが心配です」
「私は大丈夫よ。今は咲たちもいるし、かなり負担は減ってるのよ」
「姉様はすぐ大丈夫と言うんですから」

 ユリウスはため息を付いている。本当に大丈夫なんだけれどなぁ。ユリウスは心配症である。
 私はユリウスの顔から両手を退けると、椅子から立ち上がってユリウスを抱きしめた。

「ユリウス、ありがとう。仕事を手伝ってくれることもだけれど、ユリウスが傍にいてくれるだけで私は嬉しいの。いつまでも愛しているからね」
「僕も愛していますよ。姉様は僕がずっと支えますから」

 この帝国で、この世界でたった二人の姉弟だ。今度こそユリウスからは絶対に離れないのだと、改めて心に誓うのだった。
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