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(一)

勝負如此ニ御座候

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『――――心の十文字を持て』



 厳延の脳裏には、いつも右片手の雷刀(上段)に脇差を持った叔父の姿がある。



 あれはいつのことであったか。

 確か叔父御は還暦に達したばかりの頃であったか。庭園の手入れの途中に突然に何やら小転こまろばしからの十文字勝ちに新しい工夫を思いついたとのことで、たまたま共に来ていた彼に真剣にて打太刀をさせ、自らは脇差……世に云う鬼包丁を掲げて言ったのだ。

 牡丹の花が咲き誇っていと記憶している。

 とすれば四月あたりであったか。

 ふふん、と口元に笑みが浮かんだ。

 あの時の自分は、叔父のあまりの心魂の迫力に打たれ、どう言われて叱咤されようとも動けなかった。

『動けません』

『勘弁してくださいませ』

『無理です』

『叔父御……』

 みっともない言葉ばかりを使った気がする。どうにか刀を抜くまではできたが、それ以上はただただ首を振り、拒絶した。涙ながら懇願した。

 どれほどの時間、叔父は脇差を掲げていたかは解らなかったが、やがて一息つき。



『すまなんだ。許せ』



 とだけ言った。

 その日はそれ以上の言葉を交わすことはなかったが、翌日にはいつもどおりに戻っていた。

 あの日のことは、厳延の心に強く刻まれている。

(叔父御は、剣の達者であったが、不器用な方であった) 

 あるいは、病弱な甥を相手にどうすればいいのか、解らなかったのかもしれない。

 浦連也――それは隠居してからの号であり、世に新陰流五世として知られる柳生厳包やぎゅう としかねの元には、家中から体躯に恵まれ、素質に溢れる者たちが多く集まっていたのだ。自分のような、兵法の家に生まれただけという病弱な人間にどう接していいものかは測りかねていたとして不思議でもない。他の門弟の手前、優しくするわけにもいかないが、さりとて厳しくして身体を壊すのも問題であろう。

 だから厳延は入門してからしばらくは、実はほとんど叔父の指導を受けていない。

 素振りでの身体作りを中心にして、時折に三学円太刀の打太刀をしてくれていたが、その程度だ。

 少し身体ができてからは他の門弟たち同様に激しく稽古をつけられたが、正直、あの頃は本当に辛かった。

 兵法の家の者としての決意はあったが、それでも稽古を続けるのは彼にとって大変な負担だった。

 何度となく柳生家の道場の床の上に倒れ、幾度となく叔父御の庭園で倒れた。

 叔父御は優しい人であったが、それでも剣に妥協は許さなかった。

『ゆるゆると鍛えればよい』

 と言いながら、毎日稽古をつけた。病に倒れた日には枕元で兵法書を諳んじることを求めた。

 仕方がなかったことだと思う。

 叔父御はそのような人であり、自分が生まれたのは兵法指南の柳生家なのだ。

(よくも自分の如き者が、残ったものだ)

 とすら思う。

 事実、厳しく妥協を許さない指導には、幾人もの素質ある門下生が脱落、あるいは離反していったものだった。

 今や一派を立てている猪谷家も、そして福留家も、叔父御の厳しさに反発して去っていった者たちだ。

 辛い日々であったが、思い返せば、それらもすでに懐かしい。

 何年もかけて肉体は壮健に至り、なんとか叔父御、そして父の指導についていけるようになっていったが。

 やはり素質という点では他の者たちに比して見劣りしていたのは否めない。

(本当に、ギリギリまで俺に免許を出されなんだが)

 それだけ、彼の技倆には不安を覚えていたのだろう。

 牡丹の中で以外でも、叔父達の要求に応えられないことは多くあった。その都度、叔父は黙り込んでしまい。翌日からはまた何事もなかったかのように振る舞う……ということを繰り返していた。

(あの時だけは、違っていた)

 道場では他の門弟たちの目もあって、弱音を歯を食いしばって飲み込んでいたが、あの時は他の者の目もなく、また脇差とはいえ、真剣の刃に袋撓ではあり得ぬ恐怖を感じ、ついつい情けない言葉を吐いてしまった。

 そして、叔父御が「すまなかった」などと言ったのも初めてだった。 

 それだけに強く印象に残っているのだろう。

 その後も稽古は続けたが、叔父御が良しとして免状を発行したのは十年後、彼が三十二歳にもなってだった。

 それも自身が亡くなる直前になって、ようやくのことだ。

 そのような有様であったから、世間では柳生家の総領である甥のために、あの浦連也ですらも妥協したのだとか言われる始末だった。

 真意のほどは、今となっては解らない。

 あの厳しい叔父御も、亡くなってからすでに三年も経っている。

 今やあの牡丹咲き乱れていた浦屋敷には、主人はいない。

 ただ庭数奇の叔父御の作り上げた庭園を惜しみ、藩主綱誠公直々に管理するための庭職人が遣わされているだけだ。

 時折に掃除はされているが、主の居ない屋敷というのは寂しいものだ。そして浦屋敷が如き壮麗な庭のある場所がそのようになると、奇妙な噂が立つようになる。

 先日も裃を着た男が屋敷に出たとか、そのような話が世間を騒がせているという報告があった。

 少し前にも、柳生家の家老同士が刃傷沙汰を起こしていた。

 他にも表に出ていない不祥事は多くあり、世間もそれに乗じて陰口を叩いているようだった。

(叔父御が生きていれば……いや、いつまでも、叔父御に頼っているわけにもいかないのだ……)

 そうは思いながらも、日々ごとにかつて抱いていた憧憬と、そしてもういないのだという諦観、反発が胸の中でかき混ぜられ、自分がどうしたいのかも解らなくなっていき――

 今では夜もろくに眠れぬことも多い。



 そして時折に、厳延は考えることをまとめるために、熱田へと行く。



 遺言により、浦連也の骨は火葬され、熱田の海の沖へと撒かれたからだった。

 正直、手間のかかることであったが、師であり、柳生家の長老たる叔父御の遺言ならば守らなくてはならず、その際には少し船酔いし、気分が悪くなった記憶があったが。



 そしてその、三年前の葬儀の時、散骨した後にあの老人を見たのだ。



(忘れていた)

 あの老人は、無地の白い裃姿で、海へと向かって座して酒を飲んでいた。

 夕暮れの色の中にその姿は、一幅の絵のようだと思った。

 そしてそれは、叔父御を悼んでいるのだとぼんやりと直感していた。あの時も誰だろうと訝しんだような記憶がある。

 思い切って声をかけようとも思ったが、葬儀の忙しさやら気分の悪さやらが重なり、それきりになっていた。

 そのまま三年が過ぎて、すっかりその日のことを思い出さなくなっていたが――

(あの時は、叔父御の古い友人か何かだと思っていた)

 だが、今すれ違った時に見た、あの家紋は。

 丸に三つ柏は。



「もし――」



 足早に進む老人に追いつけたのは、三之丸への門へと差し掛かった頃であった。

 息を整えぬままに呼び止めた厳延の声に、老人は足を止め。



「それがし、柳生兵庫と申す者でございますが、卒爾ながら御老人は、嶋家に……私たちの曽祖父であられる、嶋佐近しまさこん様に関わりのある御方ではありませんか――」



 老人はようやく振り返った。

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