実りの神子と恋の花

稲葉千紗

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幼少期編

神話を知ること

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 ……あ、雪だ。

 上げられた格子の隙間からこぼれる白に視線が吸い寄せられる。
 ぼんやり眺めていると、隣で巻物を開いていた朔夜もつられて顔を上げた。

「ああ、天花てんかですね」

 そう言って、朔夜が立ち上がる。
 右手を格子の外に差し出して、そうして袖に止まった雪を私に差し出した。

「花のような形をしているのがわかりますか?」

 火鉢ひばちの熱であっという間に崩れてしまったけれど、雪が花の形をしているのは分かったのでうなずいておく。

「これは、天上……空の上に咲く花なのですよ」
「そらの、うえ?」
「はい。神様がいらっしゃる高天原たかまのはらにて、天狐あまつきつねの一族が大切に育てている花です」

 そんな事は初めて聞いた。
 ほうほうと目を輝かせれば、私が興味を持ったのがわかったのだろう。朔夜が神話を教えてくれた。



「昔々、冬をつかさどる女神さまはお二人、いらっしゃいました」

 白姫と黒姫。双子の女神だったそうだ。
 二人はとても仲が良く、いつでもどんな時も一緒にいたらしい。

 けれどある日、黒姫が人間の男に恋をした。

 黒姫は彼に夢中になった。
 いつまでもその姿を見つめていた事から、なかなか冬が終わらず、時おり地上に忍んだ事から、夏でも冬のような天気が続いた。

 狂った季節に他の女神たちはたいそう困ったという。

「黒姫がお仕事をしないから、新芽が出ないわ」
 芽吹かない種子を抱えて、嘆くのは佐保姫さほひめだ。

「黒姫が夏を寒くしてしまうから、植物が育たないの」
 このままでは豊かな実りを期待することはできない、と筒姫つつひめが頭を抱える。

「黒姫が冬を早めてしまうから、冬支度が間に合わない子達がいるんだ」
 ただでさえ少ない食料をかき集める動物たちの姿に、竜田姫たつたひめは涙を流す。

「ごめんなさい、お姉さま方。きちんと言い聞かせるから」
 けれど、白姫がいくら言っても黒姫は聞かなかった。

 そうして一年が過ぎ、二年が過ぎ、季節の狂いはやがて高天原にまで及んだ。

 ここまでくれば、白姫も黒姫を庇えない。
 そうして黒姫は神の位を剥奪され、高天原を追放された。

 雪が生まれたのは、その後だ。

 地上に落とされた片割れを思い、白姫は自身の庭で花を育て始めた。
 誰も見た事のない、美しい純白の天花あまつはな
 それは、触れればどんな病もたちどころに直してしまうという不思議な花だった



「冬になると、白姫はその花を地上に降らせるのです。せめて黒姫が病に苦しむことがないように、と」

 けれど天花は地上の空気に触れるとその形を崩してしまい、病を癒す不思議な力も失われる。それでも白姫は黒姫のために天花を降らせずにはいられないそうだ。

「くろひめは、どうなったの?」
「……黒姫のその後は、語られることがありません」

 愛しい男と添い遂げたのか、自らの過ちに気付き罪が許される日を待っているのか。それは誰にもわからない、と朔夜が言う。

「しあわせに、なれたらいいね」

 恋に夢中になって仕事を疎かにするのだめだと思うけど、それでもなんとなく憎めない。
 たとえどんな形でも皆が笑っていられたらいい。
 その思いを口にすると、朔夜が「姫宮はお優しいですね」と頭を撫でてくれた。

 はらり、はらりと雪が降る。
 山にも、川にも、野にも山にも。どんなところにも降るそれは、白姫の思いなのだろう。
 二人がそろう日は来ないかもしれないけれど、それでも自分はいつもあなたを思っているという白姫の言葉に聞こえた。

「……きれい」
「はい、とても美しいです」

 二人並んで、景色を眺める。
 幾度も見た雪も、もとは女神さまの庭に咲いていた花と認識すれば、ひどく神聖なものに思えた。

「つもるかな」
「つもるといいですね」

 視界の先、色彩であふれた内裏の庭は、すでにうっすらと白に色を変えつつある。
 地上を白で染め上げ、埋め尽くす白花のその中に、ふと金の輝きを見た気がした。
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