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レモンの憂愁
14 ー 戦う料理番
しおりを挟む翌朝。誠達がダイニングで朝食を摂っていると、慌ただしい足音を立てながらオランジュが突撃してきた。
厨房は使えないがオーブンだけは無事なので朝早くからパンを焼き、その間に庭で調理を済ませるくらい、誠にとって文字通り朝飯前だ。いつも通りの朝食を提供できたことに満足している誠は、怪訝そうな表情をオランジュに向けた。
「アレクセイ!」
「…何ですかオランジュ班長。うちは今、朝食中なんですが」
「いや…それは分かってんだけどよ。ラペルだよラペル。お前、何かしただろ」
オランジュはアレクセイに詰め寄ると、テーブルにどんと手をついた。怒っているのではなく、混乱しているのだろう。眉間が寄っているが覇気は無い。。
レビ達は何の話だと訝しんでいたが、誠は知らない素振りで黙々と朝食を食べ続けていた。
「俺はただ念押しをしただけです」
「念押しがあれか。アイツ、もう騎士団として再起不可能だぞ。怯えてまともな話も出来ねぇ」
「そうですか。…ああ、そう言えば呪いがかかっているそうですよ」
「…は?」
何を言っているんだという顔でオランジュはアレクセイを見たが、アレクセイは気にせず続けた。
「俺としては然るべき抗議と処置をしたかったんですが」
アレクセイは座らないのかとオランジュに着席を勧めた。素直に座ったオランジュに、誠は紅茶を用意してやった。
それから出立する前にアレクセイとオランジュは二人だけで少し話したあと、次の中継ポイントに向けて移動を始めた。
村の門を抜けたところで、ずっと疑問に思っていたのだろう。オスカーが誠に近付いてきた。
「なあ、マコト君。班長が呪いって言ってたけど…何のことか分かる?」
朝食の席で誠が驚く様子を見せなかったので、関係があると思われたのだろうか。
特に隠すことでもなかったので、誠は素直に頷いた。
「遠野の妖狐の得意技の一つに、呪いがあるんだよ」
それだけで合点がいったのか、オスカーは若干口元をひくつかせながら「そうか…」とだけ言って、納得したようだった。
「…ちなみに、どんな呪い?」
「ん?アレクセイの名前を呼べない呪い。五月蠅かったじゃん、アレクセイ様アレクセイ様って。アレクセイもすっげー迷惑な顔してたし。別の呪いもかけようかって聞いたけど、その前に狐火の幻影見てたし、それで良いって」
「あー…一緒に居たんだ?」
「夜中にこっそり抜け出されたら、ついて行ってみたくなるじゃん?」
ニッコリと笑うと、オスカーは力なく笑った。
それまで黙って歩いていたアレクセイは、誠の腰を抱き寄せてオスカーを牽制する。
「マコト。そんなに可愛い顔をオスカーに見せるな」
「は?何言ってんだよ、オスカーだよ?」
「それでもだ」
「…はいはい」
「班長、大丈夫です。俺、マコト君もマコト君の作るご飯も好きだけど、ツガイに望むのは…」
「エメ?」
食い気味に聞くと、いつも飄々としているオスカーの顔が一気に赤くなった。
こちらの様子をチラチラと伺っていたレビ達はそれを見ると、一気に囃し立てた。
「え、マジですか?」
「やっぱり…!」
「オスカー先輩、遠距離恋愛なんですね」
しみじみと言うドナルドの頭に、オスカーはまだ赤い顔のまま手刀を落とした。
「まだ遠距離恋愛じゃねぇよ、バカヤロー!」
その切実な叫びに、皆の表情は穏やかになった。
一瞬穏やかな空気が流れたが、それをぶった切ったのはレビだった。
「それで結局、アイツはどうなったんですか?夜中に班長とマコトにフルボッコにされたっぽいけど、騎士団としての処罰とかもあるんですよね?」
そして時が止まった。
アレクセイは真顔で口元だけで笑みを作る。それだけでレビ達は前を向き、「さあ、今日の昼食は何かなー」と棒読みのセリフを言いながら歩みを早めていた。
誠は首を傾げながら、アレクセイに聞いた。
「…で?」
「ん?」
答えたくないのか、アレクセイは目尻を下げる。
騎士団内の話なので答えられないのだろうか。それとも、王都騎士団と他領騎士団のパワーバランスの話になるのかもしれない。
アレクセイが話せないのなら無理に聞く必要はないのだが、何か含みがあるアレクセイの表情が気になった。
「大丈夫だ。しっかりと法に則った処罰をしてもらうだけだ」
「…そう。まぁアレクセイに被害が無いんなら、それで良いや」
「ああ。こっちは被害者という立場だからな」
随分と含みのある言葉だ。それがアレクセイが言えるギリギリのラインなんだろう。
誠は「ふーん」と言うだけで終わらせることにした。
何かあれば逃げの一手を打てることもできるし、その前に王都に鎮座している「お兄ちゃん」が、弟可愛さに権力を総動員させて対策を練るはずだ。
あのラスボスを倒すのは骨が折れるどころか全身複雑骨折になりそうだと思いながら、誠は前を歩く犬系獣人コンビの揺れる尾を見ていた。
数日おきに、亜種を倒している気がする。
誠はドナルドの戦斧が首を刎ねたのを見届けながら、こっそりと溜息を吐いていた。
「ったく…どうなってんだよ」
苛立ちが募っているのか、亜種の体を蹴ったレビが吠えた。誰にも怪我が無いのは良いことだが、こんなにも亜種が出現した年は無いそうだ。
何かが起こっている。それは誰もが段々と実感していたことだった。
「五班も王都を出立してから数体、亜種と戦ったそうだ。向こうはマコトが居ないからな。途中の街で何人か交代したらしい」
巾着に亜種を収納したアレクセイが、逆方向から目的地に向かっている班の動向を教えてくれた。
レビの行動を咎めていたルイージが、顎に手を当てながら言った。
「あの五班でも、そんな状態ですか」
「ああ。上級ポーションを使用していても、怪我を負った時の疲れが完全に取れるわけでは無いからな。あの班でも苦労をしているということだ」
「五班ってそんな強いの?」
顔合わせをすることなく出立したので、誠は五班がどんなメンバーなのかを知らない。
いくら秋の討伐遠征に行っていた団員の半分が戻って来たと言っても、この時期の騎士団のスケジュールはカツカツらしい。だから五班の班長の名前と人数を行く前に聞かされたのだが、それ以外の情報を知らなかったのだ。
ルイージはアレクセイを見てから誠に向き直った。
「総合的に一番強いのは僕達一班らしいんですけど、二班以降は実力が拮抗しています。それでも五班は…筋肉バカの集まりなんですよ。だから場合によっては王都騎士団内で最強になる時がありますし、中程になる時もあります。今回の場合、オールマイティな戦い方ができる僕達とパワーで押す五班を出したのは…多分、亜種に対してどの戦い方が合うのかを試すという意味合いもあるのかと」
そうでしょう?とルイージがまたアレクセイを見ると、アレクセイは肯定するように頷いた。
「ああ。今までは、亜種が出て来た時は出せる戦力を出すという総力戦だったからな。今後のことを考えて、正確なデータを取りたいんだろう」
「へー。じゃあ、パワー型の五班と亜種は合わないってこと?」
「…どうだろう。俺達と比べて五班は俊敏性は落ちるが、亜種に押されないパワーは必要だ」
「僕達は、ほら…マコトさんのご飯の力がありますから。それにマコトさんも」
「俺?」
「ええ。マコトさんが強いのはもちろん、それがあるから安心して戦えると言う安心感もありますからね」
そう言われると、やはり照れてしまう。誠がニヨニヨとしていると、ルイージの言葉を捕捉するようにオスカーがやって来た。
「ま、いつまでマコト君と戦えるか分からないから、その点はちゃんと考えながら戦ってるけどね。そう言うのは班長と俺の役目だから、マコト君は安心して戦ってくれて良いよ」
「そっか。頼むぜ、アレクセイの右腕」
その点だけが、最近の心配事だった。自分を戦力の一つと数えてくれるのは仲間と認められたようで嬉しいのだが、誠は騎士団ではない。頼られるのは嬉しいのだが、今後がどうなるかは分からない。
けれどそれは要らぬ心配だったようだ。彼らはしっかりと現実を見据えていた。
だと言うのにその日の夜、夕食を済ませたアレクセイにきた連絡は、誠達の耳を疑う内容だった。
「…勇者、ですか?」
連絡鏡に向かい、アレクセイは低い声でフレデリクの言葉を繰り返した。
普段なら、フレデリクとの会話は誰も居ない個室や、野宿の場合は少し離れた場所で行っている。けれど今回に限っては皆に聞いて欲しいと、まだ片付けていなかった折り畳みテーブルに連絡鏡が置かれていた。
『そうだ。完全にシャンディ侯爵の暴走だな。こちらに情報が来た時には、すでに異世界から勇者が召喚された後だったよ』
魔道具越しに、フレデリクの低い声が響く。腹に据えかねているのか、その声は普段よりも脳を揺らすようだった。
レビ達は静かにフレデリクの話を聞いていた。
『これは教会の思惑もあるようだ。シャンディ侯爵領にある教会の司祭に、亜種は勇者に倒させるのが良いという内容の神託が降った。…神託が降った場所が悪かったな』
「…どういうこと?神託って神殿の誰かに降るんじゃねぇの?」
誠がこの世界に来る時の神託は、王都の神殿の聖職者に降る予定だった。けれど今回はそれが他領の教会だという。その違いは何なのか、訳が分からなかった。
『ああ。神託は必ずしも王都の神殿の聖職者に降るものではない。規則性は不明だが、他領の司祭や司教、時には教皇に降りて来る時もあるらしい』
「へー、そうなんだ」
『ああ。そしてシャンディ侯爵領の教会は、シャンディ侯爵とかなり癒着していると噂されていてな。それだけならこちらにあまり被害は無いのだが、シャンディ侯爵は今の当主になってからは良い噂を聞かない。それに我がヴォルク家を敵視している。この件で手柄を立てて、王族に取り入ろうとしているんだろう』
「王宮の見解は?」
アレクセイは眉間に皺を寄せながら聞く。
『能天気な陛下は、勇者はシャンディ騎士団の管轄になるのだから任せる、と。そして異世界が本当にあるのかと、そちらの方に興味を持ったようだ。王妃は頭を抱えていたよ』
「そうですか…。なら、ますますマコトの存在は隠さなければなりませんね」
『そうだな。とにかく、新しい動きがあればすぐに連絡をする』
「分かりました。もしその勇者とかち合うことがあれば、どうしましょうか」
『ああ…その時は同行しなくて良い。いや、絶対にするな。特にレビ。面白がって彼らに話しかけたりするなよ』
フレデリクに名指しされたレビは、がっくりと項垂れた。
「いくら俺でも、しませんよ~…。部隊長の言い方からすると、ヤバい連中っぽいですし」
『良く分かったな、その通りだ。子飼いの者からの情報だと、向こうのとこちらの文化が違うのか、我儘放題だそうだ。メイドや侍従達が裏で頭を抱えているらしい。マコトとは大違いだな』
そう言って低く笑うフレデリクに、誠は目をぱちくりとさせた。
「…異世界って、どの世界から来たんだろう。召喚されたことに納得してんのかな。急に召喚されたから我儘言ってるのなら分かるけどさぁ」
『その部分は、まだ探りを入れている途中だ。…ローゼス、新たな情報は?』
『いいえ、まだ入っていません』
『…だ、そうだ』
「了解」
ローゼスも近くに居たようだ。声を聞く限りでは元気そうだと思っているうちに、フレデリクはアレクセイと一言二言言葉を交わすと、連絡鏡は途切れてしまった。
アレクセイは長い溜息を吐くと、全員の顔を見回してから「面倒臭いことになったな」と零した。
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