神様の料理番

柊 ハルト

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バターの微笑み

10 ー 銀色の狼

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 「…疲れた」

 龍脈の修復は、思ったよりも力を使った。
 誠は邸に戻ると、さっさと風呂に入ってアレクセイが使っているベッドに潜り込んだ。さっきまでの感触を、全て消してしまいたかったのだ。
 礼拝堂の中のモノは、誠が流れを整えている時もずっと、龍脈の力を集めていた。いや、あれは食べていたと言った方が正しいのかもしれない。
 醜く太った気配は貪欲だった。よこせよこせと、誠にまで手を伸ばしてきていた。
 誠は幾重にも結界を自身の周りに張り、ついでに礼拝堂の下にも手を加えて、決して龍脈の力を通さないようにしてしまった。これで少しは礼拝堂内のモノの力を抑えられただろうが、中からの肌を刺すような感覚は無くならなかった。
 枕を抱えながら時計を見ると、短針はてっぺんを指そうとしているが、まだ誰一人として戻って来てはいない。

「ブラック企業かよ」

 ゴロゴロと広いベッドを転がってみる。疲れているはずなのに、一向に眠気が襲ってこない。
 嫌な予感がして、たまらない。
 観念した誠はベッドから起き上がって素早く着替えると、首元のトライバルの狼に手を当てた。あの銀狼との繋がりを絶っていなくて、本当に良かった。
 誠は闇に潜ると、その魔法の術者の元へと向かっていた。

 アレクセイの影から出た。ここは会議室のようだ。
 部屋の真ん中に大きな縦長の机が置かれ、一番奥には辺境伯であるレイナルドが座っている。机の両脇には彼の息子や、その息子と同じような軍服を気た獣人や人間達が並ぶ。アレクセイは一番端、ドアに近いところで、腕組みをしながら不機嫌な顔を隠そうともせずに、どっかりと座っている。
 誰も誠が現れたことは分からない。姿を消すことは、妖怪にとっては朝飯前だ。
 だが、椅子の座面から垂れているアレクセイの尾だけは、誠が背後に立った瞬間からピクリと反応を見せている。耳もピンと立って動いていることから、何かを探っているらしい。
 アレクセイだけにはわかるのだろうか。そうだったら良い。誠は揺れる尾を見ながら、そんなことを考えていた。

「だから、司祭になんぞに任せず、我らが使える道を模索しようと言っているじゃないですか!」

 バン、とテーブルを叩きながら、レイナルドの息子が声を荒げる。
 誠がそちらを向くと、どうやらレイナルドを中心とした年嵩の団員達と、息子を中心とした若い団員達で意見が対立しているようだ。レイナルドは溜息を吐きながら、話にならないと息子の意見を突っぱねる。

「何度も言っているが、過ぎた力は身を滅ぼす結果になる。明日になれば、司祭も戻って来る。要らぬ火種は、我が領に置いておくことはできない」
「父上!使う前から及び腰では、我がスルト騎士団の名折れです。あの剣には膨大な魔力が含まれているのは、誰もが分かること。あれさえあれば、魔獣討伐なぞ一瞬で終わるんですよ。そうすれば…」
「そうすれば、戦力過多と周りに言われだろうな。もちろん、王家にも」

 レイナルドの声が室内に深く響いた。息子はテーブルに乗せたままだった手を強く握ると、父親をぎっと睨んで立ち上がり、部屋から出て行ってしまった。息子の後を追いかけるように若手の団員も二人、続けて出ていく。大人達は彼らの行動を横目に、目頭を揉んだり溜息を吐いたりしていた。

「…皆の者、息子がすまない」
「レイナルド様…」

 レイナルドが頭を下げると、方々から労りの言葉がかけられる。そんな中、アレクセイはそのやりとりをじっと見ているだけだった。
 口を挟むべきことではないのか、挟めないのか。どちらか分からないが、機嫌が悪くなっていることだけは見てとれる。アレクセイの足元に霜が張っていることに気付き、誠は苦笑いを浮かべた。

「父上」

 アレクセイより少し年上だろう若い獣人が、レイナルドを呼んだ。

「ああ、サンディ。すまないが、あやつの後を追って、話を聞いてやってくれ」
「わかりました。けれど、私の意見も父上と同じですよ」
「かまわない。今は俺が何を言っても聞かんだろう」
「…そうかもしれませんね。はぁ、全く」

  サンディと呼ばれた青年は、レイナルドと目元が似ていた。見た目や会話からすると、会議を中座した息子の兄だろう。サンディは、父であるレイナルドと集まっている面々に軽く頭を下げ、足早に室内から出て行った。
 レイナルドはサンディの背中を見守った後で、一同の顔を見回した。

「皆、長い時間拘束してしまって、すまない。さあ、解散しよう。また明日も頼むぞ」

 その言葉で、室内の固い空気は少しだけ和らいだ。皆が席を立つ中、アレクセイだけは座ったままだった。
 アレクセイとレイナルド以外が室内から居なくなると、アレクセイは伯父を冷たい目で見る。

「辺境伯。結局、明日司祭が戻り次第あの剣は封印ということで良いんですね?」

 固い表情のままだったレイナルドは、アレクセイの視線を受けて肩を落とす。

「ああ。ジュリオがどんなに反対していようが、決定を覆すつもりはない」
「分かりました。では、そのように部隊長に報告しておきます」
「頼む。あの剣は、ヒトが制御できるものではないだろう。俺もお前も、そしてフレデリク様でも。…お前はこの決断をした俺を、腰抜けだと思うか?」

 弱音を吐いたレイナルドを、アレクセイは鼻で笑った。

「まさか。己の力を過信して、最悪な事態を引き起こすよりはよっぽど良いでしょう」
「だよな」

 レイナルドは弱々しく笑った。昨日見た時とは違い、その表情には疲れが滲み出ていた。

「貴方はここの領主だ。不確かな力に振り回される暇があれば、スルト騎士団を強くした方がよっぽど合理的だ。騎士団は民のためにあるのだから」
「…そうだよな。あーあ。サンディはそれが分かってんのに、何で次男のジュリオは分からないかねぇ」

 いつもの口調に戻ったレイナルドは、ガシガシと頭を掻く。

「…話はそれだけでしょうか?無いのなら、俺は失礼します」
「うー…ああ。遅くまで悪かったな」

 甥っ子に冷たくされて苦笑いを浮かべるレイナルドを一瞥すると、アレクセイはさっさと席を立って室内を出てしまった。
 誠は置いて行かれないように歩くが、何と言っても足の長さが違う。気付けば早足になっていた。少しだけムカついた誠は姿を消したまま、アレクセイの首に背後から抱き付く。
 重さを感じないようにしているはずなのに、アレクセイは廊下の真ん中で歩みを止めた。

「…マコト?」

 アレクセイが、誠の名前をぽつりと呟く。
 どうしようかと思案したが、誠はそのまま姿を現すことにした。

「よく俺だって分かったな」
「マコト!?どうして…いや、どうやってここに?」

 珍しく狼狽えているアレクセイがおかしくて、誠はクスクスと笑った。腹に当たる、銀色の尾がくすぐったい。

「何か嫌な予感がしてさ。大丈夫、会議の内容までは聞いてないよ」
「…ということは、バカ息子が出て行ったあたりの会話は聞いたということか」
「正解。さすがアレクセイだな」

 そっと腕を外され、今度はアレクセイの腕の中に囲われる。まだ笑っている誠に、アレクセイは困ったという顔をしていた。
 表情を戻した誠は、アレクセイに聞く。

「なあ。礼拝堂にあるやつって、何?」

 その言葉を聞いた途端、アレクセイは目を見開き、そいて言い淀んでいる。カマをかけたつもりは無いが、アレクセイを見るに、相当な物を納めたということだろう。

「別に中は覗いちゃいないさ。けど…アレ、かなりヤバいもんじゃないのか?人間や獣人は、扱わない方が良いと思うんだけど」
「…どうしてそう思った?」
「んー、勘?…って言うのは冗談だけど」

 真実を話すまで逃さないというように、アレクセイの腕に力が込もる。アイスブルーの瞳は、しっかりと誠を捕らえていた。

「ちょっと用事があって、礼拝堂の裏に行ったんだよ。そしたら、中にあるやつの気配は気持ち悪いし、何かピリピリした気配が漏れてるし。だから…かな」
「アレには一応、結界を張っていたはずだが」
「そうなんだ。じゃあ、結界が弱いのか、中のヤツが結界を破ったのか…どっちかかな」
「結界を破る…だと?」
「そう。結界って、魔法?魔法陣?どっちか知らないけど、その空間に干渉する力を感じられなかったから」

 誠が使う結界は魔法ではないが、決められた空間を遮断するという作用は同じだろう。使用すると、それ特有の空気というものがある。それに、魔法は少なからずその場に魔素の揺らぎが発生する。時間が経てば分からなくなるが、誠はアレクセイ達が使う魔法の特徴を覚えていたので、揺らぎのことも理解していた。

「そんな…。マコト、俺は今から礼拝堂に確認に行く。君は…」
「俺も行くよ」

 アレクセイの言葉を遮り、誠はキッパリと言い放つ。
 きっとアレクセイは、ここか邸で待てと言いたかったに違いない。だが、いくらアレクセイが強いとは言え、アレに無防備に近付いて欲しくないのだ。

「…待っていてくれと言っても、君は着いて来るんだろうな」
「当たり前じゃん。別にアレクセイが弱いとは思ってないけど、もしもってのがあるだろ」
「しかし、君を危険に晒したくないんだ」
「それは俺も同じだよ。それに、アレは純粋な魔力よりも神職者の方が合ってると思う…いや、もしかしたら」

 もしかしたら、神職者よりも、諏訪の方の力を使った方が良いのかもしれない。誠はアレクセイに見えないように、手をぎゅっと握っていた。
 諏訪から受け継いだ力は、水、風、雷。そして。

「レビ達は、もう戻ってんのかな?」
「…分かった。一度逗留用の邸に戻って確認しよう」

 あからさまに話題を変えた自分に乗ってくれたアレクセイに、内心ほっとする。誠に対して甘いのか、それともかなりの信頼を得ているのか。後者であれば良い。
 誠は手の力を抜くと、アレクセイの腰に回してやった。
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