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その1
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卒業式が、そして最後のホームルームが終わる。僕は君に会いに行く。
玄関前の生徒ホール。購買はしまり、今日は出席した父兄を含めたバス待ちの人々でごった返している。が、SF研の連中が隅のテーブルにたまっているのを、見逃すことはない。彼らの一人が僕を見つけ、よお、と声をかける。
SF研究会。放課後、遅くまで続いた雑談。ふざけた話、オタクな話、恋愛の話……その全てが、今日を境に特別な物になろうとしている。卒業の感傷とは遠く、いつもと何らかわらぬ彼らの顔を見渡す。一つ一つが思い出深い。喧嘩の仲裁をしてやったカップルがいる。宿題を分担した奴らもいる。会誌の編集をしながら、哲学めいた議論を戦わせたやつもいる。そんな全てが、今日で終わろうとしている。
けれども僕には、思い出に浸る以上に気になることがあって、それが彼らの会話に隙間を探させる。
「……は?」
君の、名前。
そう、そこにはまだ、君だけが、いない。
ホームルーム、終わってないんじゃない? 誰かが言って、そうかもな、と思う。いつも一番遅く部室にあらわれた、君の愚痴を思い出しながら。
何故か男を含む三人の後輩に制服のボタンをねだられ、僕は最初に一番上から、続いて下から二つのボタンをはずす。ふざけ半分の記念品。僕は笑いをこらえ、できるだけ荘厳に、一つ一つを彼らに手渡す。そんなばかげた儀式の間にも、扉が開く度に視線が動くのを押さえきれない。そして物足りない思いが、不安を経て失望へと代わり始める頃、君はようやく姿をあらわす。僕はいつもと変わらない君の笑顔を眺めながら、失望が他のものへ変わっていくのをはっきりと感じる。いままで幾度も経験した、心の動き。けれども今日だけは、それがなんであるかを、僕ははっきりと自覚している。
君は僕の正面の椅子に腰を下ろす。窓から入るやわらかい光が長い髪の上で躍る。僕はちょっと、目を細める。君は僕に向かって、まっすぐに手を差し出す。
「先輩、第三ボタンください」
求められるままに、僕は与える。いつか、もうずいぶん前に、第三ボタンが友情のしるしだと、君が言っていたのを思い出しながら。
気がついていた。君にとって僕は、先輩で、友達。たとえたまに二人で遊びに行くことがあっても、決してそれ以上のものではない、と。だからこそ君は僕に、クラスのことや勉強のこと、友達の恋愛のことなど、何でも相談するのだ、と。そんな時、他に何ができただろう?自分の想いから目をそらすこと以外に。打ち明ければ君を戸惑わせるだけの想いを、自分だけの内に抱えながら君とつきあっていくことなど、僕には耐えられなかった。
「先輩って、いい人ですね」
君は言ったね。折りがあれば何度もそう繰り返し、しまいにはその言葉を言うためにわざわざ機会を探しているんじゃないかと思えるほどだった。僕はその言葉に、どれほどの動揺と喜びを感じたことだろう。君の好意や信頼は、SF研の連中の中でも、とりわけ僕を支えてくれるものだった。でもそんな幸福の中では、僕が一番恐れていた想いがあっと言う間に頭をもたげてくるものだから、君と話すときには、いつもどこかで緊張していなければならなかったんだ。
でも今日だけ、今ひとときだけは、自分の想いを認めることができる。君と会っているという、純粋な幸福の中で。
今日を境に、僕は学校を去る。いつかは、君を忘れる日も来るだろう。
だから僕はそれを……自分の想いが恋であるということを、はっきりと確認しておきたかった。今が、最後の機会だから。今を逃したら、僕の高校生活そのものが、ひどくあやふやなものになってしまいそうだから。
君が笑う。長い髪の上に光が踊る。少しきつい感じのメゾソプラノが、僕の耳の中をはね回る。僕は全てを抱きしめる。今までにない強さで。今までにない喜びをもって。
光が、やけに、まぶしい。
人の波が動き始め、皆が立ち上がる。バスの時間だ。
僕は……適当な用事をでっちあげて、ここに残る。今やはっきりしたものとなった想いが、別れを惜しむことがないように。もう、会うこともない。
さようなら。
君は立ちあがって、そう、あいさつをする。僕は同じ言葉で返事をし、手をふりながら、もう一つの言葉を、心の中でつぶやく。
さよなら(好きだよ)
今まで言いたいと思おうとしなかった、でも確かに、言いたくて言えなかった、一つの 言葉。
(好きだよ……君が)
君は他の皆といっしょに、ロビーを出る。僕だけが、一人、そこにいる。しばらくしてから立ち上がり、玄関へむかう。
バスが発車するのが見える。僕はそのバスに乗っているはずの君に、もう一度、口に出さずにつぶやく。
(好きだったよ、ずっと)
ただでさえ遠いバス。近眼の僕には、君の姿など見えるわけもない。それでも僕は、君のことを想い描きながら、数度、その言葉をくり返す。
(好きだったよ……ずっと……)
制服に残った第二ボタンを、僕はむしりとり、投げ捨てる。
そして……うすれゆく想いとともに、僕の高校生活は、終わりを告げる。
玄関前の生徒ホール。購買はしまり、今日は出席した父兄を含めたバス待ちの人々でごった返している。が、SF研の連中が隅のテーブルにたまっているのを、見逃すことはない。彼らの一人が僕を見つけ、よお、と声をかける。
SF研究会。放課後、遅くまで続いた雑談。ふざけた話、オタクな話、恋愛の話……その全てが、今日を境に特別な物になろうとしている。卒業の感傷とは遠く、いつもと何らかわらぬ彼らの顔を見渡す。一つ一つが思い出深い。喧嘩の仲裁をしてやったカップルがいる。宿題を分担した奴らもいる。会誌の編集をしながら、哲学めいた議論を戦わせたやつもいる。そんな全てが、今日で終わろうとしている。
けれども僕には、思い出に浸る以上に気になることがあって、それが彼らの会話に隙間を探させる。
「……は?」
君の、名前。
そう、そこにはまだ、君だけが、いない。
ホームルーム、終わってないんじゃない? 誰かが言って、そうかもな、と思う。いつも一番遅く部室にあらわれた、君の愚痴を思い出しながら。
何故か男を含む三人の後輩に制服のボタンをねだられ、僕は最初に一番上から、続いて下から二つのボタンをはずす。ふざけ半分の記念品。僕は笑いをこらえ、できるだけ荘厳に、一つ一つを彼らに手渡す。そんなばかげた儀式の間にも、扉が開く度に視線が動くのを押さえきれない。そして物足りない思いが、不安を経て失望へと代わり始める頃、君はようやく姿をあらわす。僕はいつもと変わらない君の笑顔を眺めながら、失望が他のものへ変わっていくのをはっきりと感じる。いままで幾度も経験した、心の動き。けれども今日だけは、それがなんであるかを、僕ははっきりと自覚している。
君は僕の正面の椅子に腰を下ろす。窓から入るやわらかい光が長い髪の上で躍る。僕はちょっと、目を細める。君は僕に向かって、まっすぐに手を差し出す。
「先輩、第三ボタンください」
求められるままに、僕は与える。いつか、もうずいぶん前に、第三ボタンが友情のしるしだと、君が言っていたのを思い出しながら。
気がついていた。君にとって僕は、先輩で、友達。たとえたまに二人で遊びに行くことがあっても、決してそれ以上のものではない、と。だからこそ君は僕に、クラスのことや勉強のこと、友達の恋愛のことなど、何でも相談するのだ、と。そんな時、他に何ができただろう?自分の想いから目をそらすこと以外に。打ち明ければ君を戸惑わせるだけの想いを、自分だけの内に抱えながら君とつきあっていくことなど、僕には耐えられなかった。
「先輩って、いい人ですね」
君は言ったね。折りがあれば何度もそう繰り返し、しまいにはその言葉を言うためにわざわざ機会を探しているんじゃないかと思えるほどだった。僕はその言葉に、どれほどの動揺と喜びを感じたことだろう。君の好意や信頼は、SF研の連中の中でも、とりわけ僕を支えてくれるものだった。でもそんな幸福の中では、僕が一番恐れていた想いがあっと言う間に頭をもたげてくるものだから、君と話すときには、いつもどこかで緊張していなければならなかったんだ。
でも今日だけ、今ひとときだけは、自分の想いを認めることができる。君と会っているという、純粋な幸福の中で。
今日を境に、僕は学校を去る。いつかは、君を忘れる日も来るだろう。
だから僕はそれを……自分の想いが恋であるということを、はっきりと確認しておきたかった。今が、最後の機会だから。今を逃したら、僕の高校生活そのものが、ひどくあやふやなものになってしまいそうだから。
君が笑う。長い髪の上に光が踊る。少しきつい感じのメゾソプラノが、僕の耳の中をはね回る。僕は全てを抱きしめる。今までにない強さで。今までにない喜びをもって。
光が、やけに、まぶしい。
人の波が動き始め、皆が立ち上がる。バスの時間だ。
僕は……適当な用事をでっちあげて、ここに残る。今やはっきりしたものとなった想いが、別れを惜しむことがないように。もう、会うこともない。
さようなら。
君は立ちあがって、そう、あいさつをする。僕は同じ言葉で返事をし、手をふりながら、もう一つの言葉を、心の中でつぶやく。
さよなら(好きだよ)
今まで言いたいと思おうとしなかった、でも確かに、言いたくて言えなかった、一つの 言葉。
(好きだよ……君が)
君は他の皆といっしょに、ロビーを出る。僕だけが、一人、そこにいる。しばらくしてから立ち上がり、玄関へむかう。
バスが発車するのが見える。僕はそのバスに乗っているはずの君に、もう一度、口に出さずにつぶやく。
(好きだったよ、ずっと)
ただでさえ遠いバス。近眼の僕には、君の姿など見えるわけもない。それでも僕は、君のことを想い描きながら、数度、その言葉をくり返す。
(好きだったよ……ずっと……)
制服に残った第二ボタンを、僕はむしりとり、投げ捨てる。
そして……うすれゆく想いとともに、僕の高校生活は、終わりを告げる。
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