7 / 50
006 女嫌い(2)
しおりを挟む
「……お、気がついたか」
女が意識を取り戻したのはもう夜更けだった。月明かりの届かない小屋に五郎太は蝋燭を立て、乾飯を戻した粥をすすりながら女が目覚めるのを待っていたのである。
「腹がへったであろう。遠慮なく食べるがいい」
そう言って五郎太は女に粥を差し出した。食器など小屋にあった木椀を使ったありあわせのものだったが、味噌はきかせてあるし疲れた身体にはしみるだろう。
けれどもそんな五郎太の配慮をよそに、女は椀を受け取ろうとはしなかった。その代わり自分の装束に目をやり、おそらくはそこに一度脱がされたことの痕跡をみている。
――それで、五郎太には女の考えていることがわかった。女が身に着けている装束は明らかに男物だった。南蛮の衣服に暗い五郎太にも、それははっきりとわかる。
百人からの従者の上に立つこの者が男物の装束を身に着けている。それが意味するところはひとつだ。豊かな乳を隠すためにさらしを巻いていたことからもそれは伺える。
……つまるところ、五郎太は見てはならぬものを見てしまったのである。
「口を封じたいのであればそうするがいい。手向かいはいたさぬ」
五郎太に目を向けないまま放たれた女の殺気は露骨だった。それをやんわりと受け止めるように、五郎太はあえて先回りにそう言った。
「実を申せばな、俺はゆえあって生きる望みを失うておる。一思いに引導を渡してもらえるなら、俺としてはむしろありがたいのだ」
粥を咀嚼しながら何でもないことのように五郎太は言った。
その言葉に嘘はなかった。戦の声を聞きつけ、行きがかり上あの物ノ怪とやり合うことになった。だがすぐその手前まで五郎太が何をしようとしていたかと言えば、もはやこれまでと腹を切ろうとしていたのだ。
物ノ怪と戦っているときはそれさえも忘れた。五郎太とて歴戦の武士である。修羅に入れば考えることはひとつ。目の前の敵をどう殺すか、唯それだけだ。
だが戦が終わり、娑婆に立ち戻ってみれば、心にはまた虚しい風が吹くだけだった。せめてこの者を生かしてから死のうと、そう思って精々介抱に努めてきた。自分が命を繋いだこの者に殺されるのならと、五郎太は何とはなしに満足だった。
そんな思いがつい顔に出てほくそ笑む五郎太を訝しそうに見つめたあと、女は憮然とした顔のまま五郎太が差し出した椀を手に取った。
「……だったら、なんでオレを助けた」
「ん?」
「生きる望みもねえって言うオマエが、なんだってまた見ず知らずのオレを命張ってまで助けた」
無造作に椀の粥をかき込みながら、苛立ちを隠そうともせずに女は問い質した。
あからさまな男口調は五郎太の理解を裏付けるものだったが、椀の飯を食ったところをみるとそれほど深刻に五郎太を殺したいわけでもなさそうだ。
……それならばまあそれで良い。別段死に急ぐわけでもない。そう思い、女の問いに答えるため五郎太はすすっていた粥の椀を口から離した。
「そうさなあ。正直、俺にもよくわからんが、さしずめお主の郎党の死に様に感じるものがあったからであろう」
「死に様だぁ?」
「そうともよ。あの凄まじき物ノ怪を相手に、誰一人背を向けてはおらなんだ。みな勇敢に立ち向かって死んでおったぞ。お主を守らんとしてな」
「……」
「勇敢に死んでいった者は敵味方のう敬え、とは俺のお屋形様のお言葉よ。あの雄々しき殿輩が命をかけて守らんとしたお主を救って進ぜるのが人の道であろうと、そう思ってな」
「オマエはもう生きる望みもねえってのにか?」
「ん?」
「さっき言ってたじゃねえか。オマエはもう生きる望みもねえ、ってよ」
「それとこれとは関係あるまいに」
「関係あるさ。オレも同じだったらどうするってんだよ?」
「同じ、とはどういうことだ」
「オレもオマエと同じで、死にてえと思ってたとしたらどうしてくれんだ、ってことだ。……ったく、もう少しで逝けたってのによ。あ? どう落とし前つけてくれんだ?」
くちゃくちゃと粥を咀嚼しながら、女はそう言って恨みの目を五郎太に向けてくる。同じく粥を口に含んだまま聞いていた五郎太はぽかんとした顔をした後、ぶはっと盛大に粥を吹いた。
「は、は、は、は……」
「……なにがおかしい」
「いや、すまぬ。すまぬがしかし……は、は、は」
「だからなにがおかしいってんだよ!」
「いやさ、あれよ。俺と同じで生きる望みを失うて死にたいと言うお主が、隠し立てしておることが明るみになるのを嫌うて人まで殺すかと思うてなあ」
粥にまみれた口のまわりを拭いながら五郎太がそう言うと、女はひっぱたかれたように目を大きく見開き、それから怒りのためか真っ赤になって忌々しげに五郎太から目をそらした。
「……オマエを殺そうなんて、思ってやしねえよ」
「そうか。ならばそれは俺の早とちりであったな」
「……」
「なに、心配はいらぬ。これでも口は堅い方だ。ここで見たものは金輪際誰にも話さぬ。もし誰かに話さば、そのときは俺自身の手でこの首掻っ切ってみせるわ」
そう言って五郎太は箸を持つ手で首を切る仕草をしてみせた。気休めに言ったのではない。女がそれほど気にしていることならば墓まで持っていってやろうと、真剣にそう考えたのだ。
けれどもそんな五郎太の気持ちをよそに女はしばらく目も合わせぬまま黙っていた後、不貞腐れたような声でぶっきら棒に言い放った。
「……そんなんじゃ足りねえな」
「ふむ。では何が所望だ?」
「オマエにも人に知られたくねえ秘密のひとつくらいあんだろ。それをオレに話せ」
女の追究に、五郎太は粥を掻きこむ手を止めた。木椀を床に置き、真面目な顔で女に向き直った。
「わかった。それでお主の溜飲が下がるのなら、特別に話して進ぜよう」
「……」
「俺はな、女がこわいのだ」
女が意識を取り戻したのはもう夜更けだった。月明かりの届かない小屋に五郎太は蝋燭を立て、乾飯を戻した粥をすすりながら女が目覚めるのを待っていたのである。
「腹がへったであろう。遠慮なく食べるがいい」
そう言って五郎太は女に粥を差し出した。食器など小屋にあった木椀を使ったありあわせのものだったが、味噌はきかせてあるし疲れた身体にはしみるだろう。
けれどもそんな五郎太の配慮をよそに、女は椀を受け取ろうとはしなかった。その代わり自分の装束に目をやり、おそらくはそこに一度脱がされたことの痕跡をみている。
――それで、五郎太には女の考えていることがわかった。女が身に着けている装束は明らかに男物だった。南蛮の衣服に暗い五郎太にも、それははっきりとわかる。
百人からの従者の上に立つこの者が男物の装束を身に着けている。それが意味するところはひとつだ。豊かな乳を隠すためにさらしを巻いていたことからもそれは伺える。
……つまるところ、五郎太は見てはならぬものを見てしまったのである。
「口を封じたいのであればそうするがいい。手向かいはいたさぬ」
五郎太に目を向けないまま放たれた女の殺気は露骨だった。それをやんわりと受け止めるように、五郎太はあえて先回りにそう言った。
「実を申せばな、俺はゆえあって生きる望みを失うておる。一思いに引導を渡してもらえるなら、俺としてはむしろありがたいのだ」
粥を咀嚼しながら何でもないことのように五郎太は言った。
その言葉に嘘はなかった。戦の声を聞きつけ、行きがかり上あの物ノ怪とやり合うことになった。だがすぐその手前まで五郎太が何をしようとしていたかと言えば、もはやこれまでと腹を切ろうとしていたのだ。
物ノ怪と戦っているときはそれさえも忘れた。五郎太とて歴戦の武士である。修羅に入れば考えることはひとつ。目の前の敵をどう殺すか、唯それだけだ。
だが戦が終わり、娑婆に立ち戻ってみれば、心にはまた虚しい風が吹くだけだった。せめてこの者を生かしてから死のうと、そう思って精々介抱に努めてきた。自分が命を繋いだこの者に殺されるのならと、五郎太は何とはなしに満足だった。
そんな思いがつい顔に出てほくそ笑む五郎太を訝しそうに見つめたあと、女は憮然とした顔のまま五郎太が差し出した椀を手に取った。
「……だったら、なんでオレを助けた」
「ん?」
「生きる望みもねえって言うオマエが、なんだってまた見ず知らずのオレを命張ってまで助けた」
無造作に椀の粥をかき込みながら、苛立ちを隠そうともせずに女は問い質した。
あからさまな男口調は五郎太の理解を裏付けるものだったが、椀の飯を食ったところをみるとそれほど深刻に五郎太を殺したいわけでもなさそうだ。
……それならばまあそれで良い。別段死に急ぐわけでもない。そう思い、女の問いに答えるため五郎太はすすっていた粥の椀を口から離した。
「そうさなあ。正直、俺にもよくわからんが、さしずめお主の郎党の死に様に感じるものがあったからであろう」
「死に様だぁ?」
「そうともよ。あの凄まじき物ノ怪を相手に、誰一人背を向けてはおらなんだ。みな勇敢に立ち向かって死んでおったぞ。お主を守らんとしてな」
「……」
「勇敢に死んでいった者は敵味方のう敬え、とは俺のお屋形様のお言葉よ。あの雄々しき殿輩が命をかけて守らんとしたお主を救って進ぜるのが人の道であろうと、そう思ってな」
「オマエはもう生きる望みもねえってのにか?」
「ん?」
「さっき言ってたじゃねえか。オマエはもう生きる望みもねえ、ってよ」
「それとこれとは関係あるまいに」
「関係あるさ。オレも同じだったらどうするってんだよ?」
「同じ、とはどういうことだ」
「オレもオマエと同じで、死にてえと思ってたとしたらどうしてくれんだ、ってことだ。……ったく、もう少しで逝けたってのによ。あ? どう落とし前つけてくれんだ?」
くちゃくちゃと粥を咀嚼しながら、女はそう言って恨みの目を五郎太に向けてくる。同じく粥を口に含んだまま聞いていた五郎太はぽかんとした顔をした後、ぶはっと盛大に粥を吹いた。
「は、は、は、は……」
「……なにがおかしい」
「いや、すまぬ。すまぬがしかし……は、は、は」
「だからなにがおかしいってんだよ!」
「いやさ、あれよ。俺と同じで生きる望みを失うて死にたいと言うお主が、隠し立てしておることが明るみになるのを嫌うて人まで殺すかと思うてなあ」
粥にまみれた口のまわりを拭いながら五郎太がそう言うと、女はひっぱたかれたように目を大きく見開き、それから怒りのためか真っ赤になって忌々しげに五郎太から目をそらした。
「……オマエを殺そうなんて、思ってやしねえよ」
「そうか。ならばそれは俺の早とちりであったな」
「……」
「なに、心配はいらぬ。これでも口は堅い方だ。ここで見たものは金輪際誰にも話さぬ。もし誰かに話さば、そのときは俺自身の手でこの首掻っ切ってみせるわ」
そう言って五郎太は箸を持つ手で首を切る仕草をしてみせた。気休めに言ったのではない。女がそれほど気にしていることならば墓まで持っていってやろうと、真剣にそう考えたのだ。
けれどもそんな五郎太の気持ちをよそに女はしばらく目も合わせぬまま黙っていた後、不貞腐れたような声でぶっきら棒に言い放った。
「……そんなんじゃ足りねえな」
「ふむ。では何が所望だ?」
「オマエにも人に知られたくねえ秘密のひとつくらいあんだろ。それをオレに話せ」
女の追究に、五郎太は粥を掻きこむ手を止めた。木椀を床に置き、真面目な顔で女に向き直った。
「わかった。それでお主の溜飲が下がるのなら、特別に話して進ぜよう」
「……」
「俺はな、女がこわいのだ」
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
無職ニートの俺は気が付くと聯合艦隊司令長官になっていた
中七七三
ファンタジー
■■アルファポリス 第1回歴史・時代小説大賞 読者賞受賞■■
無職ニートで軍ヲタの俺が太平洋戦争時の聯合艦隊司令長官となっていた。
これは、別次元から来た女神のせいだった。
その次元では日本が勝利していたのだった。
女神は、神国日本が負けた歴史の世界が許せない。
なぜか、俺を真珠湾攻撃直前の時代に転移させ、聯合艦隊司令長官にした。
軍ヲタ知識で、歴史をどーにかできるのか?
日本勝たせるなんて、無理ゲーじゃねと思いつつ、このままでは自分が死ぬ。
ブーゲンビルで機上戦死か、戦争終わって、戦犯で死刑だ。
この運命を回避するため、必死の戦いが始まった。
参考文献は、各話の最後に掲載しています。完結後に纏めようかと思います。
使用している地図・画像は自作か、ライセンスで再利用可のものを検索し使用しています。
表紙イラストは、ヤングマガジンで賞をとった方が画いたものです。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
異世界日本軍と手を組んでアメリカ相手に奇跡の勝利❕
naosi
歴史・時代
大日本帝国海軍のほぼすべての戦力を出撃させ、挑んだレイテ沖海戦、それは日本最後の空母機動部隊を囮にアメリカ軍の輸送部隊を攻撃するというものだった。この海戦で主力艦艇のほぼすべてを失った。これにより、日本軍首脳部は本土決戦へと移っていく。日本艦隊を敗北させたアメリカ軍は本土攻撃の中継地点の為に硫黄島を攻略を開始した。しかし、アメリカ海兵隊が上陸を始めた時、支援と輸送船を護衛していたアメリカ第五艦隊が攻撃を受けった。それをしたのは、アメリカ軍が沈めたはずの艦艇ばかりの日本の連合艦隊だった。
この作品は個人的に日本がアメリカ軍に負けなかったらどうなっていたか、はたまた、別の世界から来た日本が敗北寸前の日本を救うと言う架空の戦記です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる