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第十章 虚空

第二十五話 歩

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 路地裏の安宿、騎士たちが血眼になって探す男、ラルフは何も知らずに絨毯の上で寛いでいた。つい先程やって来た歩の話しに関心を持ちながら聴き入っている。

 泣き腫らした目を擦りながらも、ようやく落ち着いた歩は急に恥ずかしくなったのか耳まで真っ赤になり、誰にも視線を合わせないように黙って俯いた。

「この世界に来る前ってのはそんなに平和な世界だったのか?羨ましい限りだぜ……」

 ラルフは歩の境遇や生活レベルの差を聞いて感心しながら頷いた。

「ふっ……良いことばっかりでも無いよ。別の世界に思いを馳せるくらいには退屈だからさ」

 アンノウンは歩の話を聞いて思い出したように自嘲気味に笑った。二人の悲劇にブレイドが同調する。

「驚きましたよね……突然どこか知らない場所に飛ばされて、ここの生活に慣れろだなんて……。俺だったらエルフに暴力の一つも振るってしまいそうです……」

「ブレイドに限ってそれはないでしょ?だってやさしいもん」

 アルルはきょとんとした顔でそれを否定する。「茶化すな」と言いかけて口を閉じる。その目は純粋無垢で、信じて止まない空気を感じたから。

「と、というか簡単に信じてくれますね。もしかしてア、アンノウンさんから別の世界については聞いてましたか?」

 歩は恥ずかしさを払拭するために慌てて尋ねる。それに対してラルフは首を振った。

「いや、聞いてないよ。こいつ自分のことについては話さないし、こっちも特に気にしてなかったしな。別の世界があることは他の奴で知ったんだ」

「そ、そうなんですか?」

 驚いた顔でアンノウンに目を向ける。ふんっと鼻を鳴らしてムッとした顔を見せた。

「そんなハッキリ……ちょっとは気にしてくれても良いんじゃないかな?私だって聞かれたら話すさ。聞かれなかっただけで……」

「そいつはどうかな?偽名を使う奴は本心をひた隠しにするからよ。俺を見ろ」

 ラルフは数々の偽名でピンチを乗り越えてきた。手に負えない事態に陥らないためにあらかじめ逃げ道を作る。アンノウン相手にも最初は偽名を使っていた。もし敵対関係になっても問題無いように。

「え?ラルフは今も嘘付いてるの?」

 ミーシャは首を傾げる。

「今はついてねーけどな。いざとなったらってこと。さっきも魔女にアルフレッドって偽名を使ったろ?あーゆー面倒な輩には牽制しておく……」

 そこまで言ってハッとして口をつぐんだ。アンノウンをチラッと見ると薄ら笑いを浮かべている。

「へぇ……あっそぅ。つまりあの時私に偽名を使ったのは……」

「ま、待った!こ、これは言葉のあやだぜ?」

 ラルフはビクつきながら反応を伺う。ブレイドもそこに助け舟を出す。

「あの時はアンノウンさんの空気感というか……色々と未知数なところがありましたし、偽名を使うのも仕方ないかと」

 そんなブレイドをラルフは両手で差しながら「これが本意」とでも言いたげに示している。そんなやり取りを傍から見ていた歩は、羨ましさと同時に笑いが込み上げてきた。

「……ふふっ」

 その漏れ出た笑いにアンノウンがジロッと見てきた。それに気づいた歩は俯き加減で「……ごめんなさい」と小さく謝った。

「おいおい、なーに謝ってんだよ。アユムは何も悪かねぇぞ。しかしアンノウンも最初に比べたら変わったよな?なんつーか表情が豊かになったっていうか……」

「え?そう言われると無表情になっちゃうけど良いの?もう何も反応してあげないよ?」

「おっ?なんだ?喧嘩か?」

 二人して牽制し合う。ブレイドは「まぁまぁ」と宥めるが、アルルは我慢できずに笑い始めた。ミーシャはアンノウンとラルフの仲良さそうな空気に嫉妬してラルフに寄り添う。ラルフはそれに気づいて頭を撫でた。

「……本当に楽しい人たちですね」

 少し物悲しい空気で歩は呟いた。自分にもこんな仲間がいたらと思ってしまう。
 この世界に飛ばされた時はパニックで何が何だか分からなかったが、落ち着いて周りを見渡した時、自分が本当に異世界に来てしまったのだと怖さ半分ワクワク半分で興奮していたものだ。
 ここから新しい旅が始まる。そう思っていたのに、一緒に来た正孝、茂、美咲、アンノウンは自分と全く性格が合わず、挙句元いた世界と変わらないカーストに収まった。

 自分は一生こんな感じなんだろうと内心諦めている。元いた世界と変わらず日銭を稼いでその日暮らしをしながら街に根を下ろす。安定した生活を求めてこの街で腐っていく。安い酒屋で自分が酔いつぶれる姿が目に浮かぶ。

「お前も来たら良いじゃない」

 ミーシャはその悲哀溢れる呟きに何でも無いように答える。

「は?」

「だって旅に出たいんでしょ?一人が不安なら一緒に旅すれば良いんじゃないの?」

 唐突すぎる誘いに頭が追いつかない。ミーシャの気まぐれに他の面子の顔を伺ってしまう。
 この状況はよく知っている。学校などで言う「可哀想だから仲間に入れてあげようよ」である。自分のような異物が仲間に入れられそうになった時に、言い出しっぺ以外の顔に出るのは拒否反応だ。「何でこんな奴を……」と嫌な目で見てくる。そんな時に言うのは決まって一つ「僕は良いよ。面倒だし……誘ってくれてありがとう」だ。

「それは名案だぜ。アユムが良いなら来りゃ良い。あんな店主の元にいたら腐っちまうぜ。なぁ?」

 ラルフはブレイドとアルルとアンノウンの顔を見渡す。

「店主さんのことは知りませんが、この街は外界と遮断されていますし、つまらないのは確かでしょうね。外に出るならここが良い機会だと俺も思います」

「小難しいことは分からないけど、一緒に来れば寂しくありませんよ?」

「私は別に良いと思うよ。エルフからも解放されたし、君は自由だからね。ここに残りたいのであれば別だけど?」

 言い出しっぺのミーシャを含め、誰もが賛成を表明する。そんな時に言う言葉を歩は持っていない。口をパクパクさせながら言葉を必死に出そうとしている。その様子にミーシャが口を開こうとするが、ラルフがミーシャの口をそっと覆って「しーっ」と静かにするように伝える。
 みんなが歩の返答を待つ。そんな初めての優しい空気に歩は感情を発露させ、涙と嗚咽で言葉に詰まりながらもようやく返答した。

「ぼ、僕も……い、一緒に……行きたい、です!旅に……連れてってください!!」

 自分からは決して言い出せなかった言葉。出来ることなら誘って欲しいと期待してはいた。言葉の端々に暗に「誘って欲しい」と口に出してはいたが、いざ誘われるとこんなにも嬉しいのだと感動に打ち震えた。

「おう!よろしくなアユム!」
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