355 / 718
第十章 虚空
第一話 逃亡先
しおりを挟む
いくら身体能力が強化されているとはいえ、心までは強化されていない。暗闇が支配する森の中でひとりぼっちにされては恐怖で立ちすくんでしまうのも無理はない。
こんな時に役に立つのは歩の索敵能力だ。木々の影に隠れているかもしれない敵をいち早く感知できるし、安全なルートを選んで進むこともできる。バカにしていた能力がその実、最も使える能力ではないかと思える瞬間だった。
エルフの里に引き返すのも一つの手だろうが、その選択肢を選ぶことはちっぽけなプライドを傷つけることにつながる。戦争を機に別行動をするようになった正孝に”腰抜け”の称号を与えられているのに、唯一エルフの里に残った美咲にまで一生弄られることになってしまう。それは避けたいし、せっかく手に入れた力を使用して楽しく生きたいとも考えている。
しばらくそのままじっとしていたが、このままでは好転することはないとようやく悟ったのか、歩について行くのを諦めてトボトボ歩き出した。
それを影でこっそり見ていた歩はホッと息を吐いて座り込んだ。常時索敵能力を展開している歩にとってこの森は、拓けた野原にいるも同義。安心安全に休めることが保証されていれば、どんな場所だろうと体を投げ出せる。それとは裏腹に森の中で何の頼りもなく、一人ビクビクとおっかなびっくり歩く茂を見れば、別世界の者同士助け合えば良いと思われるかもしれない。
(……茂くんには悪いけど、寄生虫はごめんだよ……)
茂はその特異能力からも分かるように蛭のような性格をしている。強い者や役立つ者に取り付き、美味い汁だけを啜ろうとする寄生生物。その上、虎の威を借る狐であり、弱い者を虐げるチンピラ根性の持ち主。一緒に付いて来させれば歩は今後ずっと利用されてしまう。もし利用されるにしろ使われる人間くらいは選びたい。
歩はどんどん遠ざかって行く茂の気配を尻目に、ため息をつきながら天を仰いだ。
「はぁ……巫女様……」
この世界で唯一の心の支えでもあったエルフの巫女。妖艶で淫靡で崇拝したくなるほどに神々しかった愛しの君。
それがどういうわけか、この数カ月でただの普通の女の子へと変わっていた。それだけなら手の届く位置に降りてきたと歓喜してもいいところだが、不思議なことに自分で呼び出したはずの守護者の顔を全く覚えていなかったのだ。あれほど連呼していた歩の名前を聞いても困惑するばかりで要領を得ず、ついには泣き出して収拾が付かなくなる始末。
何が彼女を変えてしまったのか定かではないが、どうも魔王や魔獣の襲撃を受けたのが原因ではないかと森王から聞かされた。巫女の急激な変化からエルフの里にいる意味を見出せず、逃げるように出てきたのが歩の理由だった。
「……何もエルフがこの世界の全てじゃないよ。僕を必要としてくれる人はもっと他にいるさ」
祈るように言い聞かせて立ち上がった。とりあえずは人の街を目指して、安全第一に歩き出す。
二人はそれぞれ別の道を歩き出した。
エルフの里を出てから数日後、歩は無事にヒューマンの街に入ることができる。茂は途中で盗賊団に出会い、多少のいざこざこそあったが、その力を買われて幹部にまでのし上がることになる。
*
街に着いた歩を待っていたのは空腹だった。
最初の何日かはエルフからこっそり頂戴した路銀がそのお腹を満たしたが、それが尽きると稼ぎ口も知らない歩は何も食べられなくなり、路地裏の隅でうずくまるしかできなくなっていた。
小説を読み漁っていた彼にとって、異世界の稼ぎといえばギルドである。だが右も左も分からないこの異世界で、文字も読めず、人見知りから声もかけられないというヘタレっぷりを発動して、二進も三進も行かずこのザマである。
(もう……ダメかも……)
自分では何もできない歩。常に誰かの真似をして生きてきた。親族の目に怯え、友達や先生に嫌われないように体裁を整えて生活してきた。誰の目からも真面目で良い人として生きてきた彼にとって元の世界は窮屈で仕方がなかった。
だからこそ異世界無双に憧れた。創作物は現実世界を忘れることのできる歩の逃げ道だった。
そんな世界に来ても心根は変わりはしない。自分の無力を思い知り、お腹のすいた現状に憎しみすら抱いた。
(……とりあえずその辺の人に話を聞いてみよう。話はそれからだよ)
そう自分に言い聞かせる。人見知りだとかそんなことを言っている場合ではない。このままではそれこそ盗みを働く他生きる道はない。
ふっと顔を上げるとすっかり夜だった。街ゆく人もまばらになっているのを確認して顔を伏せた。
(……明日にしよう)
決断が遅かったと自己完結してさっきと変わらない形に戻る。今日もじっと怯えながら朝まで我慢する。最近しっかり寝ることができていない。目の下に真っ黒なクマを作りながらぼーっとしていると目の前に人が止まった。
「……おい、あんた大丈夫か?」
「……へ?」
この街でかけられたこともない心配の声に顔を上げる。ぼんやりした視界の中、その姿を認めた。
小綺麗に仕立てた紳士的な印象を与えるこざっぱりした中年だ。白いシャツにカーキ色のベストを身に着け、ベストとおそろいのスラックスで真面目な印象を与える。口髭は剃り上げ、真っ白なあごひげを立派に生やしもみあげとつながっている。白髪をオールバックにして茶色い淵の無骨なメガネをかけた一見すれば貴族に見まごう容姿をしている。
「若いな……家出か?こんなところじゃ寝られんだろ。俺もさっきこの街に着いたんだ。この近くに俺の店があるんだが、一晩だけでも泊まってかないか?悪いようにはしないぜ?」
こんな時に役に立つのは歩の索敵能力だ。木々の影に隠れているかもしれない敵をいち早く感知できるし、安全なルートを選んで進むこともできる。バカにしていた能力がその実、最も使える能力ではないかと思える瞬間だった。
エルフの里に引き返すのも一つの手だろうが、その選択肢を選ぶことはちっぽけなプライドを傷つけることにつながる。戦争を機に別行動をするようになった正孝に”腰抜け”の称号を与えられているのに、唯一エルフの里に残った美咲にまで一生弄られることになってしまう。それは避けたいし、せっかく手に入れた力を使用して楽しく生きたいとも考えている。
しばらくそのままじっとしていたが、このままでは好転することはないとようやく悟ったのか、歩について行くのを諦めてトボトボ歩き出した。
それを影でこっそり見ていた歩はホッと息を吐いて座り込んだ。常時索敵能力を展開している歩にとってこの森は、拓けた野原にいるも同義。安心安全に休めることが保証されていれば、どんな場所だろうと体を投げ出せる。それとは裏腹に森の中で何の頼りもなく、一人ビクビクとおっかなびっくり歩く茂を見れば、別世界の者同士助け合えば良いと思われるかもしれない。
(……茂くんには悪いけど、寄生虫はごめんだよ……)
茂はその特異能力からも分かるように蛭のような性格をしている。強い者や役立つ者に取り付き、美味い汁だけを啜ろうとする寄生生物。その上、虎の威を借る狐であり、弱い者を虐げるチンピラ根性の持ち主。一緒に付いて来させれば歩は今後ずっと利用されてしまう。もし利用されるにしろ使われる人間くらいは選びたい。
歩はどんどん遠ざかって行く茂の気配を尻目に、ため息をつきながら天を仰いだ。
「はぁ……巫女様……」
この世界で唯一の心の支えでもあったエルフの巫女。妖艶で淫靡で崇拝したくなるほどに神々しかった愛しの君。
それがどういうわけか、この数カ月でただの普通の女の子へと変わっていた。それだけなら手の届く位置に降りてきたと歓喜してもいいところだが、不思議なことに自分で呼び出したはずの守護者の顔を全く覚えていなかったのだ。あれほど連呼していた歩の名前を聞いても困惑するばかりで要領を得ず、ついには泣き出して収拾が付かなくなる始末。
何が彼女を変えてしまったのか定かではないが、どうも魔王や魔獣の襲撃を受けたのが原因ではないかと森王から聞かされた。巫女の急激な変化からエルフの里にいる意味を見出せず、逃げるように出てきたのが歩の理由だった。
「……何もエルフがこの世界の全てじゃないよ。僕を必要としてくれる人はもっと他にいるさ」
祈るように言い聞かせて立ち上がった。とりあえずは人の街を目指して、安全第一に歩き出す。
二人はそれぞれ別の道を歩き出した。
エルフの里を出てから数日後、歩は無事にヒューマンの街に入ることができる。茂は途中で盗賊団に出会い、多少のいざこざこそあったが、その力を買われて幹部にまでのし上がることになる。
*
街に着いた歩を待っていたのは空腹だった。
最初の何日かはエルフからこっそり頂戴した路銀がそのお腹を満たしたが、それが尽きると稼ぎ口も知らない歩は何も食べられなくなり、路地裏の隅でうずくまるしかできなくなっていた。
小説を読み漁っていた彼にとって、異世界の稼ぎといえばギルドである。だが右も左も分からないこの異世界で、文字も読めず、人見知りから声もかけられないというヘタレっぷりを発動して、二進も三進も行かずこのザマである。
(もう……ダメかも……)
自分では何もできない歩。常に誰かの真似をして生きてきた。親族の目に怯え、友達や先生に嫌われないように体裁を整えて生活してきた。誰の目からも真面目で良い人として生きてきた彼にとって元の世界は窮屈で仕方がなかった。
だからこそ異世界無双に憧れた。創作物は現実世界を忘れることのできる歩の逃げ道だった。
そんな世界に来ても心根は変わりはしない。自分の無力を思い知り、お腹のすいた現状に憎しみすら抱いた。
(……とりあえずその辺の人に話を聞いてみよう。話はそれからだよ)
そう自分に言い聞かせる。人見知りだとかそんなことを言っている場合ではない。このままではそれこそ盗みを働く他生きる道はない。
ふっと顔を上げるとすっかり夜だった。街ゆく人もまばらになっているのを確認して顔を伏せた。
(……明日にしよう)
決断が遅かったと自己完結してさっきと変わらない形に戻る。今日もじっと怯えながら朝まで我慢する。最近しっかり寝ることができていない。目の下に真っ黒なクマを作りながらぼーっとしていると目の前に人が止まった。
「……おい、あんた大丈夫か?」
「……へ?」
この街でかけられたこともない心配の声に顔を上げる。ぼんやりした視界の中、その姿を認めた。
小綺麗に仕立てた紳士的な印象を与えるこざっぱりした中年だ。白いシャツにカーキ色のベストを身に着け、ベストとおそろいのスラックスで真面目な印象を与える。口髭は剃り上げ、真っ白なあごひげを立派に生やしもみあげとつながっている。白髪をオールバックにして茶色い淵の無骨なメガネをかけた一見すれば貴族に見まごう容姿をしている。
「若いな……家出か?こんなところじゃ寝られんだろ。俺もさっきこの街に着いたんだ。この近くに俺の店があるんだが、一晩だけでも泊まってかないか?悪いようにはしないぜ?」
0
お気に入りに追加
41
あなたにおすすめの小説
ハズレスキル【収納】のせいで実家を追放されたが、全てを収納できるチートスキルでした。今更土下座してももう遅い
平山和人
ファンタジー
侯爵家の三男であるカイトが成人の儀で授けられたスキルは【収納】であった。アイテムボックスの下位互換だと、家族からも見放され、カイトは家を追放されることになった。
ダンジョンをさまよい、魔物に襲われ死ぬと思われた時、カイトは【収納】の真の力に気づく。【収納】は魔物や魔法を吸収し、さらには異世界の飲食物を取り寄せることができるチートスキルであったのだ。
かくして自由になったカイトは世界中を自由気ままに旅することになった。一方、カイトの家族は彼の活躍を耳にしてカイトに戻ってくるように土下座してくるがもう遅い。
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
(完結)足手まといだと言われパーティーをクビになった補助魔法師だけど、足手まといになった覚えは無い!
ちゃむふー
ファンタジー
今までこのパーティーで上手くやってきたと思っていた。
なのに突然のパーティークビ宣言!!
確かに俺は直接の攻撃タイプでは無い。
補助魔法師だ。
俺のお陰で皆の攻撃力防御力回復力は約3倍にはなっていた筈だ。
足手まといだから今日でパーティーはクビ??
そんな理由認められない!!!
俺がいなくなったら攻撃力も防御力も回復力も3分の1になるからな??
分かってるのか?
俺を追い出した事、絶対後悔するからな!!!
ファンタジー初心者です。
温かい目で見てください(*'▽'*)
一万文字以下の短編の予定です!
幼なじみ三人が勇者に魅了されちゃって寝盗られるんだけど数年後勇者が死んで正気に戻った幼なじみ達がめちゃくちゃ後悔する話
妄想屋さん
ファンタジー
『元彼?冗談でしょ?僕はもうあんなのもうどうでもいいよ!』
『ええ、アタシはあなたに愛して欲しい。あんなゴミもう知らないわ!』
『ええ!そうですとも!だから早く私にも――』
大切な三人の仲間を勇者に〈魅了〉で奪い取られて絶望した主人公と、〈魅了〉から解放されて今までの自分たちの行いに絶望するヒロイン達の話。
【完結】【勇者】の称号が無かった美少年は王宮を追放されたのでのんびり異世界を謳歌する
雪雪ノ雪
ファンタジー
ある日、突然学校にいた人全員が【勇者】として召喚された。
その召喚に巻き込まれた少年柊茜は、1人だけ【勇者】の称号がなかった。
代わりにあったのは【ラグナロク】という【固有exスキル】。
それを見た柊茜は
「あー....このスキルのせいで【勇者】の称号がなかったのかー。まぁ、ス・ラ・イ・厶・に【勇者】って称号とか合わないからなぁ…」
【勇者】の称号が無かった柊茜は、王宮を追放されてしまう。
追放されてしまった柊茜は、特に慌てる事もなくのんびり異世界を謳歌する..........たぶん…....
主人公は男の娘です 基本主人公が自分を表す時は「私」と表現します
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
うっかり『野良犬』を手懐けてしまった底辺男の逆転人生
野良 乃人
ファンタジー
辺境の田舎街に住むエリオは落ちこぼれの底辺冒険者。
普段から無能だの底辺だのと馬鹿にされ、薬草拾いと揶揄されている。
そんなエリオだが、ふとした事がきっかけで『野良犬』を手懐けてしまう。
そこから始まる底辺落ちこぼれエリオの成り上がりストーリー。
そしてこの世界に存在する宝玉がエリオに力を与えてくれる。
うっかり野良犬を手懐けた底辺男。冒険者という枠を超え乱世での逆転人生が始まります。
いずれは王となるのも夢ではないかも!?
◇世界観的に命の価値は軽いです◇
カクヨムでも同タイトルで掲載しています。
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる