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第四章 崩壊

第十七話 境

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ラルフはだだっ広い暗い空間に放り出されていた。

「……またか!」

この空間は見覚えがある。あの破廉恥女”サトリ”が会いたいという理由で連れて来られた空間だ。

「おいサトリ!どこだ!また俺を呼びやがって、今度は何なんだ!」

暗い空間に木霊するラルフの声。

『あらあら。お久しぶりですパパ』

空間のどこからか響き渡るサトリの声。しかし、姿かたちはどこにもない。

「……だからそれ止めろって言ったろ」

『……くす。それとはどれでしょう?パパ?それとも姿を見せない事でしょうか?』

「その両方だ……というかわざわざ聞くなよ。俺の頭の中を読めてるんだろ?」

ため息を吐いて呆れ気味に応える。サトリはくすくす笑っていて、中々姿を見せようとしない。

「……サトリー?」

ラルフはちょっと不安になって声をかけた。

『こちらです』

真後ろから聞こえた声に振り替えると、目と鼻の先にサトリが覗き込んでいた。

「うおっ!!」

驚いて飛び退くと、サトリはあの時の衣装のまま変わらずそこにいた。

「……脅かすなよ。心臓止まるわ」

『この空間は精神世界の様なものですよ?内蔵は無いはずですが、何を恐れているのでしょう?』

確かにそうだろう。虫に噛まれ毒に侵された足は動くし、岩肌に転がり落ちた体の打撲による痛みもない。普段通り神経が通ったように触覚はあるのに、精神体だというのだから妙な感じだ。

「……し、知ってるよ?あれだよ、比喩表現だよ?驚いて冷や汗かくだろ、その後に来る……なんつうの?心臓をキュッと絞られた感覚とか、頭真っ白になって次の思考が出来ないとかな……」

『それはつまり”恋”ではないでしょうか?』

「ん?」と疑問に思うラルフ。サトリが言った事を口の中でそっと復唱し、訝し気に質問する。

「……誰が誰に恋してるって?」

『貴方様が考える通り、貴方様が私に恋されていると言う事です』

ジト目でサトリを見る。(何をどう解釈すればそうなるんだ?)と改めて言われたことに心で反論する。

しかし、ふとサトリの姿を見返してみるとエロい見た目をしている。惚れたとか恋だとかは別にして、ニコニコ笑うサトリは妖艶な雰囲気を醸し出し男を誘う。
ラルフも男だ。美人で裸同然の恰好を目の前にすればムラムラするのも当然の事。ミーシャとベルフィアの手前、性処理すらできない状況が続いていた。

その上、最近では他に三人も仲間に加わったので益々隙がない。

仲間が増えるだけならなんてことはない。問題はラルフの立場だ。人類の敵になった今、売春宿で女を一晩買う事も出来なくなった。つまり平穏な日常も一緒に失ったのだ。

こうなったら精神体でも何でもいいから、目の前にいる良い女と楽しむのが得策ではないだろうか?と思った時、ふとミーシャたちの事が気になった。

「……そんな事より、ミーシャたちは無事なのか?いや、ミーシャが虫如きにやられるはずはない。ブレイドとアルルだ。もし虫に噛まれてたら俺みたいに……」

『彼らは全く問題ございません。彼の小鬼以外、傷の一つもついていませんので……』

それを聞いてホッと一息。その後すぐにガックリ肩を落とす。

「確かこの場所ははざまだったか?生死の境でうろうろしてるってことはまだ俺は死んでない…でもここまで追い詰められたのは俺だけ…俺はウィーより弱いって事か……」

フッと笑う。ウィーはミーシャに守られていたから、これは自分に対する皮肉である。勿論自分が本当に弱いとは思っていなかったが、サトリからのセリフは鋭いものだった。

『それは……事実でしょう。貴方様は小鬼より身体能力は上回っていますが、総合能力は小鬼以下なので、彼のメンバーの中では最底辺である事は間違いございませんよ?』

それを聞いて膝から崩れ落ちる。精神ダメージのでかさに耐えられなくなった。当然だ。ウィーは自分より遥かに弱く、自分を含めたメンバーの庇護の下で旅をしていると思っていた。それに関しては事実だが、だからこそ総合能力で下回っていると言われた時のショックは計り知れない。

あまりのショックに唸り声を上げそうになったが、それは我慢した。しばらく心の痛みを味わい、ゆっくり体勢を起き上がらせる。

「……サトリはそんなことも分かるんだな……恐れ入ったぜ」

『分からない事などありませんよ。貴方様が私の体で欲情している事まで全てお見通しです』

事実だが、隠し事が出来ないのは控えめに言っても恥ずかしい。言い当てられたことが悔しくてそっぽを向く。

「……それで?今回こそ俺は死んじまうのか?」

『いいえ、虫に食べられちゃう前に人狼ワーウルフがあなたを救いました。貴方様は我らの創造物”オロチ”に回復させられ、気持ちよく眠りについてますよ』

なるほど。またギリギリでジュリアに助けられたらしい。気絶直前の事をよくよく考えてみれば、あの床をひっかく音はジュリアが良く鳴らしていた歩行音だったと気付く。

「オロチってなんだ?物か?人か?」

『俗にいう蛇です。彼女は人魔大戦以前に作成した骨董品ですが、ちゃんと稼働しているようで安心しました。今度アップグレートを施すのもありかもしれませんね……』

口許に右手を持って行き、唇を指の腹で撫でる。その行為に何の意味があるのか分からないが、不覚にもドキッとしてしまった。頭を振って邪念を飛ばすと、冷静を装って言葉を返す。

「……ま、また寸でのところで助かったか……どうやら悪運だけは強いらしいな」

『そのようですね……そして、ここで会えた私も運がいいと言えます。貴方様にはお願いがございまして……』

(またこの娘は……)と呆れ顔。どうせまた、たぶらかしの言葉が出るに決まっている。半分以上ふざけた事をするサトリに真剣な回答など期待しない。「あーはいはい」とテキトーな顔でサトリを見る。

『オロチと藤堂源之助には構わないでいただきたいです』

「トウドウゲンノスケ?」

復唱するとサトリはコクンと頷く。

「オロチは蛇だって聞いたから分かるけど、トウドウは分かんないな。それもなんかの魔獣か?」

『……この世ならざる者。破壊者。見た目はただの人間です。ただ私たちの世界の常識を根本から捻じ曲げた厄災のような人物です』

「へー」と間抜けな声が出る。その言葉が頭に浸透した時、ちょっと自分と共通するものがあると一瞬思った。ゴブリンの丘の襲撃事件。これを全部ラルフのせいにされた事と被る。

藤堂が何をしたのかはこの言葉だけでは分からないが、全てを知るサトリがここまで言うのなら自分と違って本当に厄災とやらを起こしたのだろう。言葉の空気からどうせはぐらかされることは分かったので、踏み込むことはしない。

「そのオロチとトウドウに構わなきゃいいんだな?分かった。サトリがそこまで言うならそうする」

サトリはしばらくラルフを見つめていたが、ニコッと笑って頭を下げた。なんとなく心の中を覗かれていたような奇妙な感覚を覚える。本心で言っているか精査していたのだろう。会って二回目だがサトリが超常の者である事くらいよく分かる。そんな彼女が警戒する人物。そんな奴に関わったら骨はおろか、影すら残らないかもしれない。

「ところでサトリ。時間があるならちょっと俺の……」

といった所でぐわんっと体が揺り動かされる。「うわっ」と倒れそうになる。

『あら、残念ですね。もう起きる時間のようですよ?』

「マジかぁ……まぁいいや」

ラルフはキョロキョロする。

「で?今回はどうやって帰るんだ?また膝枕をしてくれるのか?」

『その必要はありません。今回は覚えて帰ってもらわないといけませんし……』

そのセリフを聞いた時、「あっ」と当時を思い出す。そういえば魔鳥人との戦闘後、サトリの事はすっかり忘れていた。頭を撫でたのはそういう事だったのかと。

「どうして忘れさせたんだ?俺が覚えていたら何か不都合でもあったのか?」

『そうです。私のような存在は秘匿されねばなりません。まぁ、他の方々は自分の存在を誇示したくてたまらないようですが……』

遠い目で一瞬どこかを見た後、ラルフに焦点を合わせる。

『今回は特別に記憶を保持してお帰り頂きます』

「……周りに言いふらさない方が良いかな?」

その問いには答えない。さっきの会話から察して欲しいのだろうと推測する。ラルフは一瞬とぼけた顔をした後「なるほど」と頷いて、虚空に目をやる。前はサトリが手ずから元に戻してくれたみたいだが、こうなるとどうやって帰ったらいいか分からない。

サトリはおもむろに手を広げる。

『さぁ。こちらへ』

そのポーズに見とれる。しばらく呆けて見ていると一言。

『おかえりにならないのですか?』

「いや、帰るよ。どうしたらいい?」

その質問に『はいっ』とさらに手を挙げる。これは抱きしめろと言う事だろうか?膝枕よりパワーアップしているように思えるのは気のせいだろうか?

ラルフはハットを被り直してやれやれと言う顔を見せる。こんなことで帰れるなんて馬鹿げているにもほどがある。だが前回は膝枕だったことを思えば、サトリを介さないと戻る事が出来ないのかもしれない。ラルフは逆らう事なくサトリを抱きしめた。

(くそ……めっちゃ柔らかくていい匂いなんだよなぁ……もう少し時間があれば……いや丸一日くらい欲しいから、機会があれば……って死にかけなきゃ来れないのか……不便だな)

と雑念だらけで物事を考えていると、向こうもギュッと抱きしめてくれた。

『大丈夫です。いずれ機会は訪れるでしょう。私はいつでも貴方様を見守り、いつでもここでお待ちしております。さあ、お眠りになって……』

その瞬間ラルフの体はストンと力が抜ける。頭は起きているのに体に力が入らない。

「……サ……トリ……」

『……またお会いしましょう』

その言葉を最後に意識が途切れた。
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