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変わりゆく世界
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ーーバチンッーー
頬を張るーービンタの音が響き渡る。
「ったぁ……」
「もう、あんたとは遊ばないから。ゲームで見かけても話しかけないで」
小顔で小柄、身体の線も華奢なショートカットの美しい女性は、そういうと自称ホスト、ハヤトの手を引いて店を後にした。
「あーあ。あれはまずかったよ結ちゃん」
縮毛でもかけているのか、サラサラの黒髪の暁が親しげに話しかけてくる。細身のその人は黒い服を身にまとい、輪郭がベース顔、パッチリした二重で彫りが深い。
「え……? 絡んでたのハヤトだし……それにあの二人、付き合ってないって」
「あの二人、一年中別れたりくっついたりしてるんだ。ハヤトは基本、りなの家に住んでるしさーー」
「ーーそうなんですかーー」
そんなの、知らない。出かかった言葉をぐっと飲み込み、端的に答える。
垂れ目に爆乳、今回の集まりの主催者、ミミミーーこと、あゆみが口を開く。
「私は、友達同士が仲悪くてもりなとはりな、結ちゃんとは結ちゃんとで付き合うから」
友達だと、今日初めて会った人に言われた。これがリアル=ゲーム、と脳内変換される現実とゲームの区別ができない人種ってやつか。いや、私も同類か……
今日は、はまっているMMOオンラインゲームのギルドメンバーのオフ会に来ていた。
ギルドメンバーの私生活に興味はなかったが、やたらと誘われるし、ゲームプレイ中のギルドチャットにはいつもメンバーの私生活が垂れ流しだ。
協力プレイが苦手で、中々長くいられるギルドがなかった私は、“来る者拒まず、去る者追わず”がモットーのギルドマスター、ミミミ、副ギルマス、暁、率いるギルドに加入した。
そして人生初めて参加したオフ会。
相談できる人もおらず、地元でマネキンが着ていた服を買った。長い黒髪は真っ直ぐおろし遊びに来た。
大学生でホストだというハヤトが “すごい可愛い” “清楚系好み” とあまりにぐいぐい来るから、どう対処してわからず受け流していたらこのザマ。
一緒のテーブルにいたはずのゲーム名真白さんこと、りなは泣き出すしーー
大人の世界は難しい。
「あゆみ、暁、ありがとう」
二人とも、年上だけど呼び捨て・タメ口でも良いって言ってた。優しい。
高校で友達とうまくいっていなかった私は、こうやって誰かと遊ぶことも久しぶりだった。
感情の起伏が少なく淡々と話す癖も、厭わず受け入れてくれた。
高校は後一年ーー春休みが終わったら、後一年だけ我慢すれば進学できる。りなは怖かったけど、こんな人たちがいるなら、進学先に都内とかも良いかな。
「まぁそれに、いくら一年中別れたりより戻したりしてるとはいえ、別れてる間に相手が誰好きになろうが、口説こうが相手の自由だもん。私はそう言うとき、口出さないよ」
「おー、あゆみ、大人ー」
パチパチと暁と一緒に手を叩く。
「ごめんごめんー、店から電話入っちゃってー」
ガラガラと飲食店の引き戸を開けて、赤い髪を真ん中で分けた棗が入ってきた。ゲームの中でも現実でも、この人に触ると妊娠するらしいから距離をとっている。
「修羅場中にほっぽり出しちゃってごめんね、ユ・イ・ちゃん」
そう言ってウインクしてくる。ウザい。
「棗、きらい」
「辛辣っ!」
小指を立ててショックを受けたポーズをしているが、それもネタでしかない。
そのあとはカラオケに行って、みんなやあゆみと写真を撮って、解散となった。あんまり話せなかったけど、ミラクルって女の子はあゆみの家に泊まるらしい。
「結ーー待って」
ぽてぽてと暗くなってきた道を歩いていると、暁がだるそうに走りながら追いかけてきた。
「あ、暁」
「送ってくよ。流石に、女子高校生一人で夜道は危ないって」
「塾とかもっと遅いし。このくらいの時間、食料品買いに行ったりもするから。平気」
「まぁまぁ、そう言わずに」
ニコニコと、笑顔で暁はついてくる。
「私、そんな子供っぽいかな。私服でもJKに見える?」
「うーん、見えるねぇ。スッピンだし……ちょっとごめん」
そう言って人差し指でサラリと、ぱっつんの前髪を避けた。
長くて細い指。
「ほら、眉毛だって全然いじってないでしょ?整えるだけで大分変わるよ」
「……さっき、棗にもおんなじ事言われた。棗、美容師だから、やって貰えばよかった」
「うんうん。流石の棗だって、高校生には手出さないって。犯罪だし」
こくりと頷く。
「暁、話しやすい。ありがとう」
暁は困ったような顔で何かを考えたあと……
「今日さ、ビジネスホテルだったよね? ちょっと、家寄ってかない? あげたいものあるんだけど」
ホテル届けても良いけどーーと付け足す。
新潟から遊びにきたため、オフ会の後はゆっくり泊まって、一人でぶらぶら観光して帰ろうと思っていた。
「じゃあちょっとだけ」
◇◇◇
暁の部屋はマンションの上層階だった。
部屋に入ると、リビングの奥はガラス張りで、都会の夜景が一望できる。
「お茶とかなくて、これ飲んでて」
水のペットボトルを渡される。
「すぐ済むからねー。 今用意してくるから、適当に座っててーー」
黒い革張りのソファーに腰を下ろす。
テレビ、勝手につけても良いかなーー?
しかし物が少ない部屋なのにリモコンが見当たらず、仕方なくスマホを操作して時間を潰した。
「ごめん、お待たせー。はい、これあげる」
「?見ていい?」
渡された紙袋はずっしり重く、中には英語で書かれたいろんな箱が入っている。
「ーーこれ、何?」
ニコニコしていた暁は、驚愕した表情になる。
「え、結ちゃん、知らないのかーーコスメだよ。化粧品。ほとんどサンプルだけど、よかったら使ってよ」
「こんなに沢山、もらえない」
「いやーー、俺も仕事でもらうんだけど自分のこと化粧する趣味なくて。俺って化粧しなくてもイケメンでしょ?必要なくてーー最近だと大体、あゆみやミラクルにあげちゃうんだよね」
「自分で自分のこと、イケメンとか。暁、イタイヤツ」
「うおっ、今のクリティカルーー」
ダメージを受けた風に、ヨヨヨ、と倒れてみせた。変な大人。
「ありがたく、もらう。暁は、何してる人?」
「それは企業秘密。今度こそ送ってくよ」
目的のホテルまで、タクシーで送ってくれてタクシー代も払ってくれた。
「使い方とか、わかんないことあったら連絡して。あ、電話は出れないこと多いけど」
「ん。わかった。ねこまんまとかも、仲良いから聞いてみる」
「ん゛ーー……ねこまんまは女性キャラだけど、現物おっさんだろうから無理じゃない?」
「チッチッチッ、暁、わかってない」
そんなやり取りをして、暁と別れた。
ねこまんまは仲の良いギルドメンバー。
変なキャラクターの見た目のせいで誤解されるが、女の子だ。
電話しているから、知っている。
最後は少し、笑顔になれた気がした。
◇◇◇
「ねこまんま、化粧品って、何からどうしたらいいの」
家に帰った日の夜、ゲームで仲良くなった年上の女の子……"ねこまんま"に電話してみた。暁からもらった化粧品は色々あったが、何をどうして、どれをどこに使ったら良いのか……全くわからない。
状況を説明して、一回電話を切って貰ったサンプル達の写真を送る。
すると写真に番号をふって連絡が帰ってきて、簡単に使い方と、わかりやすい動画も送ってくれた。
春休み中は家で化粧を練習した。
ねこまんまとは電話や、連絡だけで顔を合わせたことがなかったからメイク顔の写真を送りつける勇気がでない。
暁にメイクした顔写真を送ってみたら、何故か急遽会うことになった。
絶対すっぴんで、くれぐれもその顔で外に出ないようにと言われる。
ほっぺたをチークでしっかり塗り、目の周りを黒と赤で囲み、眉毛を描いてノーズシャドウも入れた。
確かに、ねこまんまが教えてくれた動画の仕上がりとは別ジャンルの仕上がりだけど……
好きなコスプレイヤーのメイク動画を参考にハッキリメイクしたものだ。
地元のファミレスまで暁が来た。
同級生に見られていないか、ドキドキして、黒い真っ直ぐの髪でカーテンのように顔の横をガードする。
「結、久しぶり」
「暁ーー、今日はどうしたの」
まずは何か食べて良いかと、ファミレスで食事をとると、家に暁が来ることになった。
「結は実家暮らしだっけ」
「うん。でも親、どっちもほぼ家にいないから」
共働き、尚且つ仲が最悪に悪い二人は、幼い頃からお金だけ置いて留守がちだ。
何日も帰ってこない事もあってーー期待も、親の愛情もとっくに諦めている。
家に入ると、リビングに貰った化粧品を持ってきた。
「はい、まず結さん。こちらの画像をご覧ください」
暁のスマホ画面には、黒と赤で目元が縁取られ黒い眉と鼻筋が繋がった人の、歌舞伎のポスターが映し出されていた。
「うん。これがどしたの」
「そうか。そうきたか。
次にこちらをご覧ください」
そこには、先日暁に送った私の化粧した顔が映し出されていてーー
「そんなーー。に、似て、る。
いや、私のがほっぺ赤い」
うんうんと頷く暁。
この春休み、しっかり練習したメイクがまさか、歌舞伎メイクになるなんて。
なんでこれで良いと思ってたんだろう。
暁は大きなバッグからスマホスタンドを取り出すと、私のスマホを録画モードで起動しセットする。
「今から化粧するから、後で録画見てやり方覚える事」
「ーーハイ」
髪をしっかり縛ってクリップで避ける。
眉毛を整えて学校でもできるメイク
一度落としてオシャレしたい日のメイク
ちょっとアレンジしてーー
夕方メイクが崩れたらーー
等、何パターンか動画を撮った。
「これでよし。残りの春休み、動画みてしっかり練習して。学校の友達とも上手くいくといいな結」
最後にしっかりメイクオフして、お手入れをしたところで暁はそう締め括った。
結局暁は基礎化粧品や、プチプラだからあげるとコスメを大量に置いていこうとして、お礼に作った夕飯を振舞ってから解散した。
◇◇◇
始業式ーー
クラス表をみて落ち込んだり喜んだりする周囲と裏腹に、淡々と自分の組を確認する。
新年度特有のけん騒をみせる教室に入り、自分の席に座る。
昨夜棗にアドバイスをもらい、いつも後ろで一つに結んでいる髪をおろし、母親のくし型のヘアアイロンで梳かしてきた。
前髪は自分で一カ所に持ってぱっつんと切る事をやめ、目が隠れない程度に美容室でカットしてもらった。
暁に教えてもらった学校用のメイクもしてきた。
こんなことで、本当に友達が出来るんだろうか。
「おはよう! 今日から隣、よろしくね」
隣の席に来た女の子が、声をかけてきた。
髪をポニーテールにした、活発そうな子だ。
多分、はじめて一緒のクラスになる。
「お、おはよう。こっちこそ、よろしく」
「私、加藤 遥! あなたは?」
「す、鈴木 結」
「結ちゃんかぁ! ね、化粧してるでしょ? すごくかわいいね! 私も今練習中でさ、よかったら……何使ってるか教えてー」
「……! う、うん。私で良ければ」
◇◇◇
遥と友達になった。
高校に入って、初めて友達が出来たーー。
ゲームで、相談に乗ってくれていた何人かのギルドメンバーに報告する。
"おめでとう"
"やったね、よかった結ちゃーん"
そんな返事をもらった。
暁には長文になったが感謝の連絡も入れた。
受験があるせいなのか、前の学年のとき嫌がらせをしてきた人たちも手も出さなくなった。
人生で初めて、告白もされた。
髪をきれいにして、少しメイクしただけなのに。
ボソボソ喋る癖も、みんなみたいにテンションを上げられないのも変わらないのに。
見た目で、こんなに反応が違うなんて。
◇◇◇
7月後半、夏休みに入った。
ギルドではまたオフ会があるらしいが、夏は勉強するから参加を見送った。
都内まで行くにもお金がかかるし。
都内の大学を受けたいと言ったら、父親が援助をしてくれると言った。成績的には頑張れば狙えるらしい。
ゲームに入る時間も減っていき、時々暁と連絡を取る程度になっていった。
暁は意外とまめで「今仕事終わったー」「おはよう」「このジュース失敗」等たわいも無い連絡をしてきて、ついつい返事をしていた。
◇◇◇
夏。オープンキャンパスの日。都内の大学に一人で見学に行く。当日になって都内に住んでいるらしいあゆみや、暁に連絡も入れておいたが仕事なのか返事はない。
午後の部の見学を終え大学を出ると、少し離れた所に暁がいた。
「よっ!」
「あ、暁……なんでいるの」
「場所きてたから、遊ぼうって意味かと思って? きちゃった! 見学お疲れぇ」
「あ、ありがとう」
「なんかしたいことある? それかなんか食べる?」
途端に、腹の虫がグゥと鳴きだす。
「……トンカツ食べたい」
「トンカツ!? ガッツリだねぇ。美味しいところ知ってるから、行こっか」
ん。と手を差し出され、繋いでいいものだろうか。一瞬戸惑う。
「手繋いでくれる? さっきから人目が……保護者って設定で歩きだすから」
大学の門付近でしていたやりとりは、気づけば同じくオープンキャンパスに来ていたであろう親子達から、学生から、ジロジロ見られていた。
「お願いする」
パシッと音がする程勢いよく手を掴み、恥ずかしくて足早にその場をさった。
「あゆみにも連絡したんだけど、繋がらなくて。私と二人でいて、平気なの?」
高校で友達となった遥が、彼氏が他の女といると許せないとよく話していて、そういうところを気にする様になった。
「あーー、最近だけど俺達別れたんだ。ゲームでの相方は続行してるけど、あんまり俺の顔見たく無いんじゃ無いかな。今俺フリーだから、そういうのは全然大丈夫」
「……そうなんだ」
何故かホッとした自分がいた。
トンカツを食べて、すっかり暗くなり、夜行バスで帰ると言う私をバス乗り場まで暁が送ってくれた。
歩き疲れて、履き慣れたはずのローファーで踵が擦れる。
「ん? 結足痛いだろ? 腕つかまって?」
遠慮がちに、チョン、とつかまると腕を組むように引っ張られた。
心臓がドキドキする。
「暁、今日は遊んでくれてありがとう」
「うん、こちらこそ。また遊ぼーネ」
「受験受かったら、こっち引っ越すからいっぱい遊んで」
ヒラヒラと手を振る暁に、バスの窓から手を振替し、この日は解散となった。
◇◇◇
数日後ーー
「結……話がある」
久しぶりにゲームにログインすると、あゆみから呼び出された。
そのチャットは、いつものキャピキャピした感じが全く無い。
「何?」
「連絡もらってた日……暁と、デートしたって、本当?」
「……デートというより、オープンキャンパスをねぎらってくれて、一緒にご飯食べに行った」
ゲームキャラのあゆみは、ただのキャラクターでしかないから表情が読めない。
「暁は……私の、彼氏だって知ってるよね?」
「別れたって聞いた。それにご飯食べに行って、帰るところまで送ってくれただけだよ」
「別れ話はされたけど、まだ私は納得してないの! ならなんで腕くんで歩いてたの!? 仲間が見たって、写真送られて……凄くびっくりしたんだよ!?」
「……それは、知らなかった。ごめんミミミ」
ゲームの中だから、一応キャラクターネームで呼ぶ。
「靴ずれしちゃって、暁が腕につかまらせてくれた。軽くつかむだけにしたんだけど、しっかり体重かけるように引っ張られた」
「…………」
「普通さ、好きでもなければ、あんな密着して腕組まないよね? 暁に、気があるの?」
「ーーえ?」
「暁と、いつから連絡取ってたの? きっと、私と付き合ってるときも連絡とり合ってたよね? ……だってスマホみたもん」
「…………」
恋人がいる人と、連絡も取っちゃいけないとは知らなかった。
「結が暁を好きなのは勝手だけど、私もまだ暁の事が好き。結とは、もう仲良くできない」
「……わかった」
「私の連絡先は消して。私も結の消すから」
「…………うん」
「ギルドも抜けてもらう。結は、もう受験でログイン減るんだろうけど……」
「…………わかった」
ゲームの中のあゆみが、真っ直ぐこちらを見る。
「前に話したと思う。ギルドメンバーが、結と仲良くするかどうかは自由だから。こんなことになって申し訳ないけど、私が好きな人を狙ってる子を、私は許容できないみたい」
画面越しに否定できなかった。
涙が止まらない。
暁の事、あゆみの元カレであり好きな人のこと、いつの間にか……
私、好きになっていたんだーー。
大学に合格したら、都内に住んで、あゆみや暁ともまた遊べると思っていた。
でも……あゆみとの関係に亀裂が入ってしまった。亀裂を入れたのは、私だーー。
思い描いていた未来が、音を立てて崩れたような気がした。
ギルドチャットに、挨拶をする。
「突然ですが、ギルドを抜けることになりました。今まで、お世話になりました。現実でいじめにあってた私を、話を聞いたり、励ましたり、ゲームの中で遊んでくれた皆さんありがとうございます。受験であまり入れませんが、また見かけたら、声でもかけてください」
ーー結が唄う者ギルドを退会しましたーー
チャットログにシステムチャットが表示され、ゲームからログアウトする。
誰か、悲しんでくれる人はいただろうか。
ねこまんまは、棗やミラクル、暁は、退会する旨のチャットを見ていたんだろうか。
私の、どこにも居場所がなく一人きりだった私の、ギルドは心の拠り所だった。
現実の話をギルドチャットで流すギルドメンバーは、何処かでこんな風に生きてる人たちがいる、知らない友達みたいだった。
初めて参加したらオフ会で、友達だと言われて嬉しかった。
居場所をなくした。誰もいない家で、声をころして泣いた。
気付けば机で寝ていたらしい。時刻は深夜2時をまわり、腕がしびれている。
パソコンの横に置かれたスマホが、点滅していて開くと、ねこまんまから着信が入っていた。
“大丈夫? 何があったのかわからないけど、ギルドを拔けても仲間だからね。いつでも連絡してね”
と、メッセージが入っていた。
「ねこまんま……」
暗い家の、階段を降りると1階に両親の帰ってきた気配はない。
今夜もいないんだーー。
誰もいない……。
とっくに親の愛情なんて、諦めたはずなのに。
ポロポロと涙がこぼれた。
追い出されないだけ、お金だけはくれるだけ、マシなんだ。
自分に言い聞かせた。
ふと、スマホが振動する。
"ただいま~。仕事で遅くなった。眠~!"
暁だ。既読をつけないようにしながら、連絡を返すべきか否かぐるぐる考える。
“もう寝てるよな。もし起きてたら、程々にな。おやすみ~”
“お帰り。お疲れ様。さっき起きた。そしておやすみ”
暁に連絡を返すと、結局あゆみの気持ちより自分の気持ちを優先するんだな、と失笑する。
今日はもう寝よう。夜色々考えてもろくなことにならない。
◇◇◇
ゲームには、あれから入らなかった。
今年仲良くなった、同級生の遥に思い切って相談したら、あゆみとの衝突は仕方がなかったと思うと言われた。
遥かに話を聞いてもらって、少しだけ気持ちが軽くなった。
暁とは、連絡を取り続けた。
でも向こうから連絡が来ては返す、それだけだ。
◇◇◇
「お荷物こちらで全部ですねー」
「はい。ありがとうございました」
バタリ。真新しいドアが閉まる。
否、私にとって新しいだけで、実際は使用感のあるドアだ。
フロアにはダンボールが積まれ、これを今から解くのかと思うとため息が出る。が、やるしかない。
ーーピンポーンーー
「はーい」
ドアを開けると、思いっきり不機嫌そうな表情の暁が立っていた。
「ハイ減点ーー」
「ーーは?」
「女の子なんだから、ちゃんとインターフォン確認してから出なきゃだめだよ。家でもこんな感じだったの?」
「……家、誰も来なかったから……」
「ーーなんかゴメン」
おじゃましまーすと上がると、暁はビニール袋をキッチンに置く。
「じゃ、荷解き始めますかぁーー」
そう、引っ越しの日程を教えたら、手伝いに来てくれたのである。
大学の費用は貯金しておいてくれたらしい。生活費は父親が、家賃は母親が払ってくれることになり、両親は……離婚した。
私が家を出るまではと思っていたらしい。淡々と話された。
とは言っても、二人ともほとんど家にいなかったが。お金をもらえるだけ有り難い。
実家には父一人で住むことになり、母は出ていった。それでも父は干渉してこなかった。
お互いにあまり話したことがない。母と仲が悪かったこと以外、何を考えてるのか全然わからない。
「ふぅーー。一段落かな? 昼飯がてら、足りないものでも買い出しに行こっかぁ」
「……お店、全然わかんない」
「そこは任せて」
暁はだるそうに、でもニッと笑うと定食屋に連れて行ってくれた。
「こういう日は、こういうご飯がいいんだよー」
「……おいしい」
あったかい定食が、染みた。心に。
味噌汁に、煮物に漬け物、大葉に大根おろし、焼き魚、厚焼き卵に大盛り気味のご飯。
世の中の家族は、子供は、こんなご飯が家で出されるって言うけど本当なのかな。
ポタリ。気付けば涙が一滴落ちた。
「おいしいよね。また連れてきてあげる」
向かい側から、大きな手でヨシヨシと頭を撫でられた。
引越し祝いだと、ご飯は奢ってくれた。
その後は食器を見に行った。
コップを見ていると、暁がお揃いのものを持ってくる。
「俺達、付き合わないーー?」
手に何も持ってなくてよかった。
持ってたら落としていたかもしれない。
びっくりした。
全然、そんな感じがしなかったから。
このままずっと、友達なんだと思っていた。
「な、んでーー」
「一目惚れだったんだ。オフ会の日、結に。ただ……高校生だったから犯罪になるじゃん」
そう言いながら片手で口元を覆い、少し頬を赤くしている。
少し彫りの深いその顔が、照れているのを初めてみた。
「…………あゆみは?」
「とっくに別れたし、連絡先も消した。ゲームの相方も解消してあるよ。彼氏出来たって聞いたし……もう吹っ切れてるんじゃないかな?」
そっか。そうなんだ……
暁が手にしていたペアのカップを、奪い取ってレジに行く。
「これください」
お会計をして店を出る。
「嘘。
とか無しだよ? 暁のコップ、買ったからね」
「それって……」
言葉にするのは躊躇う。躊躇うが伝えたい。
「私も……私も、暁が好き。もっと、暁のこと知りたい。もっと一緒にご飯食べたい。化粧も教えてほしい」
涙腺が壊れてるのかな。
涙が溢れる。
トンッと頭が何かにぶつかったと思うと、暁が片手で抱き寄せたと知る。
「まずは帰ってーー荷解きの続きしますか」
深く息をつき、微笑みながら答えた。
「…………うん。」
彼は少し照れくさそうに続けた。
「結、これからよろしくね。カノジョさん」
「…………うん。よろしくね。カレシ」
静かに頷き、不安と期待が入り混じり高鳴る胸を抑えながら、そう答えた。
春の日、大学入学を控えた私に人生初めての彼氏ができた。
頬を張るーービンタの音が響き渡る。
「ったぁ……」
「もう、あんたとは遊ばないから。ゲームで見かけても話しかけないで」
小顔で小柄、身体の線も華奢なショートカットの美しい女性は、そういうと自称ホスト、ハヤトの手を引いて店を後にした。
「あーあ。あれはまずかったよ結ちゃん」
縮毛でもかけているのか、サラサラの黒髪の暁が親しげに話しかけてくる。細身のその人は黒い服を身にまとい、輪郭がベース顔、パッチリした二重で彫りが深い。
「え……? 絡んでたのハヤトだし……それにあの二人、付き合ってないって」
「あの二人、一年中別れたりくっついたりしてるんだ。ハヤトは基本、りなの家に住んでるしさーー」
「ーーそうなんですかーー」
そんなの、知らない。出かかった言葉をぐっと飲み込み、端的に答える。
垂れ目に爆乳、今回の集まりの主催者、ミミミーーこと、あゆみが口を開く。
「私は、友達同士が仲悪くてもりなとはりな、結ちゃんとは結ちゃんとで付き合うから」
友達だと、今日初めて会った人に言われた。これがリアル=ゲーム、と脳内変換される現実とゲームの区別ができない人種ってやつか。いや、私も同類か……
今日は、はまっているMMOオンラインゲームのギルドメンバーのオフ会に来ていた。
ギルドメンバーの私生活に興味はなかったが、やたらと誘われるし、ゲームプレイ中のギルドチャットにはいつもメンバーの私生活が垂れ流しだ。
協力プレイが苦手で、中々長くいられるギルドがなかった私は、“来る者拒まず、去る者追わず”がモットーのギルドマスター、ミミミ、副ギルマス、暁、率いるギルドに加入した。
そして人生初めて参加したオフ会。
相談できる人もおらず、地元でマネキンが着ていた服を買った。長い黒髪は真っ直ぐおろし遊びに来た。
大学生でホストだというハヤトが “すごい可愛い” “清楚系好み” とあまりにぐいぐい来るから、どう対処してわからず受け流していたらこのザマ。
一緒のテーブルにいたはずのゲーム名真白さんこと、りなは泣き出すしーー
大人の世界は難しい。
「あゆみ、暁、ありがとう」
二人とも、年上だけど呼び捨て・タメ口でも良いって言ってた。優しい。
高校で友達とうまくいっていなかった私は、こうやって誰かと遊ぶことも久しぶりだった。
感情の起伏が少なく淡々と話す癖も、厭わず受け入れてくれた。
高校は後一年ーー春休みが終わったら、後一年だけ我慢すれば進学できる。りなは怖かったけど、こんな人たちがいるなら、進学先に都内とかも良いかな。
「まぁそれに、いくら一年中別れたりより戻したりしてるとはいえ、別れてる間に相手が誰好きになろうが、口説こうが相手の自由だもん。私はそう言うとき、口出さないよ」
「おー、あゆみ、大人ー」
パチパチと暁と一緒に手を叩く。
「ごめんごめんー、店から電話入っちゃってー」
ガラガラと飲食店の引き戸を開けて、赤い髪を真ん中で分けた棗が入ってきた。ゲームの中でも現実でも、この人に触ると妊娠するらしいから距離をとっている。
「修羅場中にほっぽり出しちゃってごめんね、ユ・イ・ちゃん」
そう言ってウインクしてくる。ウザい。
「棗、きらい」
「辛辣っ!」
小指を立ててショックを受けたポーズをしているが、それもネタでしかない。
そのあとはカラオケに行って、みんなやあゆみと写真を撮って、解散となった。あんまり話せなかったけど、ミラクルって女の子はあゆみの家に泊まるらしい。
「結ーー待って」
ぽてぽてと暗くなってきた道を歩いていると、暁がだるそうに走りながら追いかけてきた。
「あ、暁」
「送ってくよ。流石に、女子高校生一人で夜道は危ないって」
「塾とかもっと遅いし。このくらいの時間、食料品買いに行ったりもするから。平気」
「まぁまぁ、そう言わずに」
ニコニコと、笑顔で暁はついてくる。
「私、そんな子供っぽいかな。私服でもJKに見える?」
「うーん、見えるねぇ。スッピンだし……ちょっとごめん」
そう言って人差し指でサラリと、ぱっつんの前髪を避けた。
長くて細い指。
「ほら、眉毛だって全然いじってないでしょ?整えるだけで大分変わるよ」
「……さっき、棗にもおんなじ事言われた。棗、美容師だから、やって貰えばよかった」
「うんうん。流石の棗だって、高校生には手出さないって。犯罪だし」
こくりと頷く。
「暁、話しやすい。ありがとう」
暁は困ったような顔で何かを考えたあと……
「今日さ、ビジネスホテルだったよね? ちょっと、家寄ってかない? あげたいものあるんだけど」
ホテル届けても良いけどーーと付け足す。
新潟から遊びにきたため、オフ会の後はゆっくり泊まって、一人でぶらぶら観光して帰ろうと思っていた。
「じゃあちょっとだけ」
◇◇◇
暁の部屋はマンションの上層階だった。
部屋に入ると、リビングの奥はガラス張りで、都会の夜景が一望できる。
「お茶とかなくて、これ飲んでて」
水のペットボトルを渡される。
「すぐ済むからねー。 今用意してくるから、適当に座っててーー」
黒い革張りのソファーに腰を下ろす。
テレビ、勝手につけても良いかなーー?
しかし物が少ない部屋なのにリモコンが見当たらず、仕方なくスマホを操作して時間を潰した。
「ごめん、お待たせー。はい、これあげる」
「?見ていい?」
渡された紙袋はずっしり重く、中には英語で書かれたいろんな箱が入っている。
「ーーこれ、何?」
ニコニコしていた暁は、驚愕した表情になる。
「え、結ちゃん、知らないのかーーコスメだよ。化粧品。ほとんどサンプルだけど、よかったら使ってよ」
「こんなに沢山、もらえない」
「いやーー、俺も仕事でもらうんだけど自分のこと化粧する趣味なくて。俺って化粧しなくてもイケメンでしょ?必要なくてーー最近だと大体、あゆみやミラクルにあげちゃうんだよね」
「自分で自分のこと、イケメンとか。暁、イタイヤツ」
「うおっ、今のクリティカルーー」
ダメージを受けた風に、ヨヨヨ、と倒れてみせた。変な大人。
「ありがたく、もらう。暁は、何してる人?」
「それは企業秘密。今度こそ送ってくよ」
目的のホテルまで、タクシーで送ってくれてタクシー代も払ってくれた。
「使い方とか、わかんないことあったら連絡して。あ、電話は出れないこと多いけど」
「ん。わかった。ねこまんまとかも、仲良いから聞いてみる」
「ん゛ーー……ねこまんまは女性キャラだけど、現物おっさんだろうから無理じゃない?」
「チッチッチッ、暁、わかってない」
そんなやり取りをして、暁と別れた。
ねこまんまは仲の良いギルドメンバー。
変なキャラクターの見た目のせいで誤解されるが、女の子だ。
電話しているから、知っている。
最後は少し、笑顔になれた気がした。
◇◇◇
「ねこまんま、化粧品って、何からどうしたらいいの」
家に帰った日の夜、ゲームで仲良くなった年上の女の子……"ねこまんま"に電話してみた。暁からもらった化粧品は色々あったが、何をどうして、どれをどこに使ったら良いのか……全くわからない。
状況を説明して、一回電話を切って貰ったサンプル達の写真を送る。
すると写真に番号をふって連絡が帰ってきて、簡単に使い方と、わかりやすい動画も送ってくれた。
春休み中は家で化粧を練習した。
ねこまんまとは電話や、連絡だけで顔を合わせたことがなかったからメイク顔の写真を送りつける勇気がでない。
暁にメイクした顔写真を送ってみたら、何故か急遽会うことになった。
絶対すっぴんで、くれぐれもその顔で外に出ないようにと言われる。
ほっぺたをチークでしっかり塗り、目の周りを黒と赤で囲み、眉毛を描いてノーズシャドウも入れた。
確かに、ねこまんまが教えてくれた動画の仕上がりとは別ジャンルの仕上がりだけど……
好きなコスプレイヤーのメイク動画を参考にハッキリメイクしたものだ。
地元のファミレスまで暁が来た。
同級生に見られていないか、ドキドキして、黒い真っ直ぐの髪でカーテンのように顔の横をガードする。
「結、久しぶり」
「暁ーー、今日はどうしたの」
まずは何か食べて良いかと、ファミレスで食事をとると、家に暁が来ることになった。
「結は実家暮らしだっけ」
「うん。でも親、どっちもほぼ家にいないから」
共働き、尚且つ仲が最悪に悪い二人は、幼い頃からお金だけ置いて留守がちだ。
何日も帰ってこない事もあってーー期待も、親の愛情もとっくに諦めている。
家に入ると、リビングに貰った化粧品を持ってきた。
「はい、まず結さん。こちらの画像をご覧ください」
暁のスマホ画面には、黒と赤で目元が縁取られ黒い眉と鼻筋が繋がった人の、歌舞伎のポスターが映し出されていた。
「うん。これがどしたの」
「そうか。そうきたか。
次にこちらをご覧ください」
そこには、先日暁に送った私の化粧した顔が映し出されていてーー
「そんなーー。に、似て、る。
いや、私のがほっぺ赤い」
うんうんと頷く暁。
この春休み、しっかり練習したメイクがまさか、歌舞伎メイクになるなんて。
なんでこれで良いと思ってたんだろう。
暁は大きなバッグからスマホスタンドを取り出すと、私のスマホを録画モードで起動しセットする。
「今から化粧するから、後で録画見てやり方覚える事」
「ーーハイ」
髪をしっかり縛ってクリップで避ける。
眉毛を整えて学校でもできるメイク
一度落としてオシャレしたい日のメイク
ちょっとアレンジしてーー
夕方メイクが崩れたらーー
等、何パターンか動画を撮った。
「これでよし。残りの春休み、動画みてしっかり練習して。学校の友達とも上手くいくといいな結」
最後にしっかりメイクオフして、お手入れをしたところで暁はそう締め括った。
結局暁は基礎化粧品や、プチプラだからあげるとコスメを大量に置いていこうとして、お礼に作った夕飯を振舞ってから解散した。
◇◇◇
始業式ーー
クラス表をみて落ち込んだり喜んだりする周囲と裏腹に、淡々と自分の組を確認する。
新年度特有のけん騒をみせる教室に入り、自分の席に座る。
昨夜棗にアドバイスをもらい、いつも後ろで一つに結んでいる髪をおろし、母親のくし型のヘアアイロンで梳かしてきた。
前髪は自分で一カ所に持ってぱっつんと切る事をやめ、目が隠れない程度に美容室でカットしてもらった。
暁に教えてもらった学校用のメイクもしてきた。
こんなことで、本当に友達が出来るんだろうか。
「おはよう! 今日から隣、よろしくね」
隣の席に来た女の子が、声をかけてきた。
髪をポニーテールにした、活発そうな子だ。
多分、はじめて一緒のクラスになる。
「お、おはよう。こっちこそ、よろしく」
「私、加藤 遥! あなたは?」
「す、鈴木 結」
「結ちゃんかぁ! ね、化粧してるでしょ? すごくかわいいね! 私も今練習中でさ、よかったら……何使ってるか教えてー」
「……! う、うん。私で良ければ」
◇◇◇
遥と友達になった。
高校に入って、初めて友達が出来たーー。
ゲームで、相談に乗ってくれていた何人かのギルドメンバーに報告する。
"おめでとう"
"やったね、よかった結ちゃーん"
そんな返事をもらった。
暁には長文になったが感謝の連絡も入れた。
受験があるせいなのか、前の学年のとき嫌がらせをしてきた人たちも手も出さなくなった。
人生で初めて、告白もされた。
髪をきれいにして、少しメイクしただけなのに。
ボソボソ喋る癖も、みんなみたいにテンションを上げられないのも変わらないのに。
見た目で、こんなに反応が違うなんて。
◇◇◇
7月後半、夏休みに入った。
ギルドではまたオフ会があるらしいが、夏は勉強するから参加を見送った。
都内まで行くにもお金がかかるし。
都内の大学を受けたいと言ったら、父親が援助をしてくれると言った。成績的には頑張れば狙えるらしい。
ゲームに入る時間も減っていき、時々暁と連絡を取る程度になっていった。
暁は意外とまめで「今仕事終わったー」「おはよう」「このジュース失敗」等たわいも無い連絡をしてきて、ついつい返事をしていた。
◇◇◇
夏。オープンキャンパスの日。都内の大学に一人で見学に行く。当日になって都内に住んでいるらしいあゆみや、暁に連絡も入れておいたが仕事なのか返事はない。
午後の部の見学を終え大学を出ると、少し離れた所に暁がいた。
「よっ!」
「あ、暁……なんでいるの」
「場所きてたから、遊ぼうって意味かと思って? きちゃった! 見学お疲れぇ」
「あ、ありがとう」
「なんかしたいことある? それかなんか食べる?」
途端に、腹の虫がグゥと鳴きだす。
「……トンカツ食べたい」
「トンカツ!? ガッツリだねぇ。美味しいところ知ってるから、行こっか」
ん。と手を差し出され、繋いでいいものだろうか。一瞬戸惑う。
「手繋いでくれる? さっきから人目が……保護者って設定で歩きだすから」
大学の門付近でしていたやりとりは、気づけば同じくオープンキャンパスに来ていたであろう親子達から、学生から、ジロジロ見られていた。
「お願いする」
パシッと音がする程勢いよく手を掴み、恥ずかしくて足早にその場をさった。
「あゆみにも連絡したんだけど、繋がらなくて。私と二人でいて、平気なの?」
高校で友達となった遥が、彼氏が他の女といると許せないとよく話していて、そういうところを気にする様になった。
「あーー、最近だけど俺達別れたんだ。ゲームでの相方は続行してるけど、あんまり俺の顔見たく無いんじゃ無いかな。今俺フリーだから、そういうのは全然大丈夫」
「……そうなんだ」
何故かホッとした自分がいた。
トンカツを食べて、すっかり暗くなり、夜行バスで帰ると言う私をバス乗り場まで暁が送ってくれた。
歩き疲れて、履き慣れたはずのローファーで踵が擦れる。
「ん? 結足痛いだろ? 腕つかまって?」
遠慮がちに、チョン、とつかまると腕を組むように引っ張られた。
心臓がドキドキする。
「暁、今日は遊んでくれてありがとう」
「うん、こちらこそ。また遊ぼーネ」
「受験受かったら、こっち引っ越すからいっぱい遊んで」
ヒラヒラと手を振る暁に、バスの窓から手を振替し、この日は解散となった。
◇◇◇
数日後ーー
「結……話がある」
久しぶりにゲームにログインすると、あゆみから呼び出された。
そのチャットは、いつものキャピキャピした感じが全く無い。
「何?」
「連絡もらってた日……暁と、デートしたって、本当?」
「……デートというより、オープンキャンパスをねぎらってくれて、一緒にご飯食べに行った」
ゲームキャラのあゆみは、ただのキャラクターでしかないから表情が読めない。
「暁は……私の、彼氏だって知ってるよね?」
「別れたって聞いた。それにご飯食べに行って、帰るところまで送ってくれただけだよ」
「別れ話はされたけど、まだ私は納得してないの! ならなんで腕くんで歩いてたの!? 仲間が見たって、写真送られて……凄くびっくりしたんだよ!?」
「……それは、知らなかった。ごめんミミミ」
ゲームの中だから、一応キャラクターネームで呼ぶ。
「靴ずれしちゃって、暁が腕につかまらせてくれた。軽くつかむだけにしたんだけど、しっかり体重かけるように引っ張られた」
「…………」
「普通さ、好きでもなければ、あんな密着して腕組まないよね? 暁に、気があるの?」
「ーーえ?」
「暁と、いつから連絡取ってたの? きっと、私と付き合ってるときも連絡とり合ってたよね? ……だってスマホみたもん」
「…………」
恋人がいる人と、連絡も取っちゃいけないとは知らなかった。
「結が暁を好きなのは勝手だけど、私もまだ暁の事が好き。結とは、もう仲良くできない」
「……わかった」
「私の連絡先は消して。私も結の消すから」
「…………うん」
「ギルドも抜けてもらう。結は、もう受験でログイン減るんだろうけど……」
「…………わかった」
ゲームの中のあゆみが、真っ直ぐこちらを見る。
「前に話したと思う。ギルドメンバーが、結と仲良くするかどうかは自由だから。こんなことになって申し訳ないけど、私が好きな人を狙ってる子を、私は許容できないみたい」
画面越しに否定できなかった。
涙が止まらない。
暁の事、あゆみの元カレであり好きな人のこと、いつの間にか……
私、好きになっていたんだーー。
大学に合格したら、都内に住んで、あゆみや暁ともまた遊べると思っていた。
でも……あゆみとの関係に亀裂が入ってしまった。亀裂を入れたのは、私だーー。
思い描いていた未来が、音を立てて崩れたような気がした。
ギルドチャットに、挨拶をする。
「突然ですが、ギルドを抜けることになりました。今まで、お世話になりました。現実でいじめにあってた私を、話を聞いたり、励ましたり、ゲームの中で遊んでくれた皆さんありがとうございます。受験であまり入れませんが、また見かけたら、声でもかけてください」
ーー結が唄う者ギルドを退会しましたーー
チャットログにシステムチャットが表示され、ゲームからログアウトする。
誰か、悲しんでくれる人はいただろうか。
ねこまんまは、棗やミラクル、暁は、退会する旨のチャットを見ていたんだろうか。
私の、どこにも居場所がなく一人きりだった私の、ギルドは心の拠り所だった。
現実の話をギルドチャットで流すギルドメンバーは、何処かでこんな風に生きてる人たちがいる、知らない友達みたいだった。
初めて参加したらオフ会で、友達だと言われて嬉しかった。
居場所をなくした。誰もいない家で、声をころして泣いた。
気付けば机で寝ていたらしい。時刻は深夜2時をまわり、腕がしびれている。
パソコンの横に置かれたスマホが、点滅していて開くと、ねこまんまから着信が入っていた。
“大丈夫? 何があったのかわからないけど、ギルドを拔けても仲間だからね。いつでも連絡してね”
と、メッセージが入っていた。
「ねこまんま……」
暗い家の、階段を降りると1階に両親の帰ってきた気配はない。
今夜もいないんだーー。
誰もいない……。
とっくに親の愛情なんて、諦めたはずなのに。
ポロポロと涙がこぼれた。
追い出されないだけ、お金だけはくれるだけ、マシなんだ。
自分に言い聞かせた。
ふと、スマホが振動する。
"ただいま~。仕事で遅くなった。眠~!"
暁だ。既読をつけないようにしながら、連絡を返すべきか否かぐるぐる考える。
“もう寝てるよな。もし起きてたら、程々にな。おやすみ~”
“お帰り。お疲れ様。さっき起きた。そしておやすみ”
暁に連絡を返すと、結局あゆみの気持ちより自分の気持ちを優先するんだな、と失笑する。
今日はもう寝よう。夜色々考えてもろくなことにならない。
◇◇◇
ゲームには、あれから入らなかった。
今年仲良くなった、同級生の遥に思い切って相談したら、あゆみとの衝突は仕方がなかったと思うと言われた。
遥かに話を聞いてもらって、少しだけ気持ちが軽くなった。
暁とは、連絡を取り続けた。
でも向こうから連絡が来ては返す、それだけだ。
◇◇◇
「お荷物こちらで全部ですねー」
「はい。ありがとうございました」
バタリ。真新しいドアが閉まる。
否、私にとって新しいだけで、実際は使用感のあるドアだ。
フロアにはダンボールが積まれ、これを今から解くのかと思うとため息が出る。が、やるしかない。
ーーピンポーンーー
「はーい」
ドアを開けると、思いっきり不機嫌そうな表情の暁が立っていた。
「ハイ減点ーー」
「ーーは?」
「女の子なんだから、ちゃんとインターフォン確認してから出なきゃだめだよ。家でもこんな感じだったの?」
「……家、誰も来なかったから……」
「ーーなんかゴメン」
おじゃましまーすと上がると、暁はビニール袋をキッチンに置く。
「じゃ、荷解き始めますかぁーー」
そう、引っ越しの日程を教えたら、手伝いに来てくれたのである。
大学の費用は貯金しておいてくれたらしい。生活費は父親が、家賃は母親が払ってくれることになり、両親は……離婚した。
私が家を出るまではと思っていたらしい。淡々と話された。
とは言っても、二人ともほとんど家にいなかったが。お金をもらえるだけ有り難い。
実家には父一人で住むことになり、母は出ていった。それでも父は干渉してこなかった。
お互いにあまり話したことがない。母と仲が悪かったこと以外、何を考えてるのか全然わからない。
「ふぅーー。一段落かな? 昼飯がてら、足りないものでも買い出しに行こっかぁ」
「……お店、全然わかんない」
「そこは任せて」
暁はだるそうに、でもニッと笑うと定食屋に連れて行ってくれた。
「こういう日は、こういうご飯がいいんだよー」
「……おいしい」
あったかい定食が、染みた。心に。
味噌汁に、煮物に漬け物、大葉に大根おろし、焼き魚、厚焼き卵に大盛り気味のご飯。
世の中の家族は、子供は、こんなご飯が家で出されるって言うけど本当なのかな。
ポタリ。気付けば涙が一滴落ちた。
「おいしいよね。また連れてきてあげる」
向かい側から、大きな手でヨシヨシと頭を撫でられた。
引越し祝いだと、ご飯は奢ってくれた。
その後は食器を見に行った。
コップを見ていると、暁がお揃いのものを持ってくる。
「俺達、付き合わないーー?」
手に何も持ってなくてよかった。
持ってたら落としていたかもしれない。
びっくりした。
全然、そんな感じがしなかったから。
このままずっと、友達なんだと思っていた。
「な、んでーー」
「一目惚れだったんだ。オフ会の日、結に。ただ……高校生だったから犯罪になるじゃん」
そう言いながら片手で口元を覆い、少し頬を赤くしている。
少し彫りの深いその顔が、照れているのを初めてみた。
「…………あゆみは?」
「とっくに別れたし、連絡先も消した。ゲームの相方も解消してあるよ。彼氏出来たって聞いたし……もう吹っ切れてるんじゃないかな?」
そっか。そうなんだ……
暁が手にしていたペアのカップを、奪い取ってレジに行く。
「これください」
お会計をして店を出る。
「嘘。
とか無しだよ? 暁のコップ、買ったからね」
「それって……」
言葉にするのは躊躇う。躊躇うが伝えたい。
「私も……私も、暁が好き。もっと、暁のこと知りたい。もっと一緒にご飯食べたい。化粧も教えてほしい」
涙腺が壊れてるのかな。
涙が溢れる。
トンッと頭が何かにぶつかったと思うと、暁が片手で抱き寄せたと知る。
「まずは帰ってーー荷解きの続きしますか」
深く息をつき、微笑みながら答えた。
「…………うん。」
彼は少し照れくさそうに続けた。
「結、これからよろしくね。カノジョさん」
「…………うん。よろしくね。カレシ」
静かに頷き、不安と期待が入り混じり高鳴る胸を抑えながら、そう答えた。
春の日、大学入学を控えた私に人生初めての彼氏ができた。
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