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オウジサマってなんだ?

2.名は正しく呼ぶものだ

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「聞こえなかったのか? では、もう一度言おうか?
 いつになったら、私に結婚の許可を取りに来るのだ?」
 エルキールアライオンは、爽やかな笑顔で、ウインクまで寄越す。

「そのような予定はありませんね。期待した目で見ても無駄です」
 遠目で日本人が見れば美女にも見えるルーシェンフェルドは、その姿に相応しい優雅で端正な所作で、白磁の茶器を口にする。これ以上は答えないという意思表示だ。

「お前なら、モテないはずは無かろう」
「あれは、私がモテてる訳ではありません。公爵位や領主、魔道省の長という、ご婦人方の目に装飾品のように映る部分がモテているのです」
「まぁ、まるっきりは否定はせぬが、それも含めてこそのお前の魅力では無いか?
 爵位持ちの領主で、職場の責任者という肩書きを持つ者は他にも居よう?」
「それらの多くは、既に妻帯者か、壮年です。私は、適齢期の令嬢達の参加する品評会に陳列されるつもりはありません」
 優雅に口をつけていた茶を、こめかみに青筋を立てそうな表情で一気に飲み干すと、音も立てずにカップをソーサーに戻し、立ち上がる。

「そんなくだらない話がしたければ、さっさと執務を終わらせて、宰相とでもするのですな」
 エルキールアライオンを見もせずに、扉の横に設置された、花瓶にしか見えない冷却効果の魔道具を再起動させてから部屋を出る。
 その背中を、楽しそうなエルキールアライオンの声だけが追いかけた。
「それは、終わらせたら縁談話に参加してくれるという意味に受け取っていいのだね?」
「参加しません。あの、阿呆の相手を先にあてがってやってくれと言っているのです」
「あの阿呆って、俺のこと?」
 国王の自室の扉の両隣に警護の兵が立っているが、そこに違和感なく宰相も立っていた。
 もしかしたら、中の様子を窺っていたのかもしれない。もっと言えば、魔道で聞き耳を立てていたのかもしれない。
 国王の自室には、当然他者の魔道は効かないよう防御対策が施されているが、有事に、味方の術も効かないのでは不都合が出る場合も有る。先ほどルーシェンフェルドが湯を用意したように、限られた人物、魔道省のトップの数人と、宰相、近衛兵の一部だけが、このエリアでも魔道を使える。
 それも、国王本人は当然として、ルーシェンフェルドと宰相と、魔道省の副長官、近衛隊長以外は、エルキールアライオンかルーシェンフェルド、宰相のいずれかが許可のコードを発令しないと、唱えた魔道も発動しない。

「私は、むやみに他人を阿呆呼ばわりはせん」
「知ってる」
「私は、態々わざわざ結婚せずとも、妹に婿をとる事も出来るし、妹が何処かに嫁いでも、産んだ子を養子にとる事も可能だ。
 だが、お前は独りっ子だろう。前宰相殿も気を揉んでいる。早く子を成せ」
 宰相の近すぎる頭をぐいと押しやって、来た道を戻り始める。その後を、宰相もついて歩く。
「さっきのお前の論法をそのまま返すよ。従姉の子供は4人居るし、従兄弟を養子にとる事も可能でしょ?」
「血を分けた兄妹と、従兄弟を一緒にするな」
「血縁一族って意味では変わらないでしょ~。俺はモテすぎるから、1人の令嬢に決めると皆が可哀想で、絞れないのよ♡」
「そのめでたい頭の中身、1度ルーティーシア・マリヴァ・ルッシェンリールの冷却魔術で凍らせて粉々に砕いた後、融解温度で再構築して貰え」
「え? 会っていいの? さっきは会わせないとか言って、焦らしてんの? もう、ツンデレさんだなぁ、ルーシェンフェルド・クィルフ・エッシェンリール・アッカードってば……」
 気軽に放つ軽口も、最後まで言えなかった。目の前に、鋭利な刃物と変わらない、鋭く尖った氷の刃が現れたからだ。
「クィルフ、王宮内で、私用に魔道を乱用するのはどうかなぁ。一応、宰相として知らん顔は出来ないよ?」
「私を愛名まなで呼ぶな。呼んで良いのは、私より上位の者か、家族だけだ」

 この世界では、人を表す最初の力『名前』を略して呼ぶ事は、相手の存在を侮辱する事になり、決闘になったり揉め事の発端になったりするのだ。
 故に、正名まな愛名まな真名まな家名かなをフルネームで呼ぶのが通例である。
 この世界では、愛称や渾名あだなは存在しない。
 その人物を表す称号としての通り名や二つ名はあるが、フルネームを識る者は、正しく呼ぶものだ。

 勿論、ルーシェンフェルドの場合も、身分は元より魔力霊力共に上位の国王と、生みの母と祖父母、何人かの父の代から交流のある老齢の上級貴族と学舎の博士号達くらいしか、愛名で呼ぶ事は赦されない。
 それも、上級貴族の父君達も学舎の博士号達も、今は所領の領主として、貴族社会の頂点に立つ公爵として、魔道省で一番の魔道力と地位と権力を持つ人物として敬意を払う意味で、誰も愛名で呼ぶ者は居ない。
 現状彼を愛名で呼ぶのは、誰にも下る事のない国王と、生母、祖父母くらいである。たまに、王族の当主の中で親しい者が、砕けた内容の話をする時に、周りに他人が居ない場限定で呼ぶ事もあるが、その機会は少ない。

 一応、現宰相と、その父前宰相も親しい王族の当主と息子として、呼ぶ事も可能な仲ではあるが、他人の目のない場限定であるし、宰相が親友を称するのに対し、ルーシェンフェルドは素直に人前で彼と友人の顔を見せる事は無い。

「未来の弟かもしれないじゃないか」
「ルーティーシア・マリヴァ・ルッシェンリールは貴様にはやらん。まして、お前と義兄弟など、虫唾が奔るわ」
「あら、俺ってば愛されてるねぇ♡ クィルフお兄さま♪」
「貴様の方が年上だろうが、止めろ!」
 ルーシェンフェルドが睨んでも、宰相は嬉しそうだ。一貴族として、沢山の部下を率いる者として、丁寧で生真面目な姿勢を崩さない彼の、数少ない素直に表情を見せる相手として、傍で好きにしている事を許されていると、くだらない話や冗談を言い合う事を赦されていると、本当は解っているからだ。

「うぅん、お兄ちゃんは、クィルフのそんな所も大好きだよ♡ っておおっと、そろそろ午後の議会の準備に入らないと♪」
 ルーシェンフェルドの創り出した氷の刃を避けるように身を捻って飛び退り、廊下を先に逃げるように去って行く。
 勿論、笑っているし、片手を上げてひらひら振るように、分かれの挨拶をしながらだ。

 絶世の美男子の軽口に傾国の美女が憤慨するようにしか見えないやり取りに、王宮内の廊下の端で頭を下げてやり過ごしていた文官や女官達が、本人達には見えないように笑いを殺す。が、肩はかなり揺れているので、害にならなければ細かい事は気にしないルーシェンフェルドには気づかれずとも、目端の利く宰相には、周りの者達が微笑ましい生暖かい目を向けていた事や笑いを堪えている事はバレているだろう。

 ルーシェンフェルドは溜息1つで気持ちを切り替え、魔道省の職場に向かう。
 母や妹に、夕食までに帰ると約束したからには、早々に仕事を片付け無くてはならない。

 *** *** *** *** ***

 どういう訳か、本編より筆が進みます。
 登場人物達が、愉しそうだからですかね?
 こちらは幾分ストック出来ました。
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