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小さな嵐の吹くところ
29.ユーフェミアの見たエルネスト、システィアーナの知るエルネスト
しおりを挟む毛足の短い絨毯が敷かれた通路を静かに進み、奥の突き当たりに優雅な装飾彫りの扉が見える。
そのひとつ手前の扉の前で足を止め、アレクサンドルがノックをすると、少しだけ扉が開き、一度侍女が顔を出したが二人を目視すると下がり、すぐにユーフェミアが姿を見せた。
「お帰りなさい。夜の潮風は冷えたでしょう?」
システィアーナの冷たくなった手を柔らかく温かな手で握り込んで、兄とマントを共有する彼女の腰にまわった手に口元がニヤけるのを耐えるユーフェミア。
(これは本当にお兄さまなのかしらって思っちゃうわね。マントの内側に女性を入れるなんて)
いろんな意味でも誤解されないよう女性に贈り物もしたことがなく、社交の場でのダンスも必要最低限。
立太子してからは[太陽の]微笑みも封印して、常に人と一歩下がった距離を保っていたのに。
「⋯⋯ミアも、眠れないんだね。目の前での暴力行為に神経が尖っているのかな」
「そうかもしれないわね。お兄さま達と違って兵役もないし、騎士の訓練や闘技会を見学するのとはまったく違ったもの」
あの、システィアーナに錆びた剣を突きつけた男の狂気を帯びた眼と、綺麗に飛んだ左腕。
出血量よりも、腕を失ったショックと肉体的負担から、この先長らえないかもしれないと、傷口の処理に当たった護衛騎士は言っていた。
あの生々しい光景と、憧れの騎士見習いの剣を振るう姿とが結びつかず、やや混乱してもいたのだ。
男に羽交い締めにされ、剣を突きつけられたシスティアーナは、それはそれで怖かっただろうが、あの腕が飛ぶ瞬間と、殺気を纏ったエルネストを見てないのが羨ましかった。
同時に、システィアーナの知らないエルネストを見たという僅かな優越感もあったが。
「シスを助けるためとは言え、エルネストがあんな表情をして、気迫のこもった剣を振るうなんて⋯⋯」
「そりゃあ、エルネストも騎士を目指しているんだ。何も彼に限った事じゃない。騎士ならみな、大切な人を守る時には剣鬼にもなるよ」
「わたくしは、胸元から喉へ向けて突きつけられた剣に気がいっていて、エル従兄さまの様子をあまり覚えてませんの。わたくしを放せと仰ってから瞬く間に近づいて、次の瞬間には解放されて傍にいた感じで⋯⋯」
「あれは、きっと『縮地』と呼ばれる対峙した相手に瞬時に詰め寄ったように感じる歩法のひとつじゃないかしら?」
「しゅくち? ほほう?」
「ミアは小さい頃から、騎士達の訓練を覗くのが好きだったからなぁ」
苦笑いで妹姫の頭を撫でるアレクサンドル。
「剣の達人と呼ばれる人が、相手の気を逸らしたり予測出来ない行動で視界から外れたりして、心理的に瞬間移動したように思わせるのよ。勿論、本当に素速い動きもするの。エルネストは更に砂ぼこりを立てない静かな動きだったから余計に、あの人は腕が落ちてもすぐには、何が起きたか解らなかったでしょうね」
──あの、穏やかで優しいエル従兄さまが?
朗らかに微笑むエルネストしか見たことがないシスティアーナには、俄に納得がいかなかった。
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