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ブラウヴァルトの氏族と私

106.嵐の中の来客

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 アウレリア・ベネディクト君は、とてもお行儀のよい子供だった。
 姉のパトリツィア殿下は古フリジア=リンブルフ語の、古語訛りが強い話し方をしていたけれど、アウレリアちゃんは綺麗な低地ゲルマン語を話した。

「身分を隠して帝国に滞在するなら、現地の言葉に寄せなくてはいけないでしょう? 生まれ故郷の言葉を恥じたとか捨てた訳ではありません」

 なかなかどうして、しっかりした子供である。

 お母さまは、お嬢さまやお兄さまが子供の頃の、中性的な印象の服を出して来て、アウレリアちゃんに着せていた。

 紅茶色の髪と濃い青の瞳が、ドレスにも子供用室内着にもよく映えて、着せ替えがいがあると、お母さまは楽しそうだった。

 私とテレーゼ様のお勉強に加わり、語学も地理も、算術もよく学んだ。
 本人はお家の名を背負って学びに来ているつもりなので、真剣である。

 屋敷内の使用人達も、執事や家政婦長などの上級使用人にのみ本名を明かし、多くの使用人達には、ヒューゲルベルクからの親族の子供を社会勉強がてら預かっている事になっていた。


 珍しく雷の落ちる酷い嵐になり、お庭の手入れも散歩も出来ず、室内に隠って読書をしていると、玄関で何か騒ぎが起きているような物音や大声がした。

 慌てて下りてみると、二人の人が濡れ鼠であり、メイド達が何人もついて濡れた体を拭っていた。

「お姉さま?」

 エントランスホールへの階段の踊り場でその様子を見ていた私の後ろから、か細い声がする。
 アウレリア・ベネディクト君のお姉さんと言えば、パトリツィア殿下やその妹さん?

「なんの騒ぎだ?」

 お兄さまも部屋に居ても騒ぎが聴こえたのだろう、階段を下りてきて、私を追い越し、ホールに立った。

「テオドール殿!!」

 やや甘えたような高い声が響き、メイドや執事達を振り払って、髪を振り乱してパトリツィア殿下がメイドの輪から飛び出してきて、お兄さまに飛び付いた。

「え? パトリツィア殿下? お国に帰られたのでは?」
「国境線にフランス軍が駐留してて戻れなかった。青の森のブラウヴァルト 王宮に匿って貰うと国際問題になるやもしれぬ。行き場がなくて、ここしか思いつかなかった⋯⋯ 迷惑かけるのは解ってるけど⋯⋯」
「いや、ご無事でよかった、デス」


「「あら、素敵」」

 お母さまとテレーゼ様が同時に、頰に手を当ててため息とともに吐き出す。

 素敵? 確かに、物語にあるような展開で、傍目から見れば、感動的なシーンに見えるかもしれない。

 でも、お兄さまとパトリツィア殿下はそういう仲ではないし、隣国が包囲している小国の姫を匿うということは、隣国の征服戦争に巻き込まれるということ。

 「あら、素敵」なんて単純なことじゃない。

「殿下と侍女二人だけですか? 叔母上や家庭教師の方は? 護衛騎士もそれなりに居たでしょう?」
「叔母は、元々、ハインスベルクの騎士に、今年の秋嫁ぐことが決まっておったゆえ、そのまま兵士とともにハインスベルクへ引き返すように言っておいた。家庭教師も同行した。今頃は、婚約者の腕の中で震えておろう」
「そうですか。ハインスベルクにいらっしゃるなら安心でしょう」

 暗に、なぜ殿下も行かなかった?と訊いているような、咎めるような目を向けるお兄さま。

「わたくしは、リンブルフやネーデルラントを包囲する軍が引いて、征服戦争が終わったと確信出来るまで、もはや国に戻る訳にはいかぬ。わたくしが戻れば、フランスの王族と無理矢理婚姻させられ、兄達は殺されて、リンブルフは属国と化してしまうであろう。わたくしが戻らなければ、やはりフランスの王族の姫を娶らされるが、兄達は生かされる。
 ゆえに、わたくしは、リンブルフに戻るわけには行かぬのだ」

 縁戚のハインスベルクや友好国の青の森のブラウヴァルト 王宮を頼ると、国対国の問題になりかねないというパトリツィア殿下の判断は間違ってないと思う。

「へティ。こちらへ。テオドール殿。この子はヘンリエッタ。わたくしの妹です」
「え、妹さん? これはとんだ失礼を⋯⋯」
「構わぬ。わたくしとへティは、護衛も侍女もハインスベルクへ行かせて、二人だけで、駅馬車を使って、旅行中の姉妹として青の森のブラウヴァルト 王都まで来た。ドレスも、国境の町で、町娘のお出かけ着として売っていたワンピースに普通の編み上げブーツに変えたので、オラニエ家の娘には見えなんだであろう?」
「賢明な判断とは言いがたいですが、ご無事でよかったです。乗合馬車や駅馬車も、時には帝国騎士のなれの果てや元傭兵などの、食い詰め者が集まった盗賊団に襲われたりするのですよ? せめて、護衛のひとり二人はつけるべきです」

「姉さん、どうしてここに?」

 アウレリア・ベネディクト君が階段を下りてくる。

「なんですか、はしたない。濡れ鼠姿で家族でもない男性に取りすがるなんて!」
「テオドール殿はいいのじゃ」

 そうだったかしら?

「ディクトは、ここで粗相はしておらぬな?」
「もちろんです。オラニエ=ナッサウ家の正嫡のひとりとして恥ずかしくないよう日々学んでおります」
「そうか。アンジュ殿は語学や算術に長けておる。世界情勢や歴史、神話などに詳しいゆえ、ここにおる間はご教授願いよく吸収しなさい。
 テオドール殿も、未成年ながら、領地の特産品をよく理解し、良さを生かした事業を興し、領民に慕われるよき領主になられるお方じゃ。どちらもよく見倣うように」
「はい!」

 自然な流れでお兄さまから離れ、アウレリア・ベネディクト君にお姉さんとしての言葉をかけて、何かをうやむやにした気がした。




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