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ブラウヴァルトの氏族と私

98.女誑しの公爵令嬢

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 いつもはお忙しいと聞いている第二王子殿下も、パトリツィア殿下が滞在していらっしゃるからか、ちょくちょく顔を出される。

 差し入れと称して、パトリツィア殿下やハイジ、テレーゼ様にも、高価なショコラーデのトルテを、私に古ノルド語で書かれた羊皮紙の本を持って来てくださった。
 羊皮紙を捲ると、中味は北欧神話世界について書かれているみたい。昼間はパトリツィア殿下の通辞(通訳)のお役目があるけれど、晩餐の後、寝る前に少しづつ読ませていただこう。

「ほう、やはり内容が解るのか」
「はい。発音はすでに失われてわかりませんが、単語ごとの意味は幾つかは。侯爵家の図書室の、お父さまの辞書を使えば、意訳ですけれど、ある程度は読めると思います」
「そうか。なら、それはアンジュ嬢に差し上げよう」
「えっ!? で、殿下? これはとても稀少で、文化遺産レベルのものなのでは」
「それは、青の森のブラウヴァルト 先祖が記した写本だよ。本物じゃない。それに、もしかしたら、敢えて、個人的な解釈で書き換えたり写し間違いもあるかもしれない。その程度のものだ」
「それでも、やはり価値の高いものだと思います」

 手に触れるのも緊張する。

「今回の報酬の一部だと思って受け取ってくれ。城にあがるのを望んでいなかったのに、お茶会と半ば騙すように呼びつけて、賓客の相手をさせているのだ、詫びも兼ねている。第一、それに、そのくらいの働きを見せてくれるだろう?」

 にやりと口の端で笑みを浮かべるシーグフリート殿下。

「わたくしに力の及ぶ限り、出来るだけの事は致します。むしろ、このような機会を与えてくださり、感謝しています。言葉は生き物。使わねば死んでしまいます。邸の中で本を読んでいただけでは解らない、貴重な体験をさせていただいて、とても光栄に思っています。パトリツィア殿下と知り合えたのも、ハイジと再会してこれまでの不義理を謝罪する機会を持てたのも、本当に⋯⋯」
「ああ、解った解った。皆まで言うな。騙したこちらが居心地悪くなるわ。だが、そう言ってもらえて、こちらとしても気持ちが楽になった。感謝する。無理矢理断れないやり方をして悪かったな」
「勿体ないお言葉です。殿下」

 椅子から立ち上がっていた姿勢から頭を下げると、顔を上げて座るように指示される。

 殿下は公務に戻られたけれど、王女殿下が残る。

「わたくしの語学指南は断ったのに、リンブルフの公女の通辞は受けるのね」
「先ほど、お父上第二王子殿下が、騙すようなやり方で、断れなくしたと仰っていたはずですわ、アルビナ(白・純真の意)殿下」

 テレーゼ様が庇ってくださる。王女にたてついて大丈夫なのかしら。

「それに、パトリツィア殿下がこの国に滞在なさる期間限定の事。語学を学びたいからアンジュ嬢と話がしたいなら、殿下も、この場に交ざればよろしいのですわ」

 ケーキを前に、肘をついて両手を組み、にっこり笑って言い放つテレーゼ様。
 たちまち、アルビナ殿下の顔と耳まで赤く染まる。

『なんじゃ、そなたも仲間に加わりたかったのかぇ。よい、好きな席に座るがよい』

 リンブルフ語の訛りが強くても、基本的なネーデルラント=古低地フランク語は多少は習っているはずだし、リンブルフ語自体は私達の扱うゲルマン語の地方言語のひとつでリンブルフ=ベルク語と呼ばれるくらいなので、だいたいの意味は理解されているはず。

 迷っていらっしゃったけれど、自尊心と好奇心と向学心とが闘って、素直に仲間に加わる事にしたらしい。そっと、従僕が引いた椅子に座った。

 可愛らしい方だ。

『語学を学ばれたいのかぇ?』
『お、王女たるもの、異国の客人と会話も出来なくては、それこそお話にもなりませんから』

 パトリツィア殿下と話すのも、辿々しいフランク語ながら、どこかニュアンスが居丈高な感じがある。
 まるで、厭味のないお嬢さまのよう。王女だから、ああいう態度を取らなくてはならないと思い込んでらっしゃるのかしら?

『そうか。勉強家なのだな。わたくしはリンブルフ=ベルク語訛りがあるので、お役に立てるか解らぬが、この国に滞在させていただく間は、仲ようしてくださるとありがたい』
『はい!』

 顔を真っ赤に染めて、俯くアルビナ殿下。パトリツィア殿下の笑顔が真っ直ぐで眩しかったのだろう。

 アルビナ殿下も、シーグフリート第二王子殿下に似てお美しいのだから、素直になれば、もっと愛らしくなるだろうに。
 ミント水のような綺麗なブルーグレイの瞳と、黄金のような金茶の髪。白磁の肌に、紅をひいたような鮮やかな頰と唇。私と違って、化粧を施さなくても華やかな美少女なのだから。

「そう言えば、アルビナ王女殿下は、遠めだけど、アンジュと親戚なのよね?」

 ハイジが思いだしたように言う。

「曾祖母が先代の王妹ですから、近くはないですけれど」
「それなら、わたくしもですわね?」

 テレーゼ様がにっこり笑うと、益々赤くなって、アルビナ殿下が膝の上でハンカチを握り締める。

『テレーゼ様は、わたくしの憧れです。わたくしよりも王家らしい堂々とした令嬢ぶりで、こうなりたいというわたくしの理想なのです』
『あら。ありがとう。そう言っていただけるのは嬉しいわ』

 ハッと顔を上げるアルビナ殿下。

『でも、わたくしは公爵令嬢で、殿下は王女。わたくしを理想として同じようにしたのでは、いけませんよ』

 出た。テレーゼ様の頼れるお姉さんなセリフ。
 アルビナ殿下は恥じたのか納得できなかったのか、唇を少し噛んで俯く。

『ですが、同じ氏族の同年代の娘同士、今後も仲よくしてくださると嬉しく存じます』

 そして、同性も頰を染める美貌で、好意を上塗りしていく。
 テレーゼ様、凄すぎます。
 アルビナ殿下、テレーゼ様に益々傾倒しているように見えますけど。

「アンジュ。あなたは、特別。普段傍にいないアーデルハイト殿下に負けなくてよ?」

 コソッと耳打ちするテレーゼ様。私まで頰が熱くなる。

『凄いの、テレーゼ殿。天然ではない本物の誑し込みじゃの』

 どうやら、私の隣に座っていたパトリツィア殿下には聴こえていたようだ。

「どういう事? テレーゼ様、アンジュに何を言ったの?」

 この日、眠るまで、ハイジはしつこくテレーゼ様の言葉を聴きたがった。




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